第三話 ちびっこちゃんと忘れもの
じめじめとうっとうしい梅雨の季節がやってきました。
今日も外は大粒の雨が降っています。
ちびっこちゃんはスクールバスの中で「あれ? あれ?」と愛用のななめかけカバンをいじりながら慌てていました。
横に座っていたでかっちょくんは不思議そうに訊ねます。
「どうしました、ちびっこちゃん」
ちびっこちゃんは困ったように言いました。
「傘、忘れてきちゃった……」
どうやら、ちびっこちゃん、いつもカバンに入れている折り畳み傘を今日は忘れてきてしまったようです。
でかっちょくんは窓の外を見ました。
もうすぐバスが着きます。
まだ雨は当分止みそうにありません。
少し考え、でかっちょくんは言いました。
「じゃあ、俺がお家まで送っていきましょうか」
自分の大きな傘を軽く持ち上げながら。
「でかっちょくん、本当に良いの?」
ちびっこちゃんは申し訳なさそうにでかっちょくんを見上げました。
でかっちょくんは微笑みます。
「大丈夫ですよ」
ちびっこちゃんの家はバス停から15分ほど歩いたところにありました。
でも、でかっちょくんは電車で来ています。
バス停から少し歩いたところにある駅。
そこから30分ほど電車に乗ったところにでかっちょくんの近隣の駅はありました。
つまりこれは明らかに遠回りなのでした。
大きな傘をでかっちょくんが持ち、二人は相合傘をしながら歩いていました。
まだ迷っている様子のちびっこちゃんの気をまぎらわせようとでかっちょくんはお話を始めました。
「ちびっこちゃんは雨の日は好きですか?」
「雨の日? う~んとね、夜の雨は好きだよ」
「夜の雨ですか?」
ちびっこちゃんは笑います。
「うん、夜、ベッドに入りながら窓をたたく雨の音を聞くとね、ぐっすり眠れるの。ぐっすり眠り過ぎて、つい次の日、寝坊しそうになるんだけどね。だから、次の日、テストの日なんかは雨が降ってほしくないかな」
でかっちょくんは笑います。
「そうなんですか。俺は小さな頃、夜の雨が怖かったんですよ」
「え、どうして?」
でかっちょくんは思い出すように傘を見上げました。
雨の音が傘の中に響いています。
「雨が窓をたたく音が誰かが窓を叩いている音に聞こえましてね。誰かがぼくをさらいにきたんだ。このまま眠ったら次の日にはその人の国に行ってしまうんだって。怖くて怖くて中々眠れなかったんです」
「うんうん」
「でも、夏休み、父方の祖母の家に遊びに行った時、雨の音に震える俺に祖母が言ってくれたんです」
「なんて言ってくれたの?」
でかっちょくんは目を細めます。
「ほら聞いてごらん。雨が挨拶しているよ。「こんばんは」「おやすみなさい」「今夜はよく眠れそう?」どうしてこんなに優しい言葉の音を怖がる必要があるんだい? って」
「優しい言葉の音……」
ちびっこちゃんは雨の音を見上げます。
いつもより遠いところに雨の音がありました。
でかっちょくんは傘からはみ出しそうになるちびっこちゃんにそっと傘を寄せます。
ちびっこちゃんは雨の音からでかっちょくんに視線を移してにっこりしました。
「素敵なお話だね」
でかっちょくんは微笑みます。
「ありがとうございます」
それから二人はまた何でもない話をしました。
そうしているうちにあっという間にちびっこちゃんの家に着いてしまいました。
「もう着いちゃった……」
時間の短さに驚くちびっこちゃん。
楽しい時間ってそう言うものですよね。
ちびっこちゃんは家の軒下に入るとぺこりと頭を下げます。
「ありがとう、でかっちょくん」
でかっちょくんは「では」と頭を下げてその場を去ろうとします。
ちびっこちゃんはちょいっとでかっちょくんの服の裾をつかみます。
「?」
不思議そうに足を止めるでかっちょくん。
ちびっこちゃんは恥ずかしそうにでかっちょくんを見上げ言いました。
「また忘れものしてもいい?」
でかっちょくんはぱちりと大きく瞬きをしました。
その後、嬉しそうに目を細めました。
「はい、お願いします」
ちびっこちゃんは忘れものってこんなに心がほかほかするものだったんだなあと思い、顔が笑顔でいっぱいになるのでした。