四章
「起きてくれよあんた」誰かが私を揺すっていた。ゆっくり目を開けるとそこにいたのはバーテンだった。どうも私は酒を飲みすぎてそのまま店で寝てしまったらしい。彼は既に目を覚ましていて朝食を食べていた。なんの変哲もないサンドイッチだったが、少なくとも普段の食事よりはいいものに思えた。彼は私が目を覚ましたことに気が付くと、今日の予定を話し始めた。彼は会社に出勤して、そこで彼らの犯行と思わしきものをリストアップすることにした。私の方では自分が襲撃されたバーに行って聞き込みをしてみることにした。彼は既に身支度を済ませていたので、私はバーテンの御厚意でゆっくりとシャワーを使うことが出来た。こんなに長い間シャワーを浴びていたのは数年ぶりだし、身も心も洗い流されるようだった。服はバーテンのものを借りることにした。シャワーを終えて、私はあの忌まわしいバーに向かうことにした。幸いバーは閉店していなかった。ドアを開けると、バーテンは客だと思って私の方に目を向けたが、この間の銃撃戦の元凶になった男だと気づくと、露骨に嫌そうな顔をした。
「何のようですかねぇ。別に貴方に店の修繕費を請求しようなんて思っちゃいませんが、まさかまたトラブルを持ち込もうとしているんじゃないでしょうね」
「いやいや、そんなつもりはないですよ。今日はこの間のお詫びにやってきたのですよ。とはいえ、私には損害を賠償するための、お金を持っていません。そこでこの間の私の頭を西瓜みたいに扱った奴らを捕まえて、金を払わせるなり、こき使うなり、貴方に償いをさせたいのです」
「それは、構わないですけど…で貴方は私に何をして欲しいんです?」
「流石話をわかっていらっしゃる。私を襲った奴らの情報が欲しいのです。彼らについて知っていることがあったら些細なことでもいいから教えてください」
「些細な事と言われても…彼らはこの店に数回来ただけだから大した情報は…」
「どんなことでもいいんです。何か思い出せませんか?」
「そうは言われても…」バーテンはしばらく考え込んでいたが、ふと何かを思い出したようだった。
「そういえば、あいつら全員同じ刺青をしていたような…」
「それはどんな形でしたか?」私はややくい気味に尋ねた。
「ええと…ちょっと紙を取ってきますね」バーテンは店の奥に一旦引っ込むと筆記用具と紙を持ってきた。バーテンの絵はなかなかに前衛的だったが、辛うじて猿であることが判別できた。なるほど、奴らにはふさわしいマークだ。
「ありがとうございます。また何かあったらここに来ます。」私は丁重に礼を言った。
「次に来ることがあるなら問題が解決したときだけにして欲しいですね」バーテンは視線を私から外しいかにも期待していなさそうに言った。
予想以上に上手く行っている事が私は少し不安だった。いくらバーテンが人間観察に長けているとはいえ、常連でもない客の特徴を正確に把握しているなんて、ご都合主義のような幸運は今までの私の人生にはないことだった。もしかしたら今回の事をきっかけに運が私に回り始めているのかもしれない。朝は二日酔いの影響もあってか、気にしていなかったが、この日は珍しく晴れていた。こんな日はただなんとなく歩いているだけでも楽しいものだ。いつもは灰色に見えていた街もよく見るとアスファルトの隙間から緑が覗いていた。酒を買って帰ろうかと思ったが、今の私には特に必要なものではなかった。
私はのっぺらぼうのバーに昼ごろに戻っていた。バーテンは太陽が真上にある時間なのに寝入っていた。当然彼もまだ戻っておらず、私は手持ち無沙汰になっていた。しばらく何も考えずに等間隔で時を刻んでいる時計を見つめていた。時計というものは部品が錆びて壊れる最後の日までわき目も振らずに振り子を振り続ける。時計に意思はない。時計は作られたその瞬間から時を刻み始める。だが果たして時を刻む事に何の意味があるだろうか?ほとんどの人が時間を知るために必要だというだろう。しかし時間を知る事の価値を誰も認めなくなったら話は変わってくる。時計はただ左右に振れるだけの玩具になる。それでも、時計は時間を刻み続ける…。