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第37話 禍々しき者SR

『皆さん、耳を澄ませて下さい。軍靴の足音が聞こえませんか?』

 野党関係者と思われる男が、駅前で演説を垂れ流している。

 その周囲では何人もの中年男女が、道行く人々に声をかけ、ビラを手渡そうとしている。

 村木恵介は、さりげなく避けて歩いた。

 だが演説は、追いすがるように聞こえて来る。

『現政権は、日本を戦争の出来る国にしようとしています! それが国として普通の有り様だ、という意見もあるようですがしかし! 皆さんの、私たちの子供が徴兵されて海外へ送られ、人を殺す! 命を落とす! それが普通の国の有り様だと言うのなら、良いではありませんか異常な国で。知性と平和を尊ぶ「異常な国」でありたいと、私たちは思うのです。総理の推し進める軍国主義への逆行を止めるには、この日本が「異常な国」になるしかないのです!』

 綺麗事が、次第に総理大臣の悪口に変わってゆく。

 高校生の恵介が政治に関して思うのは、今の総理大臣は大勢の人間に悪口を言われて気の毒だ、という事くらいであった。

 日本が、海外で戦争の出来る国になる。

 それについての様々な意見が、普通に暮らしていれば嫌でも目に止まる。耳に入る。こうして道を歩いているだけでも聞こえて来るのだ。

 1つ、奇妙な噂があった。

 日本政府は極秘のうちに、中東やアフリカの紛争地域にすでに軍隊を派遣している、のだという。

 自衛隊ではない。海外派兵のための、特殊な部隊。

 そんなものが政府与党によって密かに編制・育成されていたのだ、という一笑に付すべき噂で、今のところはネット上で語られる都市伝説の域を出ていない。

 今のところは、だ。

 恵介は路地裏に隠れ、ビルの外壁を背もたれにしながらスマートフォンを取り出した。

 朝方、随分早くに目が覚めてしまったため、動画を適当に視聴していた。

 そして1つ、笑い飛ばす事の出来ない動画を発見してしまったのだ。

 視聴履歴の一番上にあるそれを、恵介は再生した。

 映し出された風景は、荒野あるいは砂漠か。

 兵士を満載した武装車両が何台も、土煙を立てて疾駆している。

 兵士と呼ぶべきかテロリストと呼ぶべきかは、まあ意見の分かれるところであろう。

 銃器をぶっ放しながら暴走する彼らに、正面からぶつかって行く者たちがいる。

 装甲車、に見える。いや、それにしては小さい。そして車両ではなかった。タイヤではなく、太く力強い四本足で砂漠を駆けている。

 乗用車ほどもある、大型の四足獣であった。

 装甲を着せられた、グレートキマイラである。

 何頭ものそれらが、その背にオークソルジャーやソードゴブリンを騎乗させている。

 彼らが手にしているのは、槍や剣ではなかった。小銃、あるいは擲弾砲。

 幻想世界の生き物たちが、現実世界の銃火器を携え、武装勢力の軍勢に突っ込んで行く。

 ソードゴブリンによる銃撃が、オークソルジャーのぶっ放す擲弾砲撃が、武装勢力の兵士たちを薙ぎ払い吹っ飛ばす。

 グレートキマイラの体当たりが、武装車両をぐしゃりと粉砕する。

 ファイヤーヒドラもいた。その巨体に銃撃を浴び、体液の飛沫を飛散させながら、炎を吐いている。武装車両に乗った兵士たちが、暴走しつつ火葬される。

 画面が揺れた。動画を見ているだけの恵介にまで、地響きを感じさせる足音。

 甲冑あるいは装甲をまとった、何体ものメガサイクロプスが、戦場を蹂躙していた。

 巨大な豪腕が、片っ端から武装車両を持ち上げ、投擲する。砂漠のあちこちで、墜落と激突と爆発が起こる。

 まるでハリウッドの新作PVであった。

 予算と技術があれば、この程度の映像は作れる。恵介は無理矢理、そう思い込もうとした。

 無責任なコメントの群れが、怒涛の勢いで画面上を横切って行く。皆、娯楽としてしか見ていない。

 画面が切り替わった。

 今度は街中である。

 どこかの国の、政府軍か反政府軍かは不明である。

 とにかく兵士たちが、瓦礫の陰からひたすら小銃をぶっ放していた。どうやら敏捷に動き回っているらしい、標的に向かってだ。

 その標的が一瞬、画面に映った。

 チャイナドレスのような衣装をまとう、胸の膨らみ。荒々しく、横殴りに揺れている。

 その衣装の裾を割ってムッチリと躍動する、左右の太股。膝蹴りが、兵士の顔面を粉砕する。眼球と脳漿が、一緒くたに噴出した。

 十二節棍が、超高速で海蛇の如く宙を泳ぎ、兵士たちを薙ぎ払う。

 小銃を乱射する、以外の思考を一切失った幾つもの脳が、頭蓋骨やヘルメットもろとも砕け散って噴き上がる。

 間違いない。闘姫ランファ、ではないのか。

 そんな事を思いながら恵介は、スマートフォンを握り締めた。その手が、震えた。

 画面の中で兵士たちが、ことごとく鮮血をしぶかせているからだ。

 皆、ランファに撲殺された屍よりは綺麗な状態で、死んでゆく。

 閃光が、彼らの首筋を切断し、あるいは眉間を穿って後頭部へと抜けた。

 その閃光は、細身の刃の切っ先だった。

 閃光を操る剣士が、小銃で武装した兵士たちを片っ端から鮮血の海に沈めてゆく。秀麗な顔立ちを、嘲笑の形に冷たく歪めながら。

「……武公子……カイン……!」

 恵介は思わず、スマートフォンを路面に叩き付けてしまいそうになった。

 そうする前に、またしても画面が切り替わった。

 今度は、どこかの村である。村人たちが、逃げ惑っている。

 機銃を乱射しながら低空飛行をする、1機のヘリコプターからだ。

 欧米のどこかの軍が、罪もない村を武装勢力と認定して戦闘ヘリを派遣したところ、であろうか。

 とにかくテロリストとは縁のなさそうな村人たちが、機銃掃射の直撃を受けてことごとく砕け散ってゆく。

 原型をなくした屍の傍で、子供が泣き叫んでいる。その周囲で地面が砕け、土が噴き上がる。

 機銃の狙いが、乱れていた。戦闘ヘリが、空中で激しく揺らいでいる。

 人影が見えた。ヘリの機体に、外側からしがみついている1人の男。

 青年、であろうか。秀麗な顔立ちがニヤリと歪む様が、辛うじて見える。

 その青年は、角を生やしていた。左右2本の、鋭利な角。片方は、半ばから先が欠損しているようだ。

 武公子への怒りと憎悪が一瞬にして凍りつくほど、恵介は戦慄していた。

「魔王……!」

 ヘリの機内で、搭乗員たちが恐慌に陥っている。その様が、はっきりと見える。画質は悪くない。

 魔王が戦闘ヘリの機体をよじ登り、片手を伸ばした。

 轟天将ジンバの鉄球をも弾く素手が、猛回転するローターを無造作に掴んで引きちぎる。

 ヘリが墜落し、地面に激突してグシャグシャに潰れ砕けながら、爆発した。

 爆炎の中から、魔王が悠然と歩み出して来る。

 筋骨たくましい裸身が、爆発の炎に照らされて禍々しい色艶を帯びる。無傷、である。

 堂々と全裸を晒す魔王に向かって、村人たちが平伏した。地面にべったりと上半身を密着させ、伏し拝んでいる。

 イスラム圏の国であるとしたら、偶像崇拝は禁止されているはずであるが、この村人たちは偶像ではない神の姿を、魔王に見出してしまったのだ。

「一体、どうなってやがる……何なんだよ、これは……」

 恵介は呻いた。

 平伏する村人たちを、特に興味もなさそうに見渡している魔王の傍に、いつの間にか誰かが佇んでいる。

 全身を露出なく覆う、砂漠系の民族衣装。細い体型から、どうやら女性であろうとは推測出来る。ヴェールを被っており、顔はよく見えない。

 その衣装の、胸の辺りで、小さな何かが動いた。小動物、のようである。

 砂漠の衣服の内側で、彼女は1匹の仔猫を抱いていた。



 軍兵の全てが、アームドゴーストである。

 様々な種の魔物たちで構成されていた以前の軍勢よりは、統一性があると言えるかもしれない。

「さあやれ、赤の賢者よ。以前のような失態は許さぬぞ」

 輿の上から、ダルトン公が命令を下す。鳳雷凰フェリーナを、侍女あるいは愛妾の如く傍に侍らせながらだ。

 アームドゴースト4体が担ぐ輿。それはもう1つあり、こちらには赤の賢者が乗せられている。

 無言のまま彼女は、封印宮へと向かって片手を掲げ伸ばした。

 鬨の声を発する事もなく、アームドゴーストの大軍が整然と行軍速度を高めて行く。

 封印宮を、攻め落とす動き。

 この怪物たちは、遥か昔に魔王と戦い、敗れた者たちの成れの果てである。

 だから魔王の力を断片的にとは言え体内に宿している、この赤の賢者という少女には逆らえない。今のところ、指令に従ってはくれる。

「諦める、という動詞をご存じないようですな。ダルトン公」

 声がした。

 封印宮のいくらか手前で隆起した、高台の上。人影が1つ立って、こちらを見下ろしている。片手で、小さな水晶球をころころと弄びながら。

「手勢を失い、大人しくなって下さるかと思えば……その不屈の闘志、民衆のため良き方向へと活かしていただくわけには参りませぬのか」

「手勢など、いくらでも集まるものよ。ブレイブランドの真の支配者たる、この私の下になあ!」

 新たなる異形の軍勢を、王笏で尊大に指し示して見せながら、ダルトン公が言い放つ。

 彼は知らない。このアームドゴーストたちが、一体どこからもたらされた戦力であるのかを。

 赤の賢者が都合良くどこからか召喚したもの、と思い込んでいる。

「愚かな……そして哀れな御人よ」

 高台の上で、魔炎軍師ソーマは嘆息した。

 哀れな、というのは本心であろうとフェリーナは思う。

 このダルトン公という人物を、哀れな道化に仕立て上げているのは、自分とソーマなのだ。

「まあ良い……以前の如く、貴方にはこのままお帰りいただく」

 魔炎軍師の手の中で、水晶球が転がりながら炎を発する。

 その炎が、すぐに消えた。

 ソーマが、軽く息を呑む。彼にとっても想定外の何事かが、起こりつつある。

 何が起こっているのか、フェリーナは即座に理解した。

 霧が、生じているからだ。

 それほど遠くはない封印宮が、霞んで見えなくなるほどに濃く白く、そして冷たい霧。

 魔炎軍師ソーマの炎をも無効化してしまうほどの、冷気の霧であった。

「さ、寒い……! 温めよフェリーナ、私を温めるのだ!」

 抱きついて来るダルトン公を無造作に払いのけながら、フェリーナは声を発した。

「鬼氷忍ハンゾウ……貴方なのね? 一体どういうつもりなのか、教えてくれる気はあるのかしら」

「君たちがどういうつもりなのか、教えて欲しいのは僕の方だよ。鳳雷凰、それに魔炎軍師」

 広大なヴァルメルキア大平原の、この一帯のみを白く塗り潰すかのような濃霧の中。姿を現さぬまま、鬼氷忍ハンゾウは言う。

「あの封印宮で君たちは一体、何をしようとしている? 魔王をこちらの世界に呼び戻す、以上に禍々しい事を2人して目論んでいるとしか僕には思えないんだが」

 アームドゴーストの軍勢が、動きを止めている。ほとんど霜に近い、冷気の霧の中で、凍りついてゆく。

「封印宮の内部を、僕はつぶさに見て回ったよ。死せる湖で閉じたり開いたりしている、異世界への門と通路を……永久に封印するための、魔法施設。君は最初そう言ったよね魔炎軍師? 僕はそれを信じた。半分くらい、騙された気分だよ」

 白く凍りついたアームドゴーストが、1体また1体と、ガラス細工のように砕け散ってゆく。

「封印宮は……死せる湖が持つ、異世界との往来機能を、封印すると言うよりは制御するための施設であるようだね。その制御が出来るのは今のところ魔炎軍師ソーマと鳳雷凰フェリーナ、君たち2人だけだ。僕でもまあ、あちらの世界に分身を送り込む程度の事は出来るけれど」

「君は頭の切れる男だ、鬼氷忍」

 濃霧の中のどこかから、ソーマの声が聞こえる。

「だから、そのように色々と考え過ぎてしまう……封印宮の役割はただ1つ。魔王を、あちらの世界へ封印しておく事。それだけだよ」

「その魔王に関して1つ、お知らせしておこうか」

 霧の中でハンゾウは、少しだけ笑ったようだ。

「あちらの世界で魔王は今や完全に力を取り戻しつつある。その力で、あの世界に君臨する道を歩み始めているよ。フェリーナも知っての通り腐りきった世界だ。魔王による破壊と殺戮と征服で、もしかしたら良き方向へと変わり始めるかも知れない。そうなったとしたら、あの少女と仔猫の功績と言えるかな」

 ハンゾウが、意味不明な事を言っている。

「ともかく。魔王がブレイブランドに戻って来る事は、もはやほぼ有り得ないと言っていい。つまりダルトン公それに赤の賢者殿、あなた方の存在は意味を失ったという事だ」

「何を言っているの……お黙りなさい鬼氷忍!」

 フェリーナは鞭を振るった。

 電光を帯びた鞭が、雷鳴を発した。

「貴方らしくもない、つまらないお喋りを……まだ続けるつもりなら私、貴方を殺さなければならなくなるわよ」

「奇遇だね。僕も君たちを、殺してでも止めなければと思っているところさ」

 殺す、などと冗談で言う男ではなかった。

「ダルトン公、貴方のような役立たずをこの2人が大層に担ぎ上げ生かしておいている理由、考えた事はおありか? 貴方はね、言ってみれば身代わりなのですよ。聖王女殿下の、ね」

 ハンゾウの言葉を、しかしダルトン公が聞いているとは思えなかった。

 フェリーナの隣で、公の肥満した身体は、真っ白に凍りついていた。

「聖王女レミーと轟天将ジンバ。この両名が、あちらの世界で魔王と戦った結果……まあ現実には目を覆いたくなるほどの惨敗だったわけですが、あのお2人がもしも勝っていた場合。勝ったとしても魔王の絶命には至らず、魔王を再びこのブレイブランドへと押し戻す結果となってしまった場合。そこにダルトン公、貴方の出番があったわけです」

 フェリーナは跳躍した。

 輿を運んでいたアームドゴースト4体が、凍結しながら砕け散ったのだ。

 輿は落下し、白いガラス細工のようだったダルトン公の肥満体が、地面に投げ出されて同じく砕け散る。

「その時、民衆の憎しみを受けるのは聖王女レミー、ではなく貴方でなければなりません。ダルトン公、貴方が魔王を復活させてしまった……という形が必要だったのですよ」

 フェリーナは、軽やかに着地した。

 その傍らでは、赤の賢者が乗った輿も地面に投げ出されていた。

 赤いローブが霜で白く固まりかけた状態のまま、彼女は震えている。

「さ……寒い……冷たいよぉ……」

 残滓とは言え、魔王の力を体内に埋め込まれているだけの事はある。鬼氷忍の冷気に、素人である少女が辛うじて耐えている。

 フェリーナも、それにソーマも耐えられる。

 だが鬼氷忍ハンゾウの能力は、冷気だけではないのだ。

「茶番劇は、これで潰えた。さあフェリーナそれにソーマ、封印宮を本当の意味で封印したまえ」

 ハンゾウ本人の気配が近くに降り立ったのを、フェリーナは感じた。

「異世界へと繋がる門を、今のように中途半端に開いたままでは……あちらの世界から、魔王よりも厄介なものがやって来てしまうぞ。そう、勇者さ。勇者は今、あちらの世界で順調に憎しみを育てている。未熟とは言え、魔王と同質の存在に成りかけている」

「嘘!」

 ダルトン公の凍った肉片を、電光の鞭で叩き散らしながら、フェリーナは叫んだ。

「あんな腐りきったクズどもしかいない世界に! 魔王と同格以上の勇者など、存在するわけがないわ!」

「確かにね。あの世界からこちらに流れて来るのは、例えば青の賢者のようなゴミ同然の有象無象ばかりだった。異世界からやって来た勇者など、ろくなものじゃあない。ブレイブランドの今までの歴史が証明するようにね」

 白く冷たい濃霧の奥から、鬼氷忍の気配が、言葉と共に忍び寄って来る。

「だけど、あの村木恵介だけは違う。あの少年は、魔王よりも恐ろしいものと成り得る……本物の、勇者だよ」

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