六章
私達は軽く夕食を済ませて今日のうちに地下へ向かうことにした。もしかしたら気まぐれで奴が住居を変えるかもしれないし、早めに行けば生活費を幾らかは取り返せるかもしれないと思ったからだ。武器を用意したいところだったが、バーテンはこの時勢に砂漠の中の一粒の白ゴマみたいに珍しく、店に武器を置いていなかった。しかし、上等な武器があったところで私には扱いがわからないし、そんな戦力を必要とする案件ならば私にはどうにも出来ないのだから、わざわざ武器を調達する必要はないように思えた。私はポケットに手を入れて銃の感触を確かめた。銃はいつもと同じように冷たかったが、恐らく数時間以内に温まるだろう。ポケットから拳銃を出し、構えてみた。手は少し震えていたが、だんだんと収まっていった。
「これはまあ…ずいぶんと…イカしたアンティークだね」準備を終えた彼が私に話しかけた。
「しょうがないだろう。親が私に残してくれた財産はこれくらいだったからな」私は銃をポケットに戻して言った。彼は防弾ベストを着ていた。ホルスターにはグロック19が収まっていた。恐らくは企業の支給品だろう。他にもタクティカルライトやその他必要と思われるものを装備していた。黒いマスクや赤いマントを着用せずとも、彼は十分に正義の味方に見えた。対する私はどうみてもチンピラ、映画なら銃を抜く前に頭を撃ちぬかれているだろう。物語の主人公というものは容姿が良くなければどうしようもない。容姿の悪いアクション映画の主人公は冷たい床の上に眠る事になると相場が決まっている。それを避けるには物語の主役など望まずに、三枚目で妥協するのが一番だ。
「君もこれを使うかい?」彼は防弾ベストを指差しながら言った。
「やめておく、生兵法は大怪我のもととはよく言ったものだ」私はおんぼろドアをゆっくり押して外に出た。バーテンは私たち二人の幸運を祈る旨の言葉を言った後、奥の部屋に消えて行った。さっきは気が付かなかったが、傘を差すほどではないが小雨が降っていた。振り返ると彼は防弾ベストの上からコートを着ていた。傘は恐らく邪魔になるであろう事を見越して持っていかない事にした。地下は私かそれよりも貧しい人が住む場所であり、
車で向かうには向いていなかった。私たちは小雨の中を歩いていくしかなかった。電灯はぼんやりとした明かりを私たちに投げかけていた。これから行く場所はそんな淡い光さえ届かない闇の中だと思うと一瞬怖気づいたが、光はどんな場所にでもあるはずだと信じる事で恐怖は立ち消えた。
犯人の潜伏している地下への入り口への道は実に険しかった。彼曰くビルとビルとの間にあるらしく、通り抜ける際に今まで一度も掃除された事のないであろう壁に密着せねばならなかった。元からぼろだった服を更に汚しながら進んでいくと、行き止まりの辺りの地面に金属のドアがつけられていることに気が付いた。先に進んでいた彼はライトをつけてから、取っ手に手をかけて、地下への扉を開いた。私は彼の横で拳銃を構え、銃口を穴の中に向けていた。中に光源は一切ないらしくライトがなければ中を見通すのは難しそうだった。中の様子を確認したが、今の所人の気配はなかった。いちいち入り口の見張りをするのは映画の中の悪役か、現実の大企業だけなので、いきなり撃たれるという可能性はほとんどないと言っても良かった。私達は備え付けられていた梯子で地下へと降りた。彼がライトで周りを照らしてみると、思っていた場所とは違う事に気が付いた。
「ショッピングモールに来るはずじゃなかったか?」私は辺りを警戒しながら彼に尋ねた。
「いや、ここは違う。正規の入り口から行ったら何があるかわからない。僕達がいるのは昔に建設関係者が使っていた場所さ」
「なるほど、綺麗な場所を一つ作るには、汚い場所が百個必要というわけか」足元には穴の潰れた螺子やずっと昔に捨てられた空の弁当箱などあらゆる不要物が散乱していた。降りてから聞こえてくる物が動く音は、恐らく鼠か、人類史上最もタフで最も嫌われた虫が立てているものだろう。確認したところで不愉快になるだけなのは目に見えていたので、足元に目を向けるのは止めることにした。次に彼は壁にライトを向けた。どこにでもある精神を病ませるコンクリートの壁だったが、あるところだけ黒いシミが広がっていた。近くで確認すると、わかりきったことではあるがそれは血のようだった。古い物のようだったので私たちには関係のないことではあったが、それでも私の想像力を掻き立てずにはいられなかった。一体誰がショッピングモールの建設ごときに犠牲が伴っていると考えるだろうか。あってもなくても良いもの、そんな物のために人が死んだ。しかし、ここに客としてくる人たちはそんな事にも全く気づかず、ある人は友人と、ある人は家族と、またある人は恋人と煌びやかな通りを堂々と歩いていく。もしかしたら裏で行われていることに気が付く人がいるかもしれないが、そんな事は我関せず、どうだっていいと思っているだろう。生きていくには誰かを犠牲にするしかないのだ。それを認識するかしないかは人による。ただ、この悪趣味な施設は後者のためのものだろう。
「先を急ごう」彼が私の肩を叩いた。私は気が付かないうちに歯軋りをしていた。
「先なんてあるのか?」私は壁に向かって話しかけた。