第29話 離散する勇者たちSR
球技、のように見えなくもなかった。
轟天将ジンバという名前らしい虎の大男が、力強い両腕を目まぐるしく動かしている。小刻みに、鎖を振るっているのだ。
その鎖の先端では、巨大な鉄球が、暴風そのものの唸りを発している。
無論、梶尾康祐の目で捉えられるものではない。
立て続けに、暴風を投げつけている。鎖を振るう轟天将の動きが、梶尾にはそのように見えた。
間断なく襲い来る暴風を、タマが左右の素手でことごとく打ち払っている。ラケットを使わぬ卓球、といった感じにだ。
まるで猫のような名前をつけられた、金髪の若い男。
外見は、轟天将よりも遥かに人間に近い、だが間違いなく人間ではない男。
人間ではない者たちが普通に暮らしている世界が、存在する。それは、もはや疑う余地のない事実であった。
田中や根岸を殺した、あの怪物たちも、その世界から来た。
あの時と同じように今、大量の怪物どもが、いきなり目の前に現れたのだ。
何体ものオークソルジャーが、槍を振りかざし、襲いかかって来る。梶尾を刺殺・撲殺しようとしている。根岸や宮本が殺された、あの時のように。
むっちりと格好良い太股が、梶尾の視界をかすめた。
チャイナドレスのような衣装を豊麗に膨らませた胸が、荒々しく揺れる。棒のような鞭のようなものが、一閃する。
蹴りと、12節棍。闘姫ランファが、梶尾を助けてくれたとことであった。
襲いかかって来たオークソルジャーたちが、グシャグシャッと砕け散りながら光に変わり、消滅する。
「逃げた方がいいんじゃない?」
梶尾を護衛する形に12節棍を構え直しながら、ランファは言った。
「借金の回収は済んだんでしょ。梶尾さんがここにいる理由、もうないと思うんだけど」
「俺が……ここにいる理由……」
ランファやバルツェフを手懐けながら、自分がここまでやってきた理由。それは今、目の前にあるのではないか。
この怪物たちは突然、現れた。まるで何者かに呼び出されたかの如く。
誰に、呼ばれたのか。
この光景を見る限り、答えは1つしかない。
「てめえ……てめえか……!」
梶尾の右手で、ナイフが開いた。
こんなもので、どうにか出来る相手ではない。そんな分別は、消えて失せた。
タマという、ふざけた名前の男。人間ではない男。どうやら魔王と呼ばれているらしい男。
禍いは全て、この男が呼び寄せたものだったのだ。別の世界から。
「根岸も……田中も、宮本も……テメエのせいで……てめえが、テメエがああああああ!」
お笑い種、としか言いようがなかった。
仲間の仇を討つために飼い馴らした、つもりの戦力が、仇そのものであったのだ。
「ちょっと、梶尾さん……!」
止めようとするランファの声など、もはや聞こえない。
もはや信用など出来ない。ランファもバルツェフも、魔王と同じだ。怪物たちと同じく、別の世界から来た禍いだったのだ。
別の世界から来た者たちを、信用するべきではなかったのだ。
ナイフに全体重を預け、梶尾は駆け出していた。魔王に向かってだ。
「てめえ! てめえが! てめえがァアーッ!」
自分の絶叫。
それが、梶尾康祐の鼓膜を震わせる、最後の音声となった。
焦げ臭さが、漂っている。
紙ならば発火させてしまいかねない火花を、大量に飛び散らせながら、剣と剣が高速で激突し合っているのだ。
時には一直線に奔り、時には鞭の如くしなって閃く、細身の刃が1本。
鋭利に湾曲し、まるで新月のような輝きを宙に残しつつ乱舞する、片刃の刀身が2本。
計3本の剣を激しくぶつけ合わせる、2人の剣士……武公子カインと、双牙バルツェフ。
魔王討伐の偉業を成し遂げた勇者たちの、剛力の筆頭は紛れもなく轟天将ジンバであろう。
俊速の双璧として名を挙げられるのが、カインとバルツェフであった。
だが身体的な敏捷性ならばともかく、剣捌きの速度と技量は、自分よりもカインの方が上であると、バルツェフとしては認めざるを得なかった。
うかつな扱い方をしたら折れてしまうであろう細身の剣が、まるで太い鉄棒のような強度で、バルツェフの斬撃を弾き返し、受け流し、それと同時に反撃を繰り出して来る。
鞭を思わせる閃きが、バルツェフの左胸を、首筋を、眼球を襲う。
間断なく襲い来る細身の切っ先を、バルツェフは左右の剣で受け弾き、それが間に合わぬ時は後退してかわし、少しずつ防戦一方に追い込まれていた。
「身の程知らずの犬が! 私に刃を向ける、それがいかなる事であるのか! 獣の頭でも、いささかは理解出来たであろうなああああ!」
高らかに罵声を張り上げながら、カインが踏み込んで来る。
細身の剣が、刺突の豪雨となってバルツェフを襲う。
「さあ鳴け! 尻尾を振って鳴いてみせろ! 多少でも可愛げがあれば、命だけは助けてやらぬでもないぞ? 手足を切り落とし、犬と言うより虫ケラとして生かしてやる! 無様に這って生きるがいい!」
「お前……うるさい」
閃光の豪雨が、止まった。
左右2本の剣でバルツェフは、細身の刀身を挟み込み、捻り上げていた。
「貴様……」
武公子の秀麗な容貌が、憎しみに等しい苛立ちで歪んでゆく。
睨み据え、バルツェフは言った。
「戦いの最中に喋る奴……恐くない。言葉に夢中、攻撃おろそか」
「犬が……ッッ!」
武公子カインは、怒り狂っている。
が、それとも比べ物にならないほど激しい怒りの絶叫が次の瞬間、迸り響き渡っていた。
少し離れた所では、轟天将ジンバが左右の鉄球を振るい、1対1で魔王と戦っている。
その戦いの中へと、怒りの絶叫を張り上げながら、猛然と突っ込んで行く男が1人。
梶尾康祐であった。
腰の辺りで短剣を構え、まるで獣のように姿勢低く、魔王へと突進して行く。
轟天将に加勢しようとしている。形としてはそうだが、正気の沙汰ではない。
「やめろ……!」
バルツェフが叫ぼうとした時には、すでに遅い。
魔王の片手が、まるで虫でも叩き落とすかのように、ジンバの鉄球を打ち払う。
払われた鉄球が、梶尾を直撃していた。
眼球、肉片、脳の飛沫、臓物の切れ端……様々なものが、飛び散って行く。
ブレイブランドの魔物ではなく、こちらの世界の人間である。キラキラと光に変わって消滅する、などという事もなく、飛び散ったものはビチャビチャと地面に付着し、残っている。
梶尾康祐の上半身は、綺麗に砕け散っていた。
残された下半身が、ちぎれた臓器をビュルビュルと噴出させながら両膝をつく。
魔王に鉄球を弾かれたから、などというのは言い訳に過ぎない。
ブレイブランドの軍人が、こちらの世界の人間を殺めてしまったのだ。
その事実にジンバが打ちひしがれている一瞬の間に、魔王は踏み込んで来ていた。
「つまらぬ犠牲に心を動かす……相変わらずの甘さよなあ、轟天将ジンバ」
秀麗なる容貌が、ジンバの眼前でニヤリと不敵に冷酷に歪む。
直後、衝撃が来た。
「…………ッッ!」
ジンバは呼吸が止まり、悲鳴を漏らす事も出来なくなった。
黒い甲冑をまとう毛むくじゃらの巨体が、前屈みにへし曲がっている。
魔王の左手が、ジンバの鳩尾にめり込んでいた。
拳、ではなく掌が、轟天将の分厚い腹筋を、甲冑もろとも凹ませている。
その掌から魔力が迸り、腹部から体内に叩き込まれて来るのを、ジンバは感じた。人間を幾人かまとめて粉砕する、破壊の魔力。
力強い巨体の内部で、内臓が何ヵ所か破裂した。
猛虎の牙を剥きながら、ジンバは大量の血を吐いて宙にぶちまけ、がくりと片膝をついていた。
そのまま立ち上がる事が出来ず、前のめりに倒れてしまう。
倒れると同時に、頭を踏まれた。
ジンバの頑強な横面を、片足でぐりぐりと踏みにじりながら、魔王が笑う。
「貴様をこうして踏み付けるのも、何度目であろうかな」
「ぐっ……き、貴様……記憶が……」
血を吐き、地面に垂れ流しながら、ジンバは呻いた。
魔王が、応える。
「おうよ、全て思い出した。貴様のおかげだ」
踏まれたままジンバは見上げ、そして息を呑んだ。
魔王の頭から、金髪を掻き分けるようにして、鋭利な刀剣のようなものが生え伸びている。
一対の、角。
いや、先端に至るまで鋭利に伸びているのは、右側だけだ。
左側の角は、半ば辺りで折れている。
誰によって折られたのか、それも魔王は思い出してしまったようだ。
「道を空けろ、魔物ども」
ジンバの横面を踏み付けたまま、魔王は命じた。
「聖王女殿下の御ために……な」
命じられた魔物たちが、まるで訓練された兵隊のような動きで、左右に分かれた。
群れが真っ二つに割れ、道が出来た。
その道を、凛とした足取りで歩み進んで来る、1人の少女剣士。
「その足を、下ろしなさい……轟天将を踏み付ける無礼は、許しません」
聖王女レミーだった。
「もう片方の角を折る、程度では済みませんよ」
「俺は貴様の首を、脊椎を、へし折ってくれる……」
魔王の、力強く整った顔立ちが、憤怒に歪む。
「この片角の無様なる姿はな、小賢しい小娘の剣に不覚を取った、俺自身への戒めよ」
「小賢しい小娘の剣が、どれほどのものか……思い出しなさい、魔王」
レミーが、優雅に長剣を揺らめかせる。白い光を帯びた刃が、幻惑的な軌跡を描いて躍る。
「な……なりません、聖王女殿下……こやつと、1対1で戦うなど……」
血を吐きながら、ジンバは呻き、そして叫んだ。
「闘姫ランファ、双牙バルツェフ……何をしておる、殿下をお助けせよ! 武公子カイン! 今こそ、貴様が戦わずして何とするか!」
「た……戦う、だと……」
武公子の声が、震えている。
仲間であるはずの双牙バルツェフと対峙し、刃を交えたまま、カインは青ざめていた。
「何と戦えと言うのだ……まさか我々だけで、魔王と戦えなどと」
噛み合っていた3本の刃が、ほどけるように離れてゆく。
バルツェフも、今は武公子相手の仲間割れどころではなく、力を取り戻しつつある魔王をただ呆然と見つめている。
「ここまで……みたいね。バル君、あたしたちの本来の仕事に戻るわよ」
闘姫ランファが、魔王の傍らに立った。
魔王に、付き従う。そんな格好だ。
「何の……真似だ……」
踏まれ、血を吐き流しながら、ジンバは牙を剥いた。
そんな轟天将を、ランファが冷ややかに見下ろす。
「言ったでしょ? 本来の仕事に戻るって……あたしらが何のために、こっちの世界へ来たのか、一応は説明しといたと思うけど」
「魔王に与して……禍いを、こちらの世界に留め置こうと言うのね」
レミーが言った。
「……ブレイブランドを、守るために」
「魔王にはせいぜい、こっちの世界で暴れててもらうわ。その間、ブレイブランドは平和だから」
ランファが、棒状の12節棍を構え直す。魔王を、護衛する形にだ。
「ハンゾウ様にもらった任務……これで、果たせるわ」
「愚かな……それが本当に、ブレイブランドを守る事になるとでも」
呻くジンバの顔面に、軍靴の爪先が叩き込まれて来た。
「野良猫が! 貴様ごとき下等なケダモノはなぁ、魔王様のおみ足に触れる栄誉をただ悦んでおれば良い! 悦びに鳴き吠えておれば良いのだ! 浅ましい畜生のようになああああああ!」
武公子カインだった。
秀麗な顔立ちを怒りに歪ませ、喚き、ジンバの鼻面にガスガスと蹴りを入れている。
「この武公子が、魔王様に刃向かう者どもを許してはおかぬ! 容赦はせぬ! 死ね、死ね! 魔獣ごときがレミーの傍で大きな顔をしくさって、前々から気に入らなかったのだよ貴様はぁあああああッッ!」
「やめなさい!」
レミーが魔王ではなく、武公子に斬り掛かる。
白い光をまとう刃が、本物の殺意を宿したままカインを襲った。
仲間、そして婚約者であったはずの男を今、レミーは本気で斬殺しようとしている。
その斬撃を、カインは振り向きざまに迎え撃った。
細身の剣が、鞭の如く一閃し、白い光の刃を打ち据える。
「くっ……!」
レミーは斬撃を弾き返され、後退りをした。
そこへカインが、針のような切っ先を突き付けながら歩み迫る。
「わかってくれないか、レミー……魔王様には、こちらの世界に君臨していただくしかないのだ。ブレイブランドの平和のために、この世界を魔王様に捧げ奉ろう。そして貴女と私は、平和なブレイブランドで婚礼を挙げる。我々の歩む道は、それしかないのだ」
「武公子カイン……見下げ果てた男!」
聖王女の可憐な美貌に、怒りの生気が漲った。
「魔王の下僕に成り下がったのなら、むしろ好都合。この場で討ち果たす!」
「わからない事を言うものではないよレミー」
光の剣と細身の刃が、再びぶつかり合った。
高らかに金属音が響き渡り、白色光の飛沫と火花が美しく飛散する。
「一緒に、ブレイブランドへ帰ろう。この汚らわしい世界に群れて蠢くゴミ虫どもが、魔王様の大いなる御力によって綺麗に滅ぼされてゆく……それを尻目に、2人で幸せになろうではないか」
「1人で幸せを享受していなさい……安らかな死という幸せを!」
聖王女の怒りの斬撃を、細身の剣がピュルピュルッとしなって揺らめきながら弾き返し、受け流す。
武公子カインという男、人格はともかく剣士としての技量は、ブレイブランドでも1、2を争うだろう。
その戦いぶりを、闘姫ランファが楽しげに見物している。魔王の傍らで、護衛の形に佇みながらだ。
「あ〜あ、夫婦喧嘩が始まっちゃったわねえ。この2人……無理矢理にでもくっつけて、子供の顔が見てみたいって気がしてきたわ」
(何だ……何なのだ、これは……)
ジンバは、心の中で呻いた。
(我ら……これほどまでに、結束出来ぬ者たちであったのか……? あれほど固く結び付き、1度は魔王を打ち倒したはずの……我らが……)




