第21話 取り立て人R
恵介が最近、「ブレイブクエスト」を全くプレイしていない。
する必要がない、とも言えるだろう。ゲームの中にしかいなかったはずのキャラクターたちが、周囲に実在しているのだから。
良い傾向だ、と矢崎義秀は思う。あのブレイブクエストというゲームに対し、自分はどうもあまり良い印象が持てない。
知り合いで1人、このゲームに金を注ぎ込み過ぎて破滅した男がいるのだ。
その男は、ほぼブレイブクエストのためだけに借金を重ね、仕事も交友関係も台無しにした挙げ句、失踪した。
あまり感心出来ない業者からも、金を借りていたようである。
矢崎も10万円ほど貸したままである。無論、1円も返って来ていない。
「今頃どこで何やってんのかなあ、あの野郎……」
川沿いの歩道を、とぼとぼと歩きながら、矢崎は呟いた。
親友と呼べる男だった。
今考えると、そう思っていたのは矢崎だけだったのかも知れない。あの男は、矢崎のそういう思いにつけ込んで、金をせびっていただけだ。
「親友ってのは、金の貸し借りをやっちゃあ駄目だよな……」
全く自慢にもならないが、矢崎は金を借りた事がない。
金は全て、女性たちから恵んでもらった。
やはり男よりも女の方が信頼出来る、と矢崎は思う。
男は金を借りたまま逃げるだけだが、女性たちは金だけでなく様々なものを恵んでくれる。
「……恵んでもらう生き方しか出来ねえんだろうな。俺って奴は、死ぬまで」
矢崎は自嘲した。
恵介にとって、そこそこの反面教師くらいには、なっているのかも知れない。
そんな事を思いつつ、矢崎は立ち止まった。
男が複数、前方に立ち塞がっている。後ろにも立っている。
歩道には車が2台、止められていた。うち1台の運転席から、ニヤニヤと微笑みかけてくる男がいる。
「よう矢崎さん……随分、逃げ回ってくれたじゃないっすか」
「梶尾さん……」
矢崎は立ちすくんだ。
梶尾康祐。この男の職業を、矢崎は知らない。いくつか仕事をしているようだが、その中の1つに金融業がある。人に金を貸す仕事である。と言っても、矢崎が借りたわけではない。
「中田さん、見つかりました?」
梶尾が訊いてくる。
「俺らも探してるんですけどねえ、どこにもいないんスよ」
「いや、俺の方も……連絡、つかなくて」
矢崎は答えた。が、それで逃がしてくれる梶尾ではない。
前から、後ろから、梶尾の手下の男たちが矢崎を取り囲む。
「しょうがねえなあ……いや俺もね、貸したわけじゃない人から取り立てんのは気が引けるんすよ。マジで」
言いつつ梶尾が、1枚の紙をピラピラと見せびらかした。
そこには矢崎義秀と署名がされ、捺印もされている。
「でもほら、アンタこうして連帯保証人のとこにハンコ押しちゃってるし……ね?」
中田に泣きつかれ、つい署名・捺印をしてしまったのだ。
「ああ、もちろん矢崎さんが金持ってないのは知ってますから」
梶尾のその言葉を合図として、男たちが動いた。何か言う暇も与えられず、矢崎は多方向から掴まれ、捕えられていた。
「一緒に金作る方法、考えましょう。とりあえず……生命保険、入っときます?」
「た……」
助けてくれ、と大声を出そうとした矢崎の口を、男の1人が後ろから塞いだ。
金を搾り取るだけ搾った後、殺して埋める。この梶尾という男は、その程度の事は平気でやってのける。
(冗談じゃねえぞ、おい……)
心の中で悲鳴を上げる矢崎の身体を、男たちが無理矢理、車の中に押し込もうとする。
(浩子さんのためなら、ともかく……おめえなんかのために俺、死ぬのかよ……中田ぁあ……)
「そこで何をしている」
声がした。威圧されそうなほどに頼もしい、男の声。
夜闇の中から巨体が1つ、のしのしと歩み寄って来る。
筋肉と獣毛で力強く隆起した身体に、甲冑とマントをまとった男。首から上は、猛虎の頭部である。
轟天将ジンバが、堂々と出歩いていた。
「な……何だ、てめえ」
梶尾の手下たちが、まずは怯んだ。そして凶暴性を剥き出しにする。
「何だその着ぐるみはぁあああ! 俺らをナメてんのか!」
「待て」
無謀にも轟天将に殴り掛かろうとする男たちを、梶尾の一声が止めた。
「……なあ矢崎さん、あんたの友達?」
「え……いや、その」
勝手に友達を名乗って良いものかどうか、矢崎が迷っている間に、ジンバが言った。
「いかにも、矢崎義秀は私の友だ。したがって、お前たちがその男に危害を加えんとするならば、私はそれを全力で妨げねばならん」
猛虎の眼光が、ギロリと男たちを射すくめる。
「結果として、貴様たちがどのような目に遭うか……そこまでは責任を持てぬぞ」
「……そいつはどうも、ご親切に」
梶尾が、不敵な笑みを浮かべた。
「多いよな、最近……あんたみたいな奴」
「ほう。私のような者を、他に知っておるのか?」
ジンバのその問いには答えず、梶尾は男たちに命じた。
「帰るぞ」
「え……で、でも梶尾さん」
「信じられねえだろうが、その虎さんは着ぐるみじゃねえ。本物さ……こっちも本物を連れて来るしかねえんだよ」
本物を連れて来る、とはどういう事か。
轟天将ジンバに対抗し得るような『本物』を、この梶尾という男は、手駒として保有しているのであろうか。
それを明らかにする事なく、梶尾たちは全員、車2台に素早く分乗し、走り去って行った。
猛虎の眼光で睨み見送る轟天将に、矢崎はまず言うべき事を言った。
「助かった……ありがとうよ、ジンバさん」
「浩子殿が、貴様の身を案じておられたのでな。帰りが遅い、と」
ジンバが応える。
「おぬしは恵介に輪をかけて弱いのだから、あまり1人で出歩かぬ方が良いのではないか?」
「ははは、確かに俺なんかより恵介君の方が全然強えよな……しかし虎さんよ。俺のいる場所、よくピンポイントでわかったよな?」
「貴様の臭いを辿って来た。容易い事だ」
「なるほどね、獣の鼻か」
矢崎は、己の脇の下などを嗅いでみた。
「俺の臭い……さぞかし臭えだろうなあ。世間の汚れってやつが染み込んでやがるからよ、この身体」
「ふむ、世俗の臭気か」
ジンバが矢崎に向かって、獰猛に鼻をひくつかせた。
「……悪いものではないぞ? 時間をかけて煮込めば、なかなか良い出汁が取れそうな臭いだ」
「勘弁してくれ。冗談に聞こえねえんだよ、あんたに言われると」
「私も、冗談を言っているわけではないのでな」
言いつつジンバが、巨大な片手で、矢崎の細い首根っこをムンズと掴んだ。
「さあ帰るぞ。根無し草の居候とは言え、今のところは村木家が貴様の帰る場所であろう」
「ま、まあな」
ジンバやレミーの帰るべき場所は、どこなのか。あのブレイブクエストの世界か。
ゲームの中の世界などというものが本当にあるのなら行ってみたいと、矢崎は思わなくもなかった。
和弘の小さな身体が、くるりと宙返りをした。
左右の前足で毛の塊を捕えようとして失敗した、その結果である。
「ふふっ、残念でしたー」
中川美幸は面白がって、小刻みに棒を振るった。
小さな棒の先に天然毛の塊が付いた、猫用の玩具である。
和弘が懸命に、毛の塊にじゃれ付いて来る。
タマが、コンビニ弁当をがつがつと食らいながら、その様子を観察していた。
「……楽しいのか?」
「はい。あたし、猫ちゃんを飼うのが夢だったんです」
中川家は今、動物を飼いたいなどと言い出せる空気ではなかった。
美幸の両親が、喧嘩をしているのである。
これまでも耳障りな口喧嘩は絶えなかったが、今回はそれすらない。父も母も、一言も口をきかないのだ。
辛うじて離婚をせずにいるのは、自分がいたからだろう、と美幸は思っている。子はかすがい、とはよく言ったものだった。
お母さんはね、あんたのために、こんな苦労してるのよ。母に、そう怒鳴られた事もある。
結婚して子供を産むというのは、要するにそういう事なのだろう。
だから家出をした、というわけでもないが美幸は今、ここにいる。
梶尾が管理をしている、アパートの一室である。
昨日はタマが、返り血にまみれた全裸の姿で帰って来た。
掃除をしてきた。タマは、それだけを言った。いわゆる無辜の民を殺戮したわけではないから心配するな、とも。
この男が梶尾の下でそういう仕事をしてくれているからこそ、美幸がここでのんびりと仔猫を飼ってなどいられるのだ。
今は全裸などではなく、中年臭いジャージの上下を身にまとったまま、タマは豪快な食事を続けていた。すでに弁当の空き容器が5、6個、傍らに積んである。
「ねえタマさん……記憶、少しは戻りました?」
「どえらい戦いがあった。それは何となく、思い出した」
ぴょんぴょん飛び跳ねる和弘をじっと見物しながら、タマは言った。
「その戦いに、俺はどうやら敗れたらしい」
「タマさんに……勝てる人が、いるんですか?」
「一対一ではなかろうがな」
タマが、ぎらりと牙を剥いた。どうやら苦笑したようだ。
「無論そんなものは言い訳にもならん。俺は無様にも敗れて今、生き恥を晒している最中だという事が、何となくわかってきた」
語りつつタマは、500ミリリットルの緑茶を一気に呷った。ペットボトルが、ベコベコベコッと凹んでゆく。
この男をどうにかしなければ、と美幸は思う。
責任、というほどのものではない。
ただ飯島麗華たちは、少なくとも半分近くは自分・中川美幸のせいで、この男に惨殺される事になったのだ。放っておく、というわけにはいかない気がする。
「あの……ありがとう、ございます」
まず言っておかなければならない事を、美幸は言った。
「どう考えても、あたし……タマさんに、お世話になってますよね」
返答代わりに、ペットボトルが破裂した。タマが、息を吹き込んだのだ。
元気にじゃれていた和弘が、ビクッと怯えた。
「貴様は俺と契約した……ただ、それだけの事だ」
それだけを言って、タマはごろりと横になった。
「あの……」
やって、みますか。美幸は、そう言おうとした。天然毛の付いた棒を、差し出してみようとした。
その時にはタマはすでに、いびきに近い寝息を立て始めていた。
「何かすげえ音がしたな今、隣」
梶尾康祐が、ちらりと壁の方を見た。
その壁の向こうでは、中川美幸という女の子が、仔猫と一緒に住んでいる。
もう1人、同居人がいるようだが、ランファもバルツェフも会った事はない。
顔も知らぬ、その何者かが発したものであろうか。今の、何かが破裂したような音は。
双牙バルツェフが、唸りを発した。白く鋭い牙を剥きながら、壁を睨んでいる。今の音に、不穏なものを感じたのだろう。
「隣……一体どんな奴、住んでる……?」
犬が唸るかのように、バルツェフは声を漏らした。
「とんでもない……とてつもない何か、感じる……」
「バル君どうどう、恐がらない恐がらない」
「恐がってなど、いない!」
「まあまあ。確かにちょいと恐い人だよ、隣に住んでるのは」
梶尾が言った。
「けど、そろそろ顔合わせしといてくれると助かるんだよね。一緒に仕事してもらう事、あるかも知んないからさ」
それだけを言いに、梶尾はこのアパートを訪れたわけではなかった。
人間の男と、竜属性の少女と、魔獣属性の少年剣士。
計3人が、アパートの一室で小さなテーブルを囲んでいる。
3人分のお茶は、ランファが淹れた。ブレイブランドの薬草茶よりも、簡単に淹れる事が出来た。
そのお茶を一口すすってから、梶尾は言った。
「……で、さっきの話なんだけどさ。バル君にランファちゃん」
「猫の顔した大男ね……うん。間違いなく、あたしらの知り合いだと思う」
「いや、猫っつうか虎……」
「縞猫で充分だってのよ、あんなオヤジ」
「轟天将ジンバ……」
バルツェフが呻き、腕組みをした。
「恐ろしい敵……だけど、俺たち2人がかりなら勝てる」
「ぜひとも頼むわ。大した金じゃねえけどよ、きっちり取り立てとかねえと……やっぱ示しが付かねえからさ」
言いつつ梶尾が、ぺこりと頭を下げた。
「隣の人にも、手ぇ貸してもらおうかと思ったけど」
「あたしらだけで充分よ」
隣に住んでいるのが何者なのか、ランファも気にならない事はない。
だが、そんな事を気にかけるよりも今なすべきは、自分たちの本来の任務である。
封印宮がまだ土台でしかなかった頃、あの死せる湖の底から、鬼氷忍ハンゾウによって自分たちがこの世界に送り込まれた理由。それをランファもバルツェフも、下手をすると忘れかけていたところである。
「……決着付けるわよ、縞猫おやじに聖王女様」




