ヨルに咲く花 (4)
陽が落ちるのと同時に、この穴場スポットにも何人かの花火見物客が現れ始めた。ほとんど、というかカップルばっかりだ。なるほど、ベテランは暗くなってから来るんですね、ためになります。
暗がりで二人、ってことで他の皆さんは基本的にいちゃいちゃしている。わあ、これはもう、そういう場所だね。一応他の人もいるからそこまで激しくは無いけれど、基本的にはぴったり、ぺっとりって感じ。涼しくなってきてるし、くっついててもそれほど気にはならない。はあ、シングルにしてこんな場所だけは知っているじゃがいも2号、逞しく生きろよ。
ヒナもハルの肩に頭を乗っけてしまう。雰囲気優先ってことで。ここではそうしてないと逆に不自然だ。それに、ヒナはハルの恋人ですよ。これが普通。こうしたい。こうしていたい。
「ヒナさあ」
んー、なあに、ハル?
「バイトとか考えてる?」
ハル、その話題のチョイス凄いね。このシチュエーションで何故そうきた。ヒナが二次元の住人なら、今間違いなく顔に縦線が入ったよ。ロマンスの欠片も無い。
「なんでバイトのハナシ?」
思わず訊いちゃった。いや、これはツッコむよね。ヒナは悪くないよね。
「いや、なんつうか、間が持たなくて」
純情なのか根性なしなのか。両方だな。折角彼女がもたれ掛って来てるんですよ。愛ぐらい語ってくださいよ。やれやれ。
「ハル、バイトするの?」
「あー、高校生になったんだから、ある程度は自分で稼げって言われた。その、デート代とか」
ははは。ヒナも言われたよ。ひょっとしたら、両家の親共によるブレーキ政策なのかもね。夏休み中遊びまくる計画立てて、その資本が全部親頼みとか、そりゃ締め付けられるわ。
「何かあてはあるの?」
「高橋が宅配便の荷物仕訳一緒にやらないかって」
ハル、さといもと仲良いね。よし、さといもは覚えておこう。違う、高橋だ。どっちでも良いか。
ふうん、良いんじゃないですかね。勤労は美徳ですよ。ハルがバイトするって話にヒナが反対する理由なんて・・・
ああ、そういうこと。
「別に、そこまでわがまま言わないよ。バイト頑張って」
ハルがそっとヒナの肩を抱いてくれる。夏休み、補習で短くなった二人の時間が、バイトのせいで更に短くなることを気にしてたんだね。やれやれ、高校一年生の貴重な青春なのに、ハルはしょうがないなぁ。
ヒナだけがハルの青春じゃないでしょ。そりゃあ、ヒナのことだけを見てくれたら、って思わないではない。でも、それじゃあハルの世界は狭いまんまだ。ヒナはそんなこと望んでいない。ハルがハルらしくいてくれて、その上でヒナのことを好きでいてくれる。それが一番良い。だから、ヒナだって頑張ってる。
力仕事のバイトみたいだし、そこで可愛い女の子と出会うとか変な心配は無さそうかな。仮にそんなことがあったとしても、ヒナは負けるつもりは全く無いですが。既に彼女ですので。ほほほ。
そうか、ハルがバイト始めるなら、ヒナの方も考えとかないとな。何もかもハルのお世話になりっぱなしは、ヒナ的にはあんまり望ましくない。今はまだ、養ってもらう訳にはいかないというか、そういうのはもっと後。もっと先。
「私も何かしないとな。お金いくらあっても足りないし」
靴とか服とか高いんだよね。本当はアクセサリにも興味あるんだけど、予算が全然追い付かない。化粧品なんて買い始めたらどうなっちゃうんだろう。そもそも使ってる布の面積が少ないのに、恐ろしく高い服ってのはなんなの?デザイン料?
その上でデート代も捻出しないといけない。真面目にお小遣い帳付けてみると、学割のありがたさが身に沁みてよく解る。学生証無しでは生きていけない。ありがとう、学生料金。
「ヒナ、バイト出来るの?」
うおい。今「出来るの」って言った?「やるの」じゃなくて「出来るの」?
「出来ます。もうお母さんから紹介が来てるんだよ」
お母さんはこういう時だけ手回しが良い。パート仲間の伝手で、何処かの惣菜工場の短期の口を見つけてあるんだそうだ。後はヒナが返事をするだけ。まぁー、なんてコンビニエンス。すっかり外堀埋められてるよ。こういうセットアップ好きだよな、ウチの両親とか、ハルのご両親。このまま行けば、結納から挙式まで一通りコーディネートされちゃいそうだ。そこまで行くとちょっとおせっかい過ぎ。
で、ハル。忘れてないからね。出来ますから、バイトくらい。いくらヒナでもそこまで鈍臭くありません。ヒドイ。
「そうか、まあ、頑張れ」
馬鹿にしてますね?ヒナだってやる時はやるんだよ。ハルの方こそ肉体労働で音をあげちゃうんじゃないの。部活やらなくなってから、まともな運動なんてしてないでしょ。ヒナと一緒、運動音痴の世界にようこそだ。
ふふ。ハルに肩を抱かれながら、ハルにもたれ掛りながら、こんな話してるのって可笑しい。言葉だけ拾えばいつもと何にも変わらないのに、実際には恋人みたいに寄り添ってる。ヒナとハルはいつもと同じなのに、もう全然違うんだね。不思議だ。
ぎゅってされるの、嫌じゃない。そういえばこういうの初めてじゃない?わ、なんか自然だから気にしてなかった。場の空気って怖い。流されるままに何でもしちゃいそう。ハルが相手なら、良いか。昔もこうやって寄りかかったね。懐かしい。
「ハル」
「ん?」
ハルの顔は見ない。代わりに、身体で感じる。ハルに触れている。一緒にいる。ヒナは、ハルとこうしていられて、とても幸せ。
「大好き」
言葉に出しておこう。この時のこの想いは、ちゃんとハルに伝えておこう。ヒナは、ハルに抱かれてとても嬉しい。ハルのこと、すごく好き。二人でいる時間が、愛おしい。
「ヒナ」
ハルが、手に力を込める。ハルの身体に押し付けられる。ちょっと痛い。もっと強くされても良い。ううん、足りない。ハルの中にヒナが入ってしまうくらい、強く抱いてくれて良い。このまま一つになってしまいたい。
光が空に向かって伸びた。遅れて、小さな音。弾けて、輝く。どん。大きな音。ぱらぱらぱら。
花火が始まった。ハルの腕の中で、夜空に咲く花を見る。すごい。今まで、花火を観てこんなふうに感じたことは無かった。綺麗。素敵。言葉が出てこない。これ、なんて言えばいいんだろう。
ハル、ヒナはなんだか、このまま溶けてしまいそう。ハルの中に全部入って、消えてしまいそう。それでいいかな、なんて考えちゃう。ヒナは、ハルのことが好き。ハルと一緒に、いつまでもこうしていたい。
「ヒナ、緊急事態だ」
ぶっ殺すぞこの便所神!
思わず目を見開いた。ああ、ハルがこっちを見て無くて本当に良かった。ちょっとしたホラーだったと思うよ。
てっめぇ、ナシュト、いい加減にし腐れやコラ。神だか何だかしらねぇが、ヒナとハルのスーパー蜂蜜タイムの邪魔をするとかいい度胸じゃねぇか。やるか?やんのか?どっちがボスなのかはっきりさせとくかオイコラ。
「話を聞け。まずいことになっている」
ははん、今のアンタほどマズイ状況ってのがあるんですかね。なんだよ、言ってみなよ。事と次第によっちゃあ、神と人類の全面戦争が勃発するぜ?
「呪いの主が、お前を探している」
・・・なんて?
途端に、ぞわっと全身の毛が逆立った。なんだ。何かいる。桁違いにすごいのが、すぐ近くまで寄ってきている。
「下手に動くな。まだこちらの所在は掴んでいないようだ」
ああ、そう。じゃあどうしてくれようか。先手必勝、ぶちかましてあげようか。ヒナ、コイツのこと嫌いなんだよね。陰湿なことしてくれちゃってさ。
左手を持ち上げようとして、ヒナはハッとした。今は、ハルが一緒にいる。しまった。
ここで迎撃することは簡単だ。何の問題も無く呪いなんて打ち破ることが出来る。でも、それと同時にヒナがここにいることは相手に知られてしまう。ハルの存在もだ。
この相手は危険だ。不特定多数の相手に呪いをかけることもいとわないし、こんなに強力な呪いを間髪入れずに展開してきている。明らかに普通じゃない。余程の手練れか、あるいは本気でイカレているかのどちらかだ。
コイツにハルのことを気取られるのはマズい。絶対に避けなければならない。ヒナが攻撃対象にされる分には、いくらでも対処は可能だ。むしろどんどん攻撃してもらって、片っ端から排除していけば良い。だが、ハルが狙われるのだけはダメだ。ハルは、見えない攻撃に対処することが出来ない。ヒナが二十四時間付きっ切りで守っていたとしても、こんな奴が相手ではハル自身が気付けない以上、必ず隙が生まれてしまう。
この場を一旦離れて、一人で戦うか。いや、その後ハルと合流するところを気取られたら無意味だ。ああ、ハルと一緒にいることが裏目に出るなんて。
やっぱり変なことに首を突っ込むべきじゃなかったのか。ヒナとハルに直接影響しないことなんて、関わらないで放っておくべきだったのか。
いや、そんなことは無い。ヒナは後悔なんてしない。こんな頭のおかしい奴。こいつの方が絶対悪いに決まっている。負けたくない。こんな奴に、ヒナは負けたくない。
気配が近付いて来るのが判る。どんどんどん。連続して花火が上がる。歓声。楽しそうな声。みんなが、親子連れが、楽しく花火を観られているなら、ヒナはそれでいい。ヒナは、間違ってなんかない。間違ってないんだ。
もう、すぐ近くにいる。ハル、ごめんね。覚悟を決めないといけないのかもしれない。ハルを巻き込んでしまう。銀の鍵の、わけのわからない問題に。ヒナの、ヒナだけの問題に。
・・・嫌だ。
嫌だ。ハルには関わってほしくない。ヒナは、ヒナは。
ヒナは、ハルに傷ついてほしくない。ハルだけは守りたい。ヒナの場所、ヒナの一番大事、ヒナの。
ヒナの、大切な人。
ハルの手。ハルの身体。ハルに包まれて、ヒナは怯えてる。ハル、助けて。このままじゃ、ヒナはハルを危険な世界に引きずり込んでしまう。そんなの嫌なんだ。そんなこと、ちっとも望んでいないんだ。
大きな花火。大きな音。大きな歓声。
怖い気配。
お願い、気付かないで。
ハル、ヒナはハルのことを守りたい。
ハルのこと。ハルのため。
お願い。
お願い、誰か、助けて。
「大丈夫、私が引き受けるから」
えっ?
朱と白が、視界の端で翻る。夜の闇の中に、踊る金魚。花火の音と光、歓声が飛び込んできて、ヒナは我に返った。
今の、誰?
思わず後ろを振り返る。ハルがビックリしてる。ごめん、でも、ヒナもすごいビックリしてるんだ。何組かのカップルが花火を眺めている。ヒナが見た人影は何処にも無い。そういえば、あの怖い気配も感じられない。本当に、何もかもが跡形も無い。
「ヒナ、どうかした?」
ハルが優しく訊いてくれる。ううん、なんでもない。寝ぼけちゃってたかも。そんなことを言って誤魔化す。うん、寝ぼけてたってのもあながち間違いでは無いか。あまりにも現実味が無い。一体どういう?ああっとそうか、ナシュトに聞けば良いのか。
ナシュト、今の、何?
「どうやらこの近辺の土着神のようだ」
え?神様?
ヒナのこと、助けてくれたの?神様が?
ちょっと待って、それでもおかしい。変だよ、変。
だって、今のが神様だって言うの?ヒナが見た今の人影って。
女の子だったよ?ヒナと同じくらいの年頃の、巫女装束の、女の子。長い黒髪。金の髪飾り。すっごい綺麗で、可愛くて。うん、確かに人間ではないか。あまりにも美しいというか、神々しい。
「恐らく元は人間で、何らかの理由でその姿に固執しているのであろう」
ええええ?そんなのアリなの?
銀の鍵を手に入れてから、ヒナは何度か神社やお寺で神様の姿を見てきている。その姿は千差万別で、なんだか毛むくじゃらだったり、木の根っこがぐるんぐるんに絡み合ったものだったり、でっかい苔玉みたいだったりした。人型もいるにはいたけど、おじいさんの姿が多かったと記憶している。話が通じる神様もいれば、もう何言ってるのかさっぱりな神様もいた。神様付き合いの参考にしたかったんだけど、正直どいつもこいつもイマイチだった。
しかし、女の子。しかも可愛い女の子っていうのは初めてだ。レアだ。そんな神様ならお知り合いになりたい、友達になりたい。お話してみたい。
元は人間、ってのも気になる。なんだろうね、死んでから転生するみたいな?ああ、即身成仏とか、人柱とかか。あんまり良い話じゃないな。そういうこと聞いちゃダメかな。デリカシー無いかな。いかん、もう一度会えることを前提で考えちゃってる。まがりなりにも相手は神様だ。
ウチの神様とトレード出来ないかな。ダメだろうな。はあ、いいな、可愛い女の子の神様。本気で溜め息出そう。どっかの神様に聞こえるようにもう一回思っておこう。はあ、いいな、可愛い女の子の神様。大事なことだから何度でも言っておこうか。
にしても、可愛い女の子の姿に固執しているってどういうことなんだろう。興味が尽きない。ひょっとして、好きな男の子がいるとか?まさかね。神様が、好きな相手の気を引くために女の子の姿をしてるなんて。いやいや、まさか。
・・・まさか?
「ヒナ?」
おおっとハル。ごめんごめん、すっかり考え込んじゃった。そんな心配そうな顔しないで。むしろヒナは今とっても嬉しくて、とっても楽しいんだ。
ハルに話せないのがもどかしいくらい。ハル、今ね、ヒナとハルは、神様に助けてもらったんだよ。可愛い女の子の姿の神様だって。可笑しいね。アニメとかゲームみたい。
でも本当のことなんだよ?ヒナは、もう少しでハルを危ない目に合わせちゃうところだったんだ。関わらなくていいことに巻き込んでしまうところだったんだ。ヒナの力ではもうどうしようもなくって、誰か助けてって、ヒナはそう願ったんだ。そしたら、神様が助けてくれた。
なんだろうね、ハル。これ、どういうことなんだろうね。ヒナは、神様に助けてもらうような、良い子なんかじゃないんだ。ハルのことしか考えて無い、自分のことしか考えて無い。そういう、自分勝手で汚い人間の一人なんだ。
花火の光で、辺りは虹色に照らされている。どんどんばらばら。激しい音の洪水。ハル、良かった。本当に良かった。ヒナだけなら、ハルのこと守れなかった。こんな助けが得られるなんて、想像もしていなかった。
ありがとう、可愛い神様。本当にありがとう。
「ハル」
うん、今、ヒナはそういう気分。だから、ハル、受け止めて。ヒナの気持ち、ヒナの想い。
ヒナの、愛。
その夜一番大きな花火が上がって、夜空が大輪の花で彩られて。
夜に咲く花の下で、ヒナは、ハルとキスをした。二回目の恋人のキス。とても甘くて、溶けてしまいそう。