第28話 婚約者UR
我が身を犠牲にして、仲間を庇う。自身よりも他者の身の安全を最優先に行動する。
美徳である事に、疑いを差し挟む余地はない。聖王女レミーは、そう思っている。
だが、実戦でその美徳を実行するのは至難の業だ。
他者を気遣いながら出来る事には、限度がある。
その場にいる者には自力で身を守ってもらい、戦える者は戦って、速やかに危機的状況を終わらせる。それが最良なのだ。
魔王との戦いにおいては、勇者たち全員が、そのようにして生き延びてきた。
今の村木恵介には、己の身の安全を確保する力くらいはある。そう信じるしかない、と思いながらレミーは踏み込み、長剣を振るった。
白い、気力の光をまとう刃。
白色の弧が、ふわりとした金髪の舞いに合わせて力強く発生する。そしてオークソルジャーの群れを薙ぎ払う。
構えた槍もろとも真っ二つになった怪物たちが、砕け散って光の粒子に変わり、消滅してゆく。
そのキラキラした死に様を飛び越えて、ソードゴブリンの一部隊が敏捷に襲いかかって来た。短めの剣が何本も閃き、レミーに降り注ぐ。
(恵介さん……!)
降り注ぐ攻撃を、白い光の刃で打ち払いながら、レミーは見回した。
恵介の姿など、見あたらない。
周囲を満たすのはソードゴブリンにオークソルジャー、グレートキマイラ。メガサイクロプスの巨体や、鎌首をもたげたファイヤーヒドラの姿も時折、視界をかすめる。
大群を成す魔物たちを、この高架下から1匹たりとも外へは出さない。
今は、そのためだけに戦うべき時であった。
レミーの周囲に着地したソードゴブリンたちが、様々な方向から姿勢低く、剣を突き出して来る。水着のような甲冑をまとう少女の肢体を、斜め下方から滅多刺しにせんとする攻撃。
瑞々しく露出した左右の太股が、小刻みに躍動し、短めの剣をことごとくかわしてゆく。
かわされた攻撃を、なおも執拗に繰り出そうとしながら、ソードゴブリンたちは真っ二つになった。あるいは首を刎ねられた。レミーの長剣。ゴブリン1匹1匹に対する、正確な反撃である。
光の斬撃でまとめて薙ぎ払うような派手な戦い方は、控えるべきであった。敵は大群、気力の消耗は抑えなければならない。
気力に頼らず、肉体的な剛力のみで魔物たちを粉砕している戦士もいた。
ファイヤーヒドラの首が8本、同時に砕けちぎれた。
グレートキマイラの巨体が、轟音と共に潰れ飛び散る。
メガサイクロプスの巨大な上半身が破裂し、下半身が臓物を噴き上げながら膝を折った。
大型の魔物たちが叩き潰され、キラキラと光の粒子に変わり、飛散する。
それらを蹴散らしながら、縦横無尽に宙を裂く、流星のようなもの。
鎖を引きずる、2つの鉄球である。
左右の剛腕で、それらを振り回しながら、轟天将ジンバは睨み据えていた。戦場と化した高架下を興味深げに見渡している、1人の若い男を。
「雑魚を蹴散らしながら、猛然と俺の命を狙いに来る者ども……いたぞ。かつて確かに、いた」
燃え上がるような黄金色の髪を軽く押さえながら、その男……魔王が言った。
「……否。今もいる、という事かな」
「おうよ。その命、狙い続けるとも」
まさに猛虎の如く、ジンバは吠えた。
「魔王! 貴様がいずこの世界へ逃れようともだ!」
左右2つの鉄球が、隕石の如く魔王を襲う。
「逃げはせんよ」
まるで蠅でも追い払うような手つきで魔王は、2つの鉄球をベシッ、バシッと打ち払った。
「命を狙われる……これほど楽しい事が、他にあるか!」
その手を魔王が、前方に突き出す。両眼を、炎の如く輝かせながらだ。
目に見えぬ魔力の塊が、魔王の掌から迸り出て轟天将を襲う。
並の人間であれば数人まとめて砕け散る攻撃魔法。
それをジンバは、拳で迎え撃った。
岩のような拳が、鎖を握ったままブンッ! と唸りを発し、魔力の塊を殴り砕く。
砕かれたものが、光の破片と化して一瞬だけ可視化し、轟天将の顔面を照らし出す。牙を剥く、猛虎の形相を。
魔王も牙を剥き、ニヤリと微笑んだ。
「やるな、貴様……」
燃え上がる眼光が、ジンバ1人に向けられている。
思った以上に、魔王は力を取り戻している。これだけの魔物の群れを、ブレイブランドから引き寄せてしまうほどに。
いかに轟天将ジンバとは言え、1対1の戦いをさせるわけにはいかない。
加勢に向かおうとするレミーを、オークソルジャーの1隊が阻む。
猛然と突き込まれ、叩き付けられて来る槍を、かわして切り払いながら、レミーは見回した。
一刻も早くジンバに加勢し、力を合わせて魔王と戦わなければならない……と言うのに、見回し探してしまう。
「恵介さん……どこにいるの?」
乱戦である。
レミーにもジンバにも、足手まといの少年を守ってやる余裕など、あるはずがない。
自分の身は、自分で守るしかなかった。
有り体に言えば、逃げ回るしかないという事だ。
「くっ……!」
村木恵介は、コンクリートの上に転がり込んだ。
オークソルジャーの槍が、ブゥンッと近くを通過して行く。
恵介は、起き上がりながら跳躍した。ソードゴブリンたちの剣が、様々な方向から襲いかかって来ている。
かわし、着地しつつ、恵介は見回した。
視界を埋め尽くす、オークソルジャーとソードゴブリンの群れ。
聖王女レミーもいない、轟天将ジンバもいない。とうの昔に、はぐれてしまった。
咆哮が、聞こえた。
巨体が1つ、オークソルジャーやソードゴブリンを蹴散らすように、こちらへと突っ込んで来る。
1匹の、グレートキマイラだった。3つの頭部が凶暴に牙を剥き、恵介を襲う。
血飛沫が、大量に飛び散った。
グレートキマイラの巨体が、原形を失っていた。無数の肉片が、飛び散りながらキラキラと光に変わり、消滅してゆく。
粉砕された、と言うより切り刻まれていた。
刃の閃光が、ゆらっ……と余韻の動きを見せている。
頼りなく揺らめく、細身の刀身だった。
「武公子……カイン……」
自分を助けてくれた剣士に、恵介は呆然と声をかけた。
「あ……ありがとよ」
「魔物に殺される。それは、とても惨たらしい事だ」
カインの秀麗な顔立ちが、にこりと歪む。
「が、頭を喰いちぎられれば一瞬で死ねる。貴様を……楽に死なせる、わけにはいかんのだよ」
その笑顔が引きつり、震えている。
にこやかに細められた両眼の中で、憎悪の光が燃え上がる。
「聖王女レミーの、困ったところでな……無様で惨めなる者に、分け隔てなく優しくしてしまうのだ。その優しさに……つけ込んで、貴様は……貴様のごとき、蛆虫が……ッッ!」
「……蛆虫だから、殺したのかよ」
まっすぐに、恵介は眼差しを返した。
「高岡を……俺の、友達を……」
「……ふん、思い出したぞ。貴様のような虫ケラが、確かにいた」
悪意の笑みを保ったまま、カインが言う。
「ほんの何日か前であろう? 何匹かで、目障りに群れていたのでな」
「目障り……」
恵介は呻いた。
受け入れなければならない事実がある、と思いながら。
「目障り……だから、殺した……ってのか……?」
「耳障りでもあった。喚き立てる、あやつらの声がな」
ブレイブランドの勇者たちの中にも、このような者がいる。その事実を、受け入れなければならない。
状況が、恵介には手に取るようにわかった。
高岡俊二はあれからも、いささか問題のある仲間たちと行動を共にしていた。
この武公子カインは、いかなる事情でか、ブレイブランドからこちらの世界へと送り込まれて来た。それ以来、今まで浮浪者の如く彷徨っていたのだろう。
そこへ高岡たちの方から、何かしら因縁をつけたに違いない。
そして、逆襲に遭ったのだ。
「あんたなら……あんたくらい強けりゃ、殺さねえで済ませる事だって……」
「あの虫ケラどもは、なるほど貴様の親友か」
カインは、相変わらず笑っている。
「友の仇、というわけか? 虫ケラが」
恵介は、答えなかった。
言葉ではなく絶叫が、身体の奥から迸り出た。怒りの雄叫びだ。
そんなものは、しかし周囲を満たす殺戮の喧噪に掻き消されてしまう。
消え入りそうな叫びを張り上げながら、恵介は駆け出した。拳を握り、踏み込んでいた。
その拳を、武公子カインに叩き付ける。
手応えがない。代わりに、重い衝撃が腹にめり込んで来た。
カインの、恐らくは膝蹴りであろう。長い脚が、恵介の目では捕捉出来ない速度で跳ね上がっていた。
呼吸が、詰まった。
口をぱくぱくと弱々しく開閉させながら恵介は倒れていた。
「ゴミ虫が……友情にでも、燃えているつもりか? ええ?」
倒れた身体がズドッ! と激しく、へし曲がった。カインの爪先が、鳩尾に叩き込まれていた。
呼吸が回復すると同時に、身体の奥から熱いものが迸る。
恵介は、血を吐いていた。
「うっぐ……げぼっ……」
「それよ、その声……ゴミ虫はなあ、地面を這いずりながら無様な声を出していれば良い」
細身の剣が、ピュルンッと閃いた。
カインの左右でオークソルジャーが2匹、首を刎ねられ、頭蓋を両断されながら、光に変わった。
「レミーと、言葉を交わそうなどと……!」
魔物たちに対しては剣を振るいながら、カインは右足で、恵介の横面を踏みにじった。
「それに友の仇? 友情? 貴様らに、そのような感情を抱く資格などないのだよ! 掃き溜めのような世界に住まい蠢く蛆虫どもがあぁあッ!」
頬の辺りをガスガスと踏み付けられ、恵介は口を閉じる事が出来なくなった。
奥歯が折れた。
開きっぱなしの口から、血反吐がとめどなく流れ出してコンクリートを汚す。
その血溜まりの中で、恵介は悲鳴を上げた。
怒りの雄叫びは、無様な悲鳴に変わっていた。
下腹の辺りが、妙に生暖かい。ズボンが、ぐっしょりと熱く湿っている。
恵介は、失禁していた。
「臭うなぁ、無様な虫ケラの臭いよ!」
カインの爪先が、恵介の股間に軽く叩き込まれる。
小便の飛沫を飛び散らせながら、恵介は前屈みに身を丸め、血溜まりの中を転げ回った。
滑稽な悲鳴が、血反吐と一緒に溢れ出した。
その口元を、カインが左足で踏み付ける。
「生かしておく価値はなし、殺すほどの価値もなし……」
恵介の唇が、ズタズタに裂けた。
「今から貴様の手足を切り落とす。本物の蛆虫と化し、這って生きろ。そして無様を晒し続けるのだ。レミーに哀れまれる、くらいの事は許可してやる。嬉しかろう? ああ? 嬉しかろうがぁあ?」
(だ……誰か……)
口から無様な悲鳴を垂れ流しながら、心の中で恵介は叫んだ。
(……殺してくれ……誰か、こいつを……魔王! いるんだろ!? この野郎を……ぶっ殺してくれよおぉ……ッッ……)
巨大な屍が、恵介の近くに倒れ込んで来て地響きを立てた。
8本の首を、全て切り落とされたファイヤーヒドラ。大量の鮮血をまき散らしながら、キラキラと光の粒子に変わってゆく。
それを払いのけるようにして、小柄な人影が1つ、歩み寄って来る。獣の耳をピンと立て、豊かな尻尾をふっさりと揺らめかせながら。
「やめろ、武公子……」
双牙バルツェフだった。
「お前の、やる事……相変わらず、不愉快」
「……犬が、虫ケラを助けようとでも?」
カインが嘲笑う。
幼さの残る口元で、バルツェフは白い牙を剥き出しにした。
「そんな奴、助けたりしない。どうでもいい。俺、お前が不愉快。ただ、そう言ってるだけ」
「……以前から、思っていたのだよ」
細身の剣が、とりあえずは恵介の手足を切り落とす事なく、バルツェフに向けられる。
「薄汚い魔獣属性の者どもが……特に貴様のごとき野良犬がなぁ。魔王との戦いを共にした、というだけの事で、私や聖王女と同列の扱いを受ける……気に入らん。実に、気に入らんのだよ」
「それ、こっちの台詞……」
牙を剥いたままバルツェフは、左右2本の剣をユラリと構えた。魔王討伐の仲間を、本気で斬り殺そうとする構え。
「俺……魔王よりも、お前が嫌い」




