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詩人の密薬①

 水島羽鳥は病に悩んでいた。病気は持って生まれたものだったが、水島羽鳥が大人になってからは特にひどくなっていた。

 病気がひどくなってからというもの、水島羽鳥の生活には様々な影響が出た。たとえば彼女は身体のあちこちが痛いと感じて、たまらなくつらいと思うことが増えた。一度治りかけても、患部は再び悪化して痛みを増した。痛みは彼女の心をもむしばんでいった。また、病気の悪化に伴って、水島羽鳥の見た目も非常に痛々しいものになっていった。水島羽鳥を知る人も知らない人も、「ああ、あんなにひどくなってしまって、かわいそうに」と陰口のように言っていることを、彼女は肌で感じて知っていた。ただし実際に聞いたわけではない。しかし事実とか現実の類は彼女にとって重要でもなんでもなく、とにかく彼女は外出するのが、または様々なことをするのがつらくなった。

 ある日、症状がつらくなった水島羽鳥は、とうとう意を決して病院に行くための外出をした。水島羽鳥はなるべく人のいない道を選んで、さらに帽子を目深にかぶり、服や手袋をしっかりと身に付けて病院へ向かった。

 幸い水島羽鳥は誰にも会わずに病院に辿り着くことができたが、彼女は建物の中に入れずにいた。彼女は迷っていた。何故なら、彼女は薬が怖かったのだ。

 この病気には、たいへんよく効く薬がある。患者なら、水島羽鳥を含めた誰もが知っている、とても有名な薬だ。しかしその薬にはいつでも悪い噂がつきまとっていたために、彼女は病院に行くのを長年ためらっていた。かえって身体が弱ってしまうとか、一度飲み始めたら薬を止められないふうになってしまうとか、骨がもろくなるとか、とにかく、いろいろである。

 中には明らかな誇張や悪意に満ちた噂もあったのだが、病気に振り回されて疲れた様子の水島羽鳥には、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、正常な判断ができないようだった。たくさんの資料を当たって調べを尽くした彼女には、かえってすべてが本当にさえ思えた。

 彼女はあと一歩の決心をすることができない。水島羽鳥が病棟前の噴水のところを行ったり来たりしていると、ちょうど水島羽鳥が疲れ果てたころに、見知らぬ少女が彼女に声をかけてきた。

「ねえあなた、あの病気で悩んでいるんでしょ。あたしとおんなじだったのね」

 幼い少女は彼女を見上げて、どこかばかにするように言った。この少女は十歳くらいだろうか、まっすぐな黒髪を肩の下まで垂らして、白いブラウスと赤いジャンパースカートをお行儀よく着ていると、彼女は思った。少女の顔はなんというか、どこにでもいるような顔のような、なんとなく見覚えのあるもので、とりわけ彼女にはぼやけて見えた。

 水島羽鳥はぼんやりと下を見つめた。

 彼女の心をとりわけ強く掴んだのは、この見知らぬ少女の首や両ひざの関節部分を中心に巻き付けられた包帯であり、彼女はそれだけには見覚えがあった。どことなく薄汚れたそれ。水島羽鳥の首や両ひざの関節部分周辺には、まさに同じものが巻き付けられていた。

 彼女はふたたび少女の自信に満ちた力強い声を聞く。

「でもあたし、もうあなたとは違うのよ。だってお医者さまに、すてきなおくすり、もらったもの」

 少女は得意げに胸を張って、自分に自慢しているのだと、彼女は感じた。さらに少女は彼女の見つめる中で、棒のような身体に巻いている包帯をするすると外し始めた。首、両ひざ、そしてブラウスの袖をまくって、両のひじのところ。この病気の証とも言える包帯を外した少女の姿は、彼女には翼を脱ぎ捨てる天使に見えた。

「ご覧なさいよ、ねえ、もう何もないの。あなたとあたしはもう違うの。おんなじじゃないのよ」

 鼻をふん、と鳴らす少女を、彼女は生意気だと思った。少女が見せつけるように差し出す腕を彼女が見れば、まあ、確かに病気の症状は出ていない。それどころか、初めからそんなものはなかったかのようにきれいだと、彼女は思った。今の彼女は嫉妬にも似た感動に、強く胸を打たれている。

 さらに少女はとどめのひとことを彼女に与えた。

「お医者さまの言うとおり、すてきなおくすり、悪いところだってみるみる治ったわ」

 水島羽鳥は病院のドアを開けようと心に決めた。

 水島羽鳥は受付で簡単な問診票に小さな文字で記入をした後、白い診察室に通された。彼女はとりあえず病気の名前をそこに書いた。診察室には目のぎらぎらした男の医者がいるのを、水島羽鳥は正面から見て認識した。

この中年の医師は、水島羽鳥の記入した問診票をもとに、水島羽鳥にいくつかの質問を投げかけた。彼女は自らの病気について、正直に答えたと信じている。それから医師は水島羽鳥の患部をひととおり目視で確認をして、ああ、ひどいですねとつぶやいた。彼女はそれを、営業マンのセールストークにも似た、よくある医師の対応と感じた。水島羽鳥はそれほど多くの医師を知っているわけではない。

医師はいつの間にか電子化されていたらしいカルテにいろいろと書き込んでから、水島羽鳥に言う。

「水島羽鳥さん、あなたの症状はなかなかひどいようですし、再現性もあるとのことなので、ひとまずこの内服薬を出しておきましょう。ご存じでしょうが、この薬はオルフェリンといって、この病気に対する特効薬とも呼ばれるものです。患者さんの中には抵抗を示す方もいらっしゃいますが、大丈夫ですか?」

 彼女は少し怖かったが、あの少女の包帯を思い出してぐっとこらえることにした。

お願いしますと、水島羽鳥は答えた。彼女は早く病気の症状を抑えたいと思っていたし、同時に病気が二度と再発しないようにと強く願っていた。

診察はまもなく終わった。この科での診察は、どこでもこれくらいあっさりしているものだと彼女は思った。

水島羽鳥は消毒液くさい待合室で、再び自分の名前を呼ばれるのを、じっとうつむいて待っていた。先程から彼女の中では、たくさんの滑稽な妖怪たちが行き来している。処方される薬に対する多大な期待とか、拭い去れない不安であるとか。それらはすべて形のないものであるし、自分にあるのは少女の言う「すてきな」薬かもしれないものを処方されるという事実だけだと、彼女は自分を戒めた。

水島羽鳥の親指が、いつの間にか手の患部に触れていた。痛かったが、その痛みももう彼女は気にならない。彼女はあの少女と並ぶのだという思いに心をはやらせていた。


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