彷徨う愛と行きついた愛と・・・残された愛
5日前から昨日までフリードリヒが俺の家に来ていた。
以前文章に記しておいたか忘れたが奴はヘンリーの養子で今17歳、栄養失調で入院してきたのが出会いだが、その後、急性骨髄性白血病に罹患し現在は2度目の寛解導入を目的とした治療をヘンリーが主治医となって行っている。
―――事は5日前の昼過ぎに起きた。
俺は公休でウェルナー家へ行く。
二人の邪魔になるかなと思いつつヘンリーに紅薔薇を抱えて行く。
(と言うのはここの所、ヘンリーとフリードリヒの仲が生前のヨハンとアーサーの仲に酷似してきているため)
チャイムを鳴らすが返事がない。
ドアノブを回してみると鍵が掛かっていなかったので勝手に中に入る。
ヘンリーの居間の前まで行くと中から話し声、こんな内容だった。
「お前、どうか私を許しておくれ、愛しているんだよ。心から・・・だからお前を1人で死なせたくないんだ。それに、もう私にはお前の病と闘う気力が無い。かと言ってお前を苦しませたくないんだ。
病の苦痛に喘がせて死なすくらいならいっそ・・・
お前を誰にも渡したくないんだ。例え病魔にも・・・
だからおいでフーリー、苦しまずに済む様にしてやるから・・・
僅かな痛みですぐ楽になるよ。私もすぐ後から行くから
それとも私の腕の中で死ぬのはイヤかい?殺されるのはイヤかい?」
俺は驚いて居間のドアを開けようとするが鍵が掛かっていた。そこで蹴破る。
中にはどんな情景があったか?暖炉の前に佇んでいるフリードリヒ、それに窓際でフリードリヒに向けたナイフを握り絞めるヘンリーの姿。
俺は咄嗟に置いてあったアタッシュケースでヘンリーを殴りつけた。
そしてナイフを取り上げようと揉み合いになる。奴の手から握っていたナイフが落ち俺の脚に当たったが大して痛みを感じなかった。
いきなり後頭部を何かで殴られ意識が朦朧となるが失神は免れる。
次の瞬間、思いがけないシーンが目に飛び込んでくる。
床から立ち上がったヘンリーの腕の中に飛び込むフリードリヒの姿、そして囁き。
「先生、ぼくを連れて行って!」
俺はヘンリーの髪を掴んで引きづり倒し、みぞを打って失神させる。
そして、フリードリヒに平手を飛ばす。
加減したはずが、つい力が入ってしまいフリードリヒを床に叩きつけてしまった。
慌てて抱き起こす。
奴はキッと俺を睨みつけ涙を浮かべた瞳を向けて言い放った。
「何故、止めたの?貴方にそんな権利ないでしょう!?」
俺の胸倉を掴み更に訴えた。
「どうして死なせてくれなかったの!?ぼくは先生の腕の中で死にたかったのに、先生と別れたくなかったのに、だから殺されたかったのに、なんで?なんでぼく達の邪魔をしたの!?」
「フリードリヒ、来い!」
「イヤ!」
俺は奴の手首を掴んで連れ出そうとする。
奴は必死に抵抗してきた。
それでも俺の方が断然、腕力があって奴の腕を締め上げ捻じ伏せて両手首を揃えてタイで縛る。
「何をするのさ!?」
「大人しくしないか」
「イヤ!何処に連れて行くの!?」
「俺の家だ」
「嫌だ!先生助けて!いやぁっ!・・・」
奴の必死の叫びにいささか気が咎めたが実力行使した。
家に着いてから鎮静剤をフリードリヒに飲ませようとするが奴は口を開かない。
それで仕方なく奴の頬を指で締め口を開けさして口移しで飲み込ませた。
奴は泣き腫らした目で俺を睨み言った。
「ぼくに触るな!」
「ばか!薬を飲ませただけじゃないか」
ベッドまで引きずっていき寝かす。
「どんな理由にせよぼくに触れていいのは先生だけだ・・・」
「ほう、そうか・・・」
悪態をつきながらもしばらくして奴は眠りについた。
―――確かに甘い唇だった。
これじゃヘンリーが狂うのも仕方がないなと思いながら俺は薄く開かれた奴の唇に口づけた。
頃合いを見計らってヘンリーに電話する。
奴は開口一番「何処に連れて行った!?」と怒鳴った。
俺はその声より大きな声で怒鳴りつける。
「馬鹿野郎!どういうつもりだ!?フリードリヒの生きる権利を奪ってお前、どうするつもりだったんだ!?」
気まずい沈黙を破ってヘンリーが言う。
「フリードリヒを返せ」
「嫌だね」
「奴は私のものだ!」
「馬鹿者が!いずれにしてもだ、ヘンリー!お前が考え直さない限り奴は帰さない。そのつもりでいろ!」
電話を切りふと自分の下腿に目をやると止血しているものの5㎝程の切傷があったのでテーピングする。
今でこそこうやって落ち着いて文章にしているものの俺は本当にヘンリーの気が狂ったのか心配で堪らなかった。
そもそも大よそ3週間前からヘンリーの行動は俺には理解できずにいた。
アーサーを英国へやったのだからフリードリヒを入院させるのかと思えば何時までたってもその気配はないし検査結果は芳しくないし・・・その上、その頃、ヘンリーはフリードリヒにセックスを強要(?)していた。(合意の上にしてもほとんど殺人行為だ)
それからフリードリヒの病状は悪化し敗血症と判り治療を始めたばかりだった。
そして今度の事。全く正気の沙汰とは思えない。まあ、ヘンリーの性格を考えれば頷けもするのだが・・・。
それから俺はフリードリヒを監禁状態にし何度か奴は脱出しようとしたが失敗に終わる。
一昨日の夜、俺はフリードリヒに問うた。
俺の腕に奴を拘束して・・・。
「どうしても死にたいのか?」
奴は答えない。
「お前はヘンリーを殺人犯にしたいのか?――それともヘンリーを死なせたいのか?」
「先生と別れたくない」
「分からないでもないがな、その気持ちは」
「分かっているなら帰してよ!」
「・・・お前とヘンリーが死んだらアーサーはどうなる?」
奴の体がビクッと震える。
「またアーサーを狂わせたいのか?もし、そうなったら今度は治らないだろうよ」
奴は抵抗していた腕から力を抜いた。
「お前はヘンリーを殺人犯にはしたくないだろう?だったら俺が手を下してやろうか?そうしたらヘンリーも生きちゃいまい・・・。ヘンリーだったらどんな死に方をえらぶだろうな・・・?」続ける。
「ジュリエットよろしく、お前の傍でナイフで自害するだろうか、それとも簡単に投身とか・・・今の季節なら入水もいけるし・・・なあ、フリードリヒ、それでも死にたいか?なあ?で、お前の後を追ってヘンリーが死んだと知ったらアーサーはどうするだろう?」
フリードリヒはガタガタ震えだした。それで俺も言い過ぎたかと口を噤む。
奴は俺の体に縋って泣きながら言った。
「でも、そうしたら、ぼくの思いは何処へ行けばいいの?」
奴をベッドに寝かし口づける。
「何故?お前の思いはとっくにヘンリーに届いているじゃないか。そんなに奴に愛されて何が不満なんだ?」
「届いてる?」
「そうだよ――当然じゃないか。お前が望めば奴は何でも与えてくれるだろうに。現に命まで惜しまないでいるじゃないか」
そっと涙を拭いてやる。
「分かったらもういいから眠りなさい。」
「サンクマン先生の隣で眠らせて・・・」
「2人で眠る癖がついているのか?」
「やっぱりいい」
「嘘だよ」思わず苦笑してしまった。
自分のパジャマを探すが着た事がない物は探し出せず上半身はそのまま奴の横に潜り込む。
いきなり奴が縋り付いてきた。
そして俺の腕の中で泣いた。
―――肩を震わせて、それでも必死に涙を堪えようとして・・・
可哀そうだった。
まだ、たった17で死を間近に控えて今まで邪険に扱われて来て、やっとヘンリーの元、愛されることを知ったばかりだのに――胸が痛んだ。
1時間程してフリードリヒは泣き疲れて眠った。
俺は眠れなかった。
いくらヘンリーのものと知ってはいてもフリードリヒがもし病でなかったら、きっと奪ってしまっていただろう・・・。にしてもヘンリーじゃ相手が悪すぎるか・・・。
夜中も更けたころ物音に目が覚める。(それでも俺は眠っていた)
フリードリヒは暖炉の前に座り込んでいた。
物音は窓の外からだった。
間も無く窓が開き人影が月の光に映し出された。
そして、その人影は腕を開いて聞き覚えがある声で囁いた。
「フーリー、おいで!」
次の瞬間を俺は一生忘れられないだろう・・・。
熱い抱擁と激しい口づけ・・・
月の光の中フリードリヒをしっかり抱きしめるヘンリーと、縋り付く様に身をゆだねるフリードリヒ。
それは紛れもなく心から愛し合う者達の姿だった。
そっと唇を離しヘンリーはフリードリヒの頬を拭いた。
そして見つめ合い再び口づけを交わす。
そしてヘンリーはフリードリヒを抱き上げた。
俺はヘンリーに言う。
「返してやるよ、連れて行け」
ヘンリーは俺の方を向き呟いた。
「フリッツ、約束するよ」
「本当だな?」
「ああ・・・」
そして窓から(!)出て行った。
寸前にフリードリヒが俺の方に顔を向け言った。
「――ありがとう――」
暖炉の炎でキラリとフリードリヒの涙が光って落ちたのが分かった。
それから奴らがどんな夜を過ごしたかは知らない。
今朝になってヘンリーから電話。
「フリッツ、一体フーリーに何をしたんだ!?」
「何故?」
奴は一瞬躊躇い言う。
「・・・求める姿勢が前にも増してるから・・・」
「自閉の傾向にある奴には喜ばしい事じゃないか」
「何をした?」
「どうして?俺は奴に愛され方を教えてやっただけだ。あと、俺は奴を愛しているからその分、与えてやると一言、伝えただけだ。」
ヘンリーは絶句していきなり電話を切りやがった。
そこで、こちらから電話し言う。
「安心しろ、ヘンリー。何もしちゃいない。あと、お前の問いだが、さっき俺が言ったセリフをお前に挿げ替えて考えてみろ。そういう事だから。」
「本当に何もしていないんだな?」
「当たり前だ。俺は奴に手を出して、お前に殺されるのは真っ平御免だからな。」
一体、フリードリヒはヘンリーに何を求めたのか心配しながらも、ヘンリーは“フリードリヒの状態が悪化した”なんて言わなかったのでそれなりに夜を過ごしたのだろうと自分に言い聞かせる事にした。
しかしヘンリーの思い込みの深さには毎度、驚かされる。
(女の一途なのは可愛いものだが男のそれは少々、手を焼く)
ヨハンの生前、よくヘンリーが「ヨハンのアーサーへの思い込みの激しさには困らされる」なんて言っていたが、それが自分譲りだと奴は気付いていないのだろうか?(まだヨハンの方が分別があった)
それでも今回の様な狂気混じりの心中はもう企てないだろうから多少は安心しておこう。
それにしても、あのラブシーンには少々、妬けた。
ヘンリーにかフリードリヒにかは定かではないが・・・。
―――今までマルク(骨髄穿刺)の介助とか必要な時にしかウェルナー家には行かなかったのだがもう少し頻回に行こうかと思っている。
今回みたいなことは、もう無いにしても、のめり込む性格の奴らを二人きりで置いておくのはどうも心配なので―――
Fritz Sangerman