01:必要の啓示
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暗い。
暗い部屋だ。
その一部分、大きく夜を刳り貫いた窓がある。
そこからは隔てなく都市を一望出来る。
都内某所。そこに今大人達が円を組み、挙手と発言をしていた。
しかし、それらを映す映像は無い。
部屋全体を黄色で統一した空間、そこに黒い携帯電話のスピーカーを通してその声だけが漏れていた。
『何故なんだ!? 国はイレギュラーの存在を認めてるのだろう?』
『そうだ。何故こうも対応が遅い!?』
『お待ち下さい。貴殿方はその対処法を理解しているのですか?』
『聞いているのはコチラだ』
……はぁ。
「お偉いさん方も簡単に言うてくれるなぁ」
声がした。
今までのスピーカーを通した声では無く、凛とした少女の声だ。
黒い声を吐き捨てる携帯電話が置かれているのは黄色のシーツがひかれたシングルベットの上だ。
そのベットの上にはもう一つ形がある。
「うちみたいなんがポンポン居ったら苦労するかぁって」
足を膝の関節で折り、うつ伏せで本を読む少女。
古川・弥沙希だ。
全身にピンクを基調としたパジャマを纏い、読んでいる本のタイトルは〈国際政治理論〉という、全くもって不釣り合いな組み合わせだ。
いや、おかしいのはその色の方かも知れない。
部屋全体を黄色で統一された中にピンクのパジャマ、それを着ている弥沙希はと言えば、その全身から黒いオーラを出している。
しかし、〈国際政治理論〉も四頁から全く進んでいない。
少女、弥沙希を中心にしたこの空間がおかしいのかも知れない。
と、再びスピーカーの声に耳を傾ける。
『……これは全世界の責任でしょう?我々を責めるのはよしてくれ』
『何を言ってるんです! こういう時、何故国が国民の安全を最優先に考え無いのです?』
『そういう君は何かいい策でもあるのかね?』
……はぁ。
二度目の溜め息だ。
その理由はスピーカーの向こう側の声にある。
「全く進んどらんやん。何をグチグチ言いあっとんねん」
弥沙希はベットから起き上がると、手にある本に詩織を挟み込んだ。
今だに四頁だ。
その〈国際政治理論〉を本棚の隅に投げ込むと、部屋の角を見る。
そこにあるのは16インチ程のテレビだ。
足元に置いてあったリモコンを広い上げ、ソレをテレビに向け、一際大きい青いボタンを押す。
一瞬、電子が飛ぶ低い音を上げ、黒い画面に白い線が入る。
が、先に来たのは音声だった。
弥沙希はその音声だけで、元のチャンネルを見限り、他へと回す。
そうこうしている内にゆっくりと現れた画面は暗い。
そこには夜が映っていたのだ。
『弥沙希君に関しては異例だ。それを軽く見ないで頂きたい』
突然携帯電話のスピーカーから聞こえた自分の名前に一瞬びくりとし、視線をそちらに向けるが、直ぐにまたテレビへと戻っていった。
その時はまだ気付いていなかったのだ。
今の声は……
「うわっ」
視線を戻した先に映って居たのはセーラー服にカーディガンをはおり、腰に右手を当て、逆の手で携帯電話を構える少女。
紛れもなく自分だった。
『弥沙希君は異常でな、きっと今頃自分の映ったニュースを見ながら自慰行為を……と話がずれてしまった。すまないな、弥沙希君』
と先程の声が軽く謝罪。
「あのクソオヤジ……」
片方の耳で携帯の音声を聞いていた弥沙希の眉が寄る。
弥沙希は激昂していた。
自分の映ったニュースにでは無く、スピーカーから聞こえる無駄な討論を楽しむ大人達の声にでもない。
その中に新たに生まれた声、弥沙希が思うに存在意義を見い出せない男に対して、だ。
討論の中で今まで一言も喋らず、しかし、このタイミングで一人の少女のプライバシーの捏造を実行に移した男に対してだ。
『大蔵君。その話は後で聞こう』
「聞かんでいいッ!」
一人の部屋で思わずツッコミを入れてしまった。
これは大阪の血などでは無い。断じて無い。
大蔵・一誠に対しての怒りのボルテージが上限を切った為だ。
勢い良くテレビの電源を落とすと、その手のリモコンを投げつける。
床にでは無くベットにしたのは、単に壊れると不便だからだろう。
『今頃お怒りかね? 弥沙希君!』
大蔵の高笑いが聞こえる。
次会った時、大蔵を確実に死に追いやる為、弥沙希はその莫大な頭脳を並べ変え始めた。
『と、馬鹿はこの位にしておこう。本題に入ろうか』
「遅いわ!」
これも大阪魂では決して無い。
『まず、これだけは言わせて貰う』
一息、息を飲む様な異様な間が広がった。
『貴殿方は実際、お喋りを楽しんでいるだけに過ぎない』
対する声は多い。
『ふ、ふざけるな!』
『何を言い出す!?』
『いい加減にしたまえ大蔵君!』
だが大蔵のその声に一つの揺るぎも無い。
淡々と紡ぎだす。
『ではこの中で現実的且つ確実な対応策を持つ者が居るのかね? 居ないだろうね』
沈黙。
『ふむ。現実的に対応しているのはこの中で私だけのようだね』
『え、偉そうに……その対応とやらが遅れているのも事実だろう』
『ああ、そうだね。では貴殿は何をしている? 我々が切磋琢磨にと動いている時、援助の一つでもしたのかね?』
薄く笑う声は大蔵のモノだ。
『この一年間、豪邸で悠々とピザを食べていられる程、我々は暇では無いのだよ!』
そして
『国は今我々を求めている。貴殿方には我々の下についてもらう事になった』
『……!!』
『言っただろう。国がそう啓示しているのだ。それを断るのかね?』
弥沙希は携帯電話を手に取る。
その閉じられたボディを軽く撫で、ふと笑みを溢した。
「真面目な事も言えんやな」
と、返事をする様にスピーカーから声が発せられた。
その声は大蔵だ。
『どうだい?決まっただろう弥沙希君』
は?
『おっといけない。未成年は寝る時間だ。今の私のお言葉をリピート設定でヒーリングソングとして夜を眠りたまえ! 録音をしわすれたと言うようなヘマはしていまいね? なんならもう一度言おうか!』
咳払い一つ。
言葉は繰り返させる。
『まずこれだけは言わせて……ブチッ』
そこで音声は途絶えた。
息を乱した弥沙希が、力任せにその携帯電話を壁に投げつけたのだ。
それは今、壁に半分以上呑み込まれ、停止していた。
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今、暗い部屋に一人の男が座っている。
円卓に一人だけで座るこの男は、黒革の椅子に深く沈みこみ、軽い溜め息を溢した。
右側には壁一面を刳り貫いた窓があり、散りばめられた街の光りを見下す事が出来る。
ここは都内某所の最上階だ。
「一誠さん、どうぞ」
ふと、オールバックの長髪を整えていた大蔵の背中に声がかかった。
女性の艶やかしい声だ。
振り替えればその姿が見える。
クリーム色のスーツを身に纏う、ショートボブの女性。
混じり気の無い金髪と青い瞳から欧米人だとわかる。
彼女は大蔵に湯気のたつカップを差し出した。
中に揺れる色は黒い。
ブラックコーヒーだ。
「すまないね。サラ君」
サラ・ウィンベル。
大蔵の元につく欧米人の美人秘書だ。
しかし、聞こえた声になまりは無い。
と言うのも、サラは産まれこそはアメリカだが、言葉を覚える前に日本に来た。
二才の時に海を渡り、既に二十年がたつ。
彼女からすれば日本語の方が当たり前なのだ。
「お疲れ様です」
と、笑みを浮かべると、円卓に残った書類などを集め始めた。
その書類の表紙には、満面の笑みを携える大蔵がプリントされている。
それを見て、ふと視線を大蔵に向けた。
大蔵はあの後、しっかりと同じ言葉を二度に渡り、繰り返し叫んだ。
その後に、この円卓会議を解散したのだ。
皆が帰る時、大蔵の前で合掌していたのは謎だが、話は大蔵側へと傾いた様だ。
「イレギュラー……か」
サラの口から溢れた短い名詞。
それは約一年前、突如として現れた。
全世界から発せられる電子の残りカスが溢れだし、文列体となり現れたのだ。
その経緯は謎だが、我々、人類がメディアに頼りすぎたのは事実だ。
今や世界はそれらで動いているといっても過言では無い。
便利だから、と負になるものを考えず、皆がその手に持つ事が出来る。
「イレギュラーだけを相手にしているとキリが無いね」
大蔵だ。
カップのコーヒーを口に含み、全体に染み込ませた後に喋る。
「見えぬ電子が文列体などと言う準物質体を生み出すとは、誰も予想していなかったよ」
「それを今、弥沙希さんが一人で対応してるんです。いつまでもつかわかりません」
「そうだね。しかし弥沙希君は特別だ。あの速度で強制文列コードを打ち込める者がそう簡単に居るものか」
強制文列コード。
簡単に言えばハッキングだ。
元々、電子暴走前から弥沙希は大蔵の元で働いていた。
僅か十二歳で完璧なハッキングコードを作り出し、国際犯罪レベルの仕事をこなしていたのだ。
しかし、異常なのはその他にもある。
ハッキングに使うツールと打ち込む速度。
それが普通のハッカーとは訳が違うのだ。
彼女はどこに居ても世界中に侵入出来る。
その手にもった携帯電話から、僅か数秒で、だ。
「今はイレギュラーへの対処よりも、弥沙希君に続く者を探す必要があるね。全世界的に……」
大蔵は見下ろした。
流れる様に動く光は車か、電車か。
それらは眼下の明るい街を縫うように走り、消えていく。
考え出すとキリが無いのだ。
人類からメディアを取り上げる事は不可能に等しい。
メディアを断ち切ると、世界が機能しなくなる。
今はただ、現れたイレギュラーを片っ端から消去していくしか無いのだ。
大蔵は思考を切り替える。
「さて、私はそろそろ帰宅しよう。妻とのスキンシップが必要でね。どうだい? 一度見てみるかい?」
サラの溜め息。
「私達の愛の記録をッオブギャ!!」
大蔵が奇怪な叫びをあげた。
サラが大蔵の手にあるカップを蹴りあげたのだ。
中のホットコーヒーを顔面にあび、大蔵は椅子ごと後ろへと倒れこんだ。
時間にして、深夜0時前の事だった。