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第3話 刺客N

 自動車の残骸の中で、運転者の男が血まみれで突っ伏している。生きているのかどうかは、わからない。

 その車の下敷きとなっている女性は、まだ辛うじて生きている。

 矢崎義秀は身を屈め、車の残骸に両手をかけ、渾身の力を振り絞っていた。持ち上がるわけはない。そんな事は、わかっている。

 だが持ち上げなければ。そして、この女性を助けなければ。男など何人死んでも構わないが、女性は何としても助けなければ。

「気概は認めるが……まあ、やめておけ。腰を痛める」

 1人の男が、そんな事を言いながら歩み寄って来た。白いマントを身にまとった、大柄な男。

 まるでプロレスラーのような体格をしていた。岩のような筋肉の付き具合が、マントの上からでも見て取れる。

 そのマントの下から、異様に毛深い腕が現れた。もはや人間の体毛ではない。獣毛である。太くたくましい腕が、濃厚な黄色と黒の縞模様を成す獣毛に覆われているのだ。

 虎の体色。だが肉食獣の前足ではなく、太い五指を備えた人型の腕だ。

 その力強い五指が、車の残骸を掴んだ。虎男が、少しだけ力を入れた。

 残骸と化した自動車が持ち上がり、グシャアッ! とひっくり返っていた。

 ひっくり返った車体に、矢崎は震える人差し指を向けた。

「あの……その中に人、いるんスけど……」

「何だ、これは乗り物であったのか」

 虎男がそんな事をいいながら、ひしゃげたドアを片手で引きちぎり、車内を覗き込む。そして、血まみれの運転者を引きずり出す。

「ああ……これはもう助からんな」

 今のグシャアッ! がとどめになったのではないかと矢崎は思ったが、言わずにおいた。

 目の前の路上には、とりあえず下敷きの状態からは解放された女性が、痛々しく横たわっている。

 自分のような素人がうかつに介抱するべきではないだろう、と矢崎は思った。救急車が来るのを、待つしかない。

「聞こえますか……息子さん、無事ですよ」

 矢崎は跪き、語りかけた。女性は、返事をしてくれない。息をしているのかどうかも、わからない。

 彼女が助かってくれる事を祈るしかないまま、矢崎は見上げた。

 虎男が、じっと見下ろしている。

 本当に、虎男だった。腕だけではなく首から上も、猛虎そのものである。大きく前方に迫り出した獣の鼻面、濃厚な髭のようでもある縞模様の獣毛。両目の光は、しかしどこか人間臭い。

「……全ては我々が、この世界に持ち込んだ災いだ」

 虎の口が、被り物では有り得ない開き方をして牙を見せ、言葉を発した。

「恨み言は、いずれ聞く。今は逃げろ、人間属性の者よ」

「属性……? 俺が持ってる属性は、人妻とか熟女とか」

 噛み合ない会話をしながら、矢崎は見回した。

 広い交差点の周囲で、建物が燃えている。あちこちで車が潰れて横転し、こんがりとした焼死体が散乱している。

 そんな光景の中心部で、8本首の大蛇と、1人の少女が対峙していた。

 なかなかに際どいビキニのような鎧が、痛々しくなく似合った女の子である。年齢は、恵介と同じくらいであろうか。まるで欧米人のような自然な金髪と白い美肌、青い水着鎧の色合わせが、目に眩しい。

 美しい少女なのだろう、と矢崎は思う。5、6年前の自分であれば、なりふり構わず声をかけていただろう。

(ま……浩子さんの方が、魅力的だけどな)

 30歳を過ぎて、女性の好みが少し変わった。いくらか年配の女性でないと、心も下半身も反応しなくなってしまったのだ。

 恵介は、勇ましく剣を持った美少女に庇われて路面に座り込み、小さな男の子と抱き合っている。

 恵介となら、お似合いだろうか。そう思いながら矢崎は、金髪の美少女を盗み見るように観察した。

「ん〜、ありゃあ……恵介君には、ちょいと荷が重いかな……おっと」

 矢崎の眼前に、巨大な何かがゴロリと落下して転がった。

 大蛇の、生首だった。

 8本首の大蛇が7本首となり、苦しげにのたうち暴れる。斬られた首に、ぞっとするほど綺麗な断面が残っている。

 少女がいつ剣を振るったのか、矢崎の目では追えなかった。すでに剣を振るい終えた姿勢で、少女はピタリと身体を止めている。

 その剣が、うっすらと白い光を帯びている。

「な、何あれ……」

 思わず矢崎が口から出してしまった問いに、虎男が答えてくれた。

「ブレイブランド王家秘伝、聖なる光の剣技よ。精神の力を刀身にまとわせ、斬る。剣士が精神修練を怠らぬ限り、斬れぬものはない……今では聖王女レミー殿下お1人だけが使える技能となってしまった」

 などと言われても、矢崎に理解出来るわけはない。理解出来たのは、どうやら聖王女レミーというらしい、美少女剣士の名前だけだ。

 その聖王女が、ゆらりと踏み出した。舞うような、優雅な動き。長く艶やかな金髪が軽やかに躍動し、光まとう剣が閃いて弧を描く。

 矢崎が見入っている間に、大蛇の首がまた1つ、切り落とされて転がった。

 残り6本となりながら凶暴に怒り狂う首たちに向かって、聖王女レミーはなおも踏み込み、身を翻す。際どい鎧をまとう瑞々しい半裸身が、旋風の如く回り舞う。それと共に、光の剣が超高速で一閃した。

「おおお、かっけぇー……蛍光灯振り回してる宇宙刑事みたい」

「何を、わけのわからぬ事を……」

 矢崎と虎男がそんな会話をしている間に、大蛇の首がさらに2本、滑らかに切断されて、丸太の如くズシンッと転がった。

 残り4つとなった大蛇の頭部が、一斉に口を開く。炎を吐こうとしている。

 聖王女の光の剣技とやらで炎を切り裂く事が出来るのは先程、矢崎も目の当たりにした。だが一気に4匹分の炎が迸ったのでは、たとえ聖王女本人が無事であったとしても、周囲に被害が出るのではないか。

 とりあえず最も危険なのは、座り込んだままの恵介と、幼い男の子である。

「いかん……」

 虎男が呻いた。

 彼の巨体を包むマントの下で、ジャラッ……と金属的な音が鳴る。鎖、であろうか。

 そう思えた瞬間、そのマントが勢い良く開いてはためいた。虎男が、右腕を振り上げたのだ。

 炎を吐こうとしていた大蛇の頭が4つ、ことごとく砕け散った。黒っぽい血飛沫が、血まみれの肉片が、眼球が、頭蓋骨の破片が、頭4つ分ぐしゃグシャアッ! と激しく飛散する。

 それらを蹴散らすようにして、何かが宙を舞っていた。

 巨大な、金属の球体である。直径がマンホールの蓋ほどもあり、全体にびっしりとスパイクが生えている。

 そんな凶悪な物体が、大蛇の体液にドロリとまみれたまま、長い鎖を引きずって流星の如く飛んでいるのだ。

 その鎖を握っているのは、虎男の力強い右手である。

 マントを開き、黒い鎧を着た巨体を露わにしたまま、虎男は鎖を引き戻した。

 巨大な鉄球が鎖で引きずり寄せられ、虎男のたくましい肩に軽々と担ぎ上げられる。

 鎧など必要なさそうな身体だ、と矢崎は思った。黒い金属甲冑の上からでも、獣毛と筋肉が岩の如く盛り上がっているのが見て取れる。

 首を失った大蛇の屍が、まるで幻影であったかのように消えてゆく。

 切り落とされた首も、飛び散った肉片も、キラキラと微かな光に包まれながら消滅していった。

 8本首の大蛇。それが幻影などではなかった事は、この破壊の光景を一目見回せば明らかである。

「……お見事でした、轟天将殿」

 光っていた長剣をスラリと鞘に収めながら、聖王女レミーが言う。

 轟天将。それがこの鎖鉄球を振るう虎男の、あだ名のようなものであろうか。

「轟天将……ジンバ……」

 座り込んでいた恵介が、いつの間にか立ち上がり、そんな事を呟いている。

「ほう、我が名を知っておるか……うぬは先程、聖王女殿下の御名をも口に出しておったな」

 恵介を見据える虎男……轟天将ジンバの両眼に、ギラリと剣呑な光が宿る。

 恵介の身に危険が迫っている、と矢崎は感じた。

「虎の……おじちゃん……」

 先程まで恵介にしがみついていた小さな男の子が、いつの間にか近くに来ていた。そして轟天将ジンバの巨体を、じっと見上げている。

「ママを……助けて、くれたの……?」

「……そなたの母御か」

 生きているかどうかわからない女性を1度だけ、痛ましげに見下ろしてから、ジンバは男の子の方を一瞥もせずに歩き出した。

「助けたのは、その男よ。私は少しだけ手を貸したに過ぎん」

 その男、というのが自分を指した言葉である事に、矢崎はしばらく気付かなかった。

「お、おい……俺は何も」

 という矢崎の言葉など聞かず、ジンバは恵介の前で立ち止まった。

「あんたたち、一体……」

 言おうとした恵介の身体が、前屈みに折れた。腹の辺りに、ジンバの巨大な拳が叩き込まれていた。

「ちょっと! 何をするの……」

 聖王女レミーが、気色ばむ。

 気絶した恵介を鉄球と一緒くたに担ぎ上げながら、ジンバが応える。

「こやつ、我らの名を知っておりました。ブレイブランドの者かも知れません」

「そんな……それなら、私たちの仲間ではありませんか」

「いえ、ダルトン公の放った刺客とも考えられます。口を割らせなければ」

 そんな事を言いながら轟天将が、恵介を運んで歩き出す。

「お、おい! 恵介君を持ってくなよ」

 そう叫ぶのが、矢崎は精一杯だった。力づくで止められる相手ではない。

「待ちなさいジンバ殿……あ、あの、ごめんなさいね」

 ジンバの後を慌てて追いながら、レミーが矢崎の方を向いて可愛らしく謝る。

「貴方のお友達に対して、手荒な真似はさせませんから……こら、待ちなさい轟天将!」

 図体の割に恐ろしく足が速い虎男を追って、聖王女が走り去って行く。

 様々なサイレンの音をぼんやりと聞きながら、矢崎は立ち尽くし、見送るしかなかった。

「勘弁してくれ……浩子さんに、何て言やいいんだよ……」

 女性に対する言い訳は、得意なつもりでいたのだが。



 消防車が、パトカーや救急車が、サイレンを轟かせながら集まって来た。

 消防車は燃え盛るビルに向かって水を噴出させ、パトカーからは警官たちが下りて忙しく動き回り、救急車は怪我人を運んで行く。

 そんな光景を、ビルの屋上から見下ろしている者たちがいた。

 2人。共に白いマントに身を包み、フードを目深に被って顔も隠しているが、どうやら男と女であるらしい事は見て取れる。

「こっちの世界の官憲ね、あれは……」

 女の方が言った。声は若い。どうやら、まだ少女だ。

「あいつらが集まって来る前に、上手いこと消えてくれたわねえヒドラの死体ちゃん」

「生命の火、消えれば魔物ども肉体、保っていられない。それ、こっちの世界も同じ」

 男が言う。こちらも、若い。

「……魔物、あれ1匹のわけない。きっと沢山いる。うかうかしていられない、行くぞランファ」

「まぁ待ちなさいよバル君てば。あんまりせっかちだと、誰もついて来てくれなくなっちゃうよん?」

「……俺、双牙バルツェフ。名前、ちゃんと呼べ」 

「見て見てバル君、あれ! すごーい」

 ランファと呼ばれた少女は、人の話を全く聞かず、はしゃいでいる。放水を続ける消防車に、愛らしい人差し指を向けながら。

「あれ何だろ。水吐いてるからサーペントか何か? でもここ海じゃないし」

「乗り物、だろう。水運ぶ、馬車か何か」

 若い男……双牙バルツェフが言う。

「馬いない。たぶん魔法で動いて、魔法で水出してる」

「ほんとだ、よく見ると車輪ついてる。すごいすごい」

 ランファが、声を弾ませる。

「青の賢者様が言った通りだね。こっちの世界、面白いものいっぱい!」

「ランファ……あの男の言う事、あんまり信用するな」

「あらら、轟天将のオジサマと同じ事言うのねバル君は」

 笑いながらもランファは、消防車を見つめ続ける。

「なーんか男の人たちに受けが良くないよね、青の賢者様って……それにしても、すごいよ。あのサーペント車」

 明るく弾んでいた声が、少しだけ重さを帯びる。

「あんな乗り物があれば……モンド村もエシル村も、助かったのにね」

「そう……だな」

 バルツェフが、マントの下で腕組みをする。

「モンド、エシルだけじゃない。たくさんの村、燃えてなくなった。あんな戦い、もう絶対、起こさせない」

「そうだね。そのためにも……そのために、あの聖王女様を何とかしなきゃいけないんだけど」

 聖王女レミーと轟天将ジンバが逃げ込んで行った路地裏の方を、ランファはじっと見やった。

「……まさか、こんな簡単に見つかっちゃうなんてね。見つかっちゃった以上、先送りに出来ないわけで」

「聖王女と話、しなければならない。こっちの世界来た目的、聞き出さなければ」

「聞き出して、ハンゾウ様の言ってた通りだったら……」

「……殺す。聖王女を」

 フードの下で、バルツェフは牙を剥いた。

「汚れ役、俺やる。ランファお前、何もしなくていい」

「あのねえ、轟天将のオジサマだっているのよ? バル君1人でどうにかなるワケないでしょうが」

 言いながらランファは馴れ馴れしく、バルツェフの頭をフードの上から撫でた。

「まったく、カッコつけのバル君はいっつも無茶ばっかりして死にかけるんだから。あたしがいなかったら5、6回は死んでるわよ? 君」

「……俺、死ぬの恐くない。ハンゾウ様のためなら」

 ランファの手を振り払いながら、バルツェフは決意を込めて言った。

「ハンゾウ様、俺に言った……死んでこい、と。だから俺、死ぬ。死ぬ気でやる」

「はいはい。景気悪くなるから死ぬ死ぬ言わないの」

 ランファは、溜め息をついた。

「バル君がまた無茶やる前に、さっさと終わらせなきゃね。てなわけで聖王女様、悪いけど……死んでもらう、かも」

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