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モンキー・ハンドボール  作者: 間楽面明
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モンキー・ハンドボール



 三章:モンキー・ハンドボール


 土曜の午前講義を終えてから、午後の講義は自主休講した。まあ、予め伝えてあったとしてもそうでなかったとしても、講義を休めばどの出席点は無いのでよしとしよう。

 練習試合があるので、早めに部室に入り更衣室に入る。更衣室は普段と違い壁一面ののれんで隠されていた、通路にもなっているので貴重品管理をしやすくするためだろう。いつもはある長机も撤廃されていた。

「あ、お久しぶりです」

「おおっ! いつかのランジェリーショップの!」

 そこには翠さんがいた。電話番号を交換したので名前を覚えていた。相手チームは男が翠さんと他に一年生が居た。リフトをやっている一年生で津田くんというらしい。特徴が全くないタイプの人だ。プレイスタイルも可もなく不可もなくらしい。

 あれから電話もしていなかったが、案外お互い不遇な環境で出会っただけあって覚えていたようだ。

「へえ、君がモンキーをやるんだ。俺はディフェンスリフトだよ」

「それだと直接対決がありそうですね、お手柔らかにお願いします」

「はは、こちらこそ宜しくだよ和泉君」

 着替えを終えて前日の打ち合わせ通り、女子更衣室に行く。それぞれのミーティングを男子更衣室と女子更衣室で行うという事だ。多分此方のチームが女子更衣室なのはアフロ先輩の趣味だろう。胡散臭い顔をして男なのである。

 ノックをすると、女性の声が聞えたのでその旨を伝えると少し待たされた。まだ着替え中らしい。

 三人の見知らぬ女性がしばらくすると出て来た。正確には一人見かけた事があった。あのランジェリーショップから出て来たポニーテールの人だ。ユニフォームに着替え終わっている。

 更衣室に入ると、金盛と雪芝先輩が迎え入れてくれた。ヒキマル先輩とアフロ先輩は試合に向けた準備をしているとの事だ。間もなく来るだろう。

 それはそうと、初めて入った女子更衣室は良い匂いだった。人生で初めての経験がこんな所で出来るとは思いもよらず昨日の夜は眠れなかった。勿論試合の前日は緊張しているが、一番緊張したのはこちらである。

「にゃはっ、何か変な気分だにゃー」

「そうねえ、普段男の子が入らない秘密の花園だもんね」

「男側の意見みたいな表現ですね」

「あら? 違ったからしら?」

「秘密の花園と言うより僕にとっては桃源郷ですよ」

「その発想で言ったら男子更衣室は九龍城や軍艦島かしら?」

「そんなところです」

「くーろーじょうって何だよしんちゃん! サプリメント?」

「九龍城な。分かりやすく言うと中国のスラム街って所かな」

「ふぅん」

 折角説明したのに興味がなさそうだった。とりあえずデコピンをして怒った。

 そんな事をしている間に先輩たちがノックもせずに入ってくる。もう着替えが終わっているのをまるで分っているようだ。分かっていなくてもノックせずに入ったのは、言い訳する大義名分があるからだろう。雪芝先輩の裸を拝もうとは実にけしからん。

「さて、作戦会議はしなくてよかろう。昨日まで練習してきた内容をそのままやるだけだ。ちょっとティータイムにでもしようじゃないか」

「でもコウちゃんもうすぐお客さんが入る時間でしょ?」

「その辺は協力者に任せてあるのだよ。儂はその点に抜かりの無い男である事は承知の事だと思っていたが」

 鼻高らかに言う様はいつも通り胡散臭い。

 パイプ椅子を取り出して五人で円を描くように座った。右隣に気付けば金盛が座っている。今までなら全く気にしなかったが少し意識をしてしまうので困る。

 缶コーヒーをヒキマル先輩が持って来て、五人で飲む。コーヒーの匂いが折角の良い香りを強烈な匂いで覆い隠す。別に普段嫌いじゃないけれど、今この時に限っては水が良かったかもしれない。

「アップとかしなくていいですか?」

「まだ時間があるからねえ、早くやってもあの環境下だとすぐ体の熱が逃げてしまうからよろしくない。それより水分補給だよ」

「それだと利尿作用があるコーヒーはあまりよろしくないのでは」

「細かい事は気にしない」

 この人は本当にスポーツマンなのだろうかと疑う事がある。部活の時以外は学校で見かけたことが無いし、授業すら受けていないのではないか。もしかしたら学生ですら無いやもしれぬ。

 また機会があったら聞こう。雪芝先輩を食事に誘えなかったように、何回もそう思いつつ聞くことはなのだろうけれど。

 休んでいると、更衣室の外は何人もの人が歩く音が聞こえ始めた。

「観客導引が始まったようだね」

「結構な人数が見に来るんですか?」

「ざっと二百人ほどじゃないかな。一応上の観覧席以外にも屋外観覧席もあるから多分それ以上は来ているだろうね。一応国家プロジェクトなのだから」

「そういえば聞いて無かったですが国家プロジェクトってどういう事なんですか?」

 雪芝先輩が前ちょっとだけ言っていた。

「あら、言っていなかったかな。日本の有名な協議で柔道や相撲などの格闘技があるが、若い人たちを取り込んだスポーツを発祥の物が無いという事でね、国のお偉いさんが新スポーツを考え出したのだよ。それが『モンキー・ハンドボール』だ。昔日本人がモンキーと言われていたのを逆手にとったネーミングのようだ」

「お役所センスの塊ですね」

 勿論揶揄である。嘲弄した言い方で返すか悩んだが、まあ、普通に言っても分かるだろう。

「確かに危険ドラッグのように言葉の本質を少し取り違えてるな。まあ、あまり気にせずとも良いだろう、ベースボールも野球と言われて日本国内で流行ったのだ、海外でも別の呼び方になるだろう」

 そこが問題では無い気がする。


 後は適当な談笑の後、見知らぬ黒帽子を被った人がノックをして試合開始の準備をするように言って来た。普段とは違う鍵型城の様子に僕は少し戸惑ったが、試合会場に入る。コートに入る前から多くの人の気配が漂っているだけだったのだが、緊張をする。

 先輩が扉を開き僕等はコートの中に入った。

 歓声が降り注いだ。文字通り上から声が降ってきたのだ。頭上のアクリル板の上に人の顔が沢山見える。校内で見る顔もちらほらと見える。練習試合だというのにこんなに人が来る物かと思う人もいるかもしれないが、校内でのおびただしい広告が一週間前に張られているのを気づいたので、それを見て来た人が多いと思われる。

「さて、始めようか」

 向かい側からは相手チームが現れている。翠先輩は一つ後ろに下がった所に居る。一番前には顔見知った女性である。

 両チーム自陣に整列し、ホイッスルを聞いて礼をした。


 5on5の試合、公式試合の形式らしい。

 普段と特段違うルールは無いが、一ヶ所だけ違う点がある。以前アクリル板の上からバスケットゴールの様な物が見えたのだが、あれが使われるらしい。ボールとの大きさの差は直径三センチしか差が無いのだが、このゴールに入れると一発で試合終了だ。ラックポケットと言うらしい。

 ただし、狙って勝利をするのはとても難しい上に、三連続で狙うと失点となる。プレイ中にパスカットなどで入った場合はワンポイントにしかならないのであまり意味が無いとも思える。

 まあ、あれにシュートして勝利した試合は公式試合で今の所一度も無いらしいので、得点に全く余裕が無くなったら最後の手段として使おう。

 また試合時間は十五分間ワンセット、スリーセットマッチで戦う事となる。間のハーフタイム三分でどれぐらい体を維持できるかも重要な点だろう。十五ポイントを先取で試合終了になってしまうので、相手のペースにならないようにしなければいけない。

 頑張ろう。

「先一本!!!!」

「「「おう」」」


 カーレースでも使われる音と同じスタートシグナルと同時にお互いの身体が、ゴールから放たれる光で赤く光る。相手のユニフォームは白なので赤色がくっきりと、こちらのチームは黒なのでさらに黒く光る。三度音が鳴ってからお互い碧く光った。

 タイミングを合わせて息を吐き、壁のホールドに手を伸ばす。石の形をしているので、それぞれ違う形だが、何度も登った壁なだけあり敵チームより早くボールを先取する事が出来た。

 敵チームのモンキーは山村由香。顔を見知った女性である。

 ボールをパスカットしようと動かれる、僕はどうにかパスをファーストリフトである金盛に渡そうとするが、中々パスコースが定まらない。仕方が無いので、やや自陣に近い所で構えるセカンドリフトの雪芝先輩にパスをした。

「あはは、そんなのじゃだめだよ」

 山村選手がそう言って来る。

「ここからですよ」

 僕はその言葉に返しをしてから、壁を降りて行く。モンキーの仕事はあくまで最初のボール奪取、その後のパス回しの中継である。

 クライミングをする時にある程度ルートを見極める力が必要となる、降りる際も登る際もその点は必要だ。そのルートを見極めて迅速に降りて行く行動をする際に、相手にホールドを塞がれると動きを止めざるを得ない。ディフェンスが敵ゴール近くで構えているのはそれが理由である。

 山村選手は僕のルートを塞いで進行を阻止する。身体を揺らして、違うルートを探して降りて行く。危険行為にならないように、周りに気を配るのも必要なうえ、ボールにも気を配るスポーツなので、試合となると頭がフル回転させなければいけない。

 ボールが一度ヒキマル先輩の所に行ってから、ディフェンスであるヒキマル先輩が少し前に出て、金盛にパスをした。

 僕はそれを見て、三メート地点よりも低い位置まで降りて、横移動で敵ディフェンスの近くまで移動する。

「金盛! パス!」

 僕はコートの中心付近に向かって指を指してパスを要求する。金盛は近くに居た相手との間を縫ってパスを出した。

 跳躍し、パスを手にしてから、以前同様無理矢理に敵陣にボールを投げ込む。相手のゴール前でキーパーがそのボールを止めようとしたが、風によって軌道が変わったボールはその手の横を通り抜けゴールした。

 ブザー音が駆け抜けた。


『1-0。谷川学園』

 歓声の鳴り響く中得点コールが流れた。

 ネットの上から戻る時に翠さんが「やるね」とだけ声をかけて行った。ただし、今まで聞いた声とは違う、殺気の含まれた声であった。お互い本気だ。

「ナイシュー」

 そう言ってみんなが背中を叩く。この時スポーツをしていると実感した。

「しんちゃん次はうちにパスにゃ!」

「おう、まかせろ」

 位置に着くとボールがセットされ、ホイッスルが鳴った。

 再度得意の捩りムーブを使いボールの所まで登ると、ボールを再度奪取する。しかし、一回移動したおかげで慣れたのか、山村選手も先ほどよりかなり距離を詰めてボールの所まで来ていた。次は接戦になるかもしれない。

 上半身を後ろに倒しながら、少し無理な体制をしつつも金盛にパスをする。

 ちゃんとそれを制球し、金盛の十八番技となった上着ユニフォームの中にボールを隠して移動する。金盛がぺちゃぱいだから出来る技だ、雪芝先輩はそのたわわな乳に阻まれて出来ないだろう。

 僕は先ほどと同じく移動しようとすると、また上手い事ルートを阻まれた。山村さんはかなり動きに無駄が無い。

「行かせないよ」

「上手いですね、ところでパンツが見えそうですよ」

「その手には乗らないわよ」

 くそう。多分今僕は苦虫を五匹ほど噛み潰したような顔をしている。噛み潰した苦虫がまだ口の中で暴れているような顔に違いない。恥かしいわ。

 その間にも雪芝先輩と金盛でパスを回して敵の攻撃をかわすように徐々に進軍している。

 僕はどうにか前に進むことは出来ないかと思い降りたり登ったりを繰り返す。

 仕方ない、あまり使いたくない手段だがあれをやるか。

「金盛、あれやるぞ」

 ほぼ真下の位置から僕を見上げる。ボールを持っているのは今金盛だ。

 真剣な眼差しで頷いた。

 それを見て、一度息を深く吐く。

 山村選手は警戒の姿勢を取るが関係が無い、若干下に位置している僕の位置が丁度いい。

 もう一度深く吸って手をした。


 体を捩って敵のゴールに体を向ける。


 金盛が飛んで、パスをする。


 走る。


 壁を走る。


 左手でボールを受けとり、走れるだけ走る。


 そして飛んで力の限り、両手でシュート。


『2-0。谷川学園』

 割れんばかりの歓声が轟く。ネットの上に落ちた僕は身体が動かなかった。

 どこかを打ったり変な打ち方をした訳では無い。

「決まっ……た?」

 一週間実は練習を重ねてきた必殺技だ。必ず殺すと書いて必殺だが、とりあえずこの一投で相手の心を噛み砕くことができかな。

 手の震えが止まらない。初めてバスケのシュートが思った通りに決まった時みたいだ。嬉しさのあまりの武者震いと言うやつだろうか。

「しんちゃん、生きてる?」

 金盛が心配して駆け寄ってきた。

「決まった……決まったな!」

「うん!」

 僕は両手を見て今の感覚を噛みしめた。

 が、頭をヒキマル先輩に叩かれた。

「……まだ勝ってない」

 闘志の炎が燃え上がった瞳で睨みつけられた。そうだ、まだ試合は勝ってない。

「うっす!」

 すぐに立ち上がり自陣の足場に戻った。

 戻るとアフロ先輩と雪芝先輩が先ほどよりも強く背中を叩き、気合を入れなおしてくれた。

「今ので相手さんはビビったはずだ、ここから一気にたたみみかけようじゃないか」

「「「はい!」」

 ホイッスルが鳴り試合再開の合図。

 今度もボールを先に取ってやると意気込んだが、先ほどのシュートで気が抜けてしまったのか、山村選手にボールを奪取された。

「くそっ」

 とられてしまっては手が出せない。これがこのスポーツの弱点であり、利点だ。

 下に居るリフトにすぐさまパスを繰り出される。あれ、一人足りない。ディフェンスと今ボールを受け取ったリフトは居るのだが、もう一人がいない。自陣の方に抜かれたかと思ったがそちらにも居ない。どこだ。

 気を取られた瞬間に上ととおって行かれた。

「しまっ。この」

 あとは相手が降りる隙を与えないようにするしかない。三メートル地点より上に居る間は飛ぶことも出来ないし、リフトからのパスも僕がカットする事も出来る。

 目的はそれでは無かった。一人いないと思っていたら、円柱状の反対側から回って自陣に翠さんが来ていた。

 リフトがゴールではなく、長距離パスを投げる。ゴールよりやや上に行くラインだが、翠さんが飛んで手に取ってから近距離でシュートした。アフロ先輩が良い反応を見せたが健闘虚しくゴールが決まった。


『2-1。栄大学』

 自陣に戻る。

「金盛君、君は逆側を護ってくれないか。この自陣に入られてしまうと元ハンドボール部の翠君のシュートは儂には止められそうにないのだ」

「了解にゃ!」

 金盛が居なくなるという事は、攻撃の要であるパスが出せなくなる。実は先ほどのシュートは金盛と僕。二人の平均より数段高い跳躍力があってこそなのだ。

「あとはいつも通り戦おうじゃないか」

「「「はい」」」

 それから試合再開のホイッスルがすぐに鳴ってボールをとりに行く。

 今の状態を見た以上、どうにかボール奪取だけはしなければと思い、一気に詰めていく。そしてボールを手にして、雪芝先輩にパスを出した。

 今度は僕が山村選手の下通り抜けて待つと、雪芝先輩の出したパスを相手のリフトがカットして来る。

「くそっ」

 カットされたパスは天井の穴に吸い込まれ、ボールボックスに出ると下に下がってしまった分、山村選手にボールを奪取される。

 そこからは一瞬で決まった。

 山村選手からリフトにパス。その後再度山村選手が手に取り、飛んでからネットに着くギリギリのところでネットに向けてボールを投げる。そして浮かび上がったボールを翠さんが手に取り弾丸の様なシュートを出す。

『2-2。栄大学』

「っち。糞ッ……」

 汗も無いのに、頬を腕で拭く。バスケ時代の癖だ。劣勢になるとつい頬を拭いてしまう。

 自陣に戻って気づく。普段なら四回程度じゃ腕は疲れないのに、かなり疲労がたまっている。

「和泉君大丈夫かい?」

「まだやれます!」

「熱血だねぇ。嫌いじゃないよ」

 まだ始まったばかりだ。

「次は一旦様子見だ、一旦和泉君がキーパーをやってくれ」

「はい」

 ホイッスルが鳴って僕はその場に残り、アフロ先輩が一瞬でボールボックスまで登った。僕なんかとは比べ物にならないほど早い。

 それからすぐに雪芝先輩にパスをしてから、山村選手の行動を制限しつつ、パスを受けてボールを持ったまま移動した。

 ディフェンス前まで移動してから、ジャンプをしてシュートを決めてしまった。随分大胆な様子見だ。

『3-2。谷川学園』

 自陣に戻ってきた先輩は「いやあ、熱くなりすぎるからダメだね」なんてまた胡散臭い事を言いながら、目に炎を宿らせていた。

 次のホイッスルが鳴って先輩は動かなかった。

「先輩!?」

「まあ、大丈夫だよ」

 そう言うと山村選手がボールを手にしてすぐにブザーが鳴り、十分間のハーフタイムとなった。まさかここまで狙ってさっきのシュートを決めたのかと思うと凄いとしか言えない。

 このコートには時計が無いので、十分のタイミングが分からない。本来試合に集中させる目的だったらしいが、体内時計でキーパーが指示をするというのが鉄板のやり方になったらしい。


 ハーフタイムで自分の呼吸が荒くなっているのに気づく。水分補給をしても呼吸が激しい。

「しんちゃん大丈夫にゃ?」

「おう、問題ねぇ」

 両腕がかなり辛い。いつものようにいかない。緊張でもしてるのだろうか。

「ふむ、今回は津田君がキーパーのようだから、ヒキマル君はファーストリフトに移って、汎君はディフェンスに以降しよう」

「結構ポジションチェンジ激しいですね」

「諸君を信頼しているよ」

 にやりと物の怪の様に笑う。信頼に足りる笑顔なのか悩ましいが、そんな事を考えていたら勝てない。負けたくない。


 ハーフタイム終了のブザーが鳴り、ボールボックスにボールがセットされた。

「取り返すよー! ふぁい!」「おー!!」

 敵チームで気合を入れなおしていた。

「お熱い事だねぇ。儂らも気張って行こうか」

「「「はい!」」」

 点数で差を広げてやる。意気込んでホイッスルが鳴ってすぐに飛び出すようにホールドに手をかけて足をかける。

 焦り過ぎた。左足を滑らせてそのままネットに転落。声も出なかった。

「早く戻れ!」

 ヒキマル先輩が声を荒げて横たわる僕の上を通過していく。はっとしてすぐに足場に戻って雪芝先輩の後ろからクライミングウォールを移動した。

 ボールは既に相手チームのパス回しの最中だ。

 焦るな、これ以上焦ると重大な失敗に繋がりかねない。そう思うと心はどんどん焦燥感に包まれる。まずい、まずい、まずい、まずい!

 パスが近くの敵リフトに来たのが見えた。

 動けなかった。

『3-3。栄大学』

 やっちまった。

 負ける。

 インターハイ予選の記憶がフラッシュバックする。


 おい、あの四十一番気を付けろ。和泉完全マークしろ。バッシュの音が木霊する隙間に声が聞こえる。

 一歩踏み出すだけで密着するようなブロックが付く。

 飛んでも阻まれる壁。

 もうあと一分も無い。それでも勝つ可能性が全くないってわけじゃないだろうと、必死に動くチームメイト。

 レーンアップを決めた途端僕の動きを完全マークされた。他の奴らが得点を決めてくれたおかげであと五点。

 一分で巻き返せるかギリギリの点数。

 響くシューズの音、相手はボールを兎に角カットして時間を稼ごうとするが、チームメイトも無能ではない、得点を四ポイント。取り返す。

 あと一回のシュートで勝てる。

 あと一回。

 一回。

 呼吸が荒く、頬をリストバンドで何度も拭く。敵のボールパスをカットして、あと一回。

 もう時間が無い。もう一回だけ。


 仲間が上手くパスを繋げてくれる。


 ボールが来た。


 飛べ、跳べ、とべ!







 届かなかった―――――――――……………………


『4-8。栄学園』

 同時にハーフタイムを知らせるブザーが鳴る。

「しんちゃん……」

 金盛の声をかけるか困っている様子だ。

 僕はあれから殆ど失敗だらけだった。目立った失敗は無いが、思い通り動けない。

「やはり君は腕が疲れて思うように動けないのだろう」

「まだ……やれます」

 先ほどの様に力強くは言えなかった。そうだ、確かにもう方から腕までの筋肉全てが悲鳴を上げている。

 顔を上げられない。足元を見て言う。

「そうか、なら頑張りたまえ」

 肩をぽんと触って、そう言っただけだった。


 去年の試合の後、みんなは言った。カッコつけるな、頑張り過ぎだと。

 そうだ、僕はヒーローにはなれない。スターなんかになれない。ただの大衆一般なのである。

 そんな僕をアフロ先輩は頑張りたまえと言った。

 練習試合だからか……?


 ホイッスルが鳴り、僕は痛む腕を構う事無く登りボールを手にする。すぐにヒキマル先輩にパスを回した。

 速度を上げて降りようとすると腕の筋肉を瞬発的にかなり必要となる。どうにか移動するたびに痛む腕。たった二十分でこれほどになるなんて。

 再度回って来たパスを受けとり、移動を試みるが敵のルート取りが上手く、中々前に進めない。先輩にパスをして、一度無理がある距離だが、攻撃をするために飛び出して投げた。するとキーパーに止められて、山村選手にすぐにボールが渡ってしまった。

 飛び出した僕はネットの上に落ち、すぐに自陣に戻ってからボールボックス近くでパスが回っている中に飛び込もうとすると後ろからアフロ先輩が。

「和泉君、逆だ」

 と小さく言った。

 どういった意味なのかを考えてる暇はない。逆を見ると翠さんと金盛がこぜりあっている。

 言われた通りそちらに向かって行く。

 翠さんが静かな殺意を向けて睨んで来る。だがその目線はすぐに巡るめくるボールの方に。

 やや上方でこぜりあって居る二人の下に体をつけて、完全に翠さんが自陣に入り込むすきを無くす。諦めたようで翠さんも動くのを辞めてその場で止まる。

 僕は敵のパスがスムーズなのを見ることが出来た。さっきまでパスカットに集中しようとしていたから、どのようにパスを出していたのか分からなかったが、完全に開いた隙間を狙ってパスを通している。余り体を無理な体勢にすると落ちてしまうのでヒキマル先輩も一人だと動きを制限される様で、僕達のチームは完全にディフェンスリフトで四枚壁になる形になった。まさか、これを狙っていたのか。

 パスが山村選手から翠さんに出された。僕と見たのは同時のはずなのに、翠さんが一瞬早く飛ぶ。続けて僕は遅れた分踏ん張って飛んだ。

 手を伸ばすと翠先輩がぶつかる寸前で手を引っ込めた。これで当たってしまったら失点になると思ったのだろう。僕はかまわず手に取ってネットに落ちた。

 持ったままネットに落ちた後は五秒以内に手を離さなければならない。だが、話し方は指定されていないので、僕はネットに向かって風に逆らうようにボールを投げてから自陣の足場に戻った。

 時間稼ぎである。それをやっている間に山村選手、ヒキマル先輩がボールボックスに向かっており、左右でボールが出るタイミングを今か今かと待っている。

 壁に飛び出す前にまた一言アフロ先輩が言った。

「止むを得まい。奥義を使うか」

 奥義。なんて大それた言葉を言っているが、早い話がラックポケットに入れて一発逆転を狙うという事だ。

「僕が行きます」

 壁に着くときにはアフロ先輩は妖怪の様ににやりと笑っていた。信じてくれたのだと、僕は勘違いでもいいから心で願った。

 壁からボールボックスの中盤に行く辺りで、ボールが出て来た。ヒキマル先輩がカメレオンの捕食の様に素早く手を出してボールを手に取った。

「ヒキマルさん! 奥義です!」

「……!!!」

 驚くのも無理はない。まだ時間はある。

「僕が飛びます、お願いします!」

 相手チームに聞こえようが関係が無い。入れてしまえば勝ちなのだから。それを聞いて山村選手が必死に降りて来るが、疲労が溜まっているようで随分遅くなっている。

 怒号の様な声を出して僕は壁のホールドの上を走って三歩で踏み切った。


 背中から風が体を押し上げる。

 先輩から渡ったボールを両手で構えて、ラックポケットにシュート。視界の端に山村選手の姿が映るが気に留めず放った。そう、左手はそえるだけ。

 直線の軌道でボールはコートのど真ん中にあるラックポケットに吸い込まれていく。

 真下に飛ぶことは出来ないが、シュートをするなら三メートルも飛べれれば十分だ。

「入れぇええええぇぇええぇえええ!!!!!!!!!」


 ガツンッ。

 ゴールポストに当たって音を立てる。跳ね返ってまた宙を舞う。

 ラックポケットの下でからふわりと……また浮かび上がる。

 叫ぶのも、動く事もやめて、コートの中の全員が上を見上げた。


 勝つ……




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