その1
「ベルナルド、下に50人ほど倒れている。何人か連れていけ」
「それと、同じ数だけ馬がいるはずだが、何頭かは山中へ逃げたようだ。ガスパーロに探すよう伝えておいてくれ」
砦へ戻ったアレクたちは、手下たちに後始末の指示を与えたあと、ドイルのもとへ報告に戻り、中断されていた話し合いを再開した。とはいえ、すでに議論の段階は過ぎていることから、なし崩し的にルイスの受け入れが決定された。
その夜は、ルイスの歓迎のための宴が盛大に催された。
貴族の加入は鉄面党創設以来初めてのことで、砦の家畜たちが何頭も潰され、非戦闘員を含む砦の住人全員に肉と酒が振る舞われる。歓迎の宴は何度も行われているが、これほど派手なものは珍しい。少なくともアレクやライにとっては初めての経験だ。
宴が始まるにあたり、頭領であるドイルが手下たちにルイスを紹介し、さらに彼が軍師として党の指揮運営に関わることが発表された。これは、頭領の参謀役として、副頭領に並ぶ地位であり、ドイルは新参の貴公子に最上級の席を用意したことになる。
続いて挨拶を行うことになったルイスは、この破格の待遇に対して感謝の言葉を述べる。その横顔をアレクは無言で眺めていた。すでに仮面はつけていない。同士となったからには顔を隠す理由はない。だが胸の内をすべてさらけ出すのは、まだ当分先のことになりそうだ。あるいは、そんな時は永久に来ないかもしれない。
翌日、ルイスを加えて4人となった幹部は、昼食後にドイルの執務室へ集まった。ルイスから入山後初となる計画案があるという。
「本題に入る前に、お二方、バッチの勢力が壊滅したことはご存じですか?」
「なに!?」
異口同音に驚愕の声を発したのは副頭領の2人である。
この近辺でバッチの名を知らぬ者はいない。ここフルメリディ州東部および隣接するフルオリエン州南部一帯を縄張りとする叛乱勢力の頭領で、手下の数は10万にも及ぶとされる。若い頃は学問の道を志していたらしく、兵法に明るく、手下たちも統率がとれている。
これまでに幾つもの街や村を襲っては、現地の役人や兵士を皆殺しにし金品を奪ってききた。朝廷からも討伐命令が出ているが、三度の外征で疲弊している帝国軍にそれだけの余力はなく、ほとんど野放し状態といってよかった。
そのバッチが敗れた。しかも完全に壊滅したと聞いて驚かぬわけがない。
「バッチの敗死は10日ほど前のことで、討伐したのは特旗遊撃兵団です」
「ウィリアム・ブレイク! またしてもあの男か!」
特旗遊撃兵団とは、昨年、帝都およびその周辺地域の治安維持を目的として創設された部隊で、兵団発足に合わせて兵団長に抜擢された人物がウィリアム・ブレイクであった。兵数は2万5千から3万人弱、そのうち3割が騎兵で、残りの7割が歩兵で構成される。
「これで奴に潰された勢力は5つめか」
「ああ。それも万単位の勢力に限っての話で、千人に満たぬものを含めたら数えきれん」
「皇帝の指名と聞いたときは、またどこぞのドラ息子かと呆れたもんだが、バッチまでやられたとなると、もはや力量を疑う余地はないな」
「4倍の相手に勝ったのだから戦上手という話は本当だろう。女好きだの、金に汚いだの、悪い噂にも事欠かんが、人格と才能は別物だからな」
弱体化している帝国軍の中にあって、その経歴においても実績においても、ブレイクは異彩を放つ存在であった。噂で伝え聞く程度だが、アレクもライもブレイクの才覚を高く評価している。不甲斐ない帝国兵の相手に飽きていた2人には、それだけの余裕があった。
「これをご覧ください」
ルイスは卓上に広げられた羊皮紙を指し示す。羊皮紙には、川や丘の絵が描かれ、中央あたりに複数の凸形の記号が向かい合うように並んでいる。
「これは?」
「今からバッチが敗戦したようすを再現してご覧にいれます。私が見聞きした情報をもとに作っているので、すべてそのままというわけではありませんが、戦闘の経過を確認するには十分かと」
ルイスが羊皮紙に手をかざすと、地図に描かれた図形や記号が色みを帯びて立体化する。森の木々は風に枝を揺らし、川には水の流れるようすが見て取れ、まるで実際の戦場を空の上から見下ろしているような錯覚に陥る。
「川の手前に並ぶ4つの青い部隊が特旗遊撃兵団で、前に並ぶ3隊が歩兵、後ろの1隊が騎兵です。そしてこれと正対する6の赤い部隊がバッチ軍を表しています。バッチ軍は前列が騎兵で、後列に歩兵を配置していたそうです」
地図を眺めていたアレクが不審そうに眉をしかめる。
「ブレイク軍は川を背にして布陣しているのか?」
「お、そうみたいだな。多勢相手にこれでは、簡単に包囲されてしまうな」
「バッチに追いつめられた末の戦闘だったのか?」
「いえ、そうではありません。この地を戦場に選んだのはブレイクです」
アレクとライの疑問にルイスが答える。
「なに? ではわざわざ不利な場所で布陣したというのか?」
「これはいわゆる背水の陣ですね。あえて退路を断つことで、兵の士気を高める効果があるとされています。また、数でまさる敵を相手にする際、背後から攻撃を受ける心配がないという利点もあります。なお、背後に流れている川は、数日前の雨の影響で増水し、川幅も水量もふだんの倍近くになっていたそうです」
「ふん、なるほど」
まるで幼子に説いて聴かせるような口ぶりが癇に障ったが、これは発言主の責任ではなく聞き手の心境に原因があった。
「では戦闘を開始しましょう」
ルイスの声に応え、地図上の各部隊が動き始める。
まず勢い良く動き出したのはバッチ軍先陣を務める騎兵部隊であった。第二陣の歩兵部隊を引き離し、まっすぐに特旗遊撃兵団へ向かっていく。後続の歩兵部隊も勢いでは負けてないようで、かなりの速さで前進している。相当無理をしているのだろう。半分も行かぬうち隊列が縦に長く伸び始め、やがて最後尾あたりから無数の小部隊に分かれていく。
「歩兵の装備が不統一なため、足の速さに差が出たのです。それ自体はやむを得ぬことで、指揮官が速度を調整すれば済むのですが、どうやらバッチ軍の歩兵隊長は、騎兵部隊と合流することに気を取られていたようです。無駄なことを」
最後のルイスの言葉には、今度こそはっきりと嘲りの色が滲んでいた。
しゃにむに前進を続けるバッチ軍に対し、特旗遊撃兵団のほうは、その場から動くことなく敵軍の接近に備えている。やがて双方の前衛同士が激突した。
「さすがだな。噂通りよく鍛えられている」
数で劣る特旗遊撃兵団が敵軍の突撃を受けながら小揺るぎもしないを見て、ライは素直に賞賛した。
「特旗遊撃兵団の歩兵部隊は、半数が槍兵、残り半数が弓兵とのことです。騎兵部隊の突撃に対しては槍兵が盾の役割を果たしたと思われます」
騎兵の集団突撃を歩兵の槍衾で防御するのは戦闘のセオリーだが、口でいうほど簡単ではない。迫り来る騎兵の大群を前にして平静を保つのは容易なことではなく、練度の低い軍隊であれば、歩兵たちが恐れをなし接敵する前に瓦解してしまう。実際、これまで鉄面党が相手にしてきた帝国軍の大半はそうであった。これだけでも特旗遊撃兵団が並の部隊ではないとわかる。
ここで、特旗遊撃兵団の騎兵部隊が動き出した。最初、アレクは、敵騎兵部隊の側面に当たるのかと思ったが、そうではなかった。特旗遊撃兵団の騎兵部隊は、前衛同士がぶつかり合う戦場を大きく迂回し、後方にいる敵の歩兵部隊へ向かっていく。
平原における騎兵集団突撃は、最強の攻撃手段のひとつである。地を揺るがして迫る鋼の波濤から逃れるには、頑丈な柵を用意し騎獣の進行を阻むしかない。特旗遊撃兵団が用いた歩兵部隊による槍衾も有効な防御手段だが、これを行うには密集隊形を取る必要がある。槍の穂先が隙間なく並ぶからこそ、柵としての効果を発揮するのであって、たかだか数本の槍では意味が無い。
バッチ軍の歩兵指揮官も、左手に巻き上がる土煙と轟く馬蹄の音で敵騎兵部隊の接近を悟っであろうが、隊列の乱れきった彼らにもはや為す術はない。バッチ軍左翼歩兵部隊は、その細く伸びた左側面に特旗遊撃兵団騎兵部隊の攻撃を受けた。
敵部隊に食らいついた特旗遊撃兵団騎兵部隊は、直後に3つの部隊に分散し、敵左翼部隊を内部から切り崩していった。最初の一撃で受けた混乱から立ち直れないバッチ軍は、この巧みな変化に対応できず、見る見るうちに瓦解していった。左翼歩兵部隊が散り散りになると、特旗遊撃兵団騎兵部隊は再び合流し、勢いを落とすことなくバッチ軍の中央歩兵部隊めがけて突進していく。
「混戦のなかで騎兵を手足のごとく扱っている。見事な采配だな。指揮しているのはブレイクか?」
「いえ、騎兵部隊の指揮者はラングホーン・クレメンズという名です。平民の出で、特旗遊撃兵団創設時からブレイクの下で戦っているそうです」
「ほう、ブレイク以外にもそんな人物がいるのか」
「ブレイクが指揮を執るのは歩兵の左翼部隊ですね。ここから全軍にも指示を出しています。なお、中央の指揮官はメルキオーレ・ダルルーノ、右翼はジェイン・オースティンという人物です」
そうした会話が交わされている間にも、後衛同士の戦いは終局へ向かっていた。同じ戦法で中央部隊がやられ、続いて左翼部隊も撃砕されていく。およそ5万人を数えたバッチ軍歩兵部隊は、まともに武器を交えることもなく、特旗遊撃兵団の穂先に蹂躙され雲散霧消してしまったのである。
後衛の戦いに決着がついた頃、膠着状態にあった前衛の戦いにも変化があった。激突のあと、力比べをするかのように押し合っていた両者だが、ここへ来て特旗遊撃兵団の左翼および中央の部隊がじりじりと後退を始めたのである。
特旗遊撃兵団の隊列に乱れはなく、よく持ちこたえてはいるものの、2倍近いバッチ軍の圧力に抗しがたいようで、開戦当初、横一線に並んでいた3つの部隊が、いまや右翼部隊を先頭に左斜めに傾いてしまっている。最後方の左翼部隊に至っては川べりにまで追い詰められていた。
「このままでは川に落ちるぞ。本当に大丈夫なのか?」
「いいえ。これは斜線陣の応用です。あえて戦線を斜めに傾かせることで、敵の勢いをそらしているのです。各部隊の位置と向きにご注目ください」
「位置だと?」
ルイスに促され、改めて地図上に目を落としたアレクは、その意味を理解した。
川に追い詰められているように見えた特旗遊撃兵団の左翼部隊は、ただ単に真後ろへ下がったわけではなかった。隣の中央部隊の後方へ周りこむような形で移動しており、その中央部隊もまた、右翼部隊の背後につくように動いていたのだ。さらに、移動に合わせて少しずつ部隊の向きを左側へ転じている。
かくして、当初、川を背に横一列に並んでいたはずの特旗遊撃兵団の陣形は、気がつけば川を左手に見た横一列の陣形へと変わっていたのである。
一糸乱れぬ動きで整然と陣形を組み直した特旗遊撃兵団に対し、バッチ軍のほうは対照的なまでに隊列を乱していた。とくに顕著なのがバッチ軍の右翼部隊で、彼らにしてみれば、後ろへ下がる相手に両腕を強く引っ張られ、前のめりになった途端、その手を離されたようなものだ。勢いが止まらぬまま気がつけば目の前に川岸が迫っていた。
先頭にいる者たちが川に気づいて慌てて脚を止めても、部隊全体の動きは止まらない。背後から続く仲間たちに押されて、水の中へ倒れこむ者たちが続出した。増水した川は流れも急で、重い鎧を着たままでは立ち上がることもままならない。水面でもがきながら下流へ流されればまだましなほうで、後から倒れこんだ仲間や騎獣に押し潰され溺死する者もいたであろう。
隊列を乱していたのは右翼部隊だけではない。足早に前進する右翼部隊の動きに釣られ、バッチ軍全体が右側に傾いていたため、行き場を失った者たちが川沿いに溢れ出している。
ここで再び特旗遊撃兵団左翼部隊が後退を始めた。
「また斜線陣とやらか?」
「いえ、この場合は、川を一方の壁に見立てた縦深陣というべきでしょう。敵を自陣の奥深くへ誘いこむことで、包囲殲滅がたやすくなります」
川と特旗遊撃兵団に挟まれたバッチ軍は、さながら猛獣の口に飛びこんだ獲物のようなものだ。特旗遊撃兵団の兵が振るう刃のひとつひとつが猛獣の牙であり、身動きできぬバッチ軍を噛み砕いていく。狭い場所に押し込められたバッチ軍は、大軍の利を活かせぬまま、その数を減らしていった。
「川辺に押しつけ敵兵の大半を遊兵にすることで、数の劣勢を覆したのか……!」
バッチ軍で戦っているのは陣頭に立つ者だけで、部隊の内側や川岸いる者たちは、味方の壁が邪魔をして攻撃に参加できない。反対に、特旗遊撃兵団は戦列を長く敷くことで、すべての兵士が戦いに参加している。
「そうです。ですが、本当に驚くのはここからです。対岸にご注目ください」
ルイスがそう告げたとき、川を挟んだ対岸に特旗遊撃兵団の別働隊が出現していた。数は全部で5つ。一定の間隔で横一列に並んでいる。
「なんだ、この部隊は? いったいどこから現れた?」
「戦闘が始まる前から潜んでいた部隊です。部隊ごとに投石器が1台配備されています。どれも一回の投射で、人の頭ほどもある石を3、4個飛ばせるそうです」
「投石器? 攻城戦でもないのにか?」
川岸に姿を現した投石器は一斉に攻撃を始めた。最初の一弾が地上に落下したときバッチ軍の反応は鈍かったが、2投目、3投目と続くうち、ようやく事態を理解し、恐怖した。上空から降り注ぐ石は、 弓矢と違って防ぎようがない。鎧も盾も役に立たず、当たれば確実に骨が砕ける。飛んでくる石を避けようにも、密集した状態では身動きもままならない。
石に頭蓋を砕かれる者、暴れだした騎獣に振り落とされる者、折れた脚を引きずって逃げようとしたところを騎獣に踏みつけられる者、上空から石の雨が降り注ぐたび、地上では赤みを帯びた土煙が巻き起こり、人と騎獣、2種類の死骸が量産されていく。混乱を鎮めようとする指揮官の怒号も、人間の悲鳴と騎獣の鳴き声にかき消され、すぐ隣の者にすら届かない。
アレクたちが見ているのは地図上に表示された記号にすぎないが、またたく間に数を減らしていくバッチ軍のようすを見れば、どれほど凄惨な光景であったか容易に想像がつく。
「……本当の狙いはこれか! このために敵軍を川岸へおびき寄せたわけかっ。しかしこれでは……、いや、こんな戦い方が本当に可能なのか? とても信じられん」
愕然とした表情でアレクがつぶやく。誰に向けたものでもなく、無意識に口からこぼれ出たものであった。
「お疑いになるのも無理はありません。これは戦の定石を無視したもので、奇計奇策の類です。まともな発想ではありません。私も実際にこの目で見たのでなければ、到底信じられなかったでしょう」
そう語るルイスも半ば呆れたような口調である。智謀の士という自負があるだけに、敵の手腕を素直に褒める気にはなれないが、さりとて完全に否定することもできないといったところであろう。
一同の視線が集まる地図上では、戦いが終わりを迎えつつあった。
投石器の攻撃で戦意を喪失したバッチ軍は総崩れとなり、反乱兵は武器を捨てて逃げ出した。組織だって撤退する余裕も気力もなく、ただ戦場から離れようとひた走るだけであった。
賊軍の討伐を目的とする特旗遊撃兵団がそれを黙って見過ごすわけもなく、こちらは整然とした動きで追撃態勢に入る。さらに、逃げるバッチ軍の横合いから襲いかかる騎兵の一団があった。それは、敵歩兵部隊を壊滅させたあと、戦場の一角で待機していた特旗遊撃兵団の騎兵部隊であった。最後の突撃に備え休息をとっていた騎兵部隊は、追撃の指示を受けるや引き絞った矢の勢いで飛び出し、抵抗の意思を失い逃げ惑う敵兵を容赦なく斬り捨てていく。
「もはや勝敗は決したであろうに。皆殺しにするつもりか?」
「残酷なようですが、特旗遊撃兵団がバッチ軍と戦うのは、これが四度目なのです。三度の戦いはすべて特旗遊撃兵団が勝利していますが、バッチを捕らえることができず、逃げ延びたバッチは数日のうちに勢力を回復し、抵抗を繰り返してきました。どのような手段で糾合したのかはわかりませんが、その点では確かに彼も只者ではありませんね。特旗遊撃兵団としては、彼一人にいつまでも関わっているわけにもいかないので、この戦で完全に息の根を止めるつもりだったようです」
その言葉通り、地図上に展開する特旗遊撃兵団は、後退を重ねるバッチ軍を執拗に追い続け、ついにすべての赤い記号が消え去った。
「バッチは騎兵中央部隊にいたそうです。数名の部下と共に戦場から落ち延びようとしていたところを、特旗遊撃兵団の騎兵部隊を指揮していたクレメンズに発見され、討ち取られたそうです。この戦で、バッチ軍の死者および行方不明者は約7万5千、それに対して特旗遊撃兵団の死者は56名。まず完勝といってよい結果でしょう」
ルイスが羊皮紙の上に手をかざすと、表面に展開していた映像が消え去り、ただの絵の状態へと戻った。