詩人の密薬④
私は夢を見た。しかし、どんな夢なのかと問われたら、きっと私はそれを説明できない。夢など、そもそもそういう性質のものだとも思うのだけれど。
この夢の中はとても心地がいい。地面はたいそうやわらかくて、まるで綿菓子か何かみたい。重力の実感がない。空気の実感がない。ここはまさに、夢の世界だ。
景色はコマ撮りされたかのようにぎこちなく流れている。そして世界はセピアがかったフルカラーで、いつもの夢と同じ色。そして、私が立つのはまたいつもの――どこかの都会の真ん中にある大きな噴水公園を見下ろす高台だ。ここが一体どこなのか、私は知らない。けれども、ここと似たような場所は私の夢によく出てくる。それも病気が今のようにひどくなるより前の、子供のころから。よく判らないけれど、きっと私の心に住み着いている何かが、この景色を見せているのだろうなと思う。
私はいつものように噴水公園を俯瞰している。ここはずいぶん高い場所。地平線の向こう向こうまできれいに整列している数噴水の数々や、光沢のある灰色タイルの遊歩道も、きっちり難なく見渡せる。
意識は、非常にクリアだ。これも、私の夢の大きな特徴。こんな噴水の夢を見るときは、不思議と自由が効く。こういう夢を何と言うのだったか、まあ、それも些細なことだ。難しい言葉なんか知らなくても生きていける。実際、私は言葉なんかめったに発しない。それでも、こうやって生きている。
そういえば、これは誰?
私はまず「自ら」を確認した。うん、今日の「自分」も、昼間と同じ私自身で間違いないみたい。
じゃあ、この景色を見下ろす視点はどこにあるの?
――なるほど、自分の目線だ。ときどきどこか遠くに離れていってしまうけれど、基本的には昼間とあまり変わりがないみたい。
着ているものは普段着にありそうな、だけど知らないワンピース。季節に合わない半袖のものなのはご愛嬌。両手脚の関節部分を中心とした広い範囲、要するにいつものところには、長い長い包帯が巻かれている。あまりに長すぎて余っているようで、包帯たちは温度のない風にたなびいて、ゆらゆら。風は私の身体をすり抜けているのか、この肌にはそもそも吹いていること自体も感じられないけれど。
私は包帯が風に流されそうになっているのを黙って見つめていた。何本もの白い線が風に舞っている様子は、それはそれできれいなものではあったけれど。あったけれど、それでも、紛らわすことのできない不満は残る。私はどうして、夢の中でまでこんなものをしているのだろうか。こんな、忌々しい――。
こんなものは忌々しい現実のシンボルでしかないのに。ああ、どうしてどうして。ここは夢の中なのに。何でもできる夢の中なのに。私の人生にとって、その病気って、そんなに大事?
とにかく、気に入らない。取っ払ってしまいたい。できる? これがなければひどいことになるのよ。できるの? ――ええ、できる。だってここは、私の、私の夢の中なの。
私は左腕の包帯に手を掛けた。外し方は心得ている。しかし、これが夢だからか、包帯は指が触れた途端に解けてしまった。同じようにして、右腕も、両脚も。軽く触れれば解けていく。それが何だか心地いい。そして、包帯の下には何もなかった。
私の身体からすっかりほどけた包帯は、ゆるく吹く風に従って後ろへ流れていった。やわらかくて白いその線は、そのまま曲線を描いてセピアの空へ消えていく――と、思いきや、長い包帯は私の背中のあたりで渦を巻いて離れないでいた。そう、それはまるで私の背に生まれた翼のように。
翼のように。そしてそれは翼になった。翼が生まれたと同時に、風の向きが変わった。それとタイミングを同じくして、私の身体は風を感じられるようになった。背中に、やや強くなった風が吹きつけている。
生まれて以来この翼は私の意思の外ではたはたと動いている。これではまるで、翼そのものが風に気を昂ぶらせている鳥みたい。翼は、鳥は私の心のあずかり知らぬところで空を夢見ていた。風のリズムに応えるように、鳥はうきうきと息をしている。やがて鳥の呼吸は大きくなり、風と空のための歌になった。私はそれを茫然と眺めているだけ。そうして、風がひときわ強く吹いた、そのときのことだ。
ついに鳥は、私の背中を押したのだ。
力強くはばたく包帯の翼とぬるい風に押され、私は高台から飛び降りた。落ちる感覚はない。空気の抵抗も風も、再び感じられなくなった。ただ私は、冷たく整った数々の噴水を見下ろして、頬にかすめて、翼に任せるがままに飛んでいた。
私が夢の終わりに見たものは、噴水公園の果てに飾られている、一枚の大きな絵画だった。しかし、どんな絵であったのかと問われたら、きっと私はそれを説明できない。抽象画のような、そうでないような、曖昧な何かが描かれていたことしか覚えていないのだ。ただ、セピア色に沈んだ夢の中で、その絵だけが鮮やかに輝いていて、私をいたく感激させたことだけは、間違いようがなかった。