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Eの世界  作者: Σ7
3/5

02:とある日常



南海電鉄。

薄紫色の電車が難波駅から和歌山駅まで、大阪を縦に割るように走るのは南海本線だ。

停車駅は約四十ヶ所。

 その駅の中の一つ、樽井駅の改札を出た所に古川・弥沙希は立っていた。

二年に昇格したばかりのこの季節は、まだ肌に冷たく、セーラー服にカーディガンという格好だ。

「うげぇ……」

猫背気味な姿勢で溜め息をつき、前を見る。

薄い眼鏡越しに見るそこには、二車線の車道があった。

一直線に延びるその車道を視線で追い掛ける。

そうすると、その先を見る為に、自ずと頭が後ろに下がっていった。

色のある店屋がその道を挟み、上って行くのは、坂道だ。

大阪は坂の街と言われるが、これを見れば頷ける。

長い坂道がそこにあった。

見上げた高さに太陽がある。

その陽光を弥沙希の眼鏡が反射し、何やら不気味に光った。

太陽の高さからして十時過ぎ程か、高校生が通学するような時間帯ではない。

しかし、弥沙希は疲れていた。

 欠伸が溢れる。

昨日のイレギュラー消去のせいもあるが、おそらくはその後、大蔵の仕打のせいだろう。

考えるとまたイライラしてきたのか、眉毛が寄っている。

この坂を登り切った先に、弥沙希が通う〈大阪府立泉南高等学校〉があるのだが、思う様に足が進まない。

引き返そうかと思う程だ。

しかし行かなければならない。

天才的頭脳を持っているのに、だ。

 理由はある。

 と言うのも、世間は弥沙希の仕事内容を知らない。

 家族にですら怪しまれる訳にはいかない。

 そのため、普通の女子高生として生活しているのだ。

 「あぁあーだるいー」

杖が欲しい。

そんな声が坂道を転がった。

 無気力に、道路の突起に跳ねる。

しかし、その声を拾うモノがあった。

それは低い音、バイクが排気を破棄だす音だった。

「おうッ遅刻か!」

その声は苦しそうに坂を登る弥沙希の横で聞こえた。

 後ろから来たバイクが並んだのだ。

「げっ久兄ぃ」

バイクだと思われたソレは、改造が施された原動機付き自転車、カブだった。

 それに跨るのは古川・幹久(ふるかわ・みきひさ)

弥沙希の兄である。

幹久はカブの力で悠々と坂道を登ってきた。

その格好はと言えば、緑の制服をだらしなく着こなし、ヘルメットを首にかけている。

「不良女子やなぁ」

「煩いわ。仕事のカブを改造する様な奴に言われたくない」

「じゃあ何や? 不眠少女か? グワッ!」

 笑う幹久のカブの横腹に、弥沙希は丁寧な前蹴りを浴びせた。

丁寧ではあるが、威力は容赦ない。

「お、お前危ないやんけ! 割れもんやぞ!」

綺麗に横倒しになったカブを起こしながら幹久は叫んだ。

対する弥沙希は無視をきめこむ。

 荷台に付いた社名がプリントされたボックスを開け、中を見る。

 どうやら無事な様だ。

「無茶すんなぁ」

 と間を開けるようにし、

「……ふぅ」

 弥沙希は再び溜め息を溢す。

「なんや? 疲れとんのか?」

「ん……バイト、詰め過ぎたんよ」

 兄や親は弥沙希が犯罪まがいな仕事をしているとは知らない。

 と言うか全国民も知らない筈だ。

 だというのに、あの男、大蔵・一誠は深夜のニュースで放送した。

 幸い、兄には知れていないようだが、この先、学校でどうなる事か。

 考えると、更に疲れが増し、肩や背中にのしかかってくる。

 見上げる坂はまだまだ長い。

 結果、弥沙希は三度目の溜め息をつくことにした。

「あんま無理すんなや、皺と白髪が増えるで。只でさえ老けとんのに……ぅおぉい!」

 カブ横転、再び。

 急ぎ立て直そうとする幹久の尻にも前蹴りを喰らわす。

「ぎゃっ!」

 打ち所が悪かったのか、幹久は下腹部を抑えた姿勢で地面に蹲る。

 セルフで腰の辺りを叩いたりしている所を見ると、カブのどこかが急所に直撃したらしい。

「せ、せっかく乗せたろ思たのに、絶対乗せん!」

腰の引けた姿勢で、やっとこさカブを起こした幹久は、素早くそのシートに腰を乗せる。

「あっ!」

弥沙希が手を伸ばした時には幹久は高笑いを上げ、一気に坂を登っていた。

「精々足が太なる様がんばれ!」

 流れる風が最後の言葉を残した。

この時、弥沙希の中に沸々と殺意が芽生えていた。



 弥沙希が泉南高校に着いたのは丁度二時間目後の休み時間だった。

教室に並ぶ机のまわりには、机の数以上の人が居た。

隣のクラスから遊びに来たりしているのだろう。

その中を縫う様にして自分の席に着くと、直ぐにその椅子に腰をかけ、机の表面と同化する様にへばりついた。

 生徒達は弥沙希に何の反応も示さない。

 昨夜のニュースは大蔵が仕組んだモノだったのだ。

 民間放送には流れてない。

 自分の家だけに飛ばされたモノなのだ。

 それに気付きながらも、気に止めない。

「だるぅー」

かわりに声が漏れる。

その声は机に溢れると、ゆっくりと端へと転がり、床へと消えていった。

机の端を落ちる時に、こちらに振り向き、親指を立てた様に見えたが、頭を振ってかき消す。

疲れているのだ。と、自分にいい聞かせた。

 そうこうしている内に、弥沙希の机に近付く一つの影があった。

「弥沙希様、遅かったですのね!」

「げっ」

机の前にひょっこりと現れたのは三つ隣のクラスの女子。

宮崎・りるか(みやざき・りるか)だ。

可愛く巻かれている赤みのかかった髪の隙間、そこから覗く広いオデコに汗が浮いているのを見ると、どうやら廊下を走ってきたらしい。

 しかし、それすらも可愛らしく見せるのは、彼女の産まれもっての特権だろう。

 その可憐な髪を揺らすと、りるかはいきなり弥沙希目がけて飛び込んだ。

「やめい!」

「ギャッ」

それを椅子を引く軽い動きだけでかわし、前を飛ぶりるかを机に叩きつけた。

その音と短い悲鳴に教室が一瞬押し黙るが、しかしいつもの事と再びざわめきはじめる。

そう。いつもの事なのだ。

日本有数の大型ITサービス企業。

 その社長令嬢であるりるかは、昔から。幼稚園時代からこうだった。

こんな府立の学校に通うのも、弥沙希に付きまとう為だと誰もが理解している。

 しかし、その理由は不明だ。

クラスの誰もがりるかの事を同性愛者だと思っているだろう。

「痛ぁ〜」

りるかは机から体を起こすと、恐らく打ったと思われる広いオデコを両の手で撫でる。

それを見ながら弥沙希は思うのだ。

(なぜうちのまわりには異常者しか居らんのや…)

自分もその異常者の一人とわかっているのかは不明だが、大きな溜め息が教室に溢れた。

「ほら。チャイムなるで、はよ戻り」

ほっておくと泣き出しそうなりるかの頭をポンと叩くと、携帯電話の時計を見せる。

授業が開始される10時40分まで後一分も無い。

その事をりるかに伝える。

結果、りるかはハッと顔を上げ、

「また後で来ますの!」

と、だけを残し、風の様に去っていった。

それを薄い眼鏡の奥の細目で見送り、机につく。

またも大きな溜め息が溢れた。

溜め息の多い人生だなと、若い内から答えを出した時、校内に授業開始のチャイムが鳴り響いた。



時間は12時40分。

校内は今、誰もが待ち望んだ昼休憩だ。

廊下を歩く者は食堂に行くのだろう。

その手に小さな紙切れの券を持っている。

教室では机をくっつけている者や、空いた椅子を勝手に使っている者も居る。

そんな中、教室の隅、窓側の一番後ろの席で一人、カツサンドを食べている女子が居た。

弥沙希だ。

誰とも話さずにゆっくりと、カツサンドを口に頬張る。

少し噛んだ後、パックのオレンジジュースを少量、口に含んだ。

「弥沙希様!」

「うごっ!」

 丁度その時だ。不意に誰かに後ろから抱きつかれた。

 そのため、口に含んでいたオレンジジュースは食道を通らず、気管に入ってしまった。

思わずむせる。

 苦しい咳を何度か出すが、胸の違和感は消えない。

「り……る、か……」

首に巻き付く細い腕、それを剥がし、見上げた場所にりるかの顔がある。

満面の笑みだ。

対し、弥沙希はと言うと、無表情に等しい。

口元から溢れた呼気は紫色を帯ていた。

と、咳が治まったのか、何かが切れた様に弥沙希が跳ね動く。

 そして徐にりるかの首を絞め上げたのだ。

「ぐ、ぐるじい……です、の……」

りるかから漏れるのは苦鳴だ。

しかしとうの弥沙希は、その手を緩めない。

「いい加減にしいや、りるか……」

と、脅しかける。

「ご、ごめんな、ざい……」

がっちりと掴んだ腕を、りるかはタップする。

顔色が若干青くなってきたのを見て、弥沙希はその手を離した。

「はぁ…はぁ、はぁ……」

りるかは、両手を膝についた姿勢になり、急いで酸素を取り入れようとするが、中々に苦しい。

「ひどいですの……はぁはぁ。」

「煩い、いきなり抱きつくな!」

「り、りるかはただ弥沙希様に愛妻弁当を」

とそこで押し黙る。

弥沙希の顔を見たためだ。

今の弥沙希は視線だけで人を殺せるかも知れない。

しかし、その表情もじきに元に戻る。

どうやら落ち着いたらしい。

そのせいか、教室のざわめきがより一層増した気がする。

昨日の夜のイレギュラーの話や野球の話、それらが今、この教室に溢れかえっているのだ。

弥沙希は黙る。

そして視線を教室の真ん中に集まる金髪の女子達に向けた。

教室の中で一際声が大きかった為だ。

化粧をした金髪の女子三人は、行儀の悪い姿勢で、弁当やらを食べながら会話をしていた。

その内容は嫌でも耳に入ってくる。

「見てみコレ! 超男前やろ?」

「誰よコレ。どこに居てんのこんな男」

「モバともやで! 今日会うねん!」

ふと気になるワードがあった。

〈モバとも〉とは、今、弥沙希の前に居る宮崎りるかの父親の会社が経営するサービスの一つだ。

 その内容は、携帯電話を使ったコミュニティサイトで、日本全国の人々とコミュニケーションを取る事が出来る。

 今、日本の若者の殆んどがその会員に入っているだろう。

 それほど大型のサービスなのだ。

 と、弥沙希が何やら険しい顔を浮かべる。

「?」

対するりるかは、その表情を不思議そうに見ていた。

 それを横目に、

「ちょっと待ってな」

と制すと、その三人組の方へと足を向けた。

その中で、先程携帯電話を見せていた女子に話しかける。

「あんまりそういうんで人と会うんわ、よした方がええで」

 その声は酷く静かだったが、ちゃんと届いただろう。

しかし、女子達は対した反応を見せなかった。

 俗に言う、無視だ。

(まぁ、別にどうでもええけど)

その言葉は口には出さない。

こういう場合、きっとめんどくさい事になるだろうとわかっているからだ。

これが現在のあり方なのだ。

携帯電話の普及により、大量の電子が飛び交う様になった。

それらは海を越え、例え裏側の世界と言えども繋げる事が出来る。

結果、世界との交流は広まり、交渉はスムーズになり、色々な処理が素早く行える様になった。

だが、それらは生活のリズムすらも変えてしまったのだ。

嫌な感覚が弥沙希の頭の隅に生まれ、見え隠れする。

教室を眺めた。

 今の世界の状況で、危機感を持つ者が果たしてこの中に居るだろうか。

「どうしたんですの? 早く屋上に行きましょう!」

突然、りるかが弥沙希の脇にその細い腕を絡めて来た。

それも、結構な勢いで、引っ張るようにだ。

「あうっ」

いや、確実に引っ張っている。

と言うより、引きずっている。

視界が一気に右へと流れ、弥沙希は倒れ込んだ。

しかし、それでも止まらない。

りるかは倒れた弥沙希を引きずりながら、教室から出ていった。

 時間を見れば12時46分。

昼休憩はまだ続く。





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