第12話 戦乙女SR
形良く力強い太股が跳ね上がり、畳まれていた膝が伸び、金属製の防具をまとう脛と足首が一閃した。
まるで斬撃のような蹴りが、1体のオークソルジャーを思いきりへし曲げた。防御の形に構えられた槍が折れ、甲冑をまとう身体も同じく折れ曲がり、砕けた脊柱が背中を突き破る。
蹴り終えた左足を、戦姫レイファは即座に着地させた。それが踏み込みとなった。
踏み込みと同時にブンッ! と豪快な唸りが起こる。大型の得物が、斜めに振り下ろされていた。長柄の先端に、分厚く幅広い片刃の刀身が備え付けられた武器。青龍刀、である。
その斬撃が、1体のグレートキマイラを叩き斬った。3つ首の魔獣の巨体が、ほぼ真っ二つになって臓物を噴き上げる。
振り切った青龍刀を即座に構え直しつつ、レイファは身を捻った。赤い甲冑でも隠せはしない、凹凸のくっきりとした魅惑的な曲線が、柔らかく捻れた。長柄が、両腕だけではなく全身の力で、横薙ぎに振り回される。
青龍刀が、横一直線に弧を描き、魔物たちを薙ぎ払っていた。
レイファの周囲で、ソードゴブリンが4匹、オークソルジャーが3匹、襲撃の姿勢のまま硬直した。やがて彼らの下半身から上半身が滑り落ち、胴体の内容物が汚らしく噴き上がる。
それら屍が、光に変わってキラキラと舞い散り、消えてゆく。
消えゆく光の粒子を蹴散らして、レイファは戦場を駆けた。
「うおおおおおおおおっ!」
綺麗な唇から、白く鋭い牙が剥き出しになり、雄叫びが迸る。その美貌に凶暴なほどの闘志が漲り、馬の尾の形に束ねられた黒髪が高速でたなびく。
格好良く膨らみ締まった尻から伸びた竜の尻尾も、同じように後方へとうねり泳いだ。
ブレイブランド北部、ヴァルメルキア大平原。
魔王を封じ込めた「死せる湖」周辺は今、戦場と化していた。
ソードゴブリン、オークソルジャー、グレートキマイラ。メガサイクロプスに、ファイヤーヒドラ。
魔王の残党たる魔物どもの軍勢が、着々と完成しつつある封印宮を破壊せんと攻め寄せて来たのである。
対するは、ブレイブランド王国正規軍の騎兵たちと歩兵たち。死せる湖の周囲あちこちで、ソードゴブリンの群れやオークソルジャーの部隊を食い止めている。
翼と尻尾をなびかせて戦場を駆けながら、レイファは左右に、斜めに、青龍刀を振るった。
叩き斬られたソードゴブリンが、オークソルジャーが、生首や臓物を舞い上げながら、光に変わってゆく。
巨体が1つ、左側から襲いかかって来た。
平民の住宅ほどもある、筋骨隆々の肉体。顔面では巨大な口が牙を剥き、そして1つだけしかない眼球が凶暴に血走っている。
メガサイクロプスである。
その手に握られた巨大な戦斧が、竜属性の女戦士に向かって振り下ろされ、暴風のような唸りを立てる。
レイファは、跳躍してかわした。戦斧が足元の地面を抉り砕き、大量の土が噴出して舞い上がる。
1度だけ翼を羽ばたかせてレイファは上空へと舞い上がり、高々と青龍刀を振り上げた。
そして落下しつつ、振り下ろす。
斬撃の閃光が、メガサイクロプスの頭頂部から下腹部へと、一気に走り抜ける。
レイファが着地すると同時に、メガサイクロプスの巨体は真っ二つになり、左右に倒れながら光に変わった。
着地した足で、レイファは跳躍した。跳躍したその足元で、炎が激しく渦巻いた。
ファイヤーヒドラが1頭、近くまで迫って来ていた。8本の大蛇が禍々しく鎌首をもたげ、レイファに向かって牙を剥き、一斉に炎を吐き出す。
荒波の如く押し寄せて来た紅蓮の猛火を、レイファはまたしても跳んで回避するしかなかった。
その回避を援護する形に、別の炎が飛んで来た。まるで流星のような形に燃え固まって飛翔する、いくつもの火球。
それらが、ファイヤーヒドラを直撃した。8つの頭が、ことごとく灼き砕かれて破裂し、キラキラと光の粒子に変わってゆく。
「少し張り切り過ぎ……ではないのかな、戦姫レイファよ」
1人の若い男が、そんな穏やかな声をかけてくる。
軽めの部分鎧をいくつかと、真紅のローブ。そんな装いをした、赤毛の優男。
魔炎軍師ソーマである。
青龍刀を握り慣れて固くなってしまったレイファの指と比べて、よほど女性的な美しい五指が、水晶玉をくるくると弄んでいる。まるで、宙に浮いている水晶玉を撫で回しているかのようだ。
「魔王との戦いでは、君がいつもそうして先陣を切ってくれたな……初戦で頑張り過ぎて、後で息切れを起こす事が多かったようだが」
「み、皆に迷惑をかけたとは思っている」
戦場だと言うのに、レイファは赤くなって俯いた。
「だけど、封印宮を脅かす者どもがいる……魔王を復活させようとしている者どもが。そういう輩を見ると、やっぱり許せなくて、止まらなくなってしまうんだ」
ちらりと、レイファは死せる湖の方を見た。
人夫たちの働きで、封印宮の土台は完成し、建造物としての原形が整いつつある。
それを破壊するべく、魔王の残党が攻めて来たのだ。
「戦姫レイファが皆に迷惑をかけたなどと、思っている者はいないよ」
慰めを口にしながらソーマは、優美な五指の上で水晶玉を転がした。
水晶玉の内部で、炎が燃えた。
「君が先頭に立って戦ってくれたおかげで……特に私のような、腕っ節が全然駄目な者は大いに助かっていたものさ」
魔炎軍師の細い身体が、柔軟に反り返った。女であるレイファよりも華奢な両腕が、左右に広げられる。
炎を内包する水晶玉が、ソーマの右手から細腕を転がり、胸元を通って左腕へと達し、やがて左手に転がり込んだ。
その軌跡上に、赤い残像がいくつも残った。妖しく揺らめく炎の残像。
それらが本物の炎となって燃え上がり、放たれた。水晶玉の分身のような火の玉が多数、あちこちに飛んだ。
そして、襲い来る魔物たちを直撃する。ソードゴブリンの群れが火柱に吹っ飛ばされて焦げ砕け、オークソルジャーの部隊が熱風に舞う遺灰に変わり、グレートキマイラ数匹が焼死体と化す。それら全てが、光に変わって消えてゆく。
魔炎軍師の名に恥じぬ、恐るべき火力であった。魔王との戦いが一応は終わった今も、このソーマという青年は魔力の鍛錬を怠っていない。
「私も、負けてはいられない……さあ、まだ来るか魔王の残党ども!」
レイファの叫びに呼応したわけでもあるまいが、その時、異変が起こった。
まだ大量に生き残っている怪物たちが突然、光に包まれたのだ。
ソードゴブリンの群れが、オークソルジャーの歩兵隊が、何匹ものグレートキマイラやメガサイクロプス、それにファイヤーヒドラが、光に呑み込まれ、消えてゆく。
魔王配下の闇の生き物たちは、生命活動が停止すれば肉体を保っていられなくなり、光となって消滅する。だが、その光とは違うようにレイファは感じた。
死せる湖周辺の戦場には、ブレイブランド王国軍の兵士たちだけが残された。全員、何が起こったかわからずに呆然としている。
「これは……」
何が起こったか理解出来ないのは、レイファも同じだ。周囲を見回してみても、あれほど群れていた魔物たちの姿は1つも見えない。1匹残らず、消えてしまった。
「一体、何が起こったのか……魔炎軍師殿にお訊きしても、いいだろうか」
「……わからない、私にも」
ソーマは応えた。
「だが、さしあたって……封印宮は守られた、と見て良いのではないかな」
「確かに、魔物どもは消えてしまったのだからな……」
油断なく青龍刀を構えたまま、レイファは言った。
「消えたのならば良い、とは思う。原因が何であれ、敵が勝手に消滅してくれたのなら、それは最良の戦果……そう思いたい。だけど、何かが引っかかる」
「君は戦士だからな。自身の手で敵を倒さなければ、戦いを終えた気になれないのだろう」
ソーマが微笑んだ。いつも通りの、穏やかな微笑み。
魔王との戦が続いていた時から、そうだった。この若者は、何かしら秘密を抱えている時には必ずこの笑顔を浮かべる。
魔炎軍師ソーマが、自分に対して何かを隠している。
そういう事もあるだろう、とレイファは思う事にしていた。仲間だからと言って、何もかもをさらけ出せるわけではない。味方にすら明かしてはならない軍事機密の類は、いくらでもある。
秘密など抱えていようといまいと、仲間は仲間なのだ。
うまい具合にと言うべきか、2時限目の授業が自習となった。
学校全体とある噂で持ち切りであったが、村木恵介はどの会話の輪にも加わらずに学校を出て、近くの公園に向かった。
聖王女レミーを、そこで待たせてある。
下手をすると放課後まで待っていてもらう事になるところだった。何日間も森の中で息をひそめていた事もあるから全然平気だとレミー本人は言っていたのだが、幸いにと言うか、そうはならなかった。
どうにか機会を見て中川美幸に声をかけ、あの銀髪の男との接触を試みる。彼の正体を、レミーに見極めてもらう。大雑把に、恵介はそんな予定を立てていた。
その中川美幸が、今日は学校に来なかった。
彼女と親しい女子生徒何名かのお喋りに聞き耳を立ててみたところ、どうやら昨夜から自宅にもおらず、捜索願いが出ているらしい。
飯島麗華、村越江美、石塚恵。その3名の机には、花瓶が置かれて花が生けられていた。
彼女たちだけでなく他のクラス、それに他校の生徒を含む総勢20人以上もの少年少女が早朝、惨殺死体となって発見された。場所は学校からそう遠くない所にある廃屋、犯人は不明である。
中には身元の判別すら困難な死体もあったというから当然、中川美幸も殺されたのではないかという噂にもなった。
公園に向かって足を速めながら恵介は、学校で耳にした噂話を思い返していた。
惨劇の現場となった廃屋は、中川の家の近くにあるらしい。
殺された少年少女は全員、飯島麗華とその取り巻きの者たちであったという。
状況が、恵介には手に取るようにわかった。
どこで拾ったのかわからぬ銀髪男を、中川は自宅に入れるわけにもいかず、その廃屋に匿っていたのだろう。そこへ飯島が仲間を引き連れ、報復のために現れた。そして銀髪男による返り討ちにあった。
問題は、その後である。
銀髪男が、中川を拉致してどこかへ消え去ったのか。あるいは中川が己の意思で、行動を共にしているのか。
「あ、恵介さん……」
セーラー服を着た金髪の美少女が、公園のベンチから立ち上がった。聖王女レミーである。
「随分と早かったのね。その、魔王とおぼしき方と接触する機会は……得られそう?」
「それが、ちょいと面倒な事になってきたんだ」
魔王かも知れない人物と接触する、その糸口となる少女が行方をくらませた。それを恵介は、かいつまんで説明した。
「中川さんが、どこ行っちまったのか、心当たりの1つ2つあればいいんだけど、俺も仲良かったわけじゃねえから……ごめん、せっかく来てもらったのに」
「いえ……その中川さんという方を、何としても探し出さなければ」
レミーは言った。
「行動の指針が定まりました。それだけでも大きな進歩よ、ありがとう恵介さん」
「俺は別に、何も……」
恵介は頭を掻いた。
「レミーは、そいつの事……間違いなく魔王だって、思ってる?」
「もちろん先入観は持たないようにしているわ。とにかく行動をしなければ、何もわかりはしないから」
たとえ誤った情報でも、行動のきっかけにはなる。轟天将ジンバも、そう言っていた。
そのジンバは、廃屋での大量殺人事件を朝のニュースで知った時、ぽつりと言った。
双牙バルツェフや闘姫ランファでも、この程度の事は容易くやってのける。魔王でなくとも、ブレイブランドから流れ込んで来た何者かが、血生臭い事をやり始めないとは限らない、と。
ブレイブクエストの勇者たちが守っているのは、ブレイブランドの民であって、こちらの世界の人間たちではない。それは恵介としても、しっかりと認識しておくべき事であった。
レミーが、じっと恵介を見つめていた。まだ腫れが引かずにガーゼを当てられたままの、少年の顔を。
「恵介さん……こちらの世界で、辛い目に遭っているの?」
「こんなもん、レミーたちがやってる戦いに比べたら大した事ねえよ」
恵介は、笑って見せた。
「魔王との戦いじゃ、人だって大勢死んだんだろ?」
「町が、いくつも滅ぼされたわ……あんな犠牲を、こちらの世界でも出すわけにはいかない」
そこまで決意を固める事だろうか、と恵介は思ってしまった。
災いを、別の世界に追い出す事には成功したのだ。結果、自分たちの世界は守られた。他の世界など、どうなろうと知った事ではない。
自分がブレイブランドの人間であれば間違いなくそう考えるだろう、と恵介は思う。
思ったその時、光が生じた。
1つ2つではない。5つ、10、20以上……大量の光が公園内に現れ、奇怪な生き物として実体化してゆく。
オークソルジャーが、ソードゴブリンが、群れを成していた。
何匹ものグレートキマイラが、凶暴な雄叫びを発している。
地響きのような足音がした。メガサイクロプスが、巨大な戦斧を振りかざしている。
街灯が、へし折られて倒れた。ファイヤーヒドラが、尻尾を振るったのだ。
ブレイブランドにしかいないはずの怪物たちが、そこに出現していた。軍勢とも言える規模である。
通行人たちが、悲鳴を上げた。声も出せず、呆然と立ち尽くしている者もいる。
恵介は、どちらかと言うと後者に近かった。
「おいおい……こりゃ、ちょっと多過ぎだろ……」
そんな声を漏らしながら、へなへなとベンチに座り込んでしまう。
「こいつらも、その……魔王に引き寄せられて、こっちに……?」
「それも、本格的に力を覚醒させつつある魔王に……ね」
答えつつレミーは、恵介を背後に庇って立ち、左手を掲げた。その左手に一瞬、光が生じた。
「これほどの軍勢を、恐らくは無意識に召喚出来るほどの力を、魔王は取り戻している……急がなければ」
光が実体化し、鞘を被った長剣となって、レミーの左手に握られている。
「恵介さん、お願い……どんなに恐くて逃げたくなっても、そこから動かないで。その方が、守り易いから」
「守る……」
この聖王女は、恵介を守ろうとしてくれている。守る理由など、ありはしないのに。
ブレイブランドの勇者に、こちらの世界の人間を守る理由など、ありはしないのに。
ベビーカーを押して公園を歩いていた女性が、悲鳴を上げながら尻餅をついた。そのベビーカーが横転し、子供が地面に投げ出され、泣いている。
そこへオークソルジャーたちが、槍を振り上げて凶暴に群がって行く。
レミーは剣を抜いた。鞘から、光が走り出した。
弧を描いて一閃したその光が、公園全体に広がり、魔物たちを薙ぎ払う。
ソードゴブリン数匹が、剣を構えながら真っ二つになった。断面から溢れ出した臓物が、鮮血が、キラキラと光の粒子に変わってゆく。
寄ってたかって母子を突き殺そうとしていたオークソルジャーの群れが、硬直した。硬直した胴体から、ころころと生首が転げ落ちる。
光まとう長剣をユラリと構え、レミーは歩き出した。魔物たちに向かって一見、無造作に。
「何で……何でだよ……」
ベンチの上で呆然と固まったまま、恵介は声を発した。
「何で、俺たちの事なんか……守ってくれるんだよ……別に、放っといたっていいんじゃねえのか? 俺ならそうする、だって自分たちの世界だけ守れりゃいいじゃんかよ……他の世界なんて、どうなったって……」
「……寝覚めが悪いわ」
恵介に背を向けたまま、レミーは苦笑したようである。
「私たちのせいで、この世界が災いを被る。大勢の人が死ぬ……そうなったら気分が悪いわ。だから私は戦う。それだけよ」
「気分が悪いって……そんな理由で、戦うのかよ……」
「ねえ恵介さん。戦う理由なんて、そんなものよ?」
1度だけ、レミーは振り向いた。
「戦わない事で嫌な気分になるのなら、戦った方がまし……私は、それだけよ」
「レミー……」
聖王女はもはや何も言わず、セーラー服を翻して長剣を振るった。
艶やかな金髪の舞いに合わせて斬撃が一閃し、グレートキマイラの1匹を叩き斬った。




