第16話 隣人R
物を買う時には、金を払わなければならない。
当然である。常識以前の問題だ。
しかし長年この商売を続けていると、それすら理解していない輩と時々出会う。
そういう者たちとは会話をしてはならない、と梶尾康祐は思っている。会話を試みている間に、撃たれてしまうからだ。
だから、この2人を連れて来た。
「へっ……いい買い物だったな」
フォークリフトの陰から様子を窺いつつ、梶尾はニヤリと笑った。
とある倉庫の内部である。先方が、ここを取引場所に指定してきたのだ。
梶尾は、きちんと商品を持って来た。
なのに相手は金を払わず、いきなり拳銃をぶっ放してきたのだ。どうやって日本に持ち込んだのかは不明である。日本人の知らないルートを、いくらでも持っているのだろう。
何丁もの拳銃が、やかましく火を吹いている。だが梶尾が連れて来た2人には、かすりもしない。
小柄な人影が、豊かな尻尾をふっさりとなびかせて疾駆する。その周囲で光が閃き、火花が散り、跳弾の音が甲高く響く。
2本の剣が、銃弾をことごとく弾き返しているのだ。
その人影が、跳躍した。2本の剣が、銃撃を蹴散らすように閃いた。
ひたすらに拳銃の引き金を引いていた男たちが1人、2人と、血飛沫を噴いて倒れてゆく。
生首が1つ、梶尾の足元にも転がって来た。
「よう……日本は平和だと思ってたかい?」
微笑みかけながら、梶尾はその生首を踏み付けた。
「日本人は何やっても無抵抗でちょろい相手……とか思ってた? なあ? なあ?」
「ほらほら。そうゆう事は、もっと安全な状況になってからやりなさいって」
そんな事を言いながら1人の少女が、梶尾の近くに着地した。
チャイナドレスのような赤い衣装で、凹凸のくっきりとした見事なボディラインを引き立たせた、美しい少女。頭の角も、背中の翼も、それに食べ頃の白桃を思わせる尻から伸びた尻尾も、作り物ではなく本物であるらしい。
そんな美少女が、梶尾を防護する形に棒を振るった。火花が散り、銃弾が跳ね返った。
「あたしらだってね、不用心な奴を守れるほど余裕あるわけじゃないんだからっ」
少女のしなやかな両腕が、くるくると棒を操る。嵐のような銃弾が、ことごとく跳ね返されて火花を飛ばす。
「いいよぉ、素敵だようランファちゃん」
梶尾は誉めた。
ランファというのが本名なのかどうかは、わからない。源氏名の類かも知れない。
「君みたいに可愛くて強い女の子……ん〜、何かどえらい金儲けが出来そうだと思うんだがなァ」
「そう? じゃ何か考えといてよっ」
言いながら、ランファが棒を振るう。
ただ振り回しただけに見えたが、何かしら操作が行われたようである。棒が、蛇のように伸びてうねった。
漫画などで時折見かける、多節棍である。実戦で使われているのを見るのは、梶尾は初めてだった。
拳銃をぶっ放していた男の1人が、吹っ飛んだ。その顔面が凹み、眼球が飛び出している。
ランファが、身を捻って多節棍を操った。豊かな胸が、横殴りに揺れた。
梶尾がそれに見とれている間に、蛇のような一撃が凶暴に弧を描く。
拳銃を持った男たちが、血飛沫や眼球を噴出させながら、ことごとく倒れていった。
(いやホント、いい買い物だったわ……)
梶尾は、自分の幸運が恐くなっていた。
この2人には、アパートを世話してやった。家賃その他、最低限の生活費も梶尾が負担している。
下手な用心棒を何人か雇うよりも、ずっと安上がりだった。
2人とも酒は飲まないしギャンブルもやらない。金のかかる遊びに手を出さず、最低限の生活だけで満足してくれている。
こうして、申し分のない仕事もしてくれる。
角や尻尾が生えていようが翼があろうが、そんな事は関係なかった。この2人が人間であるかどうかなど、大した問題ではない。
そこいらの人間よりも、ずっと役に立つ。それで充分ではないか。
倉庫の中が、静かになった。
やかましく銃声を鳴らしていた男たちが、1人残らず死体に変わり、あちこちに横たわっている。
いや。1人残らず、ではない。
「こいつ……指揮官」
2本の剣を振るっていた少年が、そんな事を言いながら1人を引きずって来た。
この男たちの、まあ指揮官という事になるのだろうか。
獣の耳と尻尾を生やした少年に引きずられ、怯え泣きじゃくっている。
梶尾は、まずは少年をねぎらった。
「御苦労、バルちゃん。何だ、わざわざ取っ捕まえてくれたんか。殺しちまっても良かったのに」
「何か情報、得られるかも知れない……それと俺、双牙バルツェフ。名前、ちゃんと呼べ」
「無愛想な事言わないの。梶尾さんがせっかくバル君の事、家族みたく扱ってくれてんだから」
ランファがそう言いながら、バルツェフの頭を撫でる。耳を弄る。この耳も、本物であるようだ。
「いいねえ家族。俺、弟とか妹とか欲しかったのよ……ま、それはともかく」
バルツェフに引きずられて来た男を、梶尾はにこやかに見下ろした。
「……あんた災難だったなあ。ちょろくて荒稼ぎ出来るはずの国で、こんな目に遭うなんて」
「たすけて……」
男が泣きながら、たどたどしい日本語を漏らす。
「わたし、かぞくいる……たすけて、ゆるしなさい……」
「かわいそうに、腹減らして待ってんだろうなあ。おめえらの国、政治からして全然駄目だもんなあ」
梶尾は、とりあえず同情してやった。
情報を得られるかも知れない、とバルツェフは言うが、この男を締め上げて何か吐かせた所で、わかる事は1つだけ。この者たちが単なる不良外国人である、という事くらいであろう。
「お前、物奪おうとした。金払う約束、破った。それ、貧しくても家族いても許されない罪」
男の髪を掴んで揺さぶりながら、バルツェフが牙を剥く。
揺さぶられながら、男が泣き言を漏らす。
「たのみます、ゆるしなさい……わたし、わるくない、たすけなさい……」
「人種差別はしたくねえが……」
梶尾は頭を掻いた。
「金は払おうとしねえ。奪えるもんは、やっちまったもん勝ちで奪おうとする……何かそーゆう奴多くねえかあ? おめえらの国って」
「ゆるしなさい、すいません、すいません……たすけなさい、すいません、すいません、すいません」
「すいませんって言っときゃ日本じゃとりあえず通用すると、許してもらえると、そう教わってきたワケか。なるほどなああ」
にこにこ笑いながら梶尾は、男の顔面に蹴りを入れた。
「ああ駄目駄目、そんなんじゃ」
ランファが人差し指を振りながら、左足を離陸させた。
むっちりと美味しそうな太股が、チャイナドレスのような服の裾を押しのける。見事な脚線が、鞭のようにしなって一閃する。
すいません、すいません……などと馬鹿のように繰り返していた男の口元がグシャッ! と原形を失った。折れた歯が、何本も飛び散った。左右の眼球が、下から圧迫された感じにポポンッと噴出する。脳漿が、涙のように溢れ出した。
頭蓋骨の砕けた屍を踏み付けながらランファが、梶尾に向かってニッコリと微笑む。
「蹴りってのは、こう。人間属性の人には、ちょっと難しいかなぁ?」
「……難しいっつうか、無理」
梶尾は苦笑した。
たどたどしく耳障りな日本語しか話さない外国人がいる一方、明らかに人間ではない者たちと、こうして日本語で会話が出来る。それが、いささか妙な気分ではある。
そんな事を思いつつ梶尾は、死屍累々としか表現しようのない倉庫内の有り様を見渡した。
本当に、見事に殺し尽くしてくれたものだった。
自分の仲間たちも、人間ではない者たちによって、こんなふうに殺された。
仕事をさぼって逃げ回っていた少女を追っていて、あの怪物たちに襲撃されたのだ。
首から上が猪の、槍を持った男たち。ランファの話によると、オークソルジャーとかいう種類の生き物であるらしい。
同じような怪物たちが他にもいて、暴れ回っているという。
あちこちで怪物だか怪獣だかが出現して人を殺傷している、という噂は確かにあった。
数日前に駅前の交差点で起こった、あの大型トラックの暴走事故も、実は巨大な化け物の仕業である。そんな話も囁かれており、ネット上にはそれらしい画像も出回っている。良く出来たCG合成だ、などと梶尾は思っていたが、仲間たちを殺したあの怪物たちはCGなどではなかった。
間違いない。人間ではない者たちが、人間社会に紛れ込んでいる。それは、この2人を見ても明らかだ。
「やっちゃった後で何だけど……大丈夫なの? これって」
自分たちで作り出した虐殺の光景を眺めつつ、ランファが言う。
「官憲の人たちに見つかったら、ちょっとめんどい事になると思うんだけど」
「心配要らねえよ。元々日本にゃいねえ連中だしな」
梶尾の知り合いの業者が、今日じゅうにこの倉庫を清掃してくれる。元々日本にいないはずの者たちが、本当にいなくなるだけの話だった。
「……しっかし大したもんだよ、あんたたち。拳銃ぶっ放してる連中を、刃物と棒でブチ殺せちまうんだからなあ」
これほどの用心棒、まともに金で雇ったら一体いくらかかるかわからない。良い買い物をした、としか言いようがなかった。
「ケンジュウ……これか」
転がっている拳銃の1つを、バルツェフが片足で踏み付けた。
体重の軽そうな少年が普通に踏んだだけに見えたが、その拳銃は粉々に砕け散った。
「魔王の攻撃に比べたら……こんなもの、そよ風」
「魔王……ね」
そんなものが実在する事を、梶尾としては認めるしかなさそうだった。
「ところで梶尾さん、それって何?」
ランファが、梶尾の傍らにあるトランクを興味深げに見た。
今回、この不良外国人たちに売りつけるはずだった商品である。
梶尾が苦心して用意したものを、この外人たちは金を払わず奪おうとした。
まっとうな商売であれば警察沙汰になるだけで済むが、この商売で警察や司法を頼る事は出来ない。利益は、力で守らなければならない。
金を払わない客には、この業界から消えてもらうしかないのである。
「こいつか……こいつはなぁランファちゃん、小麦粉なんだよ。世界で一番美味いラーメンやうどんが作れるんだぜ。そいつを食べると、楽しい夢が見られるのさあ」
「へえ、食べてみたーい」
「はっはっは。君らが20歳過ぎたら、もうちっと詳しく教えてあげるよ」
梶尾は笑った。
こんな商品に関わるよりも、ランファとバルツェフには何としてもやってもらわねばならない事がある。
梶尾の仲間たちを殺したオークソルジャーどもは、この2人が皆殺しにしてくれた。
だが、あんな怪物たちが出現した事には、何かしら原因があるはずなのだ。それを知らねばならない。そして根絶せねばならない。
何者かの仕業であるのなら、その何者かを……殺さなければならない。
死んだ仲間たちに、梶尾は心の中から語りかけた。
(待ってろよ田中、根岸、宮本……仇は、取ってやるぜ)
梶尾康祐が善人である、とは思えなかった。
それでもランファとバルツェフの、生活の面倒を見てくれている事に違いはない。
それを報酬として、仕事をする。当たり前の事だった。
「そんじゃ御苦労さん。今日はホント助かったよ」
車を降りて行く2人に、梶尾が愛想良く声をかける。
「明日はたぶん仕事ねえと思うけど一応、いつでも電話に出れるようにはしといてくれるかな」
「お仕事、何か無理矢理にでも作ってよ。お掃除でも何でもやるからさ」
「殺る気満々だねぇランファちゃんは。ま、どえらい大掃除をいずれやってもらうからさ……あ、そうそう言い忘れるとこだった」
2人が住んでいるアパートに、梶尾が車の中からチラリと視線を投げた。
「君らのお隣に新しい人、入ったからさ。仲良くする必要ねえけど、まあトラブルだけは起こさねーように頼むわ」
「了解。わかった? バル君」
「……俺、揉め事など起こさない。お前と違う」
「何言ってんの。何かやらかすのは、いっつもバル君の方じゃないのよぉ」
「はっはっは、まずは君らが仲良くなー」
そんな事を言い残し、梶尾は車で走り去って行った。
見送りながら、ランファは呟いた。
「仲良く、か……あたしら2人、まとめて仲良くハンゾウ様に殺されちゃうかもね」
「聖王女、轟天将と……決着、つけなければならない。なのに……!」
バルツェフが、白く鋭い牙を噛み鳴らす。
「俺たち、一体何やってる……!」
「問題……先延ばしに、しまくってるよねえ」
聖王女レミーと轟天将ジンバが、こちらの世界で魔王と戦おうとしている。
それは、せっかく別世界に追い込む事が出来た魔王を、ブレイブランドへと押し戻しかねない行いだった。何としても阻止しなければならない。
こちらの世界で魔王の命を奪う事が、出来れば良い。
だがハンゾウ、ランファ、バルツェフに限らず、魔王との戦いを経験した者であれば、誰もが確信するであろう。あの化け物を完全に絶命させる事など、出来はしないと。
(わかってんの、聖王女様……こっちの世界とブレイブランド、両方救うなんて……いくらあたしたちだって出来るワケないじゃないのッ!)
他の世界に災いを押し付け、ブレイブランドの平和だけを確保する。事態は、それ以外の選択肢が存在しないところまで達しているのだ。
わかっていながら、あの時……聖王女レミー・轟天将ジンバ両名と、決着を付ける事が出来なかった。ランファもバルツェフも、逃げてしまった。別にどうでも良い少年を1人、ソードゴブリンの襲撃から守ってやる、などという茶番まで演じてしまった。
アパートの扉が、開いた。ランファ・バルツェフの部屋の、隣である。
昨日までは空室だったその部屋から、女の子が1人、外出しようとしていた。そして、ランファとバルツェフを見て立ちすくむ。
2人と同年代の、目立たない感じの少女だった。
ランファはとりあえず声をかけた。
「えーと……あたしら、隣に住んでるもんだけど。新しく入った人?」
「は、はい。中川と申します」
緊張しながらも、その少女はぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
「あの、今そこに梶尾さんがいらっしゃいませんでしたか? ちゃんとしたお礼を、まだ言っていなかったもので」
「んー、いいんじゃないかな別にお礼なんて。あの男はあの男で、何かしら損得勘定あっての事だろうし」
梶尾の言っていた、新しい隣人。家出少女、であろうか。
あの男が、こんな何も出来そうにない女の子に無償で部屋を世話してやる事など、まず有り得ない。いずれ、いかがわしい商売でもさせるつもりでいるに決まっている。
女の子が家出するというのは、要するにそういう事なのだろう。こちらの世界でもブレイブランドでも、変わりはしない。
にゃー……と、か細い声が聞こえた。
仔猫が1匹、ぴょんと部屋から飛び出して来ていた。
「あ、駄目よ和弘さん……」
言いながら捕まえようとする中川の手を、仔猫がすり抜けて行く。そして、バルツェフの足元で立ち止まった。
魔獣属性の少年剣士を見上げながら、仔猫がにゃーと鳴く。
「何だ、お前……馴れ馴れしく、するな。食ってしまうぞ」
そんな事を言いつつも、仔猫を優しく抱き上げるバルツェフ。
ランファも手を伸ばし、和弘さんと呼ばれた仔猫の頭をそっと撫でた。
「ふふっ……バル君の兄弟じゃないの? お耳もあるし、尻尾もあるし」
「俺、違う……轟天将の、眷族だ」
「すいません、ほんとに……」
謝る中川に仔猫を手渡しながら、バルツェフはぴんと耳を立てた。
扉が開けっ放しの部屋の中から、何かが聞こえて来る。いびきに近い、不穏な寝息だった。
バルツェフは、少しだけ牙を剥いた。
「誰か、いるのか……」
「は、はい。あたしの……兄です」
兄などではない事は、中川のその口調からも明らかだ。
「ちょっと寝起きの面倒な人なので……あの、出来るだけ、静かにしていただけると」
「ああ、それは大丈夫。あたしら仕事上がりで、後は寝るだけだから」
言いながら、ランファも耳を澄ませた。
どこか禍々しい寝息である。うかつに目を覚まさせてしまったら面倒な事になりそうだと、確かに思える。
一体何者なのか目で確認したいところでもあるが、初対面の人間の部屋を、図々しく覗き込めるはずもなかった。
中川が、仔猫を抱いたまま頭を下げ、部屋に入って扉を閉めた。禍々しい寝息も、聞こえなくなった。
その隣、自分たちの部屋の扉に鍵を差し込みながら、ランファは溜め息をついた。
「駄目だなぁ……こっちの世界で知り合いなんか作らないようにって、ハンゾウ様に言われてるのに」
「俺たち、この世界……結局、滅ぼす」
牙を剥いたまま、バルツェフが呻く。
「だけど、もし魔王、倒す事出来れば……滅ぼさなくて、済む」
「ちょっとバル君、聖王女様に感化されちゃったわけ?」
扉を開けながら、ランファは睨みつけた。
あの戦いで魔王は、力の大半を失い、こちらの世界を彷徨っているという。
そんな状態の魔王であれば、倒せる。倒さなければならない。聖王女レミーも轟天将ジンバも、そう考えている。
弱体化しているとは言え、魔王は魔王。寝た子を起こすような真似はせず他の世界に放置しておく事が、ブレイブランドの平和に繋がる。鬼氷忍ハンゾウは、そう考えている。
どちらが正しいのか、ランファの頭ではわからない。わからないのならハンゾウに従う。
ランファもバルツェフも、今までそうやって生き延びてきた。生き延びる事が、出来たのだ。
だから、ハンゾウの指示にだけ従っていれば良い。自分たちで何か考える必要などない。
そんな事はわかっているはずのバルツェフが、ランファに続いて部屋に入りながら、呟いている。
「魔王……一体、どこにいる」




