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終章

 私は左手をポケットから引き抜き、一冊の本を取り出した。

 「この本を君にあげようと思ってね。二都物語というんだ。こないだ一人でさっさと帰ってしまったお詫びだ。受け取ってくれ」そう言って私は彼に本を手渡した。彼は当惑していた。まるで私が右手を抜くことを期待していたとでもいうようだった。私は何も言わない彼の手をしっかりと握った。

 「私の用事はこれで終わりだ。さようならだ。近いうちにまたあの名無しバーで飲もう」私は踵を返し、階段のほうへと向かった。階段には光源がないため、本当だったら気をつけて歩かねばならなかったが、今の私にはそれはどうでも良い事のように思えた。ドアノブに手をかけようとした瞬間、後ろから轟音が響き、足元のコンクリートがはじけた。驚いて振り返ると、彼がホルスターから銃を抜いて立っていた。

 「待てよ」彼は言った。「僕はまださよならを君に言っちゃあいないぜ」彼の声は怒りで震えていた。

 「悪かった。それなら君がさよならを言うまでここで立っているよ」私は頬の筋肉のこわばりを感じながら微笑んだ。彼はもう一発私の足元に撃った。どうやらさらに怒らせてしまったらしい。

 「君は腰抜けだ。君は今僕の前から逃げようとしている、永遠にな」彼の目は真剣だった。

 「君が言いたい事がわからない。さっきバーに行く約束をしたばかりじゃないか」私の頬に冷たい汗が流れた。

 「あれは嘘だ。君は僕に二度と会うつもりなんてなかったんだよ」彼はそういいながらこちらに向かって書類の束を投げた。それは私が取り忘れた殺害依頼の残りの資料だった。

 「僕を殺害する依頼が出た事はある人物が教えてくれたよ。だが誰が僕を殺しに来るのかまではわからなかった。dも、君が私に会いたがっている話を聞いて、誰が僕の命を奪うのか直感でわかったよ。君はここに僕を殺しに来たはずだ。それなのに君はこんな本を渡して、ここから去ろうとしている」

 「別にいいだろう。君だって死にたくはないだろう?」

 「当たり前だ」

 「なら」私は言葉を続けようとしたが、彼の怒声によって遮られた。

 「自己犠牲に酔うな!君のやろうとしている事は誰も救いはしない。ただの自殺だ!」

 「違う!私は…」私は二の句を次げなかった。

 「君は戦いから逃げたがっているんだ。闘争からの逃避を、君は自己犠牲という耳あたりの良い言葉に摩り替えたんだよ」

 「私はもう闘いたくないんだ!頼むから私に君を殺させないでくれ」急に喉が渇き始め、胃袋は二日酔いの時のように私を苦しめた。

 「君は一度も闘ってなどいない。君は何かを選んだつもりになって、ただ流されるように生きて、そしてままならない人生に不満をぶちまける」

 「君に何が分かる!」私は叫び声を上げた。

 「分かるさ!僕だって昔はそうだった。でもある日僕は自分を変えたんだ。その日、僕はこないだのショッピングモールに向かっていた。君と同じような、いやそれよりももっと後ろめたい仕事のために。数日前と同じ道を通って私は目的地に向かった。僕の仕事はダクトに時限式の神経ガス爆弾を設置する事だった。いずれ来る完成の日に合わせて、それは爆発し、何の罪もない家族や友人、恋人達を殺す。それが僕の仕事だった。僕はその爆弾を設置して帰った。その晩、僕は眠る事が出来なかった。ひたすら罪の意識に押しつぶされそうになりながらも、僕は考え続けていた。そして朝が来た時、私の心は決まった。もう一度ショッピングモールに行き、神経ガス爆弾を回収したんだ。そして、僕は依頼のときにつけた爆弾が爆発するまでの間に、バーテンと協力して依頼主を探しだし、解除コードを吐かせたんだ。僕は何とか生き残る事が出来たけど、このままでは依頼主の追っ手に殺されてしまうだろう。だから僕は依頼主と競合している会社に行き、警備部隊に入れてもらうように頼んだんだ。どこかに所属していれば表立って僕を殺す事は出来ない。勿論僕は追い返されたけど、絶対に諦めなかった。それを何度も繰り返すと、ある犯人を捕まえてくれば、入社を許可する事を伝えられた。僕は一週間ほとんど寝ずに犯人を追いかけ続けて、ついに捕まえた。僕はそこの会社に何とか入る事が出来て今に至るという訳だ」彼は一気にまくし立てた。

 「それが何だって言うんだ?君はずいぶんと長々とご高説を垂れてくれたが、結局私と何が違うって言うんだ?」客観的な自分が、冷静になるように言い聞かせていたが、私は止まる事が出来なかった。

 「違うよ。君は生きる事を諦めていると思いながら、もっと深いところでは生きようとしているんだ」

 「何故そんな事がわかる」

 「ポケットだよ。君は両方のポケットに何かを入れている。左は本だった。そして僕の推測では右は拳銃だろう。もしも選択を終えて決心しているなら、君はどちらかを持ってくればよかったんだ。それなのにそうしなかったのは、君がこの場に来るまで何も決められず、結局はその場の成り行きでどちらを出すか選ぼうとしていたからだ。違うか?」

 私は答える事が出来なかった。感情は彼の言っている事を根拠のない推論だ糞ったれと思っていたが、理性は彼の言う事をほとんど全部認めていた。

 「私にどうしろって言うんだ…」

 「生きようとするんだよ。死へと向かう精神なんてもの僕は認めない。生きることを前提として、行動を選択するんだ。死ぬとしたら、それは生きるための死でなければならない。もしかしたら僕は間違っているかもしれない。だけど、今の僕はこの自分を正しいと思っている」彼の目には情熱と冷静、優しさと厳しさが混ざってアラベスクを作り出していた。

 私は彼の目をまっすぐ見る事は出来なかった。心臓は動悸を起こし、息は上がっていた。肋骨は臓器に刺さっているのではないかと思われるほど私を痛めつけた。一日以上何も食べていない胃は、鈍いが我慢の出来ない痛みを私にもたらした。私は深呼吸をして、右のポケットから拳銃を取り出し、彼に向けた。

 「こんな事はしたくなかった」私は言葉を搾り出した。

 「僕も同感だ。でもね、それでも人は闘い続けなければいけないんだよ」彼の声は哀愁を含んでいた。

 「ありがとう、そしてさよならだ」

 「こちらこそありがとう。楽しかったよ。さようなら」

 二人の間を冷たい風が流れた。私の手は震えていた。恐らくこれではまともに狙えないだろう。それでも私は銃口を彼に向けた。

発砲はお互い同時だった。私の撃った弾は見当違いの方向に飛んでいった。彼の放った弾丸は私の右肩を貫いた。私はもんどりを打って倒れ、拳銃を落とした。彼は私に追い討ちをかけるために近づいた。彼は私を確実に始末できる距離に入ったところで、私の拳銃を蹴り飛ばした。倒れた私の頭にとどめの鉛玉をプレゼントしようとしていたが、私は力をふりしぼって跳ね起き、銃口を逸らした。彼は何とか発砲しようとしたが、私が下から腕を突き上げているため、弾丸は私の頭よりかなり上に飛んでいった。左腕で彼の顎に掌底打ちをかまし、揺らいだ所で彼の腕をそばの鉄骨にたたきつけた。彼の手は拳銃を離した。彼はすぐに意識を安定させ、左手で目潰しをしてきた。私はそれを回避する事が出来ず、視界を失ってしまった。どこから攻撃してくるかもわからず、私は何も防御をする事が出来なかった。彼の連撃は私の急所を正確に捉え、更にふらついたところで、恐らくは蹴りで私を吹っ飛ばした。私は受身を取る事も出来ず、頭を硬い何かに思い切りぶつけて倒れた。なんとか意識を保とうとしたが、ダメージの蓄積で立ち上がることも出来なかった。彼は恐らく拳銃を拾っているだろう。私は這って逃れようとした。

 「終わりだ。僕は今君に向かって銃を向けている。君はしばらくは動けない」彼の声は平坦で極めて冷静だった。

 「やれよ。最後の最後くらい自分で決められて良かったよ」私は消え入るようなか細い声で応じた。だが、私の最期の時は訪れなかった。代わりに重いものが落下する音と、何かが潰れる音がした。私は何が起きたか理解するため何とか前を見ようとした。視力は完全に回復してはいなかったが、薄ぼんやりとなら見る事が出来た。屋上には鉄骨の数が増えていた。その鉄骨の下から赤い液体が流れ出ていた。私は何が起きているのか理解できなかった。完全に視力が回復するのを待ち、私はその鉄骨に向かって這っていった。手で液体に触れてみるとそれは新鮮な血だった。そして鮮血は鉄骨の真下から流れていた。鉄骨の上にはクレーンがあったが、良く見るとワイヤーが切れてしまっていた。恐らく先ほどの数発の発砲のうちの一つが偶然にもワイヤーをかすめ、半分切断していたのだろう。そして耐え切れなくなったクレーンは鉄骨を手放したのだ。頭がだんだんはっきりしていくにつれ、私はある事を理解し始めた。私は生き残り、彼は死んだ。不思議と涙は出てこなかった。私はうつぶせのまま動かなかった。後頭部に何か冷たいものが落ちるのを感じた。だんだんとそれが増えていくのに気づいた私は、全身全霊の力をこめて寝返りを打った。冷たいものの正体は雨だった。またしても、雨が降っていた。私は目を閉じた。雨は一晩中、私に降り注ぎ続けた。


 とある企業のとある部屋で、一人の男がもう一人の男に銃を向けていた。銃を持った男はとてもみすぼらしい格好をしていた。銃を向けられている方の男は何やら弁明の言葉を繰り返していたが、銃を持った男は引き金を引いた。手は震えていなかった。処刑を済ませた男は、部屋の中にあるレコードに目を向けた。男は一枚のレコードを棚から取り出してかけ、この部屋を去っていった。誰もいなくなったこの部屋で、Carry  that  weight が流れ始めた。


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