第二章 インフォメーション (1)
両親の死を素直に受け入れられないジュンをナオミはやさしく慰める。そんなジュンえお同期の同僚の小宮山は、気晴らしにと誘う。
第二章 インフォメーション
(1)
ジュンは、何も手を出せないままに時間が過ぎていく自分自身に苛立ちを覚え始めていた。
「ジュン」
可愛い弟が決して見せない行動を目にするようになり始めたナオミは、気を休ませる為、近くにあるレストランにジュンをつれて来ていた。テーブルが三つしかない小さなレストランだ。
「お姉さん、僕は納得できない。あんなに見通しのいい直線道路で、左車線を走っていたお父さんとお母さんの車に右車線から来たトラックが左車線側に偏りながら横転するなんて」
少し言葉を切ると
「三車線の直線道路。トラックが横転して、左車線を走っていたお父さん達の車にぶつかるなんて。どう見てもおかしいだろう。警察が事故だとしかいわない。トラックの運転手は、死亡。お父さん達も死亡。作られすぎている。何かが」
必死に自分の思いを話すジュンの瞳に強い気持ちを感じながらナオミは、弟が、何か大変なことをしないかと心配になっていた。
「ジュン、私もあなたと同じ気持ちよ。でも何も分からないままに気だけ焦っても自虐に陥るだけよ。落ち着いて確実に自分自身が出来ることを見つめて。急いではいけないわ」
「お姉さん。僕は我慢できない。どんなに悔しかったか。お父さんとお母さんが。僕は絶対に原因をはっきりさせる」
目の前にあるワイングラスに入った、サンテミリオンのワインを口元に運ぶとゆっくりと口の中に漂わせて喉を通して行った。
納得がいかないままに、大切な姉の気持ちが理解できるジュンは、
「分かった。お姉さん。無理はしない。焦っても何も解決できないしね。確実に情報を集めながら、お姉さんと話しながら調べるよ」
優しい瞳をナオミに向けてほほ笑むと、もう一度ワイングラスを口元に運んだ。
ジュンは、ケネパル・フォーミュラに出社すると自分の研究室で仕事に没頭した。まるでいやなことを忘れるように。
ジュンが、反物質の組成に当たるリアルピンフォームを書きとめながら原子分解の投影写真を見ていると
「神崎」
そう言って肩を叩いた人がいた。
「小宮山」
肩を叩いた方に顔を向けると同期入社の男の顔があった。
「どうだ。今日は。そろそろ落ち着いただろう」
「ああ、まあな」
自分の心の中は、たとえ同期の仲のいい仲間でも片言も話すわけにはいかなかった。
「その顔じゃ、まだ整理できていないんだな」
パレートから顔を外すとジュンは、少しだけ遠くを見る目をした。
「仕方ない。俺には、理解できない深さだろうが、仲間として少しは気の晴れる時間を作れるが」
遠くを見る目をする同僚にほほ笑むと
「ああ、そうしようか」
そう言ってほほ笑みを返した。
「あっ、お姉さん。今日、小宮山とちょっと帰り寄る。・・・うん、そんなに遅くはならない」
コール先がナオミと表示されているスマホの終了をタップすると表示を消してスマホをポケットに仕舞った。
「悪かったか」
「いや、いい」
ナオミの切れるような顔立ちに美しい切れ長の瞳を思い出した。
「どうだ、進んでいるか」
「何がだ」
「研究に決まっているだろう」
「遅々として進まない。そもそも長いスパンの研究だ。俺が着任する前から行っていたことだ。すぐには解析できないだろう。まして、それを人工物として生み出すなど」
琥珀色の液体の真ん中に気持ちよさそうにあるロックアイスを見ながらジュンは、独り言を言うように言った。
「そうだな。俺も同じだ。遠い未来に実現するかも知れない時間に寄らない通信手段。普通の人が聞いたら“ライトノベルの見すぎだ”位にか思われない」
「だから、俺たちがいる。ライトノベルだろうがなんだろうが、俺たちが生み出そうとする者は必ず人類の明日へつながる技術だ」
ジュンは小宮山の顔を見ると自分のグラスを相手のグラスに軽く触れさせた。“カチっ”とう音がした。
自分のグラスを一気に空けると、まだ残っている氷の上に同じくらいの氷を入れるとジャックダニエルを注いだ。
それを見ていた小宮山も一気に飲むと同じようにグラスに氷を入れ、琥珀色の液体を注いだ。
「ところで」
言葉を切ると周りを気にする様に見た後、ジュンの耳に自分の口を近づけ
「ご両親の件は片付いたのか」
一瞬だけ、瞳を大きくするとすぐに平静を装って
「ああ、だいだいな」
軽く流す同僚を無視して
「俺は、あまり納得がいかない。お前の家のことだから、何も言わないが、あの直線道路で第二レーンを走っていたトラックが、なぜ左に。それに今時、国産車だって横転しただけで発火なんかしない。重保部品だぞ。素人だってわかる。まして日本の最高級車だ。」
本当に分からない顔をするとカウンター越しに見える夜景を見ているジュンの横顔を見た。
ジュンは、小宮山と別れた後、まっすぐに家に帰った。エレベータで昇りながら、腕時計を見ると、まだ九時前。そんなに遅くはないと思いながらマンションの玄関を開けた。
「お姉さん、ただいま」
「お帰りなさい。ジュン」
リビングの方から聞こえてくる落ち着いた声に“ほっ”としながら自分の部屋に行き、部屋着に着替えるとバスルームで手洗いとうがいをしてリビングに行った。
「ジュン、食事は」
「うん、小宮山と一緒に食べた」
「そう」
顔をそらしてほんの少しだけ寂しそうな眼をすると、すぐに元に戻して、可愛い弟の顔を見直した。
「お姉さん、今度の週末もう一度、あそこに行きたい」
しっかりと見ながら言う弟に
「いいわよ。でもなぜ」
行けば、苦しくなる心を思うとあまり、行きたくない思いもあった。
「もう一度、しっかり進行方向から見てみたい。納得いかないんだ」
「わかったわ」
そう言うとナオミは、ソファを立ってジュンに近づいた。ゆっくりと体を委ねるようにジュンの首に腕を巻きつけると自分の頬をジュンの肩に寄せた。
「お姉さん」
「ごめんなさい。でも少しだけ。少しだけでいいからこうしていて」
ナオミの言葉の意味が分かった。自分が“両親の事故現場にもう一度行きたい”という言葉に心がゆれたのだ。姉は、二九歳とはいえ、いままで恋らしい恋もしていない。少なくともジュンにはそう感じていた。それだけに心を添える相手がいないのだと思うと、ゆっくりとナオミの背中に手をまわした。
二人だけの緩やかな時間が流れるとナオミは、肩に寄り添っていた頬をあげるとジュンの瞳を見た。自分の顔をしっかりと瞳の中に映っている。
「ジュン、お願い」
それだけ言うと瞳を閉じた。
土曜の朝、二人は早めに起きた。首都高三号線は、まだ空いている。ジュンは軽くつま先を乗せるだけにしているアクセルをほんの少しだけオンにするとシートに体が押し付けられるように加速した。V8のストレートサウンドが心地よくシートの後ろから聞こえてくる。前方を見ながら右目で助手席に座るナオミを見るとほほ笑んでいた。
三号線を中心部向かって走る。高樹町を抜けて環状に入りスピードを巡航速度に落とすと、右レーンを我慢して走った。少して湾岸線のマークが見えると更に環状を外れ、大きく右にカーブしながら下るように走る。そしてまた、直線道路になる。
ジュンは、またアクセルをオンにすると、周りの景色が流れるように過ぎ去った。
左車線を大きく左の上がるように走ると東京湾ブリッジ。両側にきれいな景色が広がった。右目で助手席を見ると嬉しそうに景色を見ていた。これも過ぎると、やがて湾岸線に左から下るように入っていく。
ジュンは、速度を落として、八〇キロの速度で走りながら“じっ”と道路の起伏を見ていた。
事故現場に近づくと路側帯に一台の紺の車が止まっていた。大きな体の男が、事故現場方向を刺すように見ている。直感的に警察の人間だと分かると、速度を少し落としながらその男の横顔をみた。
“湾岸警察の小野寺”。忘れるはずがなかった。あれほどに何回も“再調査をしてくれ”と頼みながら、まったく無視していた男だ。“その男がなぜ”と思うと、自然と路側帯に車を停めた。
「お姉さん、このまま待っていて」
二人の乗るフェラーリは、運転席が左側にある。自動車専用道路のようなところで降りるには、都合がよかった。一度、姉の顔を見ると顎を引いて頷くとドアを開け、ゆっくりと車から降り、一度しっかりと小野寺を見た。
サングラスをしているが、見間違えることはなかった。ゆっくりと向かっていくと、こちらに気がついたのか、ジュンの姿を見た。
「小野寺さん、お久しぶりですね。どうしたんですか。こんなところで」
突き刺すようににらみながら近づくと
「神崎さんか」
少しの沈黙の後、
「今度、部署を変わることになった」
意味のわからない言葉を言う小野寺の顔を見続けると
「あれは、事故じゃない」
言葉を切るとジュンから視線を外すようにして
「だがなお前たちでは手の届かないことだ。ご両親には、気の毒だが」
ジュンは、体全体が熱くなってくるのを感じた。体全体で冷静を装いながら
「どういうことだ」
小野寺は、ジュンの厳しいまでの視線を受けながら
「俺自身もあの時は“おかしい”と思い徹底的に調査をしようとした。だが上から、それも警察署長よりもっと上から、ブレーキを掛けられた。“この件は事故だ。それで処理しろ。一切の考察、調査はするな”そう言ってすでに作られた事故調書を渡された。まるで、初めから決まっていた物語であるように」
言葉を切ると横を走る車の向かう方向を見ながら
「ご両親は、大きなプロジェクトに関わっていた。ご両親の考えがそのプロジェクトの方向に合わないがゆえに消された。細かくは何も知らない。俺が言えるのはここまでだ」
ジュンは熱くなりすぎた体が、少し冷えて来るのを感じながら
「なぜ、今僕にそれを言う」
「さっき、部署を変わると言っただろう。俺はもう湾岸警察警備隊から外れる。この件に関わったものは、すべて同じ扱いになる。だから、この目でもう一度現場を見ておきたかった」
ジュンの質問を外すように言いながら、言葉を区切ると
「路側帯は停車禁止だ。君たちだから何も言わないが、なるべく早く動かしてくれ。この時間なら、まだ仲間は巡回はしないがな」
そう言うと自分が立っていた紺の車に戻り、ドアを開けるとそのまま車を動かした。
ジュンは、その車のナンバープレートを記憶に停めた。ジュンの頭脳をすれば、車の色、車種、ナンバープレートを記憶に留めるなど容易いことだった。
車が見えなくなるのを待って、自分の車に戻った。
「ジュン、何を話していたの」
その言葉に姉のナオミの顔を見つめるとサイドブレーキを緩め、ブレーキに足を乗せながらキーを回した。
二人で両親の亡くなった事故現場に行くと見慣れぬ紺色の車が停まっていた。そしてそこに立っていたのは、湾岸警察署警備隊の小野寺だった。
いよいよ動き出します。次回をお楽しみに。