第23話 堕ちた英雄SR
上納金の額が、一桁増えた。
ランファやバルツェフ、それにタマのおかげで、これまで外国人犯罪組織に握られていた様々なルートや利権を奪い返す事が出来たのだ。
収益は格段に上がり、それを隠し通す事も出来なくなった。
だから、梶尾の方から上納金の値上げを申し出たのだ。
「殊勝な心がけじゃねえか、梶尾君よぉ」
ホステス2人を両手に抱いたまま、神崎が笑う。
広域暴力団・六道会若頭、神崎信夫53歳。
梶尾康祐としては、もう少しの間は上手くやってゆきたい相手である。
「いやいや感心感心。自分の懐にどうやって金ねじ込むか、それしか考えてねえ奴らばっかりだもんなあ。今の世の中」
などと言っている神崎自身、梶尾からの上納金を、いくらか己の懐に入れているのは間違いない。
「神崎さんには、お世話になってますからね」
無難な事を、梶尾は言っておいた。
「自分がここまで稼げるようになったのも、神崎さんのおかげです。社会のダニみてえな仕事してるからこそ、恩と義理ってのは忘れちゃいけねえと思ってます。青臭えとお思いでしょうが」
「んな事ぁねえさ、おめえの言う通りだよ」
神崎が、酔いの回った様子で、うんうんと頷いている。
「俺らみてえな稼業だからこそ、義理人情は大切にして筋も通さねえとなあ。そいつを忘れちまったら、単なる人間のクズだもんなあ」
六道会が経営に関わっている、とあるホステスバーである。
神崎信夫と梶尾康祐、それに梶尾の仲間の主だった者数人が、広いボックス席とホステス約半数を占領し、飲み騒いでいる最中だ。
梶尾が仲間たちと共に今の商売を始めた頃は、こんな店で女を侍らせるなど、想像もつかない事だった。
あの仲間たちは、ほとんど死んだ。殺された。人間ではない者たちによってだ。
今日、連れて来ているのは、この商売が軌道に乗り始めた頃に入って来た比較的、新顔に近い者たちである。
その1人が、声を潜めて言った。
「梶尾さん……いつまで、あんなジジイに尻尾振ってりゃいいんですか」
神崎が便所に行った、その時を見計らったかのように話しかけて来たのは、草間弘樹である。
田中や根岸の死後、急速に頭角を現してきた男で、今では梶尾の片腕とも言える存在だ。
「あの連中を、もっと上手く使えば……」
「六道会なんぞに、へいこらする必要ねえってんだろう。おめえや俺じゃなくたって考えつく事だわな、そりゃ」
闘姫ランファに双牙バルツェフ、それにタマ。
あの3人がいれば、六道会だけではない、日本全国の暴力組織を支配下に置く事も夢ではないだろう。
3人の、あの戦いぶり殺しぶりを1度でも目の当たりにすれば、誰でもそう思う。
だが、六道会は日本の暴力団である。暴力団とは言え、日本人の集団なのだ。
「最初っから日本にいねえ連中を皆殺しにする、みてえなわけにはいかねえんだよ。この話、前もしたろ?」
「そりゃ、そうですが……」
あのような戦闘行為・殺戮行為を日本人相手に行えば、いささか面倒な事になる。暴力団とは言え日本人から死者が出たとなれば、警察も本腰を入れて動かざるを得ないだろう。
警察の力など、あの3人がいれば、どうとでもなるのではないのか。
草間の顔には、そう書いてある。
その顔を見据え、梶尾は言った。
「何度でも言うぞ、覚えとけ草間……虫ケラみてえに殺していいのはな、くそったれな外国人どもだけだ」
「……わかってます、そいつは」
「なに焦るんじゃねえよ。あいつらがいりゃ六道会なんざぁ、いつだって、どうにでもなる……」
神崎が便所から戻って来たので梶尾は口をつぐみ、愛想笑いを浮かべた。
ランファにバルツェフ、それにタマ。あの3人がいれば確かに六道会など、いつでも、どうにでも出来る。
一筋縄ではいかないのは、田中や根岸たちの仇討ちである。
わけのわからぬ怪物たちが出現し、梶尾の仲間を殺した。
その原因を突き止め、根絶する。
それは、しかし日本全国の暴力組織の頂点に立つよりも、ずっと難しい事業になりそうであった。
(なに、焦るんじゃねえよ俺……何年かかったって、やり遂げるだけだ。見てろよ田中、根岸に宮本)
そこで梶尾は、思考を中断した。スーツの中で、携帯電話が震えたのだ。
神崎の目を盗んで、表示を見てみる。
矢崎義秀から、であった。
大急ぎで、金を作ったのか。
あるいは、梶尾を呼び出して決着を付けるつもりか。ランファたちとも因縁のあるらしい、あの虎のような大男の力を借りて。
何にしても、今は出られない。後で、こちらからかけ直す事になりそうだった。
鱗とヒレのある剛腕が、三又の槍を、思いきり振り下ろしながら手放した。
投擲。
疾風の如く宙を裂いて飛翔した三又槍が、メガサイクロプスの眼球に突き刺さり、頭蓋骨を穿ち、後頭部へと突き抜けた。
1つしかない眼球もろとも脳を打ち貫かれたメガサイクロプスが、地響きを立てて倒れつつ、キラキラと光に変わり、消滅してゆく。
その間、何匹ものオークソルジャーが槍や戦斧を振り立て、襲いかかる。得物を手放してしまった、魔海闘士ドランにだ。
「もとより貴様らを、安全な兵隊として管理出来るなどとは思っておらん……が」
通じるわけもない言葉を発しながら、ドランは両手を振るった。
水掻きを広げカギ爪を伸ばした五指が、槍を掴んでへし折り、戦斧を叩き落とす。
武器を失ったオークソルジャーたちに向かって、ドランは牙を剥いた。
怪魚そのものの大口から、白く鋭い牙の列が現れ、刃の如く一閃する。
一閃と表現すべき、超高速の噛み付きだった。
オークソルジャーが1匹、2匹、大量の血を噴いて絶命し、倒れた。2匹とも首筋を、頸骨もろとも食いちぎられている。
光に変わりゆく屍をキラキラと蹴散らしながら、ドランは歩くように踏み込んで行った。
カギ爪とヒレを生やした両手が、襲い来る槍や戦斧を、片っ端から叩き折って弾き落とす。
得物を失ったオークソルジャーたちの首筋が、顔面が、ことごとく齧り取られてゆく。
「この不味さには、一向に馴染めんな……」
齧り取ったものをグシャリと咀嚼しながら、ドランは苦笑した。
苦笑する口元から、オークたちの脳漿が飛び散り、眼球が垂れ下がる。
光の飛沫に変わりゆくそれらを左手で拭い取りつつ、ドランは右手で武器を拾い上げた。
先程、投擲した三又の槍。
それが正当な持ち主の剛腕によってブンッ! と振り回され、オークソルジャーの群れを薙ぎ払う。
薙ぎ払われた怪物たちが、グシャグシャに原形を失いながら吹っ飛び、地面に激突する事なく光に変わり、舞い散って消滅する。
「ここまでで良かろう? 魔物どもとは言え我が軍の戦力、皆殺しは俺も本意ではない」
まだ大量に生き残っているオークソルジャーたちに、ドランは三又槍をぐるりと向けながら言葉をかけた。
「俺と同じく、戦うしか能のない者どもよ……その力、せめて戦いに使え。弱い者いじめに使うな」
あちこちで叩き潰された、民家の残骸。
それらの陰で、村人たちが震え上がっている。
男、女、老人に子供。合わせて20人近く。
避難勧告を拒絶し、この村に居残り、魔物たちに襲われた。
ドランが駆け付けた頃には、何名か死者が出ていた。
ヴァルメルキア大平原に点在する、村々の1つである。
死せる湖から、さほど離れていない。つまり、戦場となり得る場所だ。
そういった村々に対し、ダルトン公の名前で避難勧告が出された。
実質的には、退去命令である。
元々住んでいた人々に、戦争をやるから出て行けと、一方的な通告を下しているのだ。
「我々の方が無茶を言っている。それは百も承知の上だ」
立ちすくむオークソルジャーの群れに、油断なく三又槍を向けながら、ドランは村人たちに言った。
「だがな、ここに残っていれば、こういう目に遭う。それは、わかってもらえたと思うが」
「だから、出て行けって言うのか……!」
村人たちが、怯えながら激昂している。
「ふざけるなよ! お前ら勝手に、わけのわからん戦争始めといて!」
「魔王を復活させるだと!? 一体どういうつもりだ! 魔王を倒した、あんた方が!」
「そもそも何で! 魔王退治の英雄が、ダルトンなんぞの手下に成り下がって!」
村人の1人が、掴みかかって来た。
殴るなら棒か何か使った方が良い、とドランは思った。素人が素手で自分を殴ったら、拳を痛める。
その村人の足元でビシッ! と電撃が弾けた。
放電の輝きをまとう、鞭の一撃。
尻餅をついた村人の男に、冷ややかな言葉が浴びせられる。
「豚さんよりも使えない、愚民どもが……ダルトン公のなさりように異を唱えようなどと」
鳳雷凰フェリーナ。
パリパリと電光を帯びた鞭を片手に、歩み寄って来る。
「偉大なるダルトン公が、魔王の力をもってこの国を統べられる……お前たちはただ、それに従っていればいいのよッ」
言葉と共に、綺麗な細腕が跳ね上がる。
電光の鞭が、雷鳴を発しながら宙を裂き、村人たちを襲った。
悲鳴が上がり、瓦礫が飛び散る。
崩れかけの民家が、電撃の鞭に打たれ、落雷を受けたかの如く砕け散っていた。
その破片を避けて逃げ惑う村人たちにフェリーナが、さらなる罵声を浴びせる。
「お前たちなど何匹死のうが、ダルトン公の大いなる覇業には何の影響もない! にもかかわらず公は、お前たち愚民どもの身を案じられ、この地を離れよと仰せられているのに!」
罵声に合わせて荒々しく鞭がうねり、村人らの足元の地面に電撃を叩き付ける。
「ダルトン公の御慈悲を拒むなら、勝手に戦に巻き込まれて死ねばいい! それとも私が始末してあげましょうか? 偉大なるダルトン公に逆らう屑肉どもを、雑草の肥やしに変えてあげましょうかぁあ!?」
罵声と共に荒れ狂う鞭が、逃げ惑う村人たちを巧みに避けて地面を打ち、土や瓦礫を粉砕する。
「見事なものだな、鳳雷凰」
逃げ去って行く村人らを見送りながら、ドランは言った。
「1人も死なせず、傷を負わせる事もなく、恐怖心のみを植え付けて退散させる……俺には出来ん技だ」
「私が彼らに植え付けたのは、恐怖心ではないわ」
同じく見送りながら、フェリーナが言う。
「ダルトン公への、恨み憎しみよ」
「ダルトン公には、とにかく1人でも多くの民に恨まれてもらわねばならん……か」
ドランは、苦笑気味に牙を剥いた。
「今のところ、貴女や魔炎軍師の目論み通りに事が進んでいるようだな」
「言葉にお気をつけなさい、魔海闘士殿」
綺麗な唇の前で、フェリーナは人差し指を立てた。
「私たちと魔炎軍師ソーマは敵同士……魔王退治の英雄一団が、魔王をめぐって分裂しているのよ。邪悪な私欲を抑えられずに魔王復活をたくらむ一派と、そうはさせじとする一派にね。そうして不倶戴天の敵同士となり、戦っている。今は、そういう事よ」
茶番に等しい戦いだ。
それは口に出さずにドランは、荒廃した村の有り様を見回した。
家々は破壊され、無人の廃墟と化した村。
「あちらの世界でも、これと同じ光景が……今頃は、出来上がっているかも知れんな」
このような光景を作り出さないために、自分たちは魔王と戦っていたはずだった……
否、とドランは思い直した。
魔王との戦いは、まだ続いているのだ。終わらせる事が出来なかったのだ。
だから、このような廃墟が作り出されてしまう。
「他の世界に禍いを押しやって、自分たちの世界だけを守る……ある意味これは、正しいと言えるわ」
フェリーナが言った。
「正しくない事を敢えて行おうとする以上、貴方が好きではない戦いも必要になるわよ。魔海闘士」
「わかっている……」
茶番のような戦いは、こちらの世界に残ってしまった者の役目なのだ。
そう頭で理解していてもドランは、心の中で呟かずにはいられなかった。
(魔王との、直接の再戦に臨む事が出来る……貴公らが羨ましいぞ、聖王女に轟天将よ)




