表示ビジネス~野崎まど著『know』に至るまでの経過~
スーパーへ行って陳列棚を見ても、外食に出てメニュー表を見ても、そこには必ずKcal表示がなされている。健康維持の為、もしくは単に業界の中で徹底された〝表示義務〟に対する責任として、この表記はなされている。
しかしこのカロリー表記も、食事に際して参考にする、一つの情報として処理出来るのならいいが、食を抑制、あるいは食に対する恐怖心を煽るものとなってしまうのなら問題である。
事実、巷では「今日はもう○○カロリー摂取してるから無理」というような、食事の誘いを断る、あるいは食品購入を止めるといった、資本の流れを塞き止める理由付けの一つとして使用されている。
この結果を踏まえるに、カロリー表記は本来の目的から逸脱してしまっている感がいなめない。もちろんだからといって今さら止めることも出来ない。表示義務がルールとして定着した今、そこに連なる業務の発生―つまりは雇用―をもたらしているのだから。
この現象は食だけに留まらない。我が国の基幹産業でもある車においても同じだ。排出量、燃費、国際規格への対応云々……諸元表はもちろんのこと、テレビコマーシャルに新聞広告、枠という枠のいたるところに、わたしたちは表示義務の結果を確認することが出来る。
また、車の広告として車を走らせるということも実施されている。これはいわゆる試乗会のことを言っているのではない。皆さんの中にも目にされたことのある方は多いと思うが、車に巨大なステッカーを貼り付け街中を走行する〝広告宣伝車〟のことである。
大まかなアレコレから、細かなアレコレまでを表記、表示することそのものが、今やビジネスとしてなりたっている。もちろん今までも広告業界が先頭を切ってそういった活動を行ってきたが、今回提示したように、義務として先行したものがマネーサプライとなるパターンは珍しい。
もちろん似たような事例はある。
地デジ化に伴う地デジ対応テレビ購入への誘導だ。「何年までに買い換えないとテレビ観れなくなりますよ」という国がうったコマーシャルに背中を押され、家電量販店に足を運んだ方も多いはずだ。
国、あるいは地方自治体が〝強制的に〟消費を生み出す。道義的にどうかというのは置いといて、このような手法で経済活性化をする必要も、『資本主義の終焉』が語られる昨今においては必要なのかもしれない。
今後国際化の中で増加する人口流入への対応をはじめ、国内では表記しなければならない事案というのがどんどん発生していくことだろう。ルールが金が搾るのではなく、金を生む時代を、改めて感じさせる表示義務。
農家の方が顔写真付で農作物を売る時代、〝人材〟としてのわたしたちも、いづれは個人情報丸出しで歩き回る時代がやって来るのかもしれない。




