第6話 門を守護する者R
長い黒髪は、馬の尾の形に束ねられ、少し強めの風になびいている。
その頭から伸びた2本の角は、竜属性の証だ。
鋭利な美貌には、今はいささか難しい表情が浮かんでいた。
魅惑的な曲線が、柔軟な筋肉によってしっかりと維持された身体に、真紅の軍装が良く似合う。
上半身では、胸の膨らみが少し窮屈そうに鎧の内側へと押し込められている。下半身では、美しく鍛え込まれた太股がムッチリと露出している。
力強いほどに豊麗な尻からは竜の尻尾が伸び、背中では皮膜の翼が畳まれている。
戦姫レイファ。19歳。ブレイブランド屈指の女戦士として、魔王との戦いでは先頭に立って暴れた。暴れた割には、しかし魔王に大した痛手を与える事は出来なかった。
あの戦いで、自分はただ闘志を空回りさせていただけではないのか。
そんな事を思いながら、レイファは見下ろしていた。封印宮の建設が、凄まじい勢いで進められてゆく様を。
ブレイブランド北部、ヴァルメルキア大平原。その中央部で、地面が擂り鉢状に窪んでいる。城が1つ入ってしまいそうな、巨大な擂り鉢である。
干上がってしまった湖にも見えるその地形から、古来『死せる湖』と呼ばれてきた場所だ。
その中で今、屈強な魔獣属性の人夫たちが数千人、忙しく力仕事をしている。
死せる湖の岸辺に立って、その様をじっと見下ろしながら、レイファは呟いていた。
「封印しておく事しか、出来んか……」
魔王を結局、討ち滅ぼす事までは出来なかった。いつ解けてしまうかわからぬ封印などという状態にとどめておくのが、精一杯だったのだ。
この封印宮は落成すれば、レイファたちの力不足を後世まで伝える巨大な記念碑ともなるだろう。落成前に封印を破られたりしなければ、の話だが。
無事に落成したところで、魔王を永久に封じ込めておける保証とはなり得ないだろう。
巨大な擂り鉢のような、死せる湖。
その湖底では、岩盤に刻み込まれた封印の紋様が、湖岸からでも見える光を発して禍々しく輝いている。
あの下に魔王を閉じ込める事には、辛うじて成功した。
封印の紋様の周囲では、人夫たちの働きによって着々と、石の土台が組み上がってゆく。魔王の封印を強固なものとする、封印宮の土台である。
働いている人夫たちには失礼だ、とわかっていながらも、レイファは疑問を呟かずにはいられない。
「こんなもので、本当に……」
「魔王を封じ込めておく事が、出来るのか」
何者かが、背後から声をかけてきた。
「……と考えているのだろう? 戦姫レイファ。それは我々あの戦いに携わった者全員が、心に抱く疑問さ」
レイファより少し年上の、若い男だった。
優男である。細い身体に、軽めの部分鎧をいくつか装着し、その上から真紅のローブをまとっている。
髪も、炎を思わせる鮮やかな赤色。顔立ちは、もしかしたら自分より女性的なのではないかとレイファに思わせるほど美しく整っている。その美貌の下に、何か隠していそうな感じもする。
ともあれレイファにとって、あの地獄のような戦いを共に生き抜いた仲間の1人である事に違いはない。
「魔炎軍師殿か……魔王との戦いが終わったと言うのに、相変わらず忙しく動いておられるようだな」
封印宮の設計及び建築総指揮を担当する、赤毛の若者……魔炎軍師ソーマが、あまり明るくない笑みを浮かべた。
「戦いが終わった、などと心の底では思えずにいるからだろうな。それは君も同じだろう?」
「轟天将殿や、聖王女殿下もな……」
レイファは空を見上げた。轟天将ジンバと、聖王女レミー。魔王との戦においては、この2名が、最前線の将として最も過酷な目に遭っていたと言っていい。
特にレミー王女は、魔王の暴虐によって死んでゆく国民全ての命を背負って、戦っていたのだ。
そんな彼女に害をなそうとする者が、この国にはいる。
「魔炎軍師殿……私は1つ、聞き捨てならぬ噂を耳にしたのだがな」
「ダルトン公の事か」
ダルトン公は、ブレイブランド現国王アルザス2世の弟で、王子のいない現時点においては王位継承候補の筆頭と言うべき地位にいる人物である。その地位を脅かしているのが、他ならぬ聖王女レミーなのだ。
41歳の王弟に対する16歳の王女、という不利をたやすく覆してしまいかねない活躍を、彼女は魔王との戦いで、全国民に見せつけてしまった。豪奢な邸宅に籠って何もしなかったダルトン公としては、確かに心穏やかではいられないであろう。
もちろんレミー王女自身には、魔王討伐の実績を武器に王位を狙うような野心はない。共に死線をくぐり抜けたレイファ自身が、誰よりもそれを理解している。
ダルトン公が、勝手に怯えているだけだ。姪が自分の地位を脅かしているなどと、思い込んでいるだけなのだ。
「確かに聖王女殿下は、魔王との戦の最中から幾度となくお命を狙われていた。その全てがダルトン公の差し金であったのかどうかは、今となってはわからないが」
腕組みをしながら、ソーマが語る。
「魔王との戦いで、聖王女レミーの名声が大いに高まってしまった今……ダルトン公はこれからも、聖王女殿下を亡き者にしようと企むだろうな」
「あの下劣なる俗物が……!」
白く美しい歯を、レイファはギリ……ッと噛み合わせた。
「安穏と私腹を肥やしていられるのは、誰のおかげだ! 聖王女殿下が魔王と戦い続けてこられたからだろうが!」
レイファはつい、怒声を張り上げてしまった。人夫たちが何人か、ぎょっとしたように振り向く。
構わずレイファは、更なる怒りを声に込めた。
「今、私がやるべき事は1つ……」
「ダルトン公を殺そうと言うのなら、やめておいた方がいい」
ソーマが苦笑混じりに言った。
「あんな人物でも、今はこの国の秩序の中心近くにいる。殺してしまったら、無用の混乱が起こる……それにだ。君がそんな事をしたら、聖王女殿下のお立場が若干まずい事になるぞ。戦姫レイファが聖王女レミーに仕える最も忠実な戦士であるという事、広く知れ渡っているんだからな」
レイファがダルトン公を殺せば、それはレミー王女が殺したという事になってしまう。ソーマは、そう言っているのだろう。
殺してしまいさえすれば、そのような世間体はどうにでもなる。レイファとしては、そう思うのだが。
「そしてレイファ。君が聞き捨てならなかった噂というのは、その事ではないだろう?」
ソーマは、レイファの胸中を見抜いていた。
本当に、口に出すのもおぞましい噂である。それに耐えて、レイファは言った。
「鳳雷凰や烈風騎、それに魔海闘士……あやつらがダルトン公に雇われたというのは、本当なのだろうか」
「全く有り得ない話、ではないと思う。特に烈風騎は……平和な世の中では、生きてゆけない男だからなあ」
ソーマが天を仰いだ。
鳳雷凰フェリーナ、烈風騎アイヴァーン、魔海闘士ドラン。3人とも聖王女レミーの下、レイファやソーマと力を合わせて魔王と戦った、かけがえのない仲間たちである。
魔海闘士ドランは、魔獣属性の戦士たちの中でも特に怪異な容貌と、それに似合わぬと言うべきか、弱き者に対する労りの心を持った勇者であった。
烈風騎アイヴァーンは、普段の言動にいささか問題はあったにせよ、荒々しくも高潔な心の持ち主だった。同じ竜属性の戦士として、レイファは尊敬の念すら抱いていたものだ。
鳳雷凰フェリーナとは、はっきり言ってレイファは相性が悪かった。それでも、共に生死を賭けた戦いを経験した仲間なのだ。
「私には、信じられない。あの3人が……ダルトン公ごときに、金で飼われるなど……」
「高い報酬を求めて生きる事は決して間違いではない、と私は思うよレイファ」
ソーマが、穏やかに微笑んだ。レイファは思わず、睨みつけた。
「わかっているのかソーマ殿。仮にあの3人が、ダルトン公の命令で……聖王女殿下のお命を狙う事にでもなったら」
「私も君も、あの3人と戦わなければならなくなるな」
ソーマは、微笑んだままだ。
「そんな事になると、決まったわけではない。ただの噂だろう? 不確かな噂話に心を乱されるとは、戦姫レイファらしくもないじゃないか」
「不確かな噂だと私も思う。だけど貴公は言った、全く有り得ない話ではないと……私自身、心のどこかでそう思ってしまうんだ」
アイヴァーンは、確かに平和な世の中にはなじめない男だった。ドランにしても、自分の力は戦いでしか活かせない、と思い定めているところがあった。フェリーナは、何を考えているのかよくわからなかった。
3人とも、ダルトン公のような邪悪な人間と結び付いてしまうような要素を、確かに持ってはいたのである。
「……私は嫌だよ、魔炎軍師殿……」
声が微かに震えているのを、レイファは自覚した。
恐怖。それが今、レイファの身も心も凍えさせている。
「仲間と戦うなんて……私は絶対、嫌だよ……」
「……そうだな」
魔王に殺されかけた時ですら、これほどの恐怖は感じなかった。
「言い訳にしかなりませんが、魔王の力はあまりにも強大でした」
鉄骨に腰掛けたまま、聖王女レミーは俯き加減に語る。
「私たち全員の力をもってしても、命を奪うには至らなかったのです。封印するのが精一杯でした」
私たち全員というのは、要するにブレイブクエストのキャラクターたちの事であろう。恵介の戦闘デッキを構成する10名だけでなく、迅雷剣士ハヤテや魔海闘士ドランといった者たちも含まれているのか、ぜひ知りたいところではあるが、それよりもまず最初に、恵介としては確認しておかなければならない事がある。
「その封印ってのが……要するに、魔王をこっちの世界に押し込んじまうって事?」
「はい」
1度はっきりと肯定してから、レミーは続けた。
「ブレイブランドに、死せる湖と呼ばれる場所があります。そこが、こちらの世界とブレイブランドを繋げる、言わば異界への通路と呼ぶべき場所である事が判明したのは……魔王の圧倒的な力の前に、私たちが為す術もなくなり始めた頃でした」
「一縷の望みをかけて我々は、魔王を死せる湖へとおびき出し、総攻撃をかけた。結果、魔王をこちらの世界へと追い出す事に成功したのだ」
レミーを助けるように、ジンバが言う。聖王女1人に罪を背負わせまいとしている。恵介には、そう感じられた。
「聖王女殿下は大いに悩んでおられたが……私としては正直、ブレイブランドの平和さえ守られれば、こちらの世界などどうでも良かったのでなあ」
「……別に、悪ぶる必要ねえと思うぜ。虎のおっさん」
恵介は苦笑した。
自分にとっての魔王討伐イベントとは、回復アイテムを使いつつ攻撃または応援要請のボタンをクリックするだけの作業だった。
だがこの戦士たちにとっては、己の生死を賭けた戦いだったのだ。自身のみならずブレイブランドの人々の命をも守らねばならぬ、絶対に負けられない戦いだったのである。強大な敵を別の世界に追い出す手段があるのなら、選ばずにはいられなかっただろう。
「この事は、他の戦士たちは知りません」
レミーは顔を上げ、言った。
「皆、魔王はブレイブランドの地の底へと封印されたのだと思っています。そのつもりで戦ったのです。死せる湖が他の世界への通路であると知っているのは、この私だけ」
「お1人で罪を被るのは、おやめ下さい聖王女殿下」
ジンバが、レミーの言葉を遮った。
「この轟天将、及び鬼氷忍、魔炎軍師といった主だった者たちは知っておりますよ。皆、魔王を地の底へと封ずるためではなく、こちらの世界へと追いやるために戦っていたのです」
「まあ、どいつもこいつも共犯だってのはわかった。俺も、聖王女様1人が悪いとか言うつもりはねえよ」
恵介は、口を挟んだ。
「で……その魔王様は今、間違いなく世界にいるってわけだな?」
「我々が、いくらかは頑張ってそれなりの痛手を与えたのでな。恐らくは力の大部分を失った状態で、この世界のどこかをさまよっているはずだ」
ジンバが答える。
「が、失われた力はいずれ回復する。そうなる前に見つけ出し、とどめを刺さねばならん」
「今は大いに弱まっているとは言え、魔王……その禍々しい魂に引き寄せられて、魔王配下の怪物たちが、こちらの世界に入り込んで来ています。そして先程のような災いを……これから先も、もたらし続けるでしょう」
あの交差点での大破壊のような惨事が、これからも起こり得る。レミーは、そう言っているのだ。
「……貴方のお名前を、まだ聞いていませんでしたね」
「俺? 村木恵介」
「ではムラキケイスケさん。先程の災いは私たちが原因で起こったものであると、おわかりいただけたと思います……許せない、とお思いでしょうね」
「恵介、でいいよ……そうだなあ。さっきので俺の知り合いとかが1人でも死んじまってたら、許せねえって思うかも知んねえけど」
恵介は頭を掻いた。例えば矢崎義秀が、あのファイヤーヒドラに焼き殺されでもしていたら、自分はこの2人を許せないと思っただろうか。ふと、そんな事を考えてしまう。
「それよりさ……2人とも、こっちの世界をうろついてる魔王ってのを探さなきゃいけねえと。そういう事でいいんだよな?」
「はい。急がなければなりません」
レミーは頷いた。
「魔王が、力を回復させてしまう前に……仕留めなければ」
「その前に、探し出さなきゃいけねえんだろ? 雲を掴むような話じゃねえのか」
自分は何を言おうとしているのだ、と恵介は思ったが、口が勝手に動いていた。
「2、3日で出来る事じゃねえよな……泊まる所とか、どうすんの?」
「金はある」
ジンバが、硬貨らしき物の詰まった小袋を掲げて見せた。
「全て金貨だ。これでも高給取りなのでな……この世界の通貨は知らぬが、純金が無価値という事はあるまい?」
「そりゃそうだけど……聖王女様はともかく虎のあんた、まさかホテルとかに泊まるつもりじゃねえよな?」
「確かに、こちらの世界には人間属性の方々しかおられないようです……轟天将殿は、少し目立ち過ぎるかも知れませんね」
(あんたもな……)
水着のような鎧を着た美少女剣士の半裸身を盗み見ながら、恵介は思う。こちらの世界で行動するなら、まず服を用意する必要があるだろう。
「あんたたちさ……俺の家、泊まらない? 魔王が見つかるまで」
自分は何を言っているのだ、と恵介が思った時には、その言葉が口から出てしまっていた。
「もちろん金はいらないよ。その金貨はさ、何かに必要になるかも知んないから取っといた方がいいと思うぜ」
「貴様の家、だと……」
轟天将の目がギロリと、人食い虎の眼光を放った。
「うぬごときが独立して自身の家を持っておるとは思えん。貴様の親御の家であろうが。我らを泊めるなどと、勝手に決めてしまって良いのか」
「うん、まあちょっと……あんまり感心出来ねえ話なんだけど」
恵介は、村木家の恥を口に出してしまっていた。
「ちょっとワケありでさ……うちの親、俺の言う事は何でも聞いてくれるようになってんのよ」