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第11話 命名者R

 廃屋である。元は倉庫か、あるいは工場であったのか。

 もしかしたら、正式な持ち主がいるのかも知れない。だが中川美幸の知る限り、少なくとも10年以上は、誰も住まぬ荒廃した空き家のままである。ホームレスの類が住み着く事は時折あったようだが、今は誰もいない。

 だから美幸は、まだ名も知らぬ銀髪の男を、ここに隠していた。

 元々は何かの機械だったのであろう鉄屑をソファーのように使って、男は半ば寝そべるように腰掛けている。

 その身を包んでいるのは、くたびれた感じのスーツ。父親の古着を、美幸がこっそり持ち出したものだ。

 仔猫を弄り回しながら、男はギロリと顔を上げた。駆け寄る美幸に、いささか凶悪な視線が向けられる。

「遅かったな……」

「す、すみません」

 コンビニで買って来たものを、美幸は慌て気味に差し出した。弁当と菓子パンと飲み物、それに猫缶である。

「あまりにも腹が減ったから、これを食ってしまうところだったぞ」

 力強い手で掴まれ掲げられ、仔猫がみいみいと悲鳴を上げる。

「その子は、きっと美味しくありませんから。ちゃんとした人間の食べ物を、食べて下さい」

 言いながら美幸は猫缶を開け、家の台所から失敬して来た小皿に盛った。

「人間の食い物か……果たして俺は、人間なのかな」

 そんな事を言いつつ、男が弁当をガツガツとかき込み始める。

 とりあえず解放された仔猫が、小皿に盛られたものに小さな鼻面を寄せる。

 ピチャピチャと控え目な食事を始めた仔猫の頭を、美幸は指でそっと撫でた。

「ふふっ……君にも名前付けてあげないとねー、そろそろ」

 撫でながら、ふと視線を動かし、訊いてみる。

「それで貴方は……お名前くらい、思い出しましたか?」

「名前か。そんなもの元々なかったような気もする」

 言ってから男は、ペットボトルのお茶を喉に流し込み、一息ついた。

「もう少し暴れれば、きっと何か思い出せる……おい中川美幸とやら、昼間のようなクズどもはもういないのか? まだいるだろう。いくらでも叩き殺してやるぞ」

「大人しくしていて下さい。警察が貴方の事、探してますから」

 いつまでも、こんな所に隠れていられるわけはなかった。

 だが仮に警官たちがここに踏み込んで来たとしたら、この男は大人しく逮捕されるであろうか。

 美幸がそう思うと同時に、足音が聞こえた。複数の人間が、この廃屋に踏み入って来ている。

 早くも警察か。下手をしたら自分も逮捕されてしまうのか、と美幸は思った。

「こいつらかぁ、おい」

 警察にしては、柄の悪い口調である。

 何人もの若い男、というより少年たちが、どかどかと歩み入って来たところだった。

 飯島麗華の、男友達だった。昼間より人数が増えている。20人以上はおり、全員、様々な物騒なものを手にしていた。金属バット、鉄パイプ、特殊警棒にナイフ。

「隅に置けないわねえ、中川さんも」

 飯島麗華本人もいた。学校と同じく村越江美・石塚恵を従え、ニヤニヤと笑っている。

「こんな所で、こっそり男を飼ってるなんて……真面目ちゃんだと思ってたのに、油断出来ないったら」

「なあ、もうヤらせたの? ヤッちゃったわけ? なあ、なあ、なあなあなあ」

 少年の1人が、金属バットを担いで歩み寄ってくる。

 美幸は仔猫を抱き締め、銀髪男に身を寄せた。

 平然と弁当を食らいながら、男が少年たちを睨み据える。

「……食事中だ。静かにしろ」

「静かにしろ、ときたぜ。おい」

 少年たちが、ゲラゲラと笑った。

「態度でけえなあ、お兄さん。ひょっとして俺らの事、ナメてる?」

「麗華ちゃんに聞いたけどよ、あんた北岡の野郎をブチのめしたんだって? 強ぇんだなあホント」

「けどまさか、この人数に勝てるつもりでいるワケじゃねえよあ」

 この人数で、勝てるつもりでいるのか。美幸は呆然と、そう思った。

 物のように宙へと放り投げられた警察官、顔面を凹まされたり腕を折られたりした男子生徒たち……この銀髪男が戯れにやってのけた事の数々を、美幸は思い返した。

 この男が今、この場で戦ったりしたら、間違いなく死者が出る。

 この男が戦ってくれなければ、しかし自分はどのような目に遭わされるのか。

 そう思いながら、美幸は言った。言葉で止める。自分に出来る事があるとすれば、それだけだ。

「やめて、飯島さん……」

「言ったよね中川さん。あたしに向かってナメた口きくってのは、こういう事だって」

 飯島麗華の美貌が、ニヤリと醜悪に歪む。

「知ってる? 北岡ね、一生まともに口もきけないし普通に何か食べる事も出来なくなっちゃったって。安川の腕も結局、繋げられなくて切り落とす事になっちゃったって……これだけの事やっといてタダで済むなんて、もちろん思ってないよねえ中川さん」

 あれは、この男が勝手にやった事……という言葉を、美幸は呑み込んだ。

「……悪いのは、飯島さんでしょ。貴女が日頃あんな事やってるから、あたしだって」

「ああ、そう? あたしは悪者で、中川さんは正義のヒロインってわけ」

 飯島が、続いて村越と石塚が言った。

「正義のためなら、人に一生モンの怪我させても全然OK! 中川さん、こわーい」

「自分が正しいって思ってる奴、ほんとタチ悪いよねー」

 正義の味方を気取ったつもりなど無論ない。嫌な気分になるような事が行われている現状を、美幸なりに何とかしようと思っただけだ。

 そのような事を、この場で語った所で意味はない。美幸は、ただ言った。

「あたしの事なんて、好きなように言えばいいわ……だけど、この人にケンカ売るなんて絶対駄目。怪我じゃ済まないから、本当に」

「あっれぇー? 君もしかして俺らのコト心配してくれてる?」

 少年たちが、おどけた。

「やっさしぃーんだあ。何だよ麗華、おめえはクソ女とか言ってたけど優しくてイイ娘じゃん」

「俺よぉ、こーゆうイイ子ちゃんな女ぁ見ると、孕ましてやりたくなるんだよなぁー。孕まして腹パンチで堕ろさして、また孕ましてって感じ?」

「いいねぇーえ。俺の先輩にさ、そうゆう動画扱ってる人いるんだ。高く売れるぜえ」

「なあ、いいんだよなあ麗華。男の方はボコり殺して、女の方は犯り殺して、猫ちゃんにはガソリンぶっかけて火ぃ点けてって感じでイイんだよなあ?」

「構わないわよ。あたしの親父が弁護士やってるの知ってんでしょ? あんたたち未成年なんだし、上手くやってくれるわよ」

「うっしゃあ! やっぱ今のうちに色々ヤッとかねえとよぉー!」

「おうよ、大人ンなってクソみてえな苦労する前に、青春の思い出ってヤツを作っとかねえとなぁあああああ!」

 バンッ! と音が響いた。喚いていた少年たちが、ビクッと静まり返った。

 銀髪男が、空のペットボトルに息を吹き込んで破裂させたところだった。

「……いかんなあ。ゴミはきちんと処分せねば、空気が汚れる」

 言いながら、男がユラリと立ち上がる。

「臭くてかなわん。飯も不味くなる……よって処分する」

「てめ……ッ!」

 少年たちが、様々な凶器を一斉に振りかざし、襲いかかって来た。

 鉄パイプや金属バットが振り下ろされる前に、銀髪男の左足がふわりと離陸した。長い脚がブンッ! と重く物騒な音を立てる。

 まるで鉄棒を振り回すような、蹴りだった。

 少年たちの身体が、へし曲がった。曲がった全身のあちこちが破裂し、砕けた肋骨や折れた脊柱それに各種臓物が大量に噴出する。

 銀髪男が、左右の拳を振るった。まるで砲丸か何かで殴りつけるかのような、パンチである。

 少年たちの首から上が、ことごとく砕け散った。折れた歯が、飛び出た眼球が、潰れた脳髄が、あちこちで花火の如く噴き上がった。

「脆い……本当に、脆い」

 呟きながら、男は手刀を振るった。鉈のような手刀である。

 少年の生首が1つ、刎ね飛ばされて美幸の足元に転がった。青ざめ固まった死に顔が、じっと見上げてくる。

 仔猫を抱いたまま、美幸は呆然と声をかけた。

「だから、言ったのに……この人にケンカ売らないでって……」

 止める資格など自分にはない、と美幸は思った。銀髪男がこの殺戮を実行してくれなかったら、自分も仔猫もどのような目に遭わされていたかわからないのだ。

 この男の思惑はどうあれ、自分は守ってもらえた。

 守られた人間に、守ってくれた相手を咎める資格などないのだ。

「お前たち、こんなに脆いのに大きな態度を取るものではないぞ?」

 銀髪男がニコニコ笑いながら、少年の最後の1人を片手で掴んで持ち上げている。持ち上げられた少年が、泣き喚いている。

「何だ……なんだぁ……なんなんだよぉおおおおおおおお!」

 美幸は耳を塞ぎたくなったが、塞ぐべきではなかった。この殺戮は、自分の行動がもたらした結果なのである。

 銀髪男が、まるでポスターでも破くかのように、少年の身体を引きちぎった。大量の臓物がビシャアッ! と派手にぶちまけられた。

 飯島が、村越と石塚が、悲鳴を上げて背を向け、逃げ出そうとする。

「逃げるなよ……よくはわからんが、貴様らが指示者なのであろうがあ?」

 銀髪男が、逃げる少女たちに左手を向けた。その掌から、目に見えぬ何かが放たれたようだ。

 村越と石塚が、砕け散った。もはや肉か臓物かも判然としない人体の破片が、廃屋の床や壁や天井にビチャビチャビチャッと付着する。

 飯島麗華が、転倒した。その両脚が、膝の辺りでちぎれている。

 弱々しく匍匐前進をしながら、飯島は泣き呻いた。

「ひっ……ぐ……何……何なのよォ、あんた……」

「それを、俺が知りたいのさ」

 言いながら銀髪男が飯島を、髪を掴んで引きずり起こす。

 いや、銀髪男ではなくなっていた。白髪の如き銀色だった髪が、今は燃え上がるような金色に輝いている。

「ぎぃッ……! こ、こんなバケモノ……どうやって、たらし込んだのよォ中川さん、ねえちょっとおおおおおおおおお!」

 飯島が、絶叫を響かせた。

「満足? ねえ満足なの? バケモノに人殺しさせて正義のヒロインぶって、さぞ満足でしょーねぇえええこのクソブタ女!」

 やはり耳を塞ぐべきではない、と美幸は思った。

「人の事悪者扱いして、アンタみたいなのが一番タチ悪いってのよゴミ女! クズ女! こんなバケモノ、どうやって飼い馴らしてるわけ? 一体何やらせてあげてんのよ、ほら言って見なさいよメスブタがあああああ」

「……そろそろ黙れ」

 金髪男が、飯島の腹に右拳を叩き込んだ。その拳が、少女の体内にズブリと埋まった。

 埋まった右手で、金髪男は何かを掴んだようだ。

 飯島麗華の、元は綺麗だが今は醜く歪みきった顔面が、いきなり潰れた。

 潰れた屍から、金髪男が右手を引き抜く。その右手に、折れた脊柱が握られている。

 引きずり出された脊柱の先端部から、頭蓋骨が垂れ下がっていた。

 父親が弁護士をやっている。飯島麗華は、そう言っていた。

 彼女だけではない。石塚恵にも村越江美にも、それに少年たちにも、父親がいて母親がいた。家族がいた。

 それを、美幸は考えない事にした。自分が助かった、仔猫も助かった。それだけを考える事にした。

「あの……」

 燃えるように鮮やかな男の金髪を眺めながら、美幸は訊いてみた。

「もしかして、何か……思い出したり、しましたか……?」

「どうかな。何となく、思い出せそうでもあり……」

 記憶が戻った、わけではないらしい金髪男が、飯島の脊柱を弄って頭蓋骨をガクガク揺らしながら、美幸の方を向く。

「おい、名前を付けろ」

「え……その骸骨さんに、ですか? でも、それは飯島さん……」

「お前は何を言っているのだ」

 金髪男が、ギロリと睨んでくる。

 美幸と仔猫が、ひしっと抱き合った。

(そうだ……この子に名前、付けてあげなきゃいけないんだ……)

 残虐非道に振る舞いながらも、この金髪男は、名無しの仔猫の事を気遣ってくれていたのだ。

 本当は優しい人なのだ、と美幸は思う事にした。

「えっと、じゃあ……タマちゃん、でいいですか?」

「ちゃん、は不要だ。よし、今日から俺をタマと呼べ」

「えっ、貴方の話だったんですか?」

 そんな美幸の言葉をもはや聞かず、金髪の男タマは、満足げに菓子パンをかじりながら、飯島の脊柱と頭蓋骨をぶんぶんと振り回している。

 美幸は仕方がなく、タマに人間としての名前があるとしたらどんなものか、を何秒間か考えてみた。

「えっと、じゃあ君は……和弘さん、でいい?」

 仔猫が、にゃーと鳴いた。

 気に入ってくれたのかどうかは、わからなかった。

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