五章
目を開けると少し離れたところに彼が座っている事に気が付いた。仕事はとっくに終わっていたらしい。部屋は明かりがつけられていて、それがまぶしくて目が覚めたようだった。どうやら私は眠ってしまっていたらしい。窓の外は既に闇に閉ざされていた。身体を起こして周りを見たが、相変わらず店に客はいなかった。いったいどうやってこの店を経営しているのだろうか。
「おはよう、この場合のおはようは『思っていたより起きるのが早かった』という意味をこめたおはよう、だよ」私が起きた事に気が付いた彼はこちらに話しかけてきた。
「すまない、一仕事終えたら眠くなってしまってね」
「その一仕事の内容を聞かせてもらいたい」
「まあ待ってくれ、喉が渇いているんだ」私は立ち上がってカウンターに行きバーテンに何か飲み物を作ってもらおうとしたが、彼に静止された。
「悪いが今日は酒を飲むのは止めてくれ。仕事が関わっている時には酒は単に邪魔になるだけだ」彼は私の目をまっすぐ見て言った。私は思わず目を逸らした。バーテンは酒の代わりに水の入ったグラスを差し出した。
「最上級の水道水だ。ここ以外のバーじゃ絶対に出てこない代物だ」バーテンは酒の代わりに水の入ったグラスを差し出した。
私は軽く礼を言ってから一口飲んだ。あまり贅沢は言えないが、カルキ臭かった。私は彼のほうに向き直って今日の収穫を話す事にした。
「バーテンはあいつらが何者かは知らなかったが、腕に刻まれている悪趣味なマークには気づいたようだった。親切なバーテンが絵を描いてくれたよ」私は彼にくちゃくちゃになった紙を手渡した。
「これは…ええと、何だろう…。分かった、こいつはUMAだ。あいつらは宇宙人と同盟していて、君をさらってスペースニンジャにでもしようとしていたんだ」彼は真剣な顔で冗談を言った。
「宇宙じゃ手裏剣は使えんぞ。それは恐らく猿だろうな。俺が分かったのは残念ながらこれだけだ」
「分かった。だが君の調べた事は捜査に大きく貢献しそうだぞ、ワトソン君。僕が調べてきたのはこれだ」彼はカバンから、書類の山を持ち出した。彼は私の話で何かに気づいたようだった。書類の一つを拾い上げて見ると、そこにはここ最近起こった軽犯罪の容疑者と、防犯カメラで撮影された犯人の顔が写っていた。
「いいのか?こんなものを持ち出して」私は顔の前で書類をひらひらさせて尋ねた。
「いいのさ。どうせ誰一人まじめにこの仕事をしようなんて思っていない。それだったら僕達で有効活用したってお咎めはないだろう」彼は書類の束の中から何かを探しながら答えた。私はその間何枚か手に取った書類の内容を読んでいた。どの容疑も窃盗や詐欺ばかりで、殺人は一つもなかった。しかし、殺人は朝起きてあくびをするように毎日起こっている。恐らくは企業にとって犯罪に当たるのは資産に影響を与えるものだけで、労働者が一人死のうと百人死のうと、代替出来るのだからそれは犯罪にはならないという事だろう。
「見つけた、こいつを見てくれ」彼は書類を手渡した。写真にはいかにも犯罪者いかにも悪人といった風情の人間が写っていた。色は黒くスキンヘッドでラフな格好をしていた。もっともこいつより悪い人間はたくさんいるし、そういう人間は容疑者にはならないだろうが。
「こいつの腕のところを見てくれ。これ、猿じゃないか?」私は言われて写真の男の右腕を見た。なるほど、画質はかなり荒いが、それは確かに猿のようだった。書類の経歴は特に目を見張るものはなかった。どこにでもいる、普通のドロップアウトした非正規労働者だった。この男の容疑は強盗だった。ケチな犯罪ではあるが、常習犯らしい。
「まさかこんなに簡単に見つかるとはね。とはいえ、こいつがどこにいるのかはわからないが」私は書類に目を通し終って言った。
「ところがどっこい、こいつはもう捕まえたも同然なんだ。同僚にこいつについて詳しく聞いてみたら、犯行後こいつは数人のホームレスに目撃されていて、その話によれば昔、ある企業が限られたスペースを有効に使うため、地下にショッピングモールを作ろうとしたんだ。しかし、資金難から計画は頓挫。現在は廃墟として家なき人が占拠しているらしい。こいつはそこに向かって逃げていったそうだ。警備の連中はこれを知っていたけど、『こんな場所』に行くのは御免だと言って手をつけなかったらしい」彼はうんざりした顔で言った。
「事が都合よく進みすぎて怖いんだが、つまりはこういうことか?『私達は犯人を追い詰めた』」私はあまりの展開の速さについていけてなかった。バーテンからもらった水を一気に飲み干して彼を見据えた。
「そういうことになるな。後は僕と君のどっちがローンレンジャーで、どっちがトントかを決めるだけさ」彼は口元に笑みを浮かべて言った。目には冒険への期待と、正義を遂行しようとする強い意思に燃えていた。
「私はトントでいい。こっちの方がふさわしいし、何よりも黒いマスクをつけて外を歩けるほど私は自惚れていない」