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その2

 部屋に入ると2人の男が待っていた。恰幅のいい40代半ばの中年男が、鉄面党頭領のドイルで、アレクたちが入ってきたのを見て、もうひとりの人物を紹介する。

「よく来た。あー、こちらはクライブ・ルイス氏だ。名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

 アレクとライはたがいに視線を交わしあう。リュシールの言ったとおり有名人だ。それもとびきりの。

 無論、クライブ・ルイスと名乗ったらからといって本人とは限らないが、人相風体は手配書にあった通りだ。みすぼらしいボロまとっていても、柔和で端整な顔立ちや穏やかな物腰からは、ごく自然な気品がにじみ出ており、武門の名家という出自にも符号する。

「クライブ・ルイスといえば、先の大乱にて首謀者であるネルヴァ公の軍師を務められた方。乱鎮圧後に捕縛されるも脱走、行方知れずになったと聞いている。それがどうしてここに?」

「新たな同志を求めて各地を漂泊しておりました。」

 問いかけるアレクの口調が厳しくなるのも無理は無い。ルイスという人物はそれほど危険な存在であった。

 昨年行われた第二次ティドン侵攻は、その最中に発生したネルヴァの乱によって中断を余儀なくされた。前年の第一次侵攻に続き、またも撤退の屈辱を味わった皇帝ガイウスは激怒し、その怒りの矛先をネルヴァ軍へぶつけた。

「皇帝軍が転進してくる前に国境を塞げと献策したのですが、ネルヴァ公には聞き入れてもらえませんでした。どうしても帝都を陥落させることにこだわられて」

「ティドン侵攻には我が国の総兵力を投入していたのだから、帝都の警備も手薄だろう。あながち間違ってもいなかったのでは?」

「帝都には警備の兵2万と、さらに100万の住民がいるのです。10万の兵が攻め寄せたところで短時日で落ちはしませんよ。公にも、そのように忠告したのですがね」

 ティドンから急反転してきた皇帝軍110万と、帝都攻略を断念したネルヴァ軍10万は、トウシャ平原で激突した。負ければ後が無いネルヴァ軍は頑強に抵抗したものの、圧倒的な兵力差の前に敗れ去り、首謀者のネルヴァ公は乱戦の中で戦死した。ネルヴァ公の2人の弟や部下たちは一命を取り留めたが、これは皇帝軍が生け捕りを優先したからにすぎない。荒れ狂うガイウスの怒りを鎮めるために生け贄が必要だったのだ。ネルヴァ公に与した者は理由の如何を問わず末端の兵に至るまですべて処刑され、上層部の諸将は車裂きのうえ生きながら市中にさらされた。ネルヴァ軍で生き残ったのはただひとり。トウシャ平原の戦い以前に軍を抜けだしていたルイスだけである。

「皇帝軍110万といっても、それはティドン征討軍全体のことで、トウシャ平原に布陣したのはその半分もありません。せいぜい2、30万といったところでしょう。とはいえ、それを率いるのは帝国最強を誇る十旗将のお歴々。質でも数でも劣るネルヴァ公の軍が正面からぶつかって勝てるわけがありません」

「敗北が予想できたからネルヴァ公を見捨てたと? 貴方とネルヴァ公は親友の間柄と聞いたが?」

「ええ、その通りです。ですから残念で仕方がありません。彼に、私の策を理解するだけの知能か、忠告を聞き入れる度量があれば、あのような最期を遂げずに済んだのに」

 物言いは穏やかだが、内容は過激であった。己の才覚に対する不敵なまでの自信が溢れ出ている一方、死んだ友人を思いやる気配は微塵も感じられない。

 ネルヴァ軍壊滅後、ルイスの逃亡はすぐに皇帝の知るところとなり、帝国全域に捜査網が敷かれた。捜索担当者も必死であった。もし取り逃がしたとあれば、皇帝の怒りは彼らに振りかかるのだ。万を超える役人たちが血眼になって探しまわり、ようやくルイスを捕縛したときには捜索に従事していた者すべてが心の底から安堵したという。

 そのルイスが鉄面党を頼って来たということは、鉄面党までが皇帝の恨みを買うことになる。故郷を捨てたときから政府と戦う覚悟を決めていたが、他人の恨みごとに巻きこまれて命を落とすなどバカバカしい。

「ところでお二方は、いつも仮面をつけておられるのかな? 差し支えなければ素顔を拝見したいのですが」

「お見苦しいことながら、役人の目を恐れるあまり、つねにつけておくのが癖になっておりまして。小心者の戯れと思ってご容赦ください」

「なるほど。用心深いことだ」

 とぼけて見せたアレクも、それに応じたルイスも、たがいに白々しいことは承知していた。ピリピリした空気が室内に満ち、ドイルが居心地悪そうに身じろぎする。ルイスの境遇に同情的なドイルとしては、アレクの冷淡な態度が不思議でならないのだ。

「ひとつおたずねしたいのだが、国内に無数にある抵抗勢力の中から我らを選んだ理由は?」

 ドイルから困惑の視線を向けられたライが別の話題を切り出す。

「もし帝国打倒を諦めておられないとしたら、アシモフやキングらのもとへ行ったほうが良いのでは? 彼らの勢力は、我らよりはるかに大きいし、勢いもある」

「もちろん、まだ諦めてなどいませんよ。だからこそ、ここへうかがったのです」

 傲然と言い放つさまは、敗戦の末に惨めな流亡生活を強いられている者とは思えない。

「おっしゃるとおり、今、帝国は激動の時代を迎えています。腐敗し堕落しきった帝国軍は、各地の叛乱軍を抑えることができない。このまま彼らが勢力を伸ばしていけば、いずれ自立する者たちが出てくるでしょう。再び戦乱の世が来るのです」

 再びと言われてもアレクやライには実感がない。ドイルやその上の世代にとっては生々しい記憶でも、建国後に生まれた2人には平穏な時代こそが現実であった。

「乱世を乗り越えるにあたり重要なのは、組織の大きさではなく質です。すべての者が帝国打倒の大義を理解し、私利私欲に走ることなく冷静に大局を見極め、つねに心をひとつにして行動する。そうすれば、相手がどれほど巨大であろうと恐れることはありません」

「我らには、それがあると?」

「貴方たちには力があり、私には知恵がある。合わされば無敵だと思いませんか?」

「なるほどっ! いや、確かにその通りだ!」

 感銘を受けたドイルが大きくうなづく横で、アレクとライは、それぞれの表情を仮面の下に隠した。

 やがて話が一段落したところで、いったんルイスを別室へ案内し、幹部3人で彼の処遇について話し合うことになった。ところがアレクが意見を言おうとした矢先、部屋の外がざわつき、次いで扉を叩く音がした。

「失礼します、頭領、急ぎの知らせです!」

「何事だ、入れ」

 ドイルの許可を得て部屋に入ってきたのは、物見櫓からの伝令であった。

「街のほうから兵士の一団が向かってきます!」

 報告によると、人数は100人ほどで、全員武装しているようだ。集団としてはそこそこの人数だが、鉄面党の討伐にしてはケタが2つほど少ない。

「目的はルイスか?」

「だとしたら、ずいぶん早いな。無能な帝国兵にしては鼻が利く」

「奴らの狙いが何であれ、この山で好き勝手させるわけにはいかん。2人とも、行ってくれるか?」

「承知っ」

 生真面目に応じるライに続いて、アレクがうそぶく。

「気前のいい帝国軍が100人分の武器を運んで来るのだ。受け取るのが礼儀というものでしょうな」

 威勢よくドイルの前を辞した2人は、手早く武装を整えると、厩舎へと赴きそれぞれの愛騎にまたがる。アレクが乗るマウヒは陸上歩行に特化した鳥類で、強靭な脚と鉤爪のおかげで、岩場やぬかるみにも足を取られず、どんな悪路も難なく走破する。一方、ライの操るセヤトラは、騎乗用に飼育された小型のドラゴンで、速力は馬やマウヒよりやや劣るが、力が強く頑健で、騒音や血の匂いにも怯えないという特徴があった。


 2人を載せた騎獣たちは、砦を出てすぐになだらかな山道を外れ、急勾配の斜面を駆け下りていく。樹木に覆われた険しい山肌を疾走しているにも関わらず、騎獣を操るアレクとライの手綱さばきには、まったく乱れがない。

「ルイスという男、武門の家柄だそうだな。お前とは話が合うのではないか?」

 並走するアレクに話しかけるライの口調も、まるで平地を闊歩するかのごとくのん気なものである。

「いっしょにしてくれるな。俺の父は、武官といっても地方の小役人だ。真面目に務め上げたところで、王宮に近寄ることすらできなかったろう。一方、ルイス家といえば、旧ノーサラウンド王国から続く名門で、奴の父親は先帝のもとで十旗将に名を連ねていた。正真正銘の貴族サマだ。まるで比較にならんよ」

「そんなものか。で? あの男、どう見る?」

「どうにも信用できん。正直なところ山に入れたくはない」

「何か根拠でもあるのか?」

「……目つきが気に入らない」

「お前が言うのか?」

 真顔で返されアレクは憮然となる。今さら言われるまでもなく、己の目付きの悪さは自覚している。言い寄った女に「目が怖い」と拒まれた経験は一度や二度ではないのだ。

「あのニヤけた面が気に入らんのだ。逆賊として朝廷に追われている身で、素性のわからぬ山賊に囲まれているのだぞ? まるで緊張したようすもない。死んだ友の話をしているときでさえ顔色一つ変えなかった。そんな奴を信用できるか? あのニヤけ顔の下で、なにを企んでいるやら知れたものではない」

「ふむ。まぁ、反乱を企てようなんて人間だ。野心やら隠し事やらあってもおかしくはないと思うがな」

「それだけではない。俺は、今、山に近づいている帝国兵についても、ルイスの関与を疑っている」

「なに? 奴が帝国軍を手引したと!?」

 ルイスが帝国の密偵だとすれば、砦にいる家族にも危険が及ぶかもしれない。問い返すライの声に緊張が宿る。

「いや、そうではない。つまり……、む、アレか?」

 100歩ほど先の枝葉の隙間から、複数の人影が動くのが見えた。いったん騎獣を止めて、その場からようすをうかがう。話している内容からして、何者かを探しているようだ。

「どうやら帝国兵で間違いなさそうだな。では、さっさとお帰りいただくとしようか」

「待て、ライ。すまんが、ひとりだけ捕らえてくれないか。さっきの件で確認したいことがあるのだ」

「? わかった」


 帝国の軍旗を掲げた騎兵の一団が、茂みや岩場の陰を調べながら山道を進んでいる。

「いたか!?」

「おりません! やはり、すでに山賊どもの砦へ入ってしまったのでは……」

「くそっ、逃げ足の早い奴め」

 隊長と思しき騎士が、忌々しそうに山の頂上付近を仰ぎ見る。

 ガコウ山の周囲で暴れまわる鉄面党の存在は、この地域を管轄する帝国兵にとって悩みの種であった。これまでに何度か大掛かりな討伐隊が編成されているが、そのたびに撃退されてきた。帝都への報告を止めることで処罰を免れているが、いつまでもごまかせない。早いうちに対処を講じないと彼自身の首が危うい。

「面倒なところへ逃げ込みおって!」

 その罵声を聞きつけたわけでもあるまいが、彼らの頭痛の元凶が木立の陰から現れた。

「我らの山に無断で入りこむのは、どこのこそ泥かな?」

「出おったな、山賊どもが……っ」

 その声に四方に散っていた騎士たちが一斉に駆け寄せ、隊長を中心とした密集陣形をとる。正規の訓練を受けただけあって統率のとれた動きだが、相手がたった2人と分かるとすぐに緊張を解くあたり、士気の低さが見て取れる。

「貴様らに用はない! 手配中のクライブ・ルイスが来ているはずだ! 奴を引き渡せ。そうすれば今日のところは見逃してやる」

「そんな者は知らぬ」

「下手な嘘はやめろっ。調べはついているのだ!」

「知らぬといったら知らぬ。用がそれだけなら、武器と馬を置いて去れ。入山料にはちと足りぬがまけておいてやる」

 平然とうそぶくライとアレクに、隊長が顔を真赤にさせる。

「たわけたことをほざくな! とぼけるつもりなら容赦はせんぞ!」

「ふん、何度負けても懲りぬ……」

 冷笑を浮かべかけたアレクが不意に真顔になる。

「試みに問うが、先日、街で薬種商の一家が処刑されたな。命じた者が誰か知っているか?」

「いきなりなんだ? そんなことを聞いてどうする?」

「知らぬならいい。下っ端には関係のない話だ」

 子供じみた安っぽい挑発だが、この隊長には効果はてきめんであった。

「知るも知らぬもないわ。一家の処刑を命じたのはこの俺だからな!」

「ほう……」

 さり気なさを装っているが、仮面に隠れたアレクの瞳に危険な光が宿る。

「きちんと調べたうえでのことだろうな?」

「当然だ! あの一家の親族に反逆を企てた者がいた。証言も証拠も抑えておる」

「それは一家とは関係がないのでは?」

「なにをいうか! 恐れ多くも皇帝陛下に対し奉り、反抗を企てるなど不遜の極み。下賤な逆賊の血など一滴残らず駆除せねばならん。あの一家は存在すること自体が罪なのだ!」

「……」

「下賤な者だけあって最期は無様なものだったぞ。店主の奴め、刑場に引き出されてからも、子供だけでも助けてくれと喚き散らしていたからな。未練を残さぬよう子供から先に首をはねてやったわ」

 一家の死に様を思い出して隊長が高笑いをあげると、部下たちの笑い声がそれに続く。なかには顔をそむける者がいたが、騎士たちの多くは狂騒的な興奮に浸っているようであった。

「そうか、それはよいことを聞いた」

 言いながらアレクは騎獣の横腹を軽く蹴り、半歩も遅れずライの騎獣が続く。

「わざわざ街へ行く手間が省けたな」

 二人の言動があまりにさりげないため、しばらくの間、騎士たちは間合いを詰められていることにも気付かず笑い続けていた。ようやくそれと察したときには、二人の山賊は指呼の距離にまで迫っていた。

「非道の罪、己の命であがなえ!」

 先頭にいる騎士めがけて騎獣を突進させたアレクが、そのまま右手に持った槍を突き出すと、騎獣の勢いで加速した槍は騎士の首元を貫いた。割れた頸甲の隙間から飛散した生暖かい飛沫が周囲の仲間たちの顔を朱に染め、最初の犠牲者となった騎士の亡骸は、半ばちぎれかけた首に引きずれるように地上へと落下した。

 のどかな山道はたちまち血臭漂う戦場と化した。

 ただ一突きに一人目を屠ったアレクは、その勢いを落とすことなく敵陣の真っ只中へと飛びこむ。アレクの槍が突き出されるたび帝国騎士の絶叫がこだまし、ひとり、またひとりと落馬していく。

「こ、殺せ! 賊どもを殺してしまえ!」

 隊長が悲鳴とも怒号ともつかぬ叫びを発する間にも、憐れな犠牲者が量産されていく。疾風の如きアレクの槍さばきもさることながら、それ以上に騎士たちを怯ませたのがライの振りかざす巨大戦斧であった。巨体から振り下ろされた鉄斧は人間の身体を安々と切り割り、横薙ぎに払えば暴風と共に騎士の腕や首が宙に舞う。胴体から切り飛ばされた死者の一部は、鮮血を撒き散らしながら仲間たちの頭上を越えていき、生者たちの闘争心を砕いていく。

 狭い山道で密集したことが仇となり、騎士たちは数の多さを活かすことができない。後方に控えていた者の何人かはすでに逃げ出しているが、前衛の者たちは味方に退路を塞がれてそれすらかなわず、まるで雑草を刈り取るように切り散らされていった。

 十何人目かの犠牲者を生み出したところで、アレクは、ようやく目指す隊長の前へたどり着いた。手にした槍は、討ち取られた帝国騎士たちの血で手元まで真っ赤に染まっている。穂先から滴り落ちる血が地面に極小の池を作り、それを目にした隊長の顔からは対照的なまでに血の気が引いている。恐怖で言葉を発することもできず、槍を持つ手も小刻みに震えている。

「さすが勇猛の誉れ高き帝国騎士殿。下賤な逆賊に背を向けるような真似はしないか?」

「お、おのれ……、おのれ山賊どもめ……!」

「どうした部下の仇を討たないでいいのか? 勇を誇るのは、手向かいできない子供相手だけか?」

「ほざくなぁっ!」

 恐怖から逃れるように猛然と突き出された槍は、あっさりとアレクの槍に弾かれ、直後に攻守が入れ替わる。さすがに隊を率いる隊長だけあって、部下たちのように一突きで殺されることはなかった。間断なく襲いかかるアレクの槍をかろうじて防ぐ。しかし完全にかわすことはかなわず、槍の穂先が腕や身体をかすめるたび激痛が走り、傷口から血が飛散する。数合もせぬうちに全身が真っ赤に染まり、息も絶え絶えになっていた。

「貴様ら、何をしている! 早く助けんか!」

 たまりかねて助けを求めるが、部下たちはライの戦斧から逃れるのに必死でそれどころではない。豪腕が生み出す鉄斧の破壊力は、盾や鎧をまるで紙切れのように断ち割る。横薙ぎの一撃を受けた騎士は、胸のあたりで上下に分断されてしまった。

 このとき、ひとりの若い騎士が隊長を救おうと集団から飛び出した。ライの攻撃をかわすタイミングを見計らっていたのだ。上半身を切り飛ばされた仲間の陰に隠れるようにして、ライの横をすり抜ける。その決断は勇敢であったが、結果的には無謀であった。

 上手くライの背後へ回りこめたと思った瞬間、激痛と共に騎士の意識は暗転した。ライが振り向きざまに放った一撃が、正確に騎士の首筋を直撃したのである。当たったのが刃先ではなく石突の部分であったため首はつながったままだが、落馬した騎士はそのままぴくりとも動かない。

 ライの剛勇ぶりに戦意を喪失した騎士たちは、もはやなりふり構っていられず、一斉に馬首を転じて逃げ出した。彼らを制止するはずの隊長は、アレクの槍から逃れるのに精一杯で周りのことなど目に入らない。だが必死の抵抗もすでに限界に達していた。

「ぐぅっ!」

 疲労と怪我で動きが鈍くなり、かわしそこねた一撃が隊長の右上腕部を貫いた。激しい痛みに武器を取り落とし、馬上で姿勢も乱れる。がら空きになった喉元へ止めの一撃が放たれるが、鮮血に染まった穂先は皮一枚の隙間を残して停止した。

「いかんいかん、勢い余って殺すところであった。お主には伝言を頼みたかったのだ」

「伝言?」

 急な申し出に隊長は戸惑いを感じたが、この際、命が助かるなら何でもいい。

「いいだろう! い、言ってみろ。なんだっ? 誰にだ?」

 どうせその場しのぎのこと。山賊の頼みを守る気などない。媚びるような笑みを浮かべ、アレクの言葉を待った。だが、

「大した手間ではない。一家に会ったら伝えてくれ。『仇は討った』となっ」

 言い終える同時にアレクの槍が隊長の喉を貫く。言葉の意味を理解する間もあればこそ、槍が引き抜かれるのに合わせて地面に崩れ落ちた隊長は、驚愕の表情を張り付かせたまま息絶えた。

「そっちも済んだようだな」

「ああ。すまんな、大半を任せてしまった」

「気にするな。それと、言われたとおり、ひとり残しておいたぞ」

 ライが指差したのは、先ほど隊長を救おうとしてライに殴打された若い騎士であった。


「おい、起きろ」

 ライに頬を叩かれて意識を取り戻した若い騎士は、首筋に残る鈍痛に顔をしかめながら体を起こした。素早く視線を左右に走らせたところ、自分を見下ろす仮面の男2人のほかには誰もいない。かつて同僚だった者たちの遺骸が転がっているだけだ。すぐに自分もそのなかに加わるのかと思うと恐怖で胸が苦しくなる。

「心配するな。聞きたいことがあるだけだ。正直に話せば命は助けてやる」

「……何が聞きたい?」

 若い騎士は強張った表情でアレクに向き直る。山賊の言葉を鵜呑みにはできないが、騎士として恐怖に屈するわけにはいかない。

「まず名を聞かせてもらおうか」

「……ウェルズ。ハーバート・ウェルズだ」

「よし、では騎士ウェルズ。お前たちは、この山に手配犯のルイスが来ていると、どうして知った?」

「なに?」

 質問の意図がつかめず不審に思ったが、ウェルズは素直に話すことにした。彼にとっては命と引き換えにしてまで隠すことではない。

「今朝方、宿屋の主人から知らせがあったのだ。昨晩泊めた客のひとりが、宿を発つときにガコウ山への道を確認していて、その風貌が手配犯のルイスに似ていた、とな」

「昨晩のうちに気づかなかったのか?」

「宿に来たときは日が落ちていて、しかも髪もヒゲも伸び放題だったので気づかなかったそうだ」

 アレクは先ほど会ったばかりのルイスの姿を思い返し、ウェルズの言葉を再確認する。

「では、ルイスは宿を立つときには身奇麗にしていて、そのおかげで手配書の顔に似ていることに気づいたと?」

「そういことだ」

「ふん、なるほど……。それで? 帝国軍はルイスの居場所をどこまで把握していたのだ?」

「周辺の村や街道から奴を目撃したという報告があったので、この近辺に潜んでいることは予想していた。しかし、まさかすでに入りこんでいたとは……」

 悔しさにうなだれて押し黙るウェルズをよそに、しばし自分の考えに没頭していたアレクは、やがて思い出したように口を開いた。

「よし、用は済んだ。帰っていいぞ」

「なに? 聞きたかったのはそれだけか? 本当に行っていのか?」

 殺されると思いこんでいただけに、すぐには信じられない。

「今日のところはな。命が惜しければ二度と山に近寄らぬことだ」

 帝国騎士である以上、そういうわけにもいかないが、わざわざ指摘することもない。ウエルズは山賊たちの気が変わらぬうちに引き上げることにした。ただ、その前にひとつだけ確認したいことがあった。

「なぜ私を助けた? 何か理由があるのか?」

 アレクとのやりとりを静観していたライが、ウェルズの問いに初めて口を開いた。

「あえて言うなら理由はふたつ。ひとつはお前が幸運だったこと。もうひとつは一家の処刑の話を聞いて笑わなかったからだ」

 そのことはアレクも気づいていた。隊長の哄笑に引きずられる形で騎士たちが嘲笑の合唱を響かせるなか、顔を背けていた者たちがいて、ウェルズもそのひとりであった。

「だが、それは私だけではないぞ。そこに倒れている者たちだって……」

「だから言ったろう。運がよかったのだ。たまたま気づいたから斬らずに済ませた。それだけだ」

 凄みを利かせるわけでもなく、じつに淡々とした口調であった。それだけに、ウェルズは、死が間近に迫っていたことを実感する。自分の立っている場所が薄氷の上であるかのような錯覚を覚え、背筋が冷たくなる。

「言うまでもないが、次に会ったときは容赦せんぞ。お仲間の回収くらいは大目に見てやるが、死にたくなければ山に近づくな」

 脅し文句としては平凡にすぎるが、ウェルズにとっては死神の宣告も同然であった。もはやアレクたちと視線を合わせようとはせず、無言で馬腹を蹴ると街のほうへ駆け去っていった。


「またずいぶんと派手にやったもんだな」

 帝国騎士が去ったあと、地面に散らばった遺体を眺め回しアレクがぼやく。大雑把に数えたところ遺体の数は50体ほどで、このうち3分の2がライの手によるものだ。

「またガディオにどやされるぞ。『誰が直すと思ってるんだ!』ってな」

「ううむ、どうにも加減が難しくてな」

 戦いが終わるたびに、帝国軍が残した武器や鎧を集め、再利用するのが山賊の流儀だ。傷みが激しいほど修理に手間がかかるため、担当者から苦情が出るのだ。

「それで? さっき言っていた件だが、ルイスへの疑いは晴れたのか?」

「逆だ。ますます疑わしくなった」

「なぜだ? 帝国軍とは関わりがなかったではないか。それともあの騎士の証言は嘘か?」

「おそらく真実だろう。これだけの犠牲を出してまで、ルイスを我らのもとに送りこむ理由はない」

「では、いったい何が気に入らないのだ?」

「ルイスという男、話を聞く限りかなり用心深い性格だ。そんな男が、ここへ来るまでに何度も目撃されているというのが不自然だ。人目をさける方法はいくらでもあるし、実際、街に潜りこむときは誰にもバレていないのだからな。何よりおかしいのが宿を発つときの行動だ。わざわざ素顔をさらして目的地を吹聴するなど、逃亡中の人間のやることとは思えん」

「確かに矛盾しているな。しかしそんなことをする理由は? 自分を追いこむだけではないか?」

「自分が山に入ったタイミングで、追手が到着するよう仕組んだとしたらどうだ?」

「……そういうことか」

 アレクの言わんとしていることが、ようやくライにも分かった。

 帝国軍の目的がなんであれ、鉄面党としては、ガコウ山で好き勝手させるわけにはいかない。山を縄張りにしている彼らの沽券に関わるからだ。当然、これを撃退することになるわけだが、はたから見れば山に避難してきたルイスを鉄面党がかくまった形になる。ただの成り行きなのだが世間はそう思わない。

 この時点で、アレクたちはルイスの受け入れを拒めなくなった。いったん受け入れた者を理由もなく追い出したとあれば、事情を知らぬ者たちは「朝廷の圧力に屈して仲間を見捨てた」と噂するだろう。義勇の旗を掲げる彼等にとって、そんな悪評を立てせるわけにはいかない。

「軍を利用して、入山の後押しをさせたわけか」

「俺はそう見る。証拠はないがな。今にして思えば、帝国軍が迫るまで話を引き延ばしていた節がある」

「ふむ。事実なら、なかなか頭が切れる。仲間にすれば頼もしいのではないか?」

 ライの言わんとしていることをアレクも理解していた。

 ここ最近、アレクは、頭領のドイルに物足りなさを感じていた。大勢の手下を持つ者として何事にも慎重な性格は結構なのだが、いささか度が過ぎているように感じられるのだ。平穏な時代ならばそれでもよいが、今は戦乱の世である。弱い者は死に、強い者だけが生き残る時代だ。強さを得るためには、多少の危険は覚悟のうえで決断しなければならないこともある。

 アレクとしては、今後のためにも麓の街を勢力下に置くべきと考えていて、これまでに何度か進言しているのだが、いろいろ理由をつけては却下されてきた。このあたりには鉄面党以外の勢力がいくつもある。手をこまねいているうちに他人に奪われでもしたら、勢力拡大の道が閉ざされることになる。それが歯がゆくて仕方がないのだ。

 野心家のルイスが幹部に加わることで、何かが変わるかもしれない。そんな期待は確かにある。

「だが気に入らん」

 自己の保身のために平然と他人を巻きこむような人間は、いつ裏切るか知れたものではない。信頼に値しない、というのがアレクの主張であり、それにはライも同意見であった。

「では、どうする? 頭領にも注意をうながすか?」

「……いや、やめておこう」

 保護を求めてガコウ山へ来たという点では、アレクたちも同じなのだ。自分たちは受け入れてもらっておきながら、同じ境遇にある者を拒むような言動は慎むべきであろう。

「では、確証が得られるまで、奴の動向に注意を払うということだな?」

「うむ、それしかあるまい」

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