第18話 友達R
聖王女レミーは、こちらの世界に遊びに来ているわけではない。
女の子と縁のない少年を救済するために、別世界から天使の如く舞い降りて来てくれたわけでもない。
そんな事は言われずともわかっているが、一緒に街を歩くくらいは許されるだろう、と村木恵介は思っている。
「こんな方を歩いたら、遠回りではないの?」
「い、いいんだよ。レミーには、こっちの世界をよく見といて欲しいからさ」
恵介は笑った。少し痛そうな笑顔になってしまった。
全身の関節が痛む。筋肉痛が疼く。それでも、朝よりはましだった。痛いながら、自力で普通に歩く事が出来る。
レミーが心配して、学校まで迎えに来てくれた。
端から見ていると今の恵介は、他校の美少女と一緒に仲良く下校中、という有り様である。
「レミーはさ……学校とか、行ってたの?」
ブレイブランドにも、学校と呼べるものはあるらしい。
「行かせてもらえなかったわ。父……陛下が、私1人のために、ブレイブランド全土から高名な先生方をお招きして下さったの」
レミーは苦笑した。
「教養と呼べるものを、無理矢理に叩き込まれたわ。特に厳しい先生が2人いたのよ。1人は、轟天将ジンバ」
「ははは、そいつぁキツいなあ。で、もう1人って?」
「魔炎軍師ソーマよ」
一応、恵介の戦闘デッキに入っている勇者である。
「穏やかで粘り強い先生だったわ。わからないと、わかるまでずっと、ずっとずっとずっと教えてくれるの。私が露骨に嫌そうな顔をしても絶対、授業を切り上げてくれないのよ」
「こっちには、来てないんだよな……会いたいって思う?」
「そうね……当分はいいわ」
言いながら、レミーはふわりと身を翻し、周囲を見回した。
学校近くの街並である。恵介と同じく学校帰りの高校生が、いろいろな店に入ったり、ただ歩いたりしている。
1人で歩いている者、男のみの集団、女のみの集団、男女混成の集団……男女1名ずつの組み合わせは、ここから見える範囲内では、恵介とレミーだけである。
(うん……俺、もしかして勝ち組?)
恵介のそんな愚かな考えなど知るわけもなく、レミーは言った。
「当分……こちらの世界にいたいわ。こんな事を言ったら、轟天将に怒られるでしょうけど」
「あのオッサンも、何だかんだ言って居心地良さそうにしてるけどな」
「そうね、信じられないくらいに穏やかな日が続いている……魔物たちが、現れないから」
レミーの口調が、いささか深刻なものになった。
「一体、どうしてしまったのかしら……」
「魔王がさ、俺たちも気付かねえうちにブレイブランドに帰っちまった……って事はない?」
もしそうなら、ブレイブランドが大変な事になっている。レミーも、恵介の付き添いなどしている場合ではない。
「それは有り得ないわ。これだけは自信を持って言えるけれど、私たちが魔王に与えた痛手は生易しいものではないから。今の魔王に、異なる世界間を往来するほどの力があるとは思えない……それでも、いくらかは力が回復している頃だと思うのだけれど」
「あの魔物って連中は、割と簡単に、こっちの世界に来ちまうんだ?」
「彼らは、魔王のいる所ならどこにでも姿を現す……そのはずなのに」
魔王が、こちらの世界にいる。
魔王の魂に引かれて、ほぼ自動的に召喚されてしまうはずの魔物たちが、しかしここ最近、全く姿を現さない。
魔王そのものも、行方知れずのままである。
もしやこの男が、と思えるような人物はいた。彼は、しかし1人の少女と共に、姿を消してしまった。
中川美幸に関しては当然、捜索願いが出ているようだ。
彼女は、あの銀髪の男と、一体どこでどのように出会ったのであろうか。自分とレミーとの出会いは、いささか劇的なものであったのだが。
そんな事を思いながら、恵介は立ち止まった。看過出来ない光景が、視界をかすめたからだ。
ビルとビルの間。路地裏か抜け道か判然としない空間で、複数の人影が、何やら暴力的に動いている。
「困るんだよねぇ……あんた、俺たちんとこ卸すはずだった商品、梶尾の野郎んとこに流しちまったって?」
20代前半と思われる男が1人、その取り巻きであろう若い男が3人。計4人の足元に、1人の中年男性がボロ雑巾の如く横たわっている。
取り巻きの3人は、若い男と言うより少年だった。3人がかりで、中年男性1人にガスガスと蹴りを降らせている。
その暴行を指示しているのであろう20代の男が、言った。
「こんな業界でもさあ、商売の仁義っつうかルールみてえなもんが一応あんだろ? そいつを無くしちまったら、いよいよ人として終わりだろうがよぉ」
「ひぃ……す、すいません許して下さい、仲根さん……」
蹴られながら中年男性が、鼻血を垂れ流しながら顔を上げ、辛うじて声を発した。
「だ、だけど……あんた最近、金の払いが良くないから……梶尾さんは、きっちり払ってくれるし」
その鼻血まみれの顔に、仲根と呼ばれた男が思いきり蹴りを入れた。粘っこい血飛沫がグチャッと飛散した。
「おいおい、人を泥棒みてえに言うんじゃねえよ」
ニヤニヤと笑いながら仲根が、中年男の薄い髪を荒っぽく掴んだ。
「大した後ろ楯もねえくせによ、あんまり俺を怒らすなよ……な?」
恵介とは、全く関係のない揉め事である。放っておくのが正解であろう。
わかっていながら恵介はしかし、その揉め事に向かって歩き出していた。
仲根の取り巻きの、少年3人。その中に、見知った顔があるような気がしたからだ。
「レミーごめん……先に帰っててくんねえかな」
「恵介さん……?」
怪訝そうにしているレミーをその場に残し、恵介は、男たちに声をかけた。
「おい、高岡?」
「あぁ? ……あ、村木……」
少年の1人が、ばつが悪そうな声を出した。
クラスメートの高岡俊二だった。
「やっぱり……おめえ何やってんだよ、こんなとこで」
半ば詰め寄るように、恵介が問いかける。半ば逃げるように、高岡が後退りをする。
そこへ、仲根が口を挟んだ。
「俊二、おめえの友達か?」
「は、はい……同じクラスの、村木って奴ッス」
「ふーん……どうも、村木君。俊二の従兄で、仲根ってもんです。このバカがお世話ンなってます」
頭を下げながら仲根が、ギロリと恵介を睨みつける。
「こいつ、もうちっとしたら学校辞めて俺ンとこで働く事になってんですよ。で、仕事覚えてる真っ最中ってワケで……邪魔しねえでくれませんかねえ、お坊ちゃん」
「学校辞める……? おい、どういう事だよ高岡」
「言葉通りだよ。俺、この人んとこに就職するんだ」
目を逸らせながら、高岡が答える。
就職などと言えるほど真っ当な仕事ではない事は、仕事内容を聞くまでもなく明らかだった。
「受験勉強だって就職活動だって、しなくて済むんだぜ。俺……楽なのが、いいからよ」
「楽って、おめえ……!」
鼻血にまみれ倒れている中年男を、恵介は見下ろした。
他人に暴力を振るう仕事。恐らくは非合法の商品を、扱う仕事。
いや、仕事などと呼ぶべきではないだろう。単なる犯罪行為だ。
「やめとけよ、高岡……」
「なあおい。お友達だからって、出しゃばっていい時といけない時ってのがあるんだぜ?」
仲根が、恵介の胸ぐらを掴んだ。
掴んだその手を、横合いから掴む者がいた。
「他人の胸ぐらを掴む行為、それは即ち宣戦布告……」
レミーだった。
優美で繊細、に見えて強靭に鍛え上げられた五指が、仲根の手首をしっかりと捕えている。
「殺されても、文句は言えませんよ?」
「てめ……あッがががががが折れる折れるぅううううう!」
仲根が、やかましく悲鳴を上げた。その身体が前後裏返り、レミーに捻られた手首が背中に押し付けられる。
取り巻きの少年3人が、呆気に取られ、やがて気色ばんだ。
「てめ……」
凶暴な声を出そうとした少年たちが、次の瞬間、青ざめた。
レミーが、睨み据えたからだ。
「……私たちの世界にも、貴方たちのような方々はいました」
愛らしい美貌に、凛とした怒りの生気が満ちている。
恵介は息を呑んだ。聖王女レミーは、明るく微笑んでいる時よりも、こうして怒っている時の方が美しいかも知れない。
「鬱屈を抱えて道を誤り、魔王の配下に身を投じてしまう方々が……貴方たちは今、それに等しい状況に陥ろうとしています。ここで踏みとどまりなさい。これ以上、道を踏み外しては駄目」
「わ、ワケわかんねえ事言ってんじゃねえぞメスガキが!」
腕を捻られたまま仲根が、取り巻き3名に向かって怒声を張り上げる。いや、悲鳴か。
「ボサッとしてんじゃねえ! てめえら、このクソ女何とかしろ! ぶち殺せ! 犯り殺せええええええ!」
「……御自分で、どうにかなさっては?」
溜め息混じりに言いながら、レミーは仲根の腕を解放してやった。その代わりのように、肩を掴んで仲根を振り向かせる。
振り向いた仲根の顔がパァアンッ! と高らかに音を鳴らし、鼻血を噴いた。超高速の平手打ちを、レミーが叩き込んでいた。
か細い悲鳴を垂れ流し、よろめき、倒れた仲根を、高岡が助け起こす。
「も、もうやめてくれよ! こんな人だけど俺の従兄だし、いろいろ面倒見てくれてんだよ」
「だからって、おめえ……こりゃあ、ねえだろ」
恵介の方は、顔面血まみれで倒れている中年男を助け起こしていた。
「あえて偉そうな事言うぞ……考え直せ、高岡。こんなもの仕事って言わねえよ」
「なあ村木、おめえが御立派な人間だってのは知ってるよ。嫌味で言ってるわけじゃねえ、俺ぁおめえの事ホントに見直してる」
言いつつ高岡が、仲根に肩を貸して立ち上がり、背を向けた。
「だから放っといてくれ。おめえみてえなイイ奴が、俺の事なんか気にしてちゃいけねえよ。俺は俺で、適当に上手くやってくからさ」
「高岡!」
鼻血まみれの中年男を膝の上に抱えたまま、恵介は叫んだ。
高岡は応えず、振り返らず、仲根に肩を貸しながら歩み去って行く。他2人の少年が、それに続く。
「へ……死んだぜ、おめえら」
恵介の膝の上で中年男が、鼻血をすすりながら呻いた。
呻きがやがて叫びに変わり、去り行く仲根たちの背中に浴びせられる。
「俺をこんな目に遭わせやがって、梶尾さんが黙っちゃいねえ……わかってんのか、おめえら終わりなんだよ! 梶尾さんが本気で動いたら、テメエらなんざぁ今夜じゅうに東京湾の魚のエサだ! わかってんのかオイこらあ!」
「おいおい、落ち着けよオッサン。何言ってんだかわかんねえけど」
恵介は、とりあえず宥めてみた。
「とにかく、病院かな」
「悪いな坊や。俺、保険証持ってねえんだわ」
血まみれの鼻を押さえながら、中年男は立ち上がった。
「助けてもらったのは嬉しいけどよ、今後こういう事があったら見て見ぬふりしちまいな。真面目な坊ちゃん嬢ちゃんが、俺やあいつらみてえなのと関わっちゃいけねえよ」
そんな事を言いつつ中年男は手鼻をかみ、路面に点々と鼻血の汚れを残しながら立ち去った。
足取りはしっかりとしているので、まあ大丈夫だろう。恵介としては、そう思うしかなかった。
「こっちの世界の……ちょいと恥ずかしいとこ、見せちまったかな」
「この程度の事、ブレイブランドでも珍しくはないわ」
レミーが、そう言ってくれた。
「……恵介さんの、お友達なのね」
「友達っつうか、まあ一番よく口きいてる」
本当に、友達と呼べるほどの関係ではない。恵介は、そう思う。
「友達とか仲間っつうのはさ、例えばレミーとランファみてえな」
「……そう見える?」
「見えるさ。ジンバのおっさんだって、バルツェフだって、あとアイヴァーンとかフェリーナも……みんな、命賭けて魔王と戦ったんだろう?」
クリック作業を繰り返していただけの恵介には絶対にわからない、命懸けの友情のようなものが、絶対あったに違いないのだ。
自分と高岡は、日頃ただ親しく会話をしているだけだ。命懸けの状況になったら、互いに平気で相手を見捨てて自分だけが助かろうとするだろう。
「みんな、命懸けで結束してたんだろ?」
「買い被っているわ、恵介さんは」
レミーは微笑んだ。
「いつか轟天将が言っていたと思うけれど、私たちはただ、魔王という共通の敵に対して便宜上の同盟を結んでいただけ。魔王がいなくなれば、いつ殺し合いを始めてもおかしくない間柄よ」
あまり明るくない笑顔だった。
「もう始まっているかも知れないわ……今頃、ブレイブランドでは」




