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三章

差し込んできた日の光が私を目覚めさせた。昨日どうやって眠りに付いたのか全く記憶にない、そして自分が今どこにいるのかも全く分からなかった。私は今ベッドの上にいて、特に拘束はされていない。ベッドの材質は宿のものよりも大分いい。そこまで考えた辺りで後頭部からじんわりと痛みが広がり始めた。だんだんと痛みは耐えがたいものになって行き、無意識に唸り声を上げていた。とりあえずもう一度横になって休もうとしたが、それも出来そうにはなかった。しばらくの間一人で唸り声を上げていたが、足音が部屋に近づいている事に気が付き、私は声を出すのをなんとか堪え、ポケットから銃を出そうとした。しかし、銃はもうポケットに入っていなかった。入っていたのは昨日購入したばかりの本だけだった。足音がだんだん大きくなっていたが、私には防衛をするための手段がもう残されていなかった。頭の痛みは未だ治まらず、この状況では相手が丸腰でも到底敵いそうになかった。どう考えても今日は死ぬには良い日ではなさそうだったが、いまさらどうすることも出来ない。私は足音が聞こえてくるドアの方を凝視した。数秒後白いドアを開けて、真新しい白いシャツを着た、30代くらいの白人の男が部屋に入ってきた。

「やあ、調子はどうだい?」彼は私に話しかけた。

「頭が割れそうに痛い。ここはきっと天国だな?」私は尋ねた。

「それだけ喋れるなら大丈夫そうだ。水を飲むかい?」

「要らない。何が入っているかわからないし、そもそも私は貴方が敵なのか味方なのかもわからない」

「世の中の全ての人間が敵と味方に分けられるとは考えないほうがいい。僕は昨日酒場で倒れた、というより殴り倒された君を助けた」

「続けて?」

「貴方は昨日セブンズヘブンというバーでかなり酔っていた。帰るときに、君はかなり多めの額をバーテンに支払った。運が悪いことに君は同じバーで飲んでいた素敵な紳士方に目をつけられた。こんな場末のバーにこんなに金を払えるなら、こいつはきっと金持ちに違いない、ってね。君は帰ろうとするときに彼らに声をかけられたが、それを無視して帰ろうとした。それに逆上した彼らは銃のグリップで君の後頭部を……ガツンとやった」彼は殴りつける動作を真似しながら更に続けた。

「そこからはもう大乱闘さ。僕はその場にいたから銃を抜いて彼らを威嚇しようとしたが、彼らはそのまま銃をこっちに向けて発砲してきた。でも所詮酔っ払いの撃つ弾なんて当たりはしない。僕はカウンターに身を隠しながら彼らと銃撃戦を始めた。バーテンはすぐに奥に引っ込んで行ったよ。彼らのうちの一人が貴方の内ポケットに入っていた金を持って行ったよ。それから彼らは逃げ出した。僕も店の修繕費を請求されちゃたまらないから逃げ出そうとしたけど、このまま倒れている貴方を置いて逃げたら、店の人はここに倒れている人にとりあえず費用を請求することになるんじゃないかと思ったから、君を担いで自分の家まで戻ってきた、というのが話の顛末さ。何か質問はあるかい?」

「君は撃ち合いで何人仕留めたんだ?」

「何を言ってるんだ、酔っ払いの撃つ弾が当たる訳ないじゃないか」彼はそう言って少し笑った。私は彼の言葉を聞いてから一瞬空いて、大きな声で笑い始めた。何もかもがおかしくてしょうがなかった。内ポケットに入れておいたのは生活費の方だった。私の笑い声はなおさら大きくなった。彼のほうは最初だけ呆気に取られていたが、そのうち彼も一緒に笑い出した。なんとなくいい気分だから金を多めに払ったという理由で生活費を全部失ったのも面白かったが、それよりも彼の人柄の方が面白かった。知らない人間のために銃を抜く精神性もだが、彼の軽口や、清潔さ、裏表のなさそうな性格が私には心地よかった。そしてそんな人間との出会いが、最悪の時と同時に訪れたのが面白くて仕方がなかった。私達はしばらく笑った後に自己紹介をした。

「あそこは僕の行きつけの店だ。僕は昔からあそこによく通っていたよ。まあ、しばらくあの店には顔を出せそうにないけど」彼は自己紹介が終わった後で私に言った。

 「それは申し訳ないことをした。私もあのバーの雰囲気は気に入ったし、あんなことさえ起きなければまた行く予定だったんだが」

 「それなら問題はない。僕は馴染みの店を他にもいくつか持っている。どうだい、これから一杯付き合わないか?僕が紹介したいバーはこの間の所よりずっといいよ」

 「そうしたい所だが、君は忘れているかもしれないけど私は有り金をほとんど丸ごと奪われてしまっている。そして何より私は非正規労働者だ」

 「ああ、あまりにもどうでもいいことだから忘れていたよ。僕は君をちょっとしたパーティーに招待したいんだよ。そして君はゲストだ。別に金を払う必要はない。それからパーティー会場で、新自由主義と永遠の労働に乾杯と叫ぶんだ」彼は皮肉な笑いを浮かべて言った。私は彼の提案に乗るかどうか考えていたが、断ったところでどうせ食べ物を買う金もないし、宿主に説教をされるような気分でもなかった。

 「よし、君の提案に賛成しよう。但し一つだけ条件がある。私の後頭部を守るボディーガードをつけてくれ」

 「分かった。君の後頭部の安全は僕が保障しよう」彼は笑って言った。気が付くと頭の痛みは大分和らいでいた。


 私たちが着いたのは今まで見た中で最もくたびれたバーだった。看板が取れてしまったのか元からないのか、店の名前を示すものがどこにも見当たらなかった。ドアはフィルムの中でしか見たことのないスイングドアだった。これで風に吹かれたタンブルウィードが転がっていたら完璧だっただろう。だが現実に転がっているのはただの綿埃だった。ドアを開けて中に入るとそこには予想通りの光景が広がっていた。カウンターの上には雑然と安い酒が並んでいた、清掃も一週間に一回やっているかどうかというところだろう。客は私たち以外にいなかった。非正規労働者とはいえ昼に酒を飲める程の暇は普通持っていなかった。バーテンの着ているシャツは既に昔の面影が残らないくらいに黄色く変色していた。黒い髪の毛は側部しか残っておらず、口元のちょび髭がバーテンから漂う陽気な雰囲気を強調させていた。後ろから入ってきた彼に気づいたバーテンは私たちに話しかけ始めた。

 「よう久しぶり、今日は珍しく友達も一緒かい?」

 彼は私を紹介した。その間バーテンは私を観察していた様子だったが、私が一文無しになった話を聞くと笑いを堪えた顔になった。流石に初対面の人の不幸を笑うのは失礼だと考えたらしい。

 「私は金を盗まれてなんかいない。彼らがあまりにも可哀想だから金をやったのだ。私は慈善家なのさ」私は大げさに見栄を張ったそぶりを見せて答えた。

 「それじゃあ頭をぶん殴られるのも慈善事業のうちの一つかい?」彼は口の端に笑みを浮かべて言った。この言葉でバーテンはついに堪えきれなくなって噴出した。それを見た私たちも同時に笑い始めた。三人の大笑いはしばらく納まらなかった。

 「すまない、あんまりにも面白かったから立場を忘れて笑ってしまった。お詫びに今日は私の驕りにさせてもらって構わないかな?だからといってあんまり高い酒ばかり飲むのはやめていただきたいが」バーテンは軽くむせながら私たちに話しかけた。

 「私としては全然構わない。なんせ無一文なものでね。そして私は高い酒なんて飲んだことはないが、それでもここにある酒は全て知っている」私は答えた。バーテンは一瞬間をおいてから私の言葉を理解したらしく、フン、と鼻を鳴らしてからバーボンを手に取りカウボーイというカクテルを作り始めた。氷を入れたグラスにバーボンを注いでから牛乳を注ぎ、最後に砂糖を少し入れて完成だ。私はバーテンから酒を受け取り一口飲んだ。美味い。牛乳が入っているため口当たりが滑らかでいい。

 「失礼かもしれないが一つ聞かせて欲しい。君が住んでいる家は企業に所属している人間でなければ住めないはずだ。つまり君は正社員ということになる。しかし、今私たちが飲んでいるバーは非正規雇用の人間でも利用できるものだ。何故君は正社員用の店に行かないんだ?」私は彼に尋ねた。

 「僕は正社員用の店が好きじゃないんだ。みな気取っていて、本音で物を話さない。どうして酒を飲んでいる時まで彼らは自分を隠すんだ?」彼は表情に少し憂いを浮かべて言った。

 「わからないさ。なんといっても私は非正規雇用の人間だからね。言える事は、自分を嘘偽りなく曝け出すことはとても難しい。それが出来る人間はそうそういないということだ」

 「君はどうなんだい?」

 「さあね、ただ少なくとも私は正社員でもなければ、正社員になれるとも思っていない」

 「僕だって一応正社員なんだけどね。だからって僕は自分を曲げないし、どんな場所でも僕は闘い続けるよ」

 「君が羨ましいよ。」私はそう言って残っていたカウボーイを一気に飲み干した。


 私達はその後もバーテンに作ってもらった酒を飲みながら語り合った。外では陽が傾き始めていた。大分酔いが回ってきて口数が減ってきた頃に、彼は私に話を持ちかけてきた。

 「君の金を盗んだ連中、僕達で捕まえてみないか?」

 「おいおい、正気か?私達はホームズでもなければマーロウでもないんだぞ。まず手がかりが私たちにはないじゃないか。」

 「それなら問題ない。あそこの店のバーテンに話を聞けば何か分かるかもしれない。何よりあいつらみたいなのは何処に行っても似たような事をしているに決まっている。彼らが入れる店は限られている。必ず見つけられるさ」

 「そうかもしれないが…。君の仕事はいいのか?」

 「大丈夫、僕の仕事は企業の警備部だ。チンピラの対処をするのも僕の仕事の一つさ」

「うーん…」私は考え込むふりをしていたが、実際には血中アルコール濃度が上がりすぎて何も考えられていなかった。この時の私には金が手に入ることと、いつもの仕事よりは世のため人のためになりそうだということしか考えられなかった。私は首を縦に振ると、彼に握手を求めた。彼はすぐに手を握り返してこう言った。

 「よろしく頼むぜ、相棒」

 

 


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