第30話 同胞UR
轟天将ジンバを片足で踏み付けたまま、魔王が片手を掲げた。
婚約者同士でありながら刃を交え殺し合う、男女の剣士2名に向かってだ。
掲げられた掌から、魔力が迸った。人間を複数まとめて粉砕する、攻撃魔力の塊。
それが、聖王女レミーと武公子カインを直撃する。
爆発が起こり、2人がそれぞれ別方向に吹っ飛んで行った。
「聖王女……殿下……!」
叫ぼうとするジンバの鼻面を、魔王が容赦なく踏みにじる。
滑稽な悲鳴を垂れ流しながら、全身で地面を擦り、倒れ込むカイン。魔王は、そちらを一瞥もしなかった。
「……う……ぐっ……」
愛らしい唇を吐血で汚しながら、レミーは身を起こそうとして失敗した。しなやかな半裸の細身が、弱々しく倒れ伏す。白い肌のあちこちに、内出血による赤黒い痣が生じていた。
「俺の目の前で、仲間割れだと……」
魔王は静かに、激怒している。
「貴様ら、絆はどうした……あれほどまでに俺を追い詰めた、絆の力を……自ら、放棄するのか。それで俺に勝てるとでも」
「あるわけないでしょ、絆なんて」
闘姫ランファが、冷めた声を発した。
「あの時はね、もっと人数がいて戦力が整ってて、あんたに勝てそうだったから勢いで力合わせてただけ。今こんな状態で結束なんて出来るわけ……って、ちょっと何やってんのバル君」
動けぬ聖王女を背後に庇い、双牙バルツェフは立っていた。まさに獣の如く姿勢低く、左右2本の剣を構えている。
1対1で魔王と戦う構え、であった。
「ランファ……お前、正しい。ハンゾウ様の命令、お前ちゃんと守ってる」
バルツェフは言った。
「だけど俺……梶尾の仇、討つ」
「何バカ言ってんの!」
ランファは叫んだ。弟を叱る姉の口調だ、とジンバは感じた。
「何でそこで梶尾さんが出て来んのよ! そりゃ確かにあたしら、あの人に世話んなってたけど。梶尾さんだって、あたしやバル君を利用してただけで」
「関係ない。梶尾、俺たち世話してくれた。だから俺、仇、討たなければならない」
バルツェフは魔王を睨み、牙を剥いた。
「魔王……お前、梶尾の仇」
言葉と共に、バルツェフは姿を消していた。
この少年が本気で闘志を燃やし、本気で動けば、轟天将ジンバの目をもってしても視認は困難を極める。
ジンバの鼻面を踏み付ける圧力が、消え失せた。
魔王が、跳び退っていた。
閃光が2つ、恐るべき速度でジンバの頭上を通過する。一瞬前まで魔王の身体があった空間を、薙いで奔る。
双剣の、斬撃だった。
「ほう……」
微かな感嘆の息をつきながら着地する魔王に、疾風が迫る。
疾風としか見えない、高速の襲撃。左右2本の剣が、魔王の身体をかすめて閃く。
巻き起こった風に煽られるが如く、魔王の長身がゆらりと舞い、長い脚が跳ね上がる。蹴り、であった。
バルツェフの小柄な身体が、前屈みにへし曲がりつつ吹っ飛んだ。
そしてジンバの近くにズシャアッ! と倒れ込む。
助け起こしてやる、事は出来ない。ジンバとて、己の上体を弱々しく起こすのが精一杯である。
ただ、声をかけた。
「おい……双牙よ、生きているか……」
「轟天将……お前たち、愚か……」
言葉と共に、バルツェフは血を吐いた。
「あの化け物に、とどめ刺す……絶対、無理……こっちの世界……放っとくべき……」
「……それならば何故、魔王に挑んだ?」
魔王の傍らに立つ少女を、ジンバはちらりと見やった。
闘姫ランファ。ずっと以前から魔王の配下であったかの如く、恭しく控えている。
魔王の命令さえあれば、12節棍を容赦なく、ジンバとバルツェフに叩き付けて来るだろう。
裏切り者などと呼ぶべきではない。彼女は鬼氷忍ハンゾウの命令に従い、魔王をこちらの世界にとどめておこうとしているのだ。そうしている限りブレイブランドは、少なくとも魔王の脅威からは守られる。
「双牙よ……お前は鬼氷忍の命令に、背くのか?」
「……梶尾の仇、討つ……」
ごふっ、と吐血の咳をしながら、バルツェフは呻いた。
「世話してくれた奴の、仇……討てない奴……大きな顔で生きてる資格、ない……ハンゾウ様にお仕えする資格、ない……」
「……もしも鬼氷忍がお前を罰しようとするならば、私が止めてやる」
言いつつジンバは、よろよろと巨体を立ち上がらせ、バルツェフを背後に庇った。
そうするのが、精一杯だった。
「この先……生きていられれば、の話だがな……」
立つのが精一杯の身体で、魔王と対峙する形となった。
「俺に回避を強いるとは……その他大勢であった小僧が、腕を上げたものだ」
楽しそうに、本当に楽しそうに、魔王が笑っている。
「どうした轟天将、それに聖王女よ。十把一絡げであった小僧が、これほど頑張っているのだぞ? 勇者どもの中で特に大きな顔をしていた貴様たちが、そんな様でどうする」
自惚れていたのか。ジンバは、そんな事を思った。
力を失った魔王ならば、容易く討てる。それは、あまりにも浅はかな思い上がりであったのか。
力の大半を失った魔王とは言え、結束の乱れた勇者たちが勝てる相手ではなかったのだ。
「さあ立て、勇者たちよ」
歩み寄って来る魔王と対峙する姿勢を、辛うじて保っているのは、勇者たちと呼ばれた者らの中では、轟天将ジンバただ1名である。
聖王女レミーも武公子カインも、倒れたまま動かない。
双牙バルツェフは、血まみれの牙を剥きながら、弱々しく上体を起こそうとしている。
闘姫ランファは、魔王に与した。
ジンバとて、立っているのが精一杯である。
「立って戦え。このままでは貴様たち、俺に殺されてしまうのだぞ?」
(聖王女……殿下……)
呼びかけようとして、ジンバは声を出せずに血を吐いた。巨体が揺らぎ、がくりと膝をついてしまう。
その際、何やら場にそぐわぬものが視界をかすめた。にゃー……と、か細い鳴き声も聞こえた。
とてとてと歩く、小さな仔猫。
それに、レミーと同じ年頃の少女。
共に、魔王の指1本で容易く押し潰されてしまうであろう非力な存在である。にもかかわらず、魔王に歩み寄って行く。まるで、ジンバやバルツェフを守ろうとするかのように。
仔猫が、魔王の足元に擦り寄った。
「何だ……貴様ら、いたのか」
猫であろうが人間であろうが踏み潰してしまう足を、魔王はとりあえず止めた。そして仔猫を、少女を、睨み据える。
「言っておくがな、こやつらとの戦いは、貴様との契約の外側にある。邪魔をするならば、殺すぞ」
「あ……あの……」
少女が、手に持った何かを魔王に差し出した。
小さな棒。先端に、ふわふわした毛の塊が付いている。
仔猫が、魔王の足元で再び、にゃーと鳴いた。
「……やって、みますか?」
少女が、わけのわからない事を言っている。
「戦いよりも……きっと、楽しいですよ」
「…………」
ジンバは、自分がいよいよ死に瀕して幻覚を見ているのだ、と思った。
それほどまでに信じ難い事が今、目の前で起こっている。
魔王が、仔猫の眼前で身を屈めたのだ。
そして少女から受け取ったものを、小刻みに動かしている。
毛の塊が、ぴょこぴょこと揺らめき跳ねた。
そこへ仔猫が、懸命にじゃれついている。
「ふん……なるほど、な。獣の狩猟本能を刺激する道具か」
そんな事を言いながら魔王が、小さな棒を片手でつまみ、先端の毛玉を生き物の如く動かしている。
そこへ仔猫が、小さな前足でしがみつこうとして失敗し、くるりと着地しては、また毛の塊を狙ってぴょこんと跳ぶ。
「そうら、どうした和弘。貴様とて肉食の獣であろう? 狩りの腕前を上げて見せろ。さもなくば食ってしまうぞ」
「こ、この子は美味しくありませんから」
言いつつ少女が、ちらりとジンバに視線を向けた。
今のうちに、早く逃げて。
その目が、そう言っている。
(何だ……何者なのだ、貴女は……)
魔王を、小動物と戯れさせる。
ブレイブランド最強の勇者たちが総力を挙げても決して成し得ぬ事を、1人で成し遂げた少女。
呆然と視線を返しながらもジンバは、よろりと立ち上がった。
魔王が、仔猫との戯れに興味を失った時。それがすなわち自分たちの最期なのだ。
力を失った魔王にならば、とどめを刺せる。
それが甘い見通しであったと判明した今は、とにかく逃げなければならない。
「何……起こってる……?」
自分と同じく、わけがわからずにいる様子の双牙バルツェフを、ジンバは掴んで引きずり起こした。そして肩を貸してやる。
「轟天将……何故……俺、助ける……?」
「魔王との戦いだ。おぬしの力も、必要となる……かつての、ようにな」
ジンバは声を潜めた。
「梶尾康祐、と言ったか。あの男の仇、討ちたいのだろう? ならば力を貸せ」
梶尾を直接、打ち殺したのは、轟天将の鉄球である。が、それを思い悩んでいる場合ではない。
バルツェフが、何か言おうとして声を詰まらせ、咳をした。血反吐が飛び散った。
自力で歩けそうにない少年剣士を左腕で支え、半ば引きずるように歩かせながらジンバは、同じく負傷し倒れている少女に、よろよろと歩み寄って行った。
白い肌のあちこちに、痛々しい内出血の赤黒さを浮かべ、力なく横たわる聖王女レミー。
生命の温もりを辛うじて失っていない、その細い身体を、ジンバは右腕で抱え上げて肩に担いだ。荷物のような扱いになってしまうのは無礼だが仕方がない。
問題は、少し離れた所に倒れている武公子カインをどうするかだ。
ジンバの力であれば、3人まとめて運んで行くのは、それほど難しい事ではないのだが。
「……助けるのか、轟天将」
バルツェフが、呻いた。
「その男と力、合わせて戦う……俺、無理。聖王女もきっと、そいつ許さない……足並み、乱れる。魔王と戦う、絶対無理……」
「そうだぜジンバさん。そんな野郎、助けてやる事ねえよ」
声をかけてきたのは、矢崎義秀である。
レミーと同じく、ぐったりと負傷した少年に、肩を貸している。
血まみれの、半ば屍になりかけた少年。流血だけでなく、どうやら失禁もしているようだ。負傷の度合いは、レミーやバルツェフよりも上である。
「恵介……!」
ジンバは息を呑んだ。
「まさか、魔物どもと戦ったのではあるまいな……!」
自分が稽古など付けてやったせいで、おかしな自信を持ってしまったのか。
ジンバはそんな事を思いかけたが、矢崎が首を横に振った。
「戦っちゃいねえ、一方的にやられたんだよ恵介君は……そこで倒れてるクソ野郎に!」
口調が、眼光が、矢崎らしからぬ激しい憎悪の念を孕んでいる。
その目は、カインに向けられていた。
「なあジンバさん。俺もあんまり偉そうな事、言えねえけどよ……クソみたいな奴ばっか、見てきたけどよ……そいつは正真正銘、本物のゴミクズ野郎だ。恵介君を……こんな、目に……ッ!」
憎しみで燃え盛る両眼に、矢崎は涙を浮かべていた。
「俺……恵介君を、助けられなかった……隠れて見てるだけで、何にも出来なかった……ああ俺だってクズ野郎さ! 浩子さんに……合わせる顔、ねえよ……」
「言うな。退くぞ」
矢崎を黙らせつつジンバは、気を失っているカインに、心の中で語りかけた。
(私も、貴様を許さぬ事にした。恵介への仕打ち、いずれ私がそのまま貴様に返してやる……それまで自力で生き延びて見せろ、武公子よ)
左腕でバルツェフを支え、右腕でレミーを担ぎ上げたまま、ジンバはその場に背を向けた。駆け足と忍び足の中間とも言うべき足取りで、逃走を開始する。
半死半生の村木恵介に肩を貸したまま、矢崎がどうにかついて来る。
魔王は相変わらず、仔猫を相手に遊んでいた。
ジンバは1度だけ顔を振り向かせ、小さく声を発した。
「すまぬ、助かったぞ……我が同胞よ……」




