第20話 掃除屋UR
カレーやシチューなどというものは、箱に書いてある通りに作ってゆけば、それなりのものが出来上がるようにはなっているのだ。
恵介も、何度か作った事がある。
そんな自分でも作れるような代物とは根本的に違う、本物のシチューとでも呼ぶべきものを、恵介は堪能させられていた。
「美味え……こ、これが野戦料理ってやつ?」
「ここまで贅沢なものは作れんよ、戦場ではな」
轟天将ジンバの言う「贅沢なもの」を、恵介はスプーンでとろりと掻き回してみた。
程よくとろみのついた乳白色の中で、様々な具がごろごろと浮き沈みしている。豚肉、ジャガイモ、タマネギに人参。大根まで入っている。
乳白色のシチュールウは、市販のものではない。小麦粉・牛乳・バターを用いて、ジンバが一から作り上げたものである。
「何かもう……立派な家政夫さんって感じだよな」
がつがつとシチューをかき込みつつ、矢崎義秀が言う。
「なあ虎さん。あんた、もしかして長いこと女の人に養ってもらってた経験でもあるんじゃねえの?」
「こら義秀ちゃん、失礼な事言わないのっ」
恵介の母・浩子が、矢崎を叱りつける。
ジンバが、にやりと牙を見せた。
「おぬしもな、世話になっている身であるなら料理の1つも覚えてはどうだ。私がいくらでも教えてやるぞ」
「やめとく。あんたの教え方、半端じゃねえからな」
言いつつ矢崎が、ちらりと恵介の方を見た。
「恵介君、いっつも死にそうになってるし」
「……慣れちまったけどな、もう」
今日も、轟天将の武術指導でたっぷりとしごき抜かれた。
自分が強くなっているのかどうか、恵介自身ではわからない。
ただ最初の頃と比べて、食事が普通に喉を通るようにはなった。シチューが、飲み物のように体内へと流れ込んで来る。
「ま、死ぬほど身体動かしてるせいで飯は美味えよ……っつーわけで、お代わり」
空になった皿を、恵介はジンバに向かって差し出した。
その皿を、聖王女レミーが横合いから受け取り、シチューをよそってくれた。
「どうぞ、恵介さん」
「あ……こ、こりゃどうも」
恵介が恐縮し、頭を下げる。レミーが、にこりと微笑む。
豊かな金髪に、フリル付きのカチューシャが良く似合っていた。
胸では純白のエプロンがふっくらと形良く膨らみ、スカートとニーソックスの間では太股の瑞々しさが眩しい。
いわゆるメイド服であった。
そんなものを身にまといながら、レミーは嬉しそうである。
「浩子さんは、素敵な服をたくさんお持ちなのですね」
「ふふっ。若くて綺麗な女の子に着てもらえて、みんな喜んでるわよん」
「お、俺の恥ずかしぃーシミとか、ちょっと付いてたりするけどなぁーぐへへへへ」
「いーからテメエは喋るんじゃあねえええ」
恵介は思いきり、矢崎の首を絞めた。
潰れた悲鳴を漏らす矢崎を、レミーが助けに入る。
「ちょっと、駄目よ恵介さん……」
『……凄惨な事件が、続いております』
点けっぱなしのテレビの中で、アナウンサーが陰鬱な声を発した。
キッチンにいる全員の目が、画面に集中した。
このところ続いている「凄惨な事件」というのが何であるのか、少なくともレミーとジンバにとっては聞き逃せぬニュースであろう。
『昨夜1時頃、都内の公園で複数の惨殺死体が発見されました』
「まあ、嫌ねえ……こないだの事件の犯人だって、まだ捕まってないのに」
浩子が、呑気な声を出している。
彼女の言う「こないだの事件」というのは、飯島麗華たちが殺されて中川美幸が行方不明になった、あの廃屋での大量殺人の事であろう。
『殺されたのは住所不定職業不詳・仲根敦司さん24歳ほか、10代の少年6人で……』
その6人の名前が、表示されている。
恵介は思わず、椅子を蹴るように立ち上がっていた。
高岡俊二さん(16)。
見間違い、ではない。その名前が今、確かに表示されていた。
『被害者は全員、刃物のようなもので首などを切られており、その手口から先日、都内のクラブで起こりました大量殺人事件との類似性が指摘されています』
あの事件も、犯人は逃走中という事になっている。
多人数の不良を、刃物1本で皆殺し。
ブレイブランドの戦士による犯行ではないか、と恵介は思ったものだ。双牙バルツェフの顔が、頭に浮かんだりもした。
彼であるかどうかはともかく、今回も同一犯の仕業なのであろうか。
高岡俊二は、ブレイブランドの戦士に殺されたのか。
「恵介さん……」
レミーが、気遣わしげな声をかけてくる。
テレビを睨んだまま、恵介は言った。
「レミーは知ってるよな。昨日、学校の帰りに会った連中……全員、殺されたってよ」
「恵介さんの、お友達が……!?」
レミーが息を呑み、ジンバも獣の顔面を引き締める。
『警察の調べによりますと、殺された仲根さんは以前から、覚醒剤の売買を行っていた疑いが持たれており、麻薬密売グループ同士の抗争に巻き込まれたのではないか、との見方が強まっています』
アナウンサーの語りを聞いて、恵介は1つ思い出した。
昨日、仲根たちによる暴行を受けていた中年男が、その仲根たちに向かって吐いた捨て台詞。
俺をこんな目に遭わせやがって、梶尾さんが黙っちゃいねえ……わかってんのか、おめえら終わりなんだよ! 梶尾さんが本気で動いたら、テメエらなんざぁ今夜じゅうに東京湾の魚のエサだ! わかってんのかオイこらあ!
その言葉通り、梶尾という何者かによって、仲根もそして高岡も始末されてしまったという事なのか。
「高岡……」
恵介が呻いた時には、ニュースはすでに別の話題に切り替わっていた。
ここが日本である、という事が疑わしくなってしまうような光景である。
深夜、太平洋側のとある港湾施設。
何人もの外国人の男たちが、母国語で罵声を喚きながら、自動小銃やサブマシンガンをぶっ放してくる。
この外国人犯罪者という輩は、日本国内に平気で銃火器を持ち込んでは人を殺傷し、物や金を奪い、自国へ逃げ帰って行く。はっきり言って、侵略者のようなものだ。
だから見つけ次第、皆殺しにする。
それが日本人の、安全とそして商売を守る事になるのだ。
「しかしよォ……俺、いいのかな? こんなにラッキーで」
車の陰から戦いを見物しつつ、梶尾康祐は呟いた。
否、戦いなどと呼べるものではない。一方的な虐殺が、今から行われようとしている。
金髪の、若い男が1人。筋骨たくましい裸身を晒しながら、ゆっくりと歩いている。
着ていた服は、銃撃でちぎれ飛んでしまった。
が、露わになった裸身は全くの無傷だ。
がっしりと分厚い胸板が、力強く隆起した肩や二の腕が、強固に引き締まった腹筋が、銃弾の嵐をパチパチと弾き返す。
まさに豆鉄砲である。まるで、節分だった。
この金髪男が人間ではないのは、間違いない。ランファやバルツェフと比べても、怪物の度合いは桁違いである。
あの2人は今、別の組織を潰しに行っている。
ランファもバルツェフも、最低限の生活を世話してやるだけで、実に申し分ない仕事をしてくれる。おかしな良心の呵責を感じる事もなく、梶尾の敵対者を片っ端から始末してくれる。
2人とも、人殺しを仕事と割り切っているようなところがあった。殺さなければ殺される世界で、幼い頃から生きてきたのだろう。
外国語の悲鳴が、聞こえた。
大量の血飛沫が、花火のように噴出している。眼球が、脳髄の破片が、ビチャビチャと飛び散っている。
金髪の男が、拳を振るっていた。たくましい裸身を翻し、恥部を丸出しにして回し蹴りを放っていた。
砲丸のような拳が、外国人たちの顔面を片っ端から粉砕する。
力強く筋肉が盛り上がり引き締まった脚が、犯罪者たちの胴体を、銃器もろとも折り砕き引きちぎる。大量の臓物が、溢れ出しぶちまけられた。
「マジかよ……」
呆然と、梶尾は声を漏らした。
タマ、と名乗った。返り血にまみれながら、少女と仔猫を引き連れ、さまよっていた。
逃走中の犯罪者か何かであれば、とりあえず恩を売っておく。何か仕事をさせてみて、使い物にならぬようであれば上手く警察に引き渡す。
梶尾としては、そんなつもりでいたのだが。
「脆い……」
返り血まみれの裸身に、スポットライトのような月光を浴びながら、タマが呟いた。
外国人たちは1人残らず、原形とどめぬ屍と成り果て、汚らしく散乱している。
「もう少し頑丈で、壊しがいのあるものはないのか」
「いやいやいや、敵は弱っちいのが一番っすよタマの旦那」
車の陰から梶尾は飛び出し、愛想笑いを浮かべ、声をかけた。
「お見事なブチ殺しっぷり、惚れ惚れするような化け物っぷりでした! いやホント、一体何食ったらそんな撃たれても死なねえ身体になれるんスか」
「勇者どもを、片っ端から叩き殺し……心臓をな、こう抉り出して、生で喰らう……」
リンゴを丸齧りするような仕種を見せながら、タマは言った。
「うむ……何となく、そんな事をしていたような気がする。よく思い出せんのだが……」
「思い出せたら、ぜひ聞かして下さいよ。あんたの過去、大いに興味ありますから」
言いつつ梶尾は、全裸のタマを車の中へと導き入れた。出来るだけ早く、この場を離れた方が良いだろう。
知り合いの業者に、すでに手配はしておいた。ぶちまけられている死体は、明朝までには綺麗に片付けられているはずである。
タマを後部座席に乗せ、梶尾は車を出した。
ハンドルを操りながら、訊いてみる。
「生活費、足りてますか? 今の3倍くらいなら出せますよ」
「俺ではなく、中川美幸に訊け。あれが不自由しないよう取り計らってやれ」
タマと一緒に彷徨っていた、少女の名である。
「俺は、金は要らん」
「……でしょうねえ」
この男がその気になれば、金など稼がずとも、あらゆるものを奪いながら生きてゆけるだろう。
人間は、社会の中で金を使わなければ生きてゆけない。何故なら非力だからだ。
「冗談抜きで羨ましいっすよ、タマさん。あんた何やっても生きてけますよ。馬鹿みてえに強いし、鉄砲玉でも死なねえし。ほとんど不死身じゃないっすか」
「俺を死に至らしめる……俺の身体に傷を負わせる。それが出来るのは、真に勇者と呼ぶにふさわしい者どもが振るう、武器と魔法……」
金髪の頭を軽く押さえながら、タマが呻く。
「……そんな気がする」
「なるほどね、あんたと戦えるのは勇者だけっすか」
この男に傷を負わせる。それは確かに、勇者・英雄と呼ぶにふさわしい偉業ではある。
あの2人ならどうか。ふと梶尾は、そんな事を思った。ランファとバルツェフなら、この怪物を相手に、どうにか戦いらしい戦いをする事くらいは出来るのではないか。
「あんたの部屋の隣に、男の子と女の子が住んでるんスけど……もう顔合わせました?」
「知らんな。どのような奴らだ」
「多分タマさんほどじゃないけど、結構強い子たちですよ。ま、出来たら挨拶くらいはしといて下さい。そのうち、組んで仕事やってもらう事もあるでしょうから」
3人を組ませれば、仲間たちの仇を討つ事が出来る。
梶尾の仲間たちを殺した怪物どもが現れた、その原因を究明し叩き潰す。バルツェフ、ランファ、それにタマの力があれば、不可能ではない。
この3人を上手く使えば、大抵の事は出来る。
上手く使わなければ、梶尾など虫けらの如く殺される。あの外国人犯罪者たちのようにだ。
(飼い犬に手を噛まれる、どころじゃ済まねえだろうな……)
「止めろ」
タマが命じた。
コンビニエンス・ストアの、近くである。
「弁当と飲み物、それに猫の餌を買って来い」
「は、はい。あのう、猫缶はササミ入りまぐろにしましょうか? ほぐし身しらす和えがよろしいでしょうか?」
「任せる」
任されるまま梶尾は、コンビニの駐車場に車を入れた。
このタマという男は、どうやらコンビニ弁当が主食のようである。




