第33話 思いを実現する者R
「……どうして? どうして、こんな事に……なってしまったんだろう……」
死せる湖……封印宮から、いくらか離れた町である。
確かダルトン公と近しい、何とかいう伯爵の領地であったはずだ。
その街中を、戦姫レイファは、とぼとぼと歩いていた。
否。もはや戦姫などという大層な二つ名は返上しなければならないだろう。
自分は、戦いから逃げてしまったのだから。
安物のマントを羽織っている。その下には普段通り真紅の甲冑をまとい、愛用の青竜刀を携えてもいる。
戦いの装束をまとってはいるが、自分はもはや戦士ではない。
戦場から、逃げて来てしまったのだから。
「魔王は倒れたんだぞ? なのに、何で……こんな事に、なってしまうのかなぁ……」
独り言を漏らしながら歩く竜属性の女戦士を、道行く人々が薄気味悪そうに横目で見たり、見て見ぬふりをしたりしている。
「それは確かに、私なんて大して役に立っていなかったけど……だけど、私たち皆で力を合わせて、魔王を倒したんだぞ……なのに何で……」
どれほど悲しい事があったとしても、それは戦いから逃げても良い理由にはならない。そんな事はレイファとて、頭ではわかっているのだ。
「何で……今度は、力を合わせた仲間同士が……戦わなければ、ならないんだ……?」
その戦いを自分は、魔炎軍師ソーマ1人に押し付け、逃げてしまった。
「ああ、わかっているとも……逃げた者には、何か言う資格なんてない。私なんか、もう一生……泥の中の貝みたいに、口を噤んでいるしかないんだ……」
呟きながらレイファは、足を止めた。
あまり愉快ではない光景が、行く手を塞いでいる。
「誰がこの町を守ってやってんのか! てめえ、わかってんのかあ!?」
「わかってねーだろ、この愚民クズが!」
この町の、衛兵たちであろう。
官給品の鎧と槍で武装した、だが中身はゴロツキ同然の男が5名。飯屋か居酒屋か判然としない店の前で、1人の中年男性を蹴り転がしている。直立したカバのような姿をした、恐らくは魔獣属性の人物。
「お、お許しを……どうか、お許しを。どうか……どうか……」
店の主人なのであろう、その中年男が、太った身体のあちこちをガスガスと踏み付けられながら懇願している。
「どうか、お代を……他のお客様は、払って下さいます。ですから」
「クソ愚民どもと俺らを一緒にするってか、おう!」
兵士の1人が、店主の口元に蹴りを入れた。鮮血が飛び散った。
「大して税金も払ってねえくせに文句しか言わねえテメエらクソどものためによぉ、俺らがどんだけ大変な思いしてんのか、ちったあ考えた事あんのかゴルァア!」
「蟻みてえに働くしか能のねえ低所得者どもがなあ、俺らから金取ろうなんざなああああ!」
兵士の1人が、店主の丸い腹部に槍の柄を叩き込む。
太った身体を丸め、痙攣させながら、店主は血を吐いた。
レイファは、声を投げた。
「やめろ」
「何だぁ!?」
兵士5人が、ぎろりと振り向いてくる。
「おい女、俺たち正規兵のやる事に文句つけようってのか!」
「まあ待て。よく見りゃ可愛い姉ちゃんじゃねえか、おう」
兵士の1人が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら歩み寄って来る。
「それにしちゃあ物騒なもん持ってんなあ。怪しいなあ……俺たちゃ、町の治安を守らなきゃならねえからよ。姉ちゃん、あんたを取り調べなきゃならねーんだなぁコレがよお」
「物騒なものとは、これの事か」
右手に携えた青竜刀を、しかしレイファは振るわず、代わりに左手を振るっていた。
無論、本気ではない。
本気であればオークソルジャーの脛骨をも捻り折る平手打ちが、兵士の顔面を打ち据える。
「安心するといい……お前たちを相手に、これを使うつもりはないから」
打ち据えられた兵士が、錐揉み状に回転しながら倒れ、鼻血を噴き、小便を漏らし、痙攣する。
他4人が激昂し、槍を構えた。
「てめ……自分で何やってんのか、わかってんだろうなクソ女があああ!」
「俺らに刃向かうってのぁなあ、グレコス伯爵に刃向かうってのと同じだぜえ……わかるかコラ」
グレコス伯爵というのが、この町の領主の名前であるらしい。大方、ダルトン公に賄賂でも送っているのだろう。
「つまりよ、ダルトン公に逆らうってのと同じ事なんだぜえ姉ちゃんよ」
「裸ンなってよォ、こっちにケツ向けて土下座しろや! イイ声出したら許してやっからよぉおお!」
喚く兵士の顔面に、レイファは蹴りを突き込んだ。
安物のマントが割れ、むっちりと強靭な太股がはしたなく跳ね上がり、そして兵士の顔面には足型が刻印される。
「白昼堂々、街中で……何という事を叫んでいるんだ」
折れた前歯を吐き散らし、倒れてゆく兵士に向かって、レイファは虚ろに苦笑した。
「お前たちのような輩と、対等に張り合っているのが……今の私には、ふさわしいのかも知れないな……」
手加減すら、面倒臭くなってきた。
5人とも、首の骨をへし折るか。使わないとは言ったが、青竜刀で首を刎ねた方が楽に死なせてやれるか。
レイファがそんな事を思いかけた、その時。
複数の人影が、路上に降り立った。
固く重い足音が響いた。全員、甲冑を身にまとっている。
骨の鎧、であった。
人骨を、板金状に加工して繋ぎ合わせたかのような、異形の全身甲冑。
兜のみならず、肩当てで、胸板で、腰や膝で、頭蓋骨が牙を剥いている。
それら頭蓋骨全てが、眼窩の中で光を灯していた。虚ろな、それでいて不気味な生気を感じさせる眼光。
そんな禍々しい具足に身を包んだ何者かが、およそ10人。兵士たちを護衛するかのように姿を現し、レイファに槍を向けている。まるで魚の骨のような形状の穂先だ。
「何だ……貴様たちは……」
無意識に、レイファは後退りをしていた。
彼らの禍々しい甲冑は、こけ脅しではない。全員、恐ろしいほどの手練れである。
「へ……来やがったな」
レイファ1人に圧倒されかけていた兵士たちが、勢いを取り戻し始める。
「こいつらは、アームドゴースト……赤の賢者様がなぁ、俺たちのために召喚して下さった、頼もしいバケモノどもよ」
赤の賢者。
ダルトン公の腹心として、魔物の軍勢を統轄している、と言われている人物だ。
すなわちダルトン公が、グレコス伯爵のような己の思い通りになる貴族領主に、戦力を提供しているという事なのか。
ダルトン公は、己の野心のみで魔王の復活を企み、魔王の残党である怪物たちを兵隊として使っている。
このアームドゴーストと呼ばれたものたちも、オークソルジャーやファイヤーヒドラと同じく、魔王配下の戦力であるのか。
だが、とレイファは思う。かつて自分たちが魔王と戦った時には、いなかった者たちである。
アームドゴースト。新たなる魔物の種族が出現した、という事か。
それは、魔王復活の前兆のようなものではないのか。
(だ……だとしても、私に出来る事なんて……)
レイファはさらに1歩、後退りをしようとしたが出来なかった。
3、4体のアームドゴーストが、すでに背後に回り込んでいる。
「私は……私は、戦いから逃げてしまったんだ……あうっ!」
アームドゴーストの1体が、踏み込んで来た。魚の骨のような槍の一撃が、レイファの手元を襲う。
青竜刀が、叩き落とされた。
痺れる右手を左手で押さえながら、レイファは突破口を、ではなく逃げ道を探した。
だが10体前後のアームドゴーストが、全方向で槍を構えている。
「おいおいおい、殺すなよォー!?」
兵士たちが、耳障りに囃し立てる。
「上手え具合に手足でもヘシ折ってくれりゃあ、後は俺らがヤるからよぉおおお!」
もちろん、そんな事になる前に舌を噛み切るしかない。
(戦姫……などと呼ばれて思い上がっていた、愚かな小娘に……ふさわしい死に様か……)
レイファがそう思った瞬間、風が吹いた。
その風が、アームドゴーストの1体を貫いた、ように見えた。レイファの正面で槍を構えた1体。骨の甲冑に、いきなり大穴が穿たれたのだ。
目視し難い何かが、突き刺さるとほぼ同時に、引き抜かれていた。
槍、である。魚の骨の形などしていない、まっすぐな槍先。
それが、もう1体のアームドゴーストを刺し貫く。
「どうした……らしくねえな、戦姫レイファ」
懐かしい声と共に、槍がくるりと回転する。
2体のアームドゴーストが、穿たれた部分から細かくひび割れ、砕け崩れていた。
骨の甲冑に、中身はなかった。
「こんな雑魚ども相手によ。一体、どうしちまったんだい」
槍を振るう身体が、躍動している。背中で皮膜の翼を折り畳み、尻尾をうねらせながらだ。
レイファと同じ、竜属性の戦士。無駄なく鍛え込まれた長身に、青い鎧をまとっている。
その身体に、アームドゴーストたちが、魚の骨のような槍を一斉に突き込み、叩き付けた。
それらが、ことごとく空を切り、あるいは弾かれ、受け流される。
「おめえさんはなぁレイファ、何か思い込んだり悩んだりするとアレだな。実力の3分の1も出せなくなっちまうからなあ」
そんな言葉と共に、まっすぐな槍先が疾風の速度で唸り、骨の甲冑たちを穿ち砕いてゆく。
「れ……烈風騎……アイヴァーン……」
レイファが名を呼んでいる間に、アームドゴーストの最後の1体が、縦真っ二つになっていた。
槍という斬撃に向かぬ武器で、このアイヴァーンという若者は、見事な両断をやってのけたのだ。
「烈風騎……だと!」
兵士たちが、またしても狼狽し、後退りをする。
「ま、間違いねえ……魔王退治の……」
「烈風騎……アイヴァーン……!」
同じ魔王討伐の勇者でも、戦姫レイファの名前など、彼らの頭をかすめもしないようである。
そんな事には関係なく、レイファは涙を流していた。
「あ……アイヴァーン……私……わたしは……」
「お、おい。どうしたんだ本当に」
アイヴァーンが、うろたえている。
しゃくり上げながら、レイファは問いかけた。
「貴公は……何故、こんな所に……?」
「仕事さ。ここの領主のグレコス伯爵ってのが、くだらねえ事してやがるみてえだからな。今からシメに行くところよ」
賄賂を贈ってダルトン公の庇護を受け、不正な搾取を行っている貴族・領主の類を、取り締まる。
烈風騎アイヴァーンがそんな仕事をしているという話は、レイファも聞いていた。
「ったくよ、クソみてえな仕事さ」
「そんな事はない……貴公は、立派な仕事をしている……」
ぽろぽろと泣きながらレイファは、相手に聞こえる声を発するので精一杯だった。
「仕事を……戦いを……放り出して逃げて来た、私とは……大違いだなぁ……」
「……なあレイファ。本当に、何があったんだよ」
アイヴァーンはいくらか長身を屈め、俯くレイファと目の高さを合わせてくれた。
「おめえさんが、ただ逃げて来るだけの女じゃねえって事くらい俺も知ってる。あれから……魔王の野郎を地面の下に埋めちまってから、そりゃいろんな事あったよなあ、みんな。俺も、おめえら姉妹も。轟天将とか魔炎軍師とか、そのへんの連中もよ」
優しい、懐かしい声が、レイファには辛かった。
「平和って、もっといいもんだと思ってたけどな……案外そうでもねえ。おめえもよ、そんな思いしてるとこじゃねえのかい? 言ってみろよ、何があったか。つまんねえ事でもいいからよ」
「アイヴァーン……」
かつての仲間……魔海闘士ドランが、ダルトン公に与し、悪しき行いに手を染めている。
それをアイヴァーンに話すべきかどうか、レイファは迷った。
迷っている間に、またしても風が吹いた。
その風が、兵士たちを直撃していた。
逃げようとしていた兵士5名が、ことごとく脳漿を噴いた。眼球を、歯を、頭蓋骨の破片を、宙に散らせた。
首から上の原型を失った屍が5つ、崩折れ、倒れてゆく。
レイファは目を疑った。
烈風騎の槍に劣らぬ速度で宙を裂き、兵士たちを粉砕したもの。それが十二節棍であったからだ。
青竜刀と比べて格段に扱いの難しい、この武器を、ここまで鮮やかに使いこなせる戦士。レイファの知る限り、1人しかいない。
海蛇の如く宙を泳いでいた十二節棍が、その戦士の手元で連結し、1本の長棍となり、ヒュンッと回転する。
「余計な事には首突っ込まないでね……あんたはボンクラ貴族どもを狩ってシバいて世直ししてりゃいいのよ、烈風騎アイヴァーン」
女戦士であった。
しなやかな背中で皮膜の翼を畳み、豊麗な尻から艶やかな尻尾を伸ばした、竜属性の美少女。引き締まった胴には、綺麗な腹筋が浮かんでいる。腹筋も臍も見える、まるで聖王女レミーのような格好だ。
「何にも考えずに戦う。それが、あんたに割り当てられた仕事なんだから……おやおや? 一緒にいるのは誰かと思えば」
下着のようなものが、胸と腰に巻き付いている。それも、たわわに発育した乳房と力強い安産型の尻によって、今にもちぎり飛ばされてしまいそうである。
下着、と言うか水着であった。
「役立たずの姉上が、こんな所で一体何をしてるのかなあ? 役立たずなりに仕事がんばってるかと思えば、それも放り出して」
「ランファ……」
間違いない。
そこにいるのは、一段と際どい格好をした、闘姫ランファであった。
服装はともかく。鬼氷忍ハンゾウの下で、あまり公には出来ない仕事をしている妹が、こうして姿を現した。意味するところは1つしかない、とレイファは思う。
(つまり……私たちを、消す……という事か? ランファが……)
封印宮、1階の大広間である。
吹き抜けで、2階から見下ろす構造になっている。
その大広間の床一面に描かれた、様々な魔力の紋様から、煙のような湯気のような気体が発生し続ける。
霊体のようでもあるそれらが、やがて人型に固体化し、直立して整然と並ぶ。
骨の甲冑、としか表現し得ぬ姿。魚の骨のような槍を携えた、異形の兵士たち。
「……さすがだな、青の賢者殿」
2階から彼らを見下ろしつつ、魔炎軍師ソーマは言った。この好ましからざる人物を、賞賛せざるを得なかった。
「あちらの世界へ行ってしまった、魔王の軍勢……その代わりとなるべき戦力が、こうも容易く揃うとは」
「私の力ではありませんよ、魔炎軍師殿」
青の賢者が、慇懃無礼そのものの口調で謙遜している。
「彼らは、元々この封印宮に……と言うより、死せる湖にたゆたっていた者たちです。水の代わりのように、死せる湖を満たしていた彼らが、とりあえず物理的な存在として固着したもの。それが、このアームドゴーストたちなのですよ」
「元々、死せる湖に存在していた者たち……か」
ソーマも、伝説としては聞いた事がある。
「死せる湖とは元々、このブレイブランドと、私の元いた世界……だけではない様々な異世界と繋がる、多岐路の門。それは魔炎軍師殿、貴方のおっしゃっていた伝説の通りでありました」
「遥か古の時代、様々な異世界より数多くの怪物たちが、この死せる湖を通ってブレイブランドに現れた……そのような伝説が、真実であるとでも?」
「ええ。その怪物たちは、異世界よりの来訪者……つまり、私の同類のようなもの」
整然と実体化してゆくアームドゴーストの軍勢を見下ろしながら、青の賢者は語る。
「遥か昔、この死せる湖に、異世界の怪物たちは姿を現しました。戦い、殺し合いながらね」
「その殺し合いを勝ち抜いて、死せる湖から上陸し、ブレイブランドに災いをもたらした怪物……それが、魔王」
「つまり、この死せる湖には、魔王に殺された異世界の怪物たちの……亡霊や怨霊、と呼べるほど強大ではない、まあ残留想念とでも言いますか。とにかく、そんなものが満ちているのです。私が彼ら自身から聞いた話ですからね、間違いありません」
「異界の怪物たちの、残留想念……私には、そんなものは見えない。感じられない。魔力・霊感の類には、そこそこ自信があるのだがな」
「当然ですよ魔炎軍師。貴方であれ、どなたであれ、ブレイブランド生まれの方々に彼らを認識する事は出来ません。彼らを見て、彼らと話し、彼らを導く。それが出来るのは彼らと同じ、異世界からの来訪者……すなわち、この私です」
無力な残留想念を、アームドゴーストという形で実体化させ、物理的な戦力とする。
それが出来るのは、異世界からの来訪者である青の賢者だけだという事だ。
同じように異世界から来た赤の賢者にも、同じ事は出来るのだろうか。
アームドゴーストの部隊を数個、鳳雷凰フェリーナを通じて、密かにダルトン公のもとへ送っておいた。
ダルトン公本人は、魔王配下の新たなる怪物たち、としか思っていないはずだ。
赤の賢者に、アームドゴーストたちを上手く操る事が出来れば。ダルトン公は、新たなる戦力を得た事になる。
「まだまだ、この程度ではありませんよ」
青の賢者が言った。
「死せる湖が、私にくれた力……まだまだ、こんなものでは」
言いつつ彼は、懐から何かを取り出し、眺めている。
何枚もの、絵札であった。
聖王女レミーが、鳳雷凰フェリーナが、戦姫レイファが、美麗な筆致で描かれている。
「異界の怪物たちは、私に……思いを現実のものにする力をね、くれたのですよ」
1枚だけ、何も描かれていない絵札があった。
「暴れ者の烈風騎アイヴァーンに、しばらく大人しくしていて欲しい……魔炎軍師殿は、そう言っておられましたね」
「我々とダルトン公との戦いに、参加させたくない。この戦いに関わらせるわけにはいかない、近付けたくない……とは言ったが」
ソーマは思わず、青の軍師の胸ぐらを掴んでしまうところだった。
「まさか貴公……何やら勝手に、手を打ったわけではあるまいな?」
「私は何もしていませんよ。彼女が、行ってくれたのです」
何も描かれていない絵札を、青の軍師はひらひらと見せびらかした。
「私が昨年のサマーイベントで手に入れた、闘姫ランファ・魅惑の夏バージョンUR……いやあ、生半可な課金では済みませんでしたね。思わず借金をしてしまいましたよ、友人を保証人にしてね」




