詩人の密薬⑩
水島羽鳥はベッドに横たわっている。顔の上には目隠し代わりにタオルを掛けられ、腕と脚はバンドのようなものでゆるく拘束されている。持病のかゆみが表れているのか、時折彼女の手が腕を掻こうとするものの――彼女の願いがかなうことはなかった。
私は疲れ切っていた。目はふさがれて見えないし、誰も返事をしてくれない。水島羽鳥は低く唸った。私は深く嘆息した。ああ、どうして身体は自由にならないの? どうして私には翼がないの? どうして夢の中のように飛べないの? 私は鳥。あなたは哀れな羽のない鳥。そんなのいやだ、認めたくない。ああ、また誰かがこちらにやってきている。私を壊しにやってきている。ほら見て父さん魔王が来るよ。ほら来て母さん天使が死ぬよ。ああ痛い、ああ痛い。私はそろそろ死ぬんだわ、きっと消えて死んでしまうんだわ。
どうしてそんなことを思うの?
それは彼女が言ったから。
彼女って、だあれ?
彼女は私。
あなたはあたし。
そう、もうあなたなんてどこにもいない。水島羽鳥はもう、めちゃくちゃになって消えてしまった。
また声がする。どこかに隠れていた彼女は、私が心休めることも許さずに再び顔を出してきた。
こんにちは。
こんばんは。
今は何時? 私にはもう、よく判らない。だって、目もふさがれてしまって――光も闇もまるで区別がないから。まるで意味がないから。あの雪原さえ、もう見えなくなってしまった。
あなたはかわいそうねと彼女は言う。彼女は私を見下ろして微笑んでいる。彼女の顔は相変わらずよく見えない。ぼんやりぼやけて、薄気味悪くにじんでいる。
「ひどいわね、薄気味悪いだなんて」
にわかに彼女の声が鮮やかに響いてくる。まるで、私のすぐそばにいるみたい。
「あなた自身に向かって」
――やめて。
「言わなかった? あなたはあたしだって。あなただって認めたじゃない」
――そんなの嘘よ。
「……そう。何と言おうが、もう無駄よ。あたしはあなたであたし。これからはもう、ずっと一緒なのよ」
――寒気がする。
「あはは、目覚めが楽しみね!」
信じたくなかった。きっとこれはユメでマボロシなんだ、薬が見せている幻覚なのだという発想は、このときの私にはできなかった。そう考えられていたのなら、同じ結末を迎えるのだとしてもずっとずっと気楽だったろう。私は絶望を漂う。打ちひしがれながら、私が私でなくなる毒の空気の中をただ泳ぐしかなかった。そして、しばし思考し試行する。私の思考は指向する。
――そもそも私はどこの誰なのだろう。水島羽鳥? 確かにそれは私の名前なのだろうけど、でも、それが私のすべてを保証してくれるかというと、決してそんなことはない。でも、彼女に侵略された私はもはや、自分の名前しか持っていない。だとしたら私は結局なにになる? 誰になる?
そもそも、私って何?