第14話 異邦人R
封印宮が、着々と完成しつつあった。
死せる湖に水が満ちていたとしたら、出来かけの城郭の一部がいくらか水面から突き出ているだろう。
それほど巨大に組み上がった封印宮のあちこちで、屈強な魔獣属性の人夫たちが忙しく動き回り、最後の仕上げに励んでいる。
轟天将ジンバの人脈で集められた人夫たちである。彼らの力なくしては、これほどの短期間でここまで建設を進める事は出来なかっただろう。
落成間近の封印宮を、死せる湖の湖畔から眺めつつ、戦姫レイファが難しい顔をしている。
「このところ暗い顔をしているな、君は」
魔炎軍師ソーマは、声をかけた。
「封印宮が完成しても、果たして魔王を恒久的に封じ込めておく事が出来るのか……それが心配なのは、まあわかるが」
「仮に魔王が封印宮を破って復活して来たとしたら、私たちはただ戦うだけだ。気になっているのは、その事ではない」
レイファは言った。
「……ここ何日か、聖王女殿下のお姿を見ない。轟天将殿もだ」
事情を知らぬ者たちが、いつかは抱くであろう疑問だ。
「王宮にも、おられないようだが」
「姿が見えないのは君の妹も同じだろう。そちらも少し心配してあげてはどうかな」
ソーマはごまかしを試みたが、いかに戦姫レイファが相手とは言え、いつまでもごまかせる事ではなかった。
「あやつが鬼氷忍殿の命令で密かに動き回っているのは、まあいつもの事だ。双牙もついている。心配はしていない」
女戦士の鋭い眼光が、封印宮に向けられた。
「聖王女殿下にも轟天将がついているだろうから心配はいらない、と思いたいのだがな。このお2人が、揃って行方知れずというのは……魔王に関わりのある事態が何か起こっている、としか私には思えんのだ」
「魔王は、あそこに封じられたままさ。何も起こってなどいないよ」
魔王は、ブレイブランドの地の底に眠っている。その封印を補強するために封印宮はある。
戦姫レイファを含む、この世界の大部分の住人たちにとっては、それが真実なのだ。それで良いのだ。要らぬ事実を知ったところで、苦しむだけなのだから。
知れば誰よりも苦しむであろうレイファが、なおも言う。
「魔炎軍師殿……貴公と私は、味方同士だ。そうだな?」
「何を今更」
「味方にすら明かしてはならぬ軍事機密の類は、いくらでもある。私は、そう思っている」
封印宮から魔炎軍師へと、レイファは視線を移した。
「だが魔王に関する事となれば、この私も関係者の端くれだ。責任がある。何かが起こっているのなら、知らぬふりは出来ない……聞かせてくれソーマ殿。一体、何が起こっている? 聖王女殿下と轟天将殿は、どこで何をしておられるのだ」
「聖王女殿下は今、とある場所に身を隠しておられる……ダルトン公にお命を狙われているのは、君も知っているだろう?」
「聖王女殿下は、ダルトン公ごときを相手に逃げ隠れるような御方ではないよ」
レイファの言葉も眼差しも、ソーマを逃がしてはくれない。
「はっきり言ってくれ、私も覚悟は出来ている……魔王が、復活するかも知れないのだろう? レミー殿下もジンバ殿も、その事態を秘密裏に片付けるため、何かしら隠密行動を取っておられるのだ」
魔王の復活はない。少なくとも、こちらの世界においては。
ソーマは思わず、そう言ってしまいそうになっていた。
「魔王の復活は有り得ませんよ。少なくとも、こちらの世界ではね」
言ったのは、ソーマではなかった。
細い人影が1つ、背後から歩み寄って来ていた。青いローブに身を包み、フードを目深に被って顔も隠した、男であるという事だけが辛うじてわかる人物。
「青の賢者……」
レイファの口調が、嫌悪の響きを帯びた。
「何の用だ、貴様……こちらの世界とは、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味ですよ、戦姫レイファ」
フードの下で、青の賢者の口元がニヤリと歪む。
炎で脅してでも黙らせるべきか、とソーマは思案した。いつまでも隠し通せる事ではない、という気もした。
「こちらの世界とは、すなわちこのブレイブランド。ですが、もう1つの世界」
「すまん、やはり黙ってくれ。貴公の口からは、何も聞きたくない」
敵意丸出しの口調でレイファは、青の賢者の言葉を遮った。
「魔王に関わりある事ならば、魔炎軍師殿の口からお聞きしたい。あの戦いを経験していない者に、したり顔で語って欲しくはない」
「おやおや、嫌われてしまったものです」
「いかにも、私は貴公が大嫌いだ」
青の賢者を睨み据えながら、レイファは白く美しい牙を剥いた。微笑みかけている、ようでもある。
「だが貴公の助言で、魔王をここに封印する事が出来たのも事実……ゆえに1つ忠告しておこう。青の賢者殿は、うちの妹やレミー殿下と親しく口をきいておられたな?」
「聖王女殿下も、貴女の妹君も、無論レイファ殿御自身も、素敵な女性です。親しくお話をさせていただいて、光栄に思っておりますよ僕は」
「気をつけろよ、妹は男の好みがうるさくてな。気に入らぬ男と見れば、その場で殺す。親しく会話をしている最中であろうとだ」
言いつつ、レイファが背を向ける。馬の尾のような髪の房で、青の賢者の顔面を打ち払うような感じになった。
「それに聖王女殿下とて、あれでなかなか容赦ない御方だ。あまり馴れ馴れしくせぬ方が身のためだぞ」
「痛み入ります」
青の賢者が、恭しく頭を下げる。
それを一瞥もせずにレイファは、足取り強く歩み去って行った。
「私は、青の賢者殿に助けていただいた……という事になるのかな、結果として」
見送りつつ、ソーマは言った。
「もう少し隠しておきたい事を、語らずに済んだ」
「いつまで隠しておくつもりなのですか、魔炎軍師殿」
青の賢者が言う。
「このような事、貴方や僕が語らずとも」
「いずれ明らかになる。そんな事は、わかっているさ。だが彼女も言っていたろう? 時を見て、いずれ私の口から話さねばならない事だ」
ちらり、とソーマは青の賢者を見やった。
「貴方では、その場でレイファに叩き斬られてしまいかねない」
「それはそれで本望、という気はしますけれどね……ブレイブランドの勇者殿に、斬り殺していただけるなら」
うっとりと言いながら青の賢者は、ローブの袖から取り出したものを弄んでいた。
何枚もの、絵札である。様々な勇者たちの姿が、美麗な筆致で描かれている。聖王女レミー、轟天将ジンバ。鳳雷凰フェリーナ、戦姫闘姫の姉妹。
自分・魔炎軍師ソーマもいる。このような肖像画を描く事など、許可した覚えはないのだが。
「青の賢者殿は……そんな物を、いつも持ち歩いているのか?」
「僕の、宝物ですよ」
ねっとりと耳に貼り付くような声を発しながら、青の賢者は、絵札に描かれた勇者たちを見つめている。
青の賢者。本名は誰も知らない。
死せる湖の底で倒れている彼が発見されたのは、先頃の戦の最中、魔王の圧倒的な力がブレイブランド全土を制圧しかけていた時である。
介抱されて意識を取り戻した彼は、言った。死せる湖が、別の世界に通じていると。そこへ魔王を追い出す事が出来れば、ブレイブランドは救われると。
その通りになった。彼がもたらしてくれた情報のおかげで、魔王を別の世界へと追放する事が出来たのだ。
その功のみで彼は賢者などと呼ばれ崇められ、ブレイブランドの恩人として生活を保障されている。
「あの腐りきった世界が、今頃どうなっている事やら……」
フードの内側で、青の賢者は笑っている。
「貴方たちに敗れた魔王が力を取り戻すまで、いくらか時間はかかるでしょうね……まさしく、時間の問題です。あのゴミ溜めのような世界が、魔王によって大いに蹂躙され破壊され、腐りきった人間どもが虫ケラのように死んでゆく。貴方がたブレイブランドの勇者のおかげですよ。本当に……本当に、ありがとう……」
耳に不快な口調で呟きながら青の賢者が、聖王女レミーの絵札をねっとりと見つめている。
ソーマは思う。自分は、一向に構わない。だがレミーだけでなくレイファやランファ、それにフェリーナ……とにかく女性たちは、こんな物を持ち歩かれて、あまり良い気分はしないであろう。
聖なる竜、不死鳥、妖精、翼ある勇者……様々な石像が配置された、大広間である。
封印宮の最奥部。元々は、死せる湖の湖底であった場所だ。
様々な紋様が彫り込まれた、大理石の床。その1枚下は、魔王の封印である。2つの世界を繋ぐ、通路でもある。
この封印宮は、その通路を塞ぐためのものではない。むしろ逆だ。
「何……これ……」
落成間近と言える封印宮の内部を、落ち着きなく見回しながら、九条真理子が呆然と呟く。
「何なのよ……ここは……」
「貴女が憧れていた、ブレイブランドよ」
冷ややかな口調で、鳳雷凰フェリーナは教えてやった。
そうしながら、石像の1つに歩み寄る。美しく中性的な、天使の像。その両手が、何かを捧げ持っていた。
角、である。山羊のものか牛のものか、とにかく何らかの生物の頭から折り取られた1本の角。
それをフェリーナは、天使から受け取るかの如く手に取った。
相変わらず落ち着きなく周囲を見回しながら、九条真理子が世迷い言を吐く。
「ここが……本当にブレイブランド? じゃあ、さっさとアイヴァーンに会わせなさいよ……」
「彼は忙しい。そう言ったでしょう?」
長手袋をまとう繊手で、短剣のように角を持ったまま、フェリーナは真理子に歩み迫った。
「同じくらいに忙しい仕事を、貴女にしてもらうわ。それが済んだら烈風騎に会わせてあげる」
「……何よ、その角みたいなの」
「先の戦いで聖王女レミーが叩き折った、魔王の角よ」
その言葉に呼応し、フェリーナの手の中で、魔王の角が淡い光を発する。微かな熱さを伴う、禍々しい光。
「もちろん、角を折られたくらいで弱くなってくれる魔王ではなかったけれど……魔王の力の、一部の一部、そのまた一部くらいは宿っている品物よ。これを貴女にあげるわ」
「そ、そんなの要らないから早くアイヴァーンに」
同じ事しか言おうとしない真理子の脳天に、フェリーナは魔王の角をサクッと突き刺した。鮮血と脳漿が、噴き上がった。
頭蓋骨を穿ち脳髄を抉る心地良い手応えを、ぐりぐりと握り締めてから、フェリーナは手を離した。
折れた角が頭に刺さった状態のまま、真理子が倒れる。滑稽な断末魔の形相が、ヒクヒクと痙攣している。
じっと見下ろし、観察しながら、フェリーナは呟いた。
「……駄目、かしらね」
「……本当にやってしまったのか、鳳雷凰」
そんな事を言いながら何者かが、封印の大広間に歩み入って来た。軽い部分鎧と真紅のローブをまとう、細身の人影。
「貴女が、その少女に負わせようとしていた役目……やはり私がやるべきではないかと思うのだが」
「御冗談を。魔炎軍師殿は、他になさるべき事を山ほど抱えておられるはずよ」
応えつつフェリーナは、角の刺さった少女の屍を、片足で軽く踏み付けた。
「この程度の役には立つかと思ったのに……まったく、使えない女」
「やめたまえ、せめて丁重に葬ってあげよう。こんな言い種も、傲慢でしかないと思うが」
魔炎軍師ソーマが片膝をつき、目を閉じ、その眼前で右手を立てる。
「彼女の代わりを……貴女は、また探す事になるのか?」
「面倒は面倒だけれど、難しい事ではないわ。ゴミクズのような人間を、あちらの世界から適当に連れて来れば良いだけですもの」
封印宮のおかげで、異なる2つの世界を気軽に往来出来るようになった。少なくともソーマかフェリーナほどの魔力を持つ者であれば、自身はもちろん、何名かの他人を連れて行く事も送り込む事も出来る。
聖王女レミーも轟天将ジンバも、まだ封印宮の土台であった時のこの場所から、魔炎軍師ソーマによって送り出されたのだ。
封印宮着工以前の死せる湖は、何千年かに1度、青の賢者のような者が偶然的に迷い込んで来る程度の通路でしかなかった。
「あちらの世界は本当に素晴らしい所よ、ソーマ殿」
フェリーナは笑った。本当に、笑いたくなるような輩しかいない世界なのだ。
「どう扱っても心が痛まないような、生きたゴミクズばかり。青の賢者様がおっしゃった通りね……あの方は、その代表のようなものだけど」
「轟天将も、同じ事を言っていたよ」
「ジンバ殿がいて下されば、と思うわ。私では、烈風騎や武公子のような暴れん坊を抑えておくのがとても大変」
「ほう? 武公子カインが暴れん坊か」
ソーマが、意外そうな声を発した。
「いささか気障なところはあるが……紳士とは、まさに彼のためにある言葉。そう思っていたのだが」
「それは聖王女殿下が近くにいらっしゃる時のお話よ」
レミー王女が行方知れずとなって、武公子カインは大いに荒れている。
彼あるいは戦姫レイファのように、魔王封印の真相を知らぬ者は、あの戦いの当事者たちの中にもまだ多い。皆、魔王はこの下の地の底に封じられていると信じている。
自分たちの戦いが、他の世界に災いをもたらした。
そんな真相は、隠し通せるものならば隠しておくのが最良なのだ。
「レイファは、そろそろ気付いている……時を見て私が全て話そう、と思ってはいるのだが」
ソーマが言った。
「話したところで彼女を苦しめる事にしかならない、とも思える。どうすれば良いのか……まあ、貴女に相談する事ではないが」
「2つの世界を同時に守る。それしかないという事よ、魔炎軍師殿」
言いつつフェリーナは、九条真理子の無様な屍を一瞥した。
「そのために役立ててあげようと思っていたのに……使えない女」
蔑みの言葉に反応したかの如く、少女の開ききった瞳孔に光が灯った。
目の錯覚か、とフェリーナが思っている間に、屍であるはずの少女がムクリと上体を起こしていた。
「……あ……い……ばぁあ……ぁん……」
震える声と共に、その身体が痙攣し、反り返る。
断末魔の形相のまま固まっていた顔面が、大広間の高い天井を睨んだ。
「これは……!」
ソーマが息を呑む。
フェリーナも、目を見張った。そして見つめた。突き刺さった魔王の角が、そのまま真理子の頭蓋の中にズブズブと吸い込まれ埋まってゆく様を。
「あ……わせて……よぉ……あたしをぉ……」
魔王の角を完全に呑み込んだ傷口が、真理子の頭で急速に塞がってゆく。
一部の一部、そのまた一部に過ぎない……とは言え魔王の力を、この少女は完全に吸収したのだ。
「アイヴァーンにぃい……会わせなさいよぉおおおおおおおお!」
絶叫が、封印の大広間に、おぞましく響き渡る。
九条真理子の両眼では、散大したままの瞳に、しかし醜悪なほど旺盛な生命の輝きが漲っていた。
「使い物に……なりそうねぇ、牝豚ちゃん」
痙攣し叫び続ける真理子の頭を、フェリーナは優しく撫でてやった。
「良かったわね? 貴女、豚さんに昇格よ。まあ殺しても美味しい肉にはならないでしょうから、生きている間にせいぜい役立ててあげるわ」
「あっ、あい、あいヴァあああああん」
「烈風騎に、会いたがっているようだが」
フェリーナを見据え、ソーマが言った。
「……会わせるのか?」
「ふふっ、そうね……この女に付きまとわれて、彼がどんな困り方をするのか。それを見てみるのも面白いかも知れないわ」
「外道……!」
ソーマの両眼に、魔炎軍師の名に恥じぬ炎が宿った。怒りの炎だった。
「鳳雷凰フェリーナ……貴女のような腐れ外道と手を組まねばならぬ、我が身の非力。今日ほど恨めしいと思った事はない」
「光栄ですわ。魔炎軍師殿を、怒らせる事が出来たなんて」
魔王との戦いにおいても、魔炎軍師ソーマがここまでの怒りを見せる事はなかった。
魔王にも出来なかった事を自分は成し遂げたのだ、とフェリーナは思った。




