落ちた神童
二章:落ちた神童
①
「しんちゃんマジカッケーから!」
金盛が僕の事を言いふらしていた。おかげでようやくできた友人グループの友達には和泉とか、智也って言われていたのに、今ではしんちゃんと呼ばれるようになってしまった。
それだけならまだしも、金盛と付き合っているという噂まで流れる始末。
うれしはずかしパラノイア。僕は雪芝先輩みたいなタイプが好みなのだ。
雪芝先輩を昼食にも誘えないし、雪芝先輩が誰かと付き合っているかも知らないけれど、あれだけの容姿とフォルムだ。誰も手を出さないとは思えない。
そう悩んで一人侘しく食堂で昼食をとっていた所、ヒキマル先輩が無言で隣に座った。相変わらず真っ黒な服装をしている。
「他の席沢山空いてますよ」
「……」
時間は四限目の最中。大半の生徒は講義があるが、授業のスケジュール的に一時間半ほど時間に余裕が出来たので、僕は時折こうして食堂で遅い昼食をとる事にしている。
「ヒキマル先輩、訊いていいですか?」
見ると頷いた。
「雪芝先輩って彼氏とかいるんですかね?」
首を横に振る。僕はハンバーグ定食に添えてある人参を食べながら満悦した。
「……主人公属性かよ」
「え?」
「……」
結構怒り気味な声でぶすりと怒っていた。
「いや、僕は金盛と付き合ってないですよ」
怪訝な表情で睨んで来る。
「先輩は金盛みたいなのがタイプなんですか?」
「違う」
珍しく即答。続けて言う。
「俺は二次元もしくはフィギアしか興味が無い。愛佳は俺の嫁。他の女は認めない」
随分執心しているようだ。この前言っていたラノベのヒロインかな?
その後も暫くぶつぶつと何かを言っていたが、僕が聞えてない事に気付くとそれもやめた。
「先輩って随分試合中と雰囲気違いますよね」
まるで別人だ。普段の先輩は本当にオタクと言った風貌で、前髪で目も見えないようにしているのに、試合となると上昇気流でその前髪がふわりと上がり、凛々しい表情が現れる。真剣な眼差しは狩人と表すのがいいかもしれない。今は普通にぼーっとチョコレートアイスを頬張る優しそうで無口な先輩なのに。
「そういえば先輩って何で部活に入ったんですか?」
「……ボルダリングしてたから」
「あ、クライミングの室内版でしたっけ?」
「違う、靴とチョークバックだけ。一般的に普及しやすいから室内版だと思われがち」
「そうだったんですか、何か始めるきっかけとかあったんですか?」
「親」
「へえ、親子でボルダリングって楽しそうですね」
うんうん、と頷いた。
「今度色々教えてくださいよ」
首を縦にも横にも振らなかった。何か地雷にでも触れたのかな? と思ったけれど、先輩は腰に巻いてあったポーチから一枚のチラシを取り出した。
【初めてのクライミング教室】
こんな良くあるチラシも、ここ二ヶ月で興味がある物へと変わっていた。多分大学に入学してすぐの時はこんなものと思っていたのだけれど、ちょっとずつスポーツが楽しくなっていた。そろそろ借りているシューズやチョークバックだけではなく自分の物も欲しいと思っていたし、ちょうどいいだろう。色々な知識を得るにはいいかもしれない。
「講師やれ」
「……はい?」
「蜃気楼は講師やれ」
そう言って、手に持ったチラシの下部にある【インストラクター募集】という内容を指さす。
「いや、僕まだ初心者ですよ」
「そうだった……」
残念そうに言う。何故僕にやって欲しかったのだろう。
結局その後何も会話は無く、昼食の時間は終わった。
部活に行くと、アフロ先輩が鍵型城の入り口に立っていた。
「和泉君おはよう」
「おはようございます」
夕方だけれど、社会人の基本的な挨拶のようでとりあえずみんなやっていたので真似をしているのだ。
「悪いね、教から数日休みなんだ」
「え? 休みですか?」
「ああ。送風機のメンテナンスの日を伝え忘れていた。ヒキマル君と汎君は知っていたのだが新人二人に伝え忘れてしまってね」
「そうですか」
「しんちゃーああああああああああああああん」
後ろから大声で猪の如く駆けて、猛進してくる声の主は金盛だ。今日はジーンズ地のオーバーオールを着ているので動きやすそうだ。
「おぐぅ」
振り返り服装の事を考えていると、猪は急には止まれなかったようで腹に激突した。
「おやおや、最初の険悪な雰囲気は完全に無くなったようだね」
「いたた、こいつが勝手に避けてただけですよ」
「え? そんな事してたっけ?」
あの時の僕の心配なんて蚊帳の外。彼女は避けていた事すら忘れていた。
「そうそう、金盛君。今日から三日間休みだよ」
「え!? マジで!?」
「ああ、送風機のメンテナンスだよ」
丁度それを言ったタイミングで奥から作業員が工具を持って来るのが見えた。
「と言うわけで、今日は儂は失礼させてもらうよ」
そう言って胡散臭いアフロ先輩は、胡散臭い服装で、胡散臭いセリフを並べて立ち去った。歩き方まで胡散臭かった。いい加減胡散臭いと言い疲れるぐらいだ。
「今日休みなのかぁー」
「そうだな、急に予定なくなっちまった。あ、そうか。それでヒキマル先輩はこれ誘ってくれたんだ」
そう言って、ポケットにシワクチャにしまい込んだパンフレットを取り出して広げる。
「うにゃあー」
それを見て紙に金盛が噛みつく。噛みついたらいかんだろう。
「何すんだよ」
「遊びにいこー」
「ううん、そう言われてもなあ」
僕は仕送り生活で金が無い。生活ギリギリの金額を親が狙って送ってくれるのだ。つまり毎月ギリギリの生活をしているのだ。
その事を伝えると、意外な反応。
「デート代出すよー」
「で、で。でえとお?」
何、僕今からデートに行くの? 金盛と? え?
「そそー。二人で遊びに行くにゃー」
「ま、まあ。世間ではデートと言うのか。女子同士でもデートなんて言うらしいし」
「そそー遊びにいくのらー」
そう言って僕の服の裾を掴んで歩いて行く。ただし、女子らしくではなく、腹のギャランドゥがある辺りをひっぱらられるので、TシャツとGパンだけの僕は変な格好になったのでやめてもらった。
②
「おやつは五百円までにゃー」
バスを降りて最初に言った言葉がこれだった。きっとこれから遠足……じゃないわ。
「おやつねぇ」
「にゃはん」
服の裾を掴まないように促したら、高校時代から愛用しているショルダーバックを引っ張るようになった。学校の中を横断する間は恥辱の限りであった。
学校は駅前ではなく、町を横断したさらに奥にある。その上住んでいるアパート(築四十八年)の六畳間は学校の近くにある。それが何を意味するかと言えば、こんな駅近くの人の行きかう場所は受験の時以来久々に来たのである。
そんな物珍しい街に久々に来て見回すが、それを気にせず金盛はカバンごと僕を引きずって行く。ショッピングモールが駅の裏側にあるので、バスターミナルから反対側に行くまでまるで犬の散歩だ。
「ところで何処に行くんだ? 聞いて無いぞ」
「ショッピング行くのー」
実に楽しそうに言う。何を買うんだ? と聞こうと思ったけれど、それを聞くのは無粋かもしれない。ここまで聞かずに来たのだから、それも楽しみの一つにしよう。どうせ傍観しか出来ないのだから。
ショッピングモールに入り、最初に向かったのは洋服屋さんだった。
「にゃほー。しんちゃんしんちゃん! これ可愛くにゃい? にゃい?」
カラフルなTシャツを見せてそう言って来る。真ん中にはローマ字で【KUMA】と縦に掛かれている。クマの要素は全くない。
「奇抜だな……」
「それがいいんじゃなーい。しんちゃんセンスないなー」
「マジ良い。チョーいい。マジヤバイ」
「似合わにゃーよ」
冷たくあしらわれた。精一杯合わせたつもりだったのに。
結局その洋服店では服を買わなかった。三十分ほど悩んでいたのに、結局良い物が見つからなかったと言う。それから三件ほど回った。
「ねーねー。しゅんちゃん。これどっちがいいと思うー?」
手に持った物は下着。黒とピンクだ。
「ばばば、ばば、ばか、何でそんな物見せてんだよ」
「え、ビキニだよ? 水着だよ? ばーか」
下着と見間違うようなものを狙って選んだ来たのかよ、どれだけ構ってほしいんだ。まあ、適当な相槌ばかりしていた僕も悪いのだけれど。
その店でも何も買わずに、カフェに行く。
カフェではキャラメルマキアート? とアイスココアを頼んだ。勿論僕はアイスココアである。何が楽しくてカタカナばかりの言葉を言わなきゃいけないんだ。日本人は日本語が一番であろうが。
夕日で明るい窓際の席に座った。
「そういえばさー、何でしんちゃんって言われてるの?」
「ん? 雪芝先輩が言いだしたからなぁ。金盛も最初に言いだしたのってその時だろ?」
「うん、だけどしんちゃんって和泉智也って名前だにゃ? いつも講義の時に信太郎とか信二とかの名前の人居ないから最初訳わかんなかったー」
「あれ、最初に自己紹介したよな。始めて話したの金盛だし」
「にゃは。そうだっけ、忘れてたよー。ごめんね」
両手を合わせてにこやかに謝った。
まあ、僕の好みでは無いとはいえ、これで許さない男はいないだろう。許さない奴がいたらそれは女か、男の姿をした宇宙人だろう。
「で、どんな理由なの?」
「ああ、何回か聞いてるだろ蜃気楼の十八番って言葉」
「んー……にゃー……あ! 言ってた、言ってたよアフロ先輩が!」
「そう、それ。それが多分理由だと思う」
「にゃはん。それでしんきろーって何?」
「ちゃんとした意味はよくしらないんだけどな、砂漠とかであるはずの無いオアシスが見えたりするって話があるんだ」
本当は熱やらで光の屈折が起こるって事らしいけれど、文系の僕はその辺は詳しくない。
「ふうん? じゃあ今目の前に居るしんちゃんは偽物って事? 本物はどこにゃ?」
「本物だよ。そう言われてたのは異名って言えばいいのかな副名ともいえるのかな。所謂通り名って奴が付いたんだよ。高校三年のバスケ部の最後の試合からかな」
そう、忘れもしない最後の試合。蒸し暑い初夏であった地区予選だ。
「ふぅーん、何があったん?」
「インターハイの地区予選でさ、もう完全に僕たちのチームは負けが確定しちゃったんだよ。結果から言うとその試合勝ったんだけど、その理由が僕にあったわけ。バスケ始めた理由って簡単でアニメの影響なんだよね、それでダンクシュート練習してたら、それしか出来なくなっちゃってさ」
「……あ! だからあのカッコイイジャンプ!」
「そう、そう言う事。レーンアップって言うんだけど、コートの丸い所からジャンプしてするダンクね。高校生の地区予選で唯一僕がやったから有名になったんだけど、元々どっちの高校も注目されてなかった学校だから、誰もマークしてなくて、撮影もされなかったんだ。で、結局口伝えの人の噂になって『蜃気楼の十八番』って言われるようになったんだ」
「ふうん。でも何で十八番? 背番号?」
「いや、背番号は四十一だったよ。オハコとジュウハチバンって同じ十八番って書くんだ。オハコってのは特技みたいなものね。それで唯一特技がダンクだった僕の話と混じってそうなったんだと思う」
「難しいねー」
「お前そんな頭でよく大学入れたな」
「えへへー。一夜漬けは無敵にゃー」
大学受験を一夜漬けってどんな頭をしているんだ。結構範囲広いだろう。まあ、そんなにランクの高い大学ではないからいけない事も……ないのか? いや、多分僕がやろうとしても無理だった。
「うちなんてチア部の神童だよ?」
「神童? そう言えば落ちた神童とか言われてたな」
「うん、子供みたいで軽いから一番上で毎回活躍してたんだけど、本番で一回落ちて上手い事着地したのに、猿も木から落ちるー。みたいなこと言われて落ちた神童。うちは子供じゃにゃーっての」
それで身長を教えるのを嫌がっていたのか。どれだけ単純なんだよ。
「可愛いな」
「んにゃ!? 子供みたいで可愛いって馬鹿にしたの!?」
「いや、そういう風に悩んでる金盛がだよ。普通に可愛いと思う」
「にゃにゃにゃ」
別に嘘を吐く必要は無いし、隠す必要もない内容だ。何で人はこういう事を言わないのか不思議で仕方が無いと思ったが、よくよく考えたらランチデートに先輩を誘えない野郎が言う事ではないと思った。
「ずるいよぉー」
可愛らしく顔を赤らめながら言う。オーバーオールの裾を触って本当に恥ずかしがっているようだ。
「何がずるいんだ?」
「急にそう言うんだもん。にゃーんでうちが恥ずかしがらなきゃいけないんだー」
「勝手に恥ずかしがってるのはそっちだ」
「恥ずかしい事を言ったのはそっち!」
「そうだったかな?」
アイスココアを飲んで涼しい顔で言ってやった。僕の心配したのを裏切られたお返しにしては優し過ぎたかな。
「んじゃ次はしんちゃんが恥ずかしがる番!」
「ほう?」
「しんちゃんの好きなタイプはどんなのだにゃ!」
「雪芝先輩」
「にゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
盛大に顔をひっかいて来る。クライミング用で短く切ってある爪で良かった。深い傷は出来ないようだ。ただ、指先でほお肉を引っ張られてとても痛かった。
「何すんだよ!」
「ふん!」
ぶっすりと膨れて外をみてしまった。店内のほとんどの客がこっちを見てからくすくすと笑って元の談笑に戻った。
「はあ、全くなんでまた怒ってんだよ」
「今可愛いって言ってから雪芝先輩がタイプって言うって女ったらしなんだもん」
「そんな女を誑したり、誑かすほどプレイボーイじゃないさ」
「……」
片目を開いてこちらを見る。
「それもそうよ。イケメンじゃないし、汎先輩とは付き合えないもん」
「ぬう、確かにそれは由々しき事態だな」
「だから他の女を早く探すのがいいのらー。うちみたいに可愛い子を早く見つけるんだよ」
「そうだな、探しつつ雪芝先輩にギリギリまでアプローチするさ」
八重歯をむき出しにしてまたひっかきに来ようとしたので両腕で止めた。
「このアイスココア様が零れるだろうが」
「うちはキャラメルマキアートもう飲んじゃったからいいのー」
ぬぐぐぐ。なんて声を出して机がガタガタ揺れた。
「うちが奢ったアイスココアだからいいのー」
「このまま零れたら僕の恥部にかかる、それだけは阻止せねば」
「うにゃあ、女みたいな言い回ししてー。ちんこって言え、ちんんこって」
「お前が言うな、ばか」
「ばかっていうなー」
「じゃあ力を抜け。そのままゆっくりだ」
「ぬぬぬ」
全く、何を怒っているのだ、この馬鹿は。
ゆっくり力を抜いて、アイスココアの入ったコップが倒れないように注意しつつゆっくり座った。もう周りの人はこちらに興味すら向けていないようだ。痴話喧嘩だと思われたのかもしれないな。まったく、とばっちりだ。
ため息を吐いてから言う。
「何怒ってんだよ」
「ふん」
鼻を鳴らしてまだぷんぷんと怒っている。でも何だか前にあった起こり方と少し違う。ちらちらこちらを見てくれるようになった。これは進展か、隙を狙ってまた攻撃を仕掛けて来ようとしているのか。ほとほと心配だ。
「なあ、機嫌直してくれよ。またそんな風になったまま部活言ってたら先輩たちが心配しちまうだろ?」
「……」
片目でこちらを一瞥して、超手を組み何かを考えているようだ。
口を尖らせたり、頭を揺らしたりして、何かを考えている。
「じゃ、じゃあ、さ」
「おう、何でもこい」
「付き合って」
「何にだ?」
頭を机にぶつけた。アイスコーヒー様が零れないように僕はすぐさま手で取る。
結構いい音、したよな……。
「お、おい大丈夫か……?」
「……買い物に付き合え……」
怒りが篭った瞳でギラリと睨まれた。どんな買い物だろう……。思わず固唾を飲んだ。
「お、おう」
結局その後、金盛が食べたいと言ったお菓子を山ほど食べた。どうやら金盛がいつも食べきれない分を全部食えという内容だったようだ。
「うっぷ……買いすぎだろ……もう甘いもん食いたくねぇ」
胃から昇ってきた空気も甘い匂いがして嫌気がさした。
「ふん。帰ったらまた芋羊羹食べるんだから」
「まだ食うのかよ」
殆ど一口、一番おいしそうなところを食べてから渡してくるのだ。腹いっぱいにならないわけが無い。確かに何だかわからない事への侘びとしては妥当かと最初は思ったが、これは見た目以上に辛いぞ。
「次で最後だにゃ」
それとついでに、金盛について分かった事がある。怒っているときは彼女は「にゃ」などの猫言葉が出ない。ただ、突発的な怒りや荒げた声の時は言ってしまうようだが、それ以外は基本的に冷たい標準語になる。メソポタミア文明の方言は出ないのだから分かり易い。
これが分かったからって、扱いやすくなるもんかな?
揺れるバスの中でふんふんと鼻歌を歌っている金盛の隣で座るのは普段だったら恥ずかしくて爆発するだろうが、もうショッピングモールが閉まる時間の九時を過ぎていたので人も少なかった。
「やっぱり大学の方って学生しかいないんだな」
「んー、まあ住宅地でもないしね、美味しいスイーツ屋さんが何件かあるだけにゃー」
「そうなのか、後は激安スーパーが……ほら、あそこ。あそこにあるのだけだな」
そう言って窓の外を指さしたが一瞥して終わってしまった。彼女はスイーツだけを食べて生きているのだろうか。野菜食え、野菜。トウモロコシ美味しいぞ。
他に乗っているのも学生の様で、こう言った会話をしていても特に恥ずかしいとは思わなくなっていたのは食堂で何度か友人とバカ騒ぎをしたせいで感覚が鈍ってしまったのだろうか。
ほどなくしてバスが学校最寄りの駅で停車した。
降りてから、羊羹を販売している甘味所に行くが閉まっていた。
「うぅうー」
頬を膨らせながらぷんぷんと言っている。
「まあ仕方ねーよ」
「よーかんー」
こうやって見ると子供の様に見えなくもない。まあ、これを口に出したらまた怒るだろうから言わないけれど。
「明日また付き合ってやるから、今日は我慢しとけ」
「にゅぅ」
とりあえず頭を撫でといた。子供みたいだし、いいだろう。予想通り文句を言わずに黙ってくれたし、やっぱりこの子は馬鹿だな。愛すべき馬鹿だ。
「とりあえず家の近くまで送るよ、夜だから危ないし」
腹ごなししたいし。
頷いて承諾する。それからまたショルダーバックの紐を引っ張って散歩をさせられた。
家まで送ると、学生寮だった。女子寮なのでひょっとしたら雪芝先輩もいるのかなあ、なんて考えてしまう。
「んじゃーね、明日羊羹忘れにゃいでよ」
「へいへい、仰せのままに」
③
さて、翌日は同じような内容である。話してもしょうがないので、諸々かいつまんだ内容だけにしておこう。
羊羹を最初に食べて、その後また別の甘味所に行った。そこでまた拗ねられて機嫌直しでなけなしの財布からジュースを買って与えると機嫌は直った。そろそろバイトでもした方がいいのかな?
それ以外にもちょっとした進展もあった。寧ろこれがメインである。
人ごみの多い昼休みで食堂に行く。昼食で弁当をもって行くほど流行りに乗った女子力高騰系男子ではないので、一番安い卵焼き定食二百八十円だ。
例の如く侘しく食事をしている時に友人が普段は来るのだが、今日は講義が休みらしく一人でちゃんと侘しく食べていた。寂しい。
その寂しさを吹き飛ばしてくれたのは巨乳である。間違えた、雪芝先輩だった。いつものように清楚な服装を着て、僕の前に現れた。天使かと見間違えた。間違いだらけだ。
「お疲れ様。しんちゃん隣いい?」
「はい、是非」
持ってきたトレイの上には結構な肉や野菜などが盛られている日替わりデラックス定食だ。なんとこれが七百二十円もするもので、僕の財布からは埃が十円になっても出すことが出来ないぐらい高い物なのだ。
「先輩食べますね」
「うふふ。はい、これあげる」
そう言って神の御恵みを与えてくれた。肉である。しかも牛肉のステーキである。何てことだ女神なんて言葉じゃ語りきれないほどの天女である。
「ありがとうございます!」
「しんちゃんお肉あんま食べられないんでしょ? お金が無いって言ってたのコウちゃんと話してたの聞えちゃった」
コウちゃんとは、アフロ先輩である。最初の内は誰の事だと目を躍起にして、耳を障子に当てる勢いで聞いていたのだが、アフロ先輩の名前が福田浩介と言う名前である事を思い出して解決した。
「面目無いです」
恥ずかしくて俯いてしまった。嘘です、胸元が見たかったです。
「ねえ、しんちゃんってモンキーハンドボール楽しい?」
昼食をとりながら間に会話を挟む。
「はい、最初はアフロ先輩のせいで胡散臭い部活だなーって思っていたんですけれど、結構楽しいスポーツですね」
「なんか国家プロジェクトらしいよ」
「え? 本当ですか」
こっかぷろじぇくとぉ? つまり国家の何かしらの威信をかけて行われるプロジェクトであるという事だろうか。
「世界発信できる日本初のスポーツが欲しいって言う事らしくって、今コートを色んな所で作られてるって聞いたのよ」
「へえ、そんな凄い物なのですね。そういえば聞いた事無かったです」
家にインターネットが無いんだから仕方ない。一応低スペックPCはレポートでどうしても必要だと親を説得して買ってもらったけれど、不便と言えば不便だ。スマートフォンで結構事足りるけれど。
「コウちゃんって何か変な人脈いっぱいあるからねぇ。もう留年何回もしてるし」
「え、アフロ先輩留年してたんですか!?」
「うん、今二十五歳って言ってたわよ」
「あの胡散臭さでそんな年齢だとは思わなかったです」
何で雪芝先輩と話している時にアフロ野郎の事なんて考えなきゃいけないんだと思っていたが、ちょっと意外な事実で興味を持ちかけた。でも胡散臭いので別の話に変えたい。
「そう言えば雪芝先輩って何で始めたんですか?」
「んーとね。私何かナンパされやすい体質なのよ」
斜め上の回答が帰って来た。どういう事だ? まさかあのアフロ野郎、雪芝先輩をナンパしやがったのか?
「町に出ると毎回一回はナンパされちゃうし、学校の入学式ですらされて頭を抱えていたのよ」
「それは確かに凄いですね」
先輩ほどの美人であれば声を掛けざるを得ないだろう。僕の様なヘタレですら胸に吸い込まれてナンパしていたかもしれない。否、男は硬派であるべきである。
「色んなサークルから色目使われて勧誘されてて、もう適当なのに決めようと思ったらナンパ言葉じゃなくて、変な言葉で勧誘されたから入っちゃった」
「宗教サークルじゃなくて良かったですね……」
「ほんとね、入ってから友達にすっごく怒られたのよぉ。きっとコウちゃんは新興宗教立ち上げられる器ね」
「勧誘された暁には、ご神体叩き折ります」
先輩は神々しくもふふふ、と笑ってほほ笑んでらっしゃった。雪芝先輩が神様であれば汎教に信仰させていただきますとも。
「そういえば、町に行ってもナンパされるって事はけっこう不便じゃないですか?」
「うーん、そうねえ。もう近くのスーパーかネットショッピングばっかり。たまには行きたいわねぇ」
「で、でしたら明日にでもいかがですか」
言えた! つ・い・に・言えた! 言えたぞおおおおお!!!
先輩をデートに誘ったぞ。誘ってやったのだ。野郎共、見たかクソッ垂れ。僕が先輩をデートに誘ったのだ。悔しかろう、悔しいだろう。ふはははは。おっとやべ、アフロ先輩の笑い方が移ったかな。えんがちょ。
「うーん。どうしようかな」
頬に人差し指をちょんとおいて考えてこちらを見て来る。美しい! もうこのまま時間を切り取って六畳一間のど真ん中に置いて一生眺めておきたいほどだ。
「……僕なんかがすみません」
言った途端恥ずかしくなった。ついつい謝るのは日本人の謝る癖だ。日本人のばかやろー。
「ふふふ、やっぱりお願いしようかな」
にっこりなんてものではない。もう何と言葉で表現していいのか分からないが、とても美しく可愛らしく愛らしく、言葉を並べても褒めきれない笑顔だった。
「是非! お供させていただきます!」
思わず手を握ってしまったがそれも笑って許してくれた。
とまあ、二日目の休日はこんな感じで終わったわけだ。
夜僕の財布にジュースを買うお金が入っていたのはこの先輩とのデートがあるためである。先に金を降ろしておく計画的な男なのである。
三日目の今日はこれから学校の講義を受けてから、先輩とデートだ。気が気ではない。茶々を入れてくる金盛をあしらってから講義を終えた。
「お疲れ様です」
正門前で先輩と待ち合わせた。バス停まで目と鼻の先である。
「おつかれ、しんちゃん」
先輩はセイレーンも喉を潰したくなる美声で挨拶をしてくれた。今日着ている服装は白のカッターシャツと、スカート、生足と涼しそうなブーツだ。そう、生足だ。もうすぐ夏が来る。今まで夏よ恨んですまない、心を入れ替えて夏を崇拝しよう。
「行きましょうか」
「ん。もうちょっと待って」
「え、はい」
ん? 意気揚々と町に出かけるのでは無いのか?
不思議に思いつつ言われた通り待つことにした。先輩はまだ校舎の方を見ている。
「あの、他に誰か来ますか?」
「え? えーと」
「しーんちゃーーーーーーーーーーーああああああああん」
声と頭の弾丸が飛んで来た。例の如く腹に着弾した。
「何だよ、僕じゃないと死んでるぞ」
「にゃははは!」
「かなちゃん、おつかれさま」
「お疲れ様ですにゃ、汎せんぱーい!」
「じゃあ、行きましょうか」
「はーい」
いつにも増して強烈な腹の痛みを耐えていたら金盛の同行が決定していた。いや、あらかじめ決定した事だろうけれど、反論の余地なく決行に移された。ここまで計算ずくだったのだとしたら末恐ろしいぞ、金盛。
時間を合わせたように来たバスに乗って一昨日も行ったショッピングモールまで来た。とても一日で回れる広さではないので、半分も見て回っていなかったショッピングモールだ。
「やっぱり先輩目立ちますね」
「そうかしら? いつも通りよ」
周囲の視線がバスの中からこちらに向けられている。可憐で美しい聖女が目の前に居たら見ずにはいられないのだろう。男女構わず先輩に目線を落とす。逆に考えると毎回ナンパをされるという事は、声を掛ける男に相当な度胸があるとも思えた。
「にゃーにゃー、しんちゃん」
「あ?」
「うちが可愛すぎるからみんなこっち見るんだよ」
一瞥してみる。いつか着ていたホットパンツとニーソの間に紐がある。ガーターベルトだと思っていたがホットパンツと繋げているのでそうじゃないのだろう。ニーソは縞模様で靴はピンク色のスニーカーだ。初夏らしくキャラクターTシャツと上にパーカーベスト状の柔らかい布を羽織っている。
「無いな」
「!? 酷いにゃ」
頬を膨らませて剥れた。
「やっぱり二人仲がいいわね」
「最初っから喧嘩ばっかりですよ」
嫌見たらしくデコピンをして軽く怒らせてから答える。にゃあにゃあ怒っているのは目もくれないでおこう。
「そんな風に喧嘩出来る人達は羨ましいわ」
「そんなもんですかねぇ」
「にゃああ! しんちゃんのばか! もう汎先輩助けて」
憎たらしくも汎先輩に抱き着いた。後で感想を論文十六ページにまとめて教えやがれ。
「あらあら、じゃあ私がしゅんちゃんと手つないで歩こうかしら」
「!!!???」
汎先輩と手をつないで歩く!? 何だって、神の思し召しである。もう無宗教派は諦めてどっかの宗教入ろうかな、最近そんな事ばっかり考えてる。新興宗教汎教に限るけど。
「にゅぅ……」
しゅんとすると、雪芝先輩の胸の辺りに顔がある。これは先輩の胸を凝視するチャンスだと体が反応するが、何だかちょっとしゅんとする金盛も心配だ。調子が狂う。
すると先輩と僕の間に体を滑り込ませて、先輩と僕の手を掴んだ。何だ、ただの子供か。果たして傍から見たらどう見えるんだろうな、親子と言うには少し年が近すぎるし、兄弟と言ったところかもしれない。いや、もう捕まった宇宙人の写真と一致でいいか、面倒だし。
「今日しんちゃん荷物持ちとボディーガードお願いね」
「そーだー、荷物持ちだにゃーん」
「ついでに金盛ちゃんのお世話もね」
「そーだー、うちのお世話……先輩まで酷いにゃ!?」
「うふふ、冗談よ」
四面楚歌……いや二面楚歌になった金盛は両手を離さないままぷんぷん一人で独り言を言って怒っていた。多分後で八つ当たりされるのでこれ以上刺激しないようにしよう。
「ところで先輩何を買われるんですか?」
「お洋服かな、あと人形と、文房具と、靴と……あと思いつきかしら」
「がんばります……」
荷物持ちが居るという事でここぞとばかりに買い込む予定らしい。ひょっとして金盛を呼んだのは荷物持ち二号と言うわけだろうか。
ものの一時間弱。僕の両手はいっぱいになっていた。日頃クライミングで鍛えているとはいえ、これは聊か重すぎる。
結局金盛は荷物持ち二号ではなく、先輩の洋服選びのお供だったようだ。笑顔できゃっきゃしている女子二人を見ていると、重たい荷物の事なんて忘れてしまいそうだけれど、底なし沼の底から足を引っ張るが如く、重力が忘れさせまいとする。
とりあえずまた店の中に入って行ったのでとりあえず付いて行く。
「ねえしんちゃん、どっちがいいと思う?」
下着の様な物を先輩が二つ持ってきた。前回の話を金盛に聞いたのだろうか、もう騙されないぞ。
「雪芝先輩、水着のネタならもう金盛からやられましたよ。強いて言うならこの黒い方が先輩に似合いそうですね」
「ん? 下着だよ?」
「ファンタスティック」
思考停止。
「ぷっ、ふふふ」
「ね? 汎先輩、面白いでしょ?」
「てめえの仕業か、ぶちころすぞ」
「にゃーこわーい」
逃げ出す金盛を追いかけてこの恥ずかしさを紛らわさねばと本能的に思ったが、周りを見てもう動けなくなった。
何でランジェリーショップに居るんだよ。そして何で僕も気にせず入ってたんだ……。
「しんちゃん大丈夫?」
蹲って動けない僕を先輩がしゃがみ込んで心配してくれた。前でしゃがまれると本当に困る。僕の相棒が今か今かと待ち侘びてしまう。
「大丈夫です、おかまいなく……」
「でも苦しそうよ?」
「いや、本当大丈夫ですから」
お願いだから胸元を見せないでほしい。ご褒美しかないのに、今この時に限っては実に軟らかく破壊力抜群な凶器だ。どうにか先輩を説得して、へっぴり腰になりながらランジェリーショップを出て、出て直にあったベンチに腰掛ける。
おさまれ、おさまれと心の中で唱えながら落ち着く。
すこし落ち着いてきた辺りで、前から同じ症状に陥ったであろう男性が出て来た。少し年は上であろうか、ザ・大学生の風貌をしている好青年だ。オフィスカジュアルと言った感じの服装を着ている。
何となく会釈をすると、相手も会釈をして隣に座る。
「いやあ、君もかい?」
「はは。そうですね」
「すまないね、男と話すのが一番こういう時は効果的だろう?」
「まったくその通りです、お気になさらないでください」
「ったく、最近の女の子は節操がないね、本当。何で下着を選んで何て言うんだろう」
「きっと自己顕示欲の塊なんですよ。あ、でも先輩は違うって付け加えなきゃ」
「君も大学生かい? どこの大学かな」
「谷川学園です。私立のしがない学校ですよ」
「知っているよ、今度練習試合をさせてもらうんだ。と言っても僕は引退したはずなんだけど、人数不足で駆り出されるんだけれどね」
ポロシャツを着ているし、腕の筋肉もしっかりしている。それなりに頭が良さそうな見た目から予想する。
「スポーツマンですね、テニスあたりですか?」
「いや、ははは。それこそしがないスポーツだよ」
「僕もしがないスポーツをしてるので何となく言いづらい理由が分かります」
「そうだね、詮索はしないのがいい。あ、自己紹介が遅れたね、僕は翠譲です。まあ、また会う事は無いかもしれないけれど、何かの縁と言う事で」
手を差し出してきた。
「和泉智也です。握手は……ちょっと」
まあ、相棒の事もあるし、後程トイレに行ってから手を洗わなければ。
「それもそうだね」
最近アフロ先輩や、ヒキマル先輩のようなキャラクターの濃い先輩とばかり話していたのでこんな好青年な他校の先輩と知り合えたことは幸運であろう。
何かの縁だという話で、携帯番号を交換しておいた。その後暫く就職活動がどうだという話を伺った。どうやら内定が中々貰えないらしい。
「つばーどこー?」
「由香こっちこっち」
ランジェリーショップから一人の女性が出て来た。
「もう、勝手にどっかいかないでよ」
「仕方ないだろ、俺だって男何だからあそこは刺激が強すぎる」
「だらしないわね……」
そう言ったあたりでこちらを見た。
「知り合い?」
「今知り合った」
不思議そうに見た後に、頭を下げて挨拶をした。僕も釣られて頭を下げた。
「それじゃあ俺達は行くよ」
「はい、就職活動頑張ってください」
「ありがとう、内定取れたら連絡するよ」
「はい、よしなに」
定型文の様で少し崩れた話をして二人は去って行った。気のいいカップルなのだろうか、女性の方はあまりちゃんと見ていなかったけれど、ポニーテールの美人だった。
④
「ねえ、あれ乗らない?」
「観覧者ですか、いいですね」
雪芝先輩が可愛らしい提案をしてきた。出来れば二人きりで乗りたいものだが、金盛もにゃほほほとはしゃいでいるので一緒に乗らない訳にはいかないだろう。
「今日は荷物持ってくれたお礼でここは私が出すね」
そう言って金盛と先輩はチケットを買いに行く。五分待ちの看板が出ている列に並んで待った。ほどなくして二人は戻ってきて並ぶ。
「そんなに楽しみですか? 観覧者」
とても楽しそうに笑顔を作っている先輩に聞いてみる。
「うん、そうね。観覧者って乗る機会あんまりないじゃない?」
「それも、そうですね」
言われてみれば観覧者なんて乗る機会殆ど無いな。思い浮かぶのがデートか家族で乗るぐらいだ。あと無理矢理に考えてみたら野鳥観察とかかな?
列も次第に前に進んでいき、あと五組ほどになった所でそわそわとしていた。
「マァ! 汎セーンパイ大丈夫デスカ?」
「え、ええ。ちょ、ちょっとお花詰みに行ってくるわ」
「え? え? 先輩?」
「女の子に二度も言わせちゃだめよ」
「でももうすぐ……」
その言葉に返事もせずに整列させるためのロープをすり抜けてトイレの方に行ってしまう。
「どうしよう、後ろに回るか?」
「……」
返事をしない金盛は、いつもみたいにショルダーバックの紐を持って前に進む。
「おい、先輩がまだ戻って来てないぞ」
「チケット出して」
返事もせずに要求をしてきて訝しげにチケットを渡すと、無理矢理引っ張られて順番が次になってしまった。
雪芝先輩が居ないんじゃ、観覧者に乗ってもしょうがないじゃないか。
「金盛、先輩どうするんだよ」
「……乗るの」
そう言ってぶっすっとした表情で係員にチケットを渡してしまった。
重たい荷物毎誘導されて、後ろが閊えるわけにもいかないので搭乗してしまった。
「どうすんだ……よ……あ!」
少し上昇したところで窓の外を見ると先輩がこちらを見ていた、しかも焦った様子も無く、こちらに向けて両腕で拳を作って『がんばれ』のエールを送っているような恰好をする。
まさか先輩、勘違いしてしまったのか!? 僕が金盛と結構一緒に居る時間が長いせいで、同級生みたいに付き合ってるなんて。
当の金盛は借りてきた猫みたいに静かにしている。
「どうしたんだよ」
「……だって」
右手でしきりに口元を触って、右下を見ている。
「なんだよ、人見知りの子供みたいにして」
「……うるさい」
「はいはい、黙っておくよ」
黙って外を眺める。中腹まで行くと大学の校舎が見えた。結構高いんだな、この観覧者。
一方金盛は外も見ずにちらちらこちらを見たり、口元をまだ触っている。横目で見えるだけでもちょっと気が散る。
「口臭無いから安心しろ」
「違うもん! ばーか」
自称メソポタミア方言が出ていないので怒っているのかもしれない。ついさっきまで笑顔だったのに、何で急に怒っているんだ。女心は秋の空と言うやつか。
構わず外を見て他の観覧者を見ると、カップルが頂上を過ぎた所でキスをしているのが見えた。お盛んな事で。
「先輩何考えてんだよ……」
外を見ながら呟いた。もうすぐ頂上だ。
「うちが……お願いしたの」
「は……? はあ!? 何でグブ」
思わず立ち上がってゴンドラの天井に頭をぶつける。それに合わせたように立ち上がり金盛は心配そうにして隣に座ってきた。
「何でも良いじゃん!」
そう言ってぶつけた頭をさすってきた。
「なんだよ、メソポタミア文明の方言は使わねえのかよ」
「ぷっ、あの冗談まだ信じてたの?」
傾いたゴンドラで怒ろうとしたけれど、バランスが崩れて一緒に持ち込んだ荷物が崩れそうだったので躊躇する。
「信じてねえよ」
何だろう、いつもよりゴンドラが傾いてるせいで距離が近い。恥かしくなって反対を向こうとしたけれど、それだけでバランスが崩れそうだ。
「動かないで」
「いや、お前が向こういけよ」
「だめ」
「何がだよ……」
距離が近いせいで、ちょっと良い匂いが香ってくる。息遣いも耳を澄ませば聞こえそうな距離だ。まだ頭撫でてるし。一応前を見ておこう。
「ねえ」
「……なんだよ」
「頂上だよ?」
「そうだな」
「何もしないの?」
「しないよ」
「何かしてよ」
「何をだよ」
「……あそこの人達キスしてるよ」
「僕はしないぞ」
「なんで?」
「そんなの不純だろ」
「こうなって動かないのに?」
「荷物崩れるからな」
「言い訳ばっかりして……」
寂しそうな声を出した。
こんな時どうすれば良いなんて分からねえよ。バスケ一筋……むしろダンク一筋でやってきた僕が分かる訳ないじゃないか。
キスなんて引合いにだして、金盛が何かおかしい。
「お前どうしたんだよ」
「だって、しんちゃんが悪いんだもん」
「俺のせいかよ」
頂上を越えてもう観覧者は地上に近付いて行くだけだ。ゴンドラの中は借りてきた猫二匹で静かになった。観覧者が動く鈍い鉄の音だけが響きわたる。
前半は話していたので気にならなかったが、静かになると観覧者の中の時間はかなりゆったり流れるものだ。緊張なんか、断じてしていない。
「……黙るなよ」
「……しんちゃんこそ」
と言われても話題何て出て来ない。かといって馬鹿正直に風景の話をするのも何だか違う。雰囲気がそれを許さない。
何気なく顔を金盛の方に向けると、それに気付いてこちらを向く。
ああ、相棒が僕に行けと促す。男じゃないのかと文句を言って来るけれど、そんな事をしたらこれからどうなるのだ。雪芝先輩と距離を置くことになるじゃないかと自制する。
金盛が目を逸らそうとしてはまた見て来る。僕はどうすればいいのか分からずただ見つめているだけだ。
剽軽に「なーにやってんだばーろー」とデコピンをするべきかなんて発想は頭に浮かんでくれない。いや、浮かんじゃいるんだけれど、行動に結びつく脳細胞と出会わない。
雪芝先輩、僕はどうすれば良いですか。
『ガタン』とゴンドラが揺れた。止まるのかと思ったが、もうすぐ終わりの様だ、金盛の顔ばかり見ていて、ゴンドラを横方向に固定するバーに当たった事に気付かなかった。
「「……」」
二人で気まずい沈黙の中荷物を持って観覧者を後にした。
④
「先輩酷いですよ。何で金盛と二人っきりにして先に帰っちゃうんですか! 家分からなかったんで荷物今日運んで来たんですよ!」
「そんな事より進展あった?」
部活終りに先輩と話している。みんな着替えをしているが、僕達は今鍵型城の円柱内廊下で話している。
荷物を置いて帰られたのであの時買った物を一式今日持って来る事になった。開口一番文句を言おうと思ったが、アフロ先輩も居たので何だか言いだし辛かった。
「すっごく気まずかったんですからね!」
「うふふ、かなちゃんはそう言ってなかったけどね」
不敵な笑みであの時の心情を否定するような事を言う。
「……ちなみに何て言ってたんですか」
「うふふ、本人に聞いてみなさい」
「あれからバスの中でも話してないです」
「え? そうなの?」
「はい。気まずくて今日も話して無いですよ。おかげで有りもしない破局の噂が友人の間で広がる始末ですし」
「あれぇ。うーん。かなちゃんね、いつものキャラも忘れて。めっちゃ進展しました、先輩観覧者の時に二人っきりにしてくれてありがとうございます。なんて言ってたんだから」
「……え! 先輩まさかあの時わざと帰ったんですか!?」
「それ以外何があるのよぉ。かなちゃんがしんちゃんの事好きって言ってたし、しんちゃんもかなちゃんと仲良さそうだからお邪魔虫は退散しただけですよー」
むくれて言われた。いや、先輩の可愛さに焦点を当てている場合ではない。今なんて言った。
「今金盛が僕の事好きって言ってたって言いませんでした?」
「うん……あっ! これ秘密だった」
おちゃめな先輩は可愛らしい何て言ってられない。いや、実際可愛いんだけどさ、それどころじゃない。
金盛が僕の事を好きだって? 嘘だろう。いや、雪芝先輩が言うのだから本当の事……いやしかし女子同士では他の人に気を向かせて実は自分も好きだったって事がある、みたいな展開を少女マンガで沢山見たし、有り得ない話ではないか。何を言ってるのか自分でもさっぱりな思考回路になって来たぞ。
とりあえず、考えた事をまとめると。
まじか。
「と、とにかくコウちゃんが話あるって言ってたし戻りましょ? 今の私が言って他の無しね? ね?」
ウインクと合掌をして謝られた。頭の中はそれどころではないが、とりあえず反射的に頷いて更衣室で着替えて、ミーティングルーム? の様な所に来た。
四人とも着替えを終えて集まっており、僕が最後に更衣室から出て来た。
「さて、諸君揃ったね」
珍しくも恭しく言い放った。胡散臭いのには変わりがないが。
「来週練習試合が決定した!! 君たちはかなりクライム、制球能力などが付いてきた! つまりこれを機に試合をするべきではないだろうか! そしてこのモンキーハンドボール普及のために観客も動員予定だ! 心してくれ!!!」
机を力強く叩き、熱弁した。
「先輩、熱血キャラ似合っていません」
「ふむ。ではいつも通り。とりあえず練習試合をすることとなる。他のチームと一年生は初めて対戦する事となるので、色々と作戦などを頭に叩き込んでくれたまえ。今回のポジション分けはモンキーを和泉君にやってもらおうと思っている」
ばっ。と服の擦れる音がしてそちらを見るとヒキマル先輩がとても驚いたような表情をしている。両手を広げて驚いたという事を全身で表現しているようだ。
「あら、今回はコウちゃんがモンキーじゃないのね」
「一応簡単な割振りとしては、モンキー:和泉君。ファーストリフト:金盛君。セカンドリフト:汎君。ディフェンスリフト:ヒキマル君。キーパーは儂で考えているよ。途中状況によっては即座に変わる予定もある」
「そうねえ、てっちゃんも居なくなっちゃったし、仕方ないわね」
「鉄壁君が就職活動を早く終わらせて戻って来てくれれば良かったんだがなあ。生憎二次面接があるとの事だ。斡旋しておいたのが裏目に出てしまった」
どうやら引退した先輩の話の様だ。
「では諸君、健闘を祈るよ。明日からそれに合わせたメニューもあるので覚悟するように」
そう言ってからヒキマル先輩が固まったのを放置して出て行ってしまった。
これは声を掛けねばなるまいよ、と思い一応聞いてみる。
「ヒキマル先輩どうしました?」
「俺が……ディフェンスリフト……だ……と……ッッゥ!」
驚いた体勢から膝をついて項垂れた。
「……それに……君がモンキーを……出来るのか!?」
前髪の隙間から光るような眼光で見られた。この目は試合をしている時の目だ。
「僕にしか出来ないのであれば、千金を持ってやらせていただきます!」
「しんちゃん、大丈夫よ。コウちゃんどこでも出来るからね」
「話の腰を折らないでくださいよ……」
「あら、ごめんね」
ヒキマル先輩もまたいつもの様子に戻って飄々とどこかに行ってしまった。多分帰ったのだろうけれど。
「珍しく金盛が静かだな」
理由は何となく、さっき言われた言葉で察しがついてるけれど。と言うかそれ以外ありえないだろう。
「にょほほほほ。何の話しかでらわかんないけえ、うちかえるわ」
何弁だよ。と思いつつ、即座に逃げるように帰った金盛の背中を見送ってから振り返ると鞄があった。
全く。鞄忘れて帰るとか、アホかよ。
「雪芝先輩荷物お家の近くまで運びましょうか?」
結構な重量で、とてもじゃないが女性一人で持って帰れる量ではない荷物がある。これ見よがしに何かいやらしい事を考えている訳じゃないぞ。
「ふっふっふーん。今日は車を持って来ているので大丈夫よ」
鼻を高らかに上げて言う。可愛らしい。
「そうですか、どこのメーカーの車ですか?」
「えーとね、ハラックスのHC-906Nよ」
「珍しいメーカーですね。きっと先輩の事だから良い車なんですよね」
「そうでもないわ、軽いのが利点ね」
「軽自動車ですか。でしたら駐車場まで運べば大丈夫そうですね」
「これぐらい一人で大丈夫よ! お姉さんがひ弱に見える?」
「いえ、そう言うわけでは……女性に重たい荷物を運ばせるのはやっぱり心もとないですし」
「そう言う事考えるんだったら早くかなちゃん追いかけて、バック届けてあげなさい! ついでに抱きしめちゃえ!」
「決して抱きしめはしないです」
「ふぅん。じゃあもう口きかないよ?」
「それはずるいですよ」
「うふふ。まあ、ちゃんとかなちゃんの気持ちに応えてあげなさいよ、男なんだから!」
僕の気持ちは無しですか。とも返そうと思ったが、それはあまりにもガサツな返答だ。
「前向きに検討します」
そう言うとにっこりと笑って、早く行きなさいと鞄と僕を鍵型城から放り出した。
走って追いかけたが校内にはいなかった。仕方が無いので一度行った女子寮に行く。道中は走って汗をかくのもと思って歩いて行った。
そういえば、モンキーハンドボールの利点で汗をかかない所がある。手汗などは残るが、風で飛ばされるのだ。あれ、最初もそんな事を考えた気がする。まあ、そのおかげでバスケ部の時は手放せなかったタオルも今やほとんど使っていないのだ。だから持ってないので歩いた。
女子寮について寮母さんに事情を説明すると、インターフォンで四○二号室にチャイムを鳴らした。ほどなくして受話器口の声が聞えたので、挨拶をしたら部屋中の物をガチャガチャと動かしているデジタル音がインターフォンから聞こえて、しばらくしてから切れた。
寮母さんと世間話をして十分ほどだろうか、それから先ほどと違う服装をして金盛が出て来た。風呂上りの様で髪の毛がまだ濡れていた。
「ほれ、鞄」
「……ありがと」
俯きつつ答えた。
「髪濡れてんのな、タイミング悪かったか?」
「ううん、気にしないで」
「猫言葉忘れてるぞ」
「んにゃことないにゃあ」
「いつも通りが一番かわ……」
何も考えずに可愛いと言いそうになった。危ない、そう言えば真偽は分からないけれど僕の事を好きと思っているのであれば、過度な期待をさせかねない。
「……」
また気まずい空気だ。どうしよう、とりあえず目的は終えたし帰ろう。抱きしめるなんて事は僕には出来ないのだ。
「じゃあ僕、帰るわ」
「え? 上がってかないの? にゃ?」
「だってここ女子寮だし」
「はにゃ!」
忘れていたようで、自分でかなりびっくりしていた。
「くはは、やっぱりお前馬鹿だな」
「笑うにゃよぉ~」
「大丈夫、そう言うところは可愛いからさ」
余計な気遣いはやめよう、いつも通り接して何か行動を起こしてきたら僕が誠心誠意をもって本心を伝えればいいのだ。ちょっとだけ意識して見て行けばいいだけの事だ。
「にゃにゃ! じゃ、じゃあ頭撫でろ! 可愛いだろ!」
「自分で言ってたら様にならねえよ」
言いつつもちゃんと頭を撫でた。猫撫で声で嬉しがるのを見て、少し惚れそうになった。
僕って単純だな。




