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詩人の密薬③

 次の日、水島羽鳥は普段よりも三十分早く目を覚ました。

 水島羽鳥は、患部の確認をしようと、下肢を布団に突っ込んだまま、上体を起こして黄ばんだ包帯を外した。おそるおそる外した。水島羽鳥の目の前に現れた患部は、彼女がすっかり見慣れたいつものそれそのままであった。

 まるで薬が効いていない。水島羽鳥は小鳥のようにつぶやいた。水島羽鳥の声は高く細く、人々はそれを名前にぴったりだと称したが、彼女は自らの声を嫌っていた。ときには自らの耳をふさいでしまいたいと思うくらいに。

 彼女は焦りを感じた。おかしい、よく効く薬のはずなのに、私の身体には全然変化がないじゃない。

 これは「すてきなおくすり」じゃないの?

 ――いいえ、疑うのはまだ早い。私はとにかく早く朝食をとって、朝の薬を飲まないといけない。水島羽鳥は包帯を巻き直し、布団を出て、この日という一日を始めるべく動き出した。きっとこれは私にとっても「すてきなおくすり」に違いないのだから。

 水島羽鳥の朝食はブラウンシュガーのシリアルに牛乳、バナナ、水。その中でも水は、気持ち多めに飲むことにしている。水島羽鳥はそれらを淡々と口に放りこんで、それなりによく噛んで、頃合いを見て胃の方に押し流していく。彼女はそれらの食事を、変わり映えしないながらもおいしいと思った。今日はバナナが少し若いと、彼女は思う。

 空になった食器類を流しに持ち込み、素早く洗うと、水島羽鳥はコップに水を汲んで定位置に戻ってきた。洗う際に水島羽鳥の手は痛んだが、彼女はいつものように我慢をした。水島羽鳥は棚から白い紙袋を取り出し、昨日と同じようにオルフェリン錠剤を一回分取り出す。そうして手のひらのそれを、口に放って水で送り込む。また彼女は魔法を手に入れた。ああすっきり、気持ちも晴れた。あとの私は、この魔法の力を見届ければそれでいい。そうだ、見届けたい。これは素晴らしい魔法なのだから。

 水島羽鳥は部屋の隅のベッドの上に座った。次に水島羽鳥はシャツの袖をまくり、左腕の関節に巻いた包帯を慣れた手つきで外した。そこにあるのは病気で変質した痛々しい患部だ。そして彼女は、つい先刻それを打ち破る魔法を再び手に入れた。

 いつ、この魔法は効いてくるのだろう。私は楽しみでならない。水島羽鳥は薄い唇を横に引き延ばした。彼女は笑った。

 時間は流れる。彼女が浮かれようが嘆こうが、いろいろなものが流れる。流れた。水島羽鳥はこの午前中、ことあるごとに腕の患部を眺めた。いつ効いてくるのかと。何かが済めば確認し、何もなくても確認し、彼女は自らの病気に執着していた。水島羽鳥は病気だった。しばらくして、水島羽鳥が十回目の確認をしたとき、彼女は気付いた。やっぱり私の身体には、病気には変化がない。

 この薬は私にとっての魔法ではなかったのだろうか。そんな、嘘だろう。あの少女も、あのお医者さんも、これは特効薬で素敵な薬だと言っていた。きっと私が何かしらの間違いをおかしているのだろう。彼女はそう考えた。水島羽鳥には昔から、やや強い自責の傾向がある。薬を疑うのは彼女にとってはよくないことで、信じられないことだった。認可を受けた薬はきっと正しいもので、いつでも間違っているのはそう、私だ。そう思えば簡単なのかもしれないと、彼女は直感した。

 そう、薬が効かないのならば増やせばいいの。きっと私の身体には、この量では足りていないのだわ。水島羽鳥の友人がしていた、薬をたくさん飲んで体調不良を治したという自慢話を水島羽鳥は忘れていなかった。水島羽鳥はふたたび棚に向かい、紙袋を逆さにする。水島羽鳥は水島羽鳥の手の上に落ちたアルミ製のパッケージから、もう一錠だけ魔法の粒を取り出して、それはそれは祈りの儀式のように、念入りに体内に取り込んだ。その日の夕食の後も、水島羽鳥は同じようにした。患部は、彼女にとって少しずつ良くなっているように見えた。やはりこれは、私にとっても魔法の薬なのだ。

 水島羽鳥はその日、普段のふさぎ込んで内気な表情からは想像のつかないくらいご機嫌な様子でベッドに入った。もらった薬はきっと医者の指示する日数がたつよりずっと早くになくなってしまうだろうが、それまでに治ればいいのだと、彼女は思った。水島羽鳥は初めこそ興奮した様子でいたが、やがて奈落に落ちるように、すとん、と意識を失ってしまったのだった。


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