表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/37

第32話 癒す者UR

 殴って気絶させてでも、止めるべきであろう。

 轟天将ジンバは、頭ではそう理解していた。

「あの野郎! あの野郎だけは、ぶっ殺す!」

「お、落ち着けって恵介君! 今は絶対安静なんだから!」

 寝台から跳ね起きようとする村木恵介を、矢崎義秀が止めている。

「今はさ、とにかく怪我ぁ治せよ。な? な?」

「俺がのんびり怪我なんぞ治してる間に、あのクソ野郎がまた誰か殺す!」

 叫びながら恵介が、寝台の上で苦しげにのたうち回る。口を開けて声を発するだけで、激痛が走る状態なのだ。

 顔面の骨に亀裂が入り、歯も何本か折れている。

 恵介の首から上は、ほとんど包帯であった。

 包帯の隙間で、両眼が憎しみに血走り、歯の欠けた口が絶叫を吐き散らす。

「ブレイブランドから、わざわざ人殺すためだけに来てんだよアイツらぁよおおおおお!」

 激痛をも圧倒するほどの、怒りの叫び。

 ジンバの心に、突き刺さる叫びであった。

 聖王女レミーが、俯いている。彼女の心にも、突き刺さっているだろう。

 まさしく自分たちは、ブレイブランドからこちらの世界へと、殺戮の災いをもたらしているのだ。

 村木家。恵介の、自室である。

 入院するほどの重傷ではなかった。武公子カインが、嬲り殺すつもりで充分に手加減をしたのだろう。

 嬲り殺されるところであった恵介が、なおも叫ぶ。

「殺す! あの野郎は俺が殺す! 絶対ぶっ殺す!」

「ねえ恵介、お願いだから安静にして」

 泣きそうな声を発しているのは、恵介の母・村木浩子だ。

「誰? 一体誰が、こんな……ひどい事……ねえ警察には行ったの? 警察は、何もしてくれなかったの? ねえ恵介……一体、何があったのよう……」

「何でもねえよ。俺が……ケンカして、負けただけだ」

 武公子カインの名を、恵介はあれから1度も口に出していない。母の前でも、そしてレミーの前でも。

「借りは、俺が返す……俺が、あの野郎をぶっ殺す! こうしちゃいられねえ、稽古つけてくれよ轟天将! 俺を殺すつもりで鍛えてくれよう! ほんとに死んじまっても俺、恨まねえから! アイツに負けっぱなしの俺なんか、死んじまった方がいいんだよぉおおおおおお!」

「……まずは、傷を治せ。焦っても強くはなれん」

 それだけを、ジンバは言った。

 母親の前で、自分は死んだ方がいいなどと叫ぶ恵介を、本来ならば殴って気絶させてでも黙らせるべきであった。そうして無理やりにでも、安静にさせるべきなのだ。

 ジンバはしかし、それが出来なかった。

(私に、そのような資格はない……今の私もまた、恵介と同じ)

 魔王に、敗れた。戦いにすらなっていなかった、と言っていいだろう。恵介が武公子カインに、虫けらを踏みにじるが如く扱われたように。

 今、寝台の上で怒り喚いている少年の姿は、そのまま自分の心でもある。ジンバはそう思う。

 恵介がいなかったら自分が、同じように喚いていただろう。魔王に敗れた自分は死んだ方が良い、などと叫んで、レミー王女を辟易させていたであろう。

「こりゃあ、最終兵器を使うしかねえな……」

 矢崎が、意味不明な事を言っている。

「待ってろ恵介君。一発で安静になれる薬、持って来てやっから……浩子さんもレミーちゃんも、ちょっと一緒に来てくれるかな」

 3人が、部屋から出て行った。

 恵介とジンバだけが、残された。

 自分も出て行くべきか、とジンバは思ったが、すでに遅い。

 恵介は、泣き始めていた。

「……わかってる……わかってんだよ、俺だって……」

 声が震えている。辛うじて、聞き取れる。

「ブレイブランドから、人殺しに来てるようなクソは……あのカインの野郎だけだ……あんたやレミーみてえな、まともな人がほとんどだって……俺だって、わかってんだよぉお……」

「……それはどうかな、果たして」

 ジンバは言った。

「あの魔王という災厄を、こちらの世界へ押し付けたのは我々全員だ。おぬしらから見れば、武公子カインも轟天将ジンバも大して違いはせぬ。同じ穴の何とやらよ」

「俺は……あんたらには悪いけど、俺は……」

 恵介の嗚咽が、憎悪の呻きに変わってゆく。

「あの魔王ってのが、そんなに悪い奴だとは思えねえ……カインのクソ野郎より、ずっとましだ」

「……そうなってしまうであろうな、おぬしに言わせれば」

「カインの野郎を、派手に豪快にぶち殺してくれるんなら……俺は魔王に、こっちの世界をくれてやってもいい……こんな考え、許せねえよな当然。あんたらにしてみりゃ」

「それに対して、許す許さぬを論ずる資格が我らにはない。魔王をこちらの世界にもたらしたのは我々だ」

 ジンバは天井を見上げた。

 魔王の強大なる暴力は、世の人々を絶望に陥れる一方、人々の心を惹き付けもする。

 魔物たちに蹂躙される立場にあったブレイブランドの民衆にも、魔王の信奉者のような人々はいた。

 特に恵介のような目に遭えば、魔王に何らかの望みを託してしまうのは当然とも言える。

 信奉者とは違うが、魔王の力を利用して己の欲望を満たさんとする輩が出て来るのも当然であろう。ブレイブランドにもいた。ダルトン公のような、王侯貴族の類だ。

 こちらの世界では、梶尾康祐の一党が、そうである。

 梶尾本人は、ジンバがうっかり殺してしまった。だがその残党が魔王と結託し、暗躍を図っているようだ。

 あの者たちは、結託したつもりなのだろう。魔王を上手く利用出来る、つもりでいるのだろう。

 利用しているはずの魔王によって、皆殺しにされる。彼らのその末路は、もはや目に見えている。

 だが今ひとつ、見えないものもある。

 仔猫を連れた、あの少女。小動物を使って魔王を転がす、などという偉業を成し遂げて見せた少女。

 彼女の存在が、魔王の暴力をどのような方向へと導くのか。それが見えない。

「駄目だ……やっぱり、寝てなんかいられねえ」

 恵介が、身を起こした。

「おい、どこへ行く」

「その辺、走り込んで来る……」

 寝台から出ようとする恵介を、ジンバは片手で押しとどめた。

 ほんの少し、力を入れただけで、恵介の身体はあっさりと寝台に倒れ込んでしまった。

 武公子カインと戦うには、あまりにも非力過ぎる身体。

 今まで組手を中心に、実戦の技術を教えてきた。降りかかる火の粉を払いながら平穏無事に生きてゆく、だけならば、それで良かった。

 だが、ブレイブランドの戦士と……魔王討伐の勇者の1人を相手に戦うとなれば、この非力な肉体そのものを、根本から鍛え直す必要がある。

「……逸る気持ちは理解出来る。今はともかく、身体を治す事に専念せよ」

 ジンバは言った。

「おぬしがその気ならば、私が鍛え上げてやる。これまでの戦闘鍛錬など、遊びでしかないと思えるほどの地獄になるぞ……それに備えて、今は身体を治せ」

「だから! 俺がのんびり寝てる間に、あの野郎がまた誰か殺すだろうがよ!」

 先程と同じ事を、恵介は叫んだ。

 カインへの復讐。

 恵介は今や、そこから出る事が出来なくなってしまったのだ。

 この少年を鍛え直す。それは、復讐に力を貸す事になってしまう。

 もちろん、聖人君子の如く復讐を否定する事など出来ない。報復されて当然の事を、武公子カインは村木恵介に対して行ったのだ。

(だが、復讐のために力を貸す……そんな事をするくらいであれば)

 怒り喚く少年を片手で押さえながら、ジンバは心中で呟いた。

(武公子カインは、この轟天将の手で討ち果たす……べきか?)

 殺し合うのか。

 あれほど強固に団結し、魔王と戦い抜いた勇者たち。

 その結束が崩れ、ついには殺し合うのか。

「恵介君、お待たせー」

 矢崎が、能天気な声を発しながら戻って来た。聖王女レミーを伴ってだ。

「あ……あの、恵介さん……?」

 レミーが彼女らしくもなく、もじもじと何やら落ち着いていない。

 包帯の下で、恵介が目を丸くしている。

 自分も同じような顔をしている、とジンバは自覚せざるを得なかった。

「お願いだから……安静にして、ね?」

 にっこりと微笑みながらレミーは、おかしな格好をしている。

 よく見ると薄い桃色をしているようだが、まあ白衣と呼んでもいいだろう。

 裾の短い白衣が、形良い胸の膨らみを閉じ込めつつ、美しく鍛え込まれた左右の太股を際どいところまで露出させている。

 桃の果実を思わせる尻回りには、白衣の裾がピッタリと貼り付き、その瑞々しい丸みが強調されていた。

 美しい金髪には、白い布製の冠と言うか帽子が載せられており、それはどこか天使の輪のようでもあった。

 白衣の天使。ジンバの頭に、そんな言葉が浮かんだ。

「聖王女殿下……そ、そのお姿は……」

 今の聖王女レミーは、清楚でありながら、けしからぬほどの色香を漂わせている。

 呆然とするしかないジンバの問いに答えたのは、レミーではなく矢崎であった。

「ふっふふふ、浩子さん秘蔵のナース服だぜい。とっておきのプレイの時にしか使わねえんだぜ?」

「貴様! 聖王女殿下に、わけのわからぬお召し物を!」

 ジンバに胸ぐらを掴まれ、矢崎は慌てふためいた。

「お、落ち着けって虎さん。いつもの格好より露出度、低いだろうがよ」

「そ、それはそうだが貴様……」

 わなわなと震える轟天将の傍を、白衣の天使となった聖王女がふわりと通過する。

「恵介さん……貴方をこんな目に遭わせたのが誰なのか、私にはわかるわ」

 レミーが身を屈め、包帯の上から恵介の頬をそっと撫でる。

「決着は、私がつけます。だから恵介さんは……何も考えずに、傷を治して?」

「レミー……」

 恵介が、呆然と呻く。その声が、震え始める。

「け、決着って……俺は、それは俺が」

「駄目よ恵介さん。今の貴方が最低限やらなければならないのは、まず浩子さんを安心させる事。お母様に、心配をかけない事。それが出来ない人に、格好をつける資格はないわ」

 レミーの、口調は厳しい。だが挙措は優しい。上体を起こそうとする恵介を、優しく寝台へと寝かせつけている。

「今は身体を治しましょう。私が、出来る限りの事はしてあげるから……安静に、ね?」

「レミー……俺……」

 恵介は、またしても泣き出していた。

「俺は……こんなもんで、俺はぁ……っ!」

 しくしくと大人しく泣きじゃくる恵介の頭を、レミーが優しく撫でている。

「どうよ。最強のお薬だろうが」

 轟天将に胸ぐらを掴まれたまま、矢崎が得意気にしている。

 ジンバは、とりあえず溜め息をついた。



「やっぱり若い子が着るものよねえ。私が着て出てったら恵介、安静どころか暴れ出しちゃうもの」

 村木浩子も、そのあたりの事はわかってくれているようだ。

「ふふっ……私がこれ着て喜んでくれるのは、義秀ちゃんだけよね?」

「そういう事。恵介君には、まだ早いって」

 矢崎義秀は、微笑んで見せた。

「よくやってくれたよ。ありがとうな、聖王女様」

「恵介さんが安静にしてくれて、本当に良かったわ」

 ナース服を着せられた聖王女レミーが、そんな事を言いながら、己の姿を少し恥ずかしそうに興味深げに見下ろしている。

「浩子さんは本当に、素敵な服をたくさん持っておられるのですね」

「レミーちゃんが普段着ている鎧には、負けるわよお。あれは本当、お腹を見せられる女の子限定よね。さすがの私も、アレに挑戦してみる気にはなれないもの」

 あの水着のような鎧を、村木浩子が身に着ける。矢崎は想像してみた。

 想像だけでは、よくわからない。実際に着せてみたい、とは思う。

「ん〜、どんなプレイになんのかなぁ……いやまあ、そんな事はともかくだ」

 矢崎は咳払いをした。

 村木家の、リビングである。

 テーブルを囲んでソファーに座っているのは矢崎の他、浩子とレミー。

 キッチンの方からは、ブイヨンとおぼしき芳香が漂ってくる。轟天将ジンバが、夕食の下準備にとりかかっているのだ。

 そして、ソファーではなく床に座り込んでいる少年が1人。

「あんたは……これから、どうすんのかな? バル君」

「……気安く、呼ぶな」

 双牙バルツェフが、じろりと眼光を向けてくる。

「俺……何で、ここにいるかわからない……いる必要、ない」

「まあまあ、お待ちなさいな」

 立ち上がり、出て行こうとするバルツェフを、浩子が止めた。

「貴方、恵介のお友達なんでしょ? よくわかんないけど、レミーちゃんたちと同じ所から来たのよね。で、今はそこへ帰れないんでしょう? ここにいればいいじゃないの」

 獣の耳を立てた少年の頭を、浩子は気持ち良さげに撫で回した。

「ん〜、このワンちゃんのお耳……本物なのねえ。ああでも心配しないで、ドッグフード食べさせたりしないから。虎さんの作ってくれる美味しいごはん、みんなで食べましょうね」

「お、俺……世話されても、返せるもの何もない……」

「ご恩返しの機会は、いずれあります。それまでお世話になりなさい、双牙バルツェフ」

 白衣の天使の姿のまま、レミーが厳しい声を発した。

「そして知りなさい……私たちが魔王という災いを押し付けてしまった、この世界の方々の事を」

 魔王。轟天将ジンバを片手であしらい、踏みつけていた怪物。

 詳しい事を矢崎は知らない。だがレミーもジンバも、あれを倒す事を目的としているようだ。

 達成困難な事この上ない目的であるのは、間違いない。あの魔王というのは、死んでしまった梶尾康祐など問題にならぬほど危険な存在なのだろう。

 レミーの言う通り、災いそのものなのであろう。

 だが、と矢崎は思う。

(あのカインとかいう野郎よりは、ずっとましだ……!)

「聖王女……本気で魔王、倒すつもりか」

 バルツェフが言った。

「俺たち、魔王倒すため団結……もう無理。あの男、いる限り」

「貴方は特に、彼とは仲が悪かったものね」

 レミーが苦笑した。

「だけど双牙。今ならわかるわ、貴方の気持ち……私も、彼は許せない」

 苦笑の表情が、険しく引き締まってゆく。

 その美貌が、激しい怒りの生気を帯びてゆく。矢崎が思わず息を飲んでしまうほどの美しさだ。

「誰も教えてはくれないけれど、恵介さんをあんな目に遭わせたのは彼なのでしょう? あの後、状況に流されるまま魔王に与しているのであれば、好都合というもの」

 はっきりと、レミーは言った。

「……武公子カインは、私が討ちます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ