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詩人の密薬②

 支払いを済ませ、薬を受け取った水島羽鳥は病院を出て、外の生ぬるい空気に触れた。水島羽鳥は行きと同じく帽子をしっかり被り、手袋をかっちりとはめて、周囲を見回した。彼女はあの名前も知らぬ少女を求めている。薬を受け取るときから、彼女の心は浮ついていた。

「薬の効果が出るには数日かかるかもしれません」

 受付の看護師がそう言ったのも、彼女は、水島羽鳥はどこか上の空で聞き流した。

 水島羽鳥は病院前の噴水に差し掛かると、辺りをくるりと見回した。彼女は噴水脇の古びた緑のベンチのところに、ちょこんと座るあの少女を見出したのだった。水島羽鳥は角の割れたプラスチックのベンチに向かって小さい歩幅で歩いていく。

「あら、あなた。あたしとおんなじ、すてきなおくすり、出してもらったのね」

 少女はにこりと笑う。ベンチに座り、地に着かない細い脚をぶらぶらとさせる少女を、彼女はどこか憎らしいと思った。

 少女は不敵に笑っている、何が楽しいのだろうと水島羽鳥は歯を食いしばる。

「よく効くわよ、それは。なんていったってすてきなおくすりだもの。あたしが言うんだから間違いないわ、ねえ」

 彼女は混乱した。こんな幼い少女に、何をいら立っているのだろうと。何が気に食わないのだろうと。先程までの少女は確かに私に対しての勝者、優位に立つ者であったが、それはあくまでさっきまでの話じゃないか。私はもうこの少女と「おんなじ」なのだ、もう、薬を手に入れたのだ、もう、劣ってなどいないのだ、あとはもう、薬を飲めばいいのだ、もう、みじめな思いはしなくていいのだ、もう、もっと、早くすればよかった。もっと、もっと早く勇気を振り絞ってここに来ればよかった、そしたら「あの人」も「この人」も私から逃げなかった、すべてが私の味方だったに違いなかった、もう、おしまい、全部おしまいなのだ、もうこの少女は敵でも嫉妬の対象でもないのだ、何を憤っているのだ私は、私は、私は、敗者ではない、哀れでもかわいそうでもない、私は水島羽鳥だ、そういう名前だ、「あのかわいそうな人」じゃない、笑われもしない、痛々しい人でもない、病気とはさよならできるのだ。私は羽根を生やして飛び立つのだ、このオルフェリンで。水島羽鳥は右手をぎゅっと握りしめた。痛んだし、多少の血がにじんでいる気もしたが、彼女はもう気にしなかった。

「早く帰って、それを飲むといいわ。きちんとお昼ごはんの後にね。そうしたら、あとは昼寝でもして待てばいいのよ。夕ごはんの後にも忘れず飲んで、温かいお風呂に入ってゆっくり休めば、そのうち効いてくるでしょう。そしたら本当に、あたしとおんなじね」

 少女はかすかに笑っているようだと、彼女は思った。どうしてか、彼女にはこの少女の顔がよく見えない。

 ふと、噴水を満たす水の音が、水島羽鳥の意識をかき乱した。ふいにざあざあとした音が大きく感じられ、思わず水島羽鳥はそちらを振り向いたのだ。

 だがしかし、そこには先程と変わらない噴水があるだけだ。再び水島羽鳥がベンチに視線を戻すと、そこにはただあの少女がいるだけだったと、彼女の世界は認識した。

「どうぞ、お帰り」

 顔の見えない少女に促されるままに、まだ昼だというのに彼女はどこか薄暗い不安を感じながら、水島羽鳥は家路についた。道中、水島羽鳥は後ろを振り返らなかった。どうしてだろうか、彼女は後ろを見てはいけない気がしていたのだ。

 家に戻り、水島羽鳥は身体を覆い隠していた鎧を脱いでいつもの位置に戻した。続いて水島羽鳥は昼食の支度をし、テレビを相手にひとりで食事をし、昼の分のオルフェリン錠剤を口に放り込んだ。

 一回二錠。

 それが、紙袋に書かれた所定の用量である。

 それだけの量の魔法を込めた白い粒が、水島羽鳥の身体の中を滑り落ちていった。

 オルフェリンの副作用で、水島羽鳥は極めて普通ではない眠気を催した。急ぎの用事もない水島羽鳥は、適当な時間まで横になって休むことを決めた。

 水島羽鳥はちょうど夕食の支度をするころになって起き出し、買い置きの食材で順当に料理をし、テレビを相手にまたひとりで食事を済ませ、オルフェリン錠をを欠かさず飲み、ひと休みののち、脚の伸ばせない小さな風呂に入った。風呂を出たころには薬の作用による眠気が現れてきたため、水島羽鳥は身体に包帯を巻き直して、早々に就寝することにしたのだった。すべては、あの少女の言ったとおりだ。

 その晩、彼女は夢を見た。それは彼女にとって不思議な夢だった。しかし彼女にとって夢とはおおよそそういうものであるからして、水島羽鳥の脳はそれを翌朝まで保持してなどいない。


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