第1話 来訪者R
無料で、いつまでも良い思いが出来るわけはない。そんな事は、始める前からわかっていた。運営側も、商売をしなければならないのだ。
だから村木恵介は月に1000円ずつ、ブラウザコインの購入に注ぎ込んでいる。運営に対してそこそこ大きな顔が出来る、とは思っている。
だがその程度の出費など、こういう者たちから見れば、無課金でちまちま楽しんでいるのと大して変わらないのであろう。
「おいおい……マジかよ……」
パソコンの画面に向かって、恵介はぼやいていた。
ブラウザカードゲーム『ブレイブクエスト』を、恵介は『K太郎』というハンドルネームでプレイしている。現在の戦闘デッキは、以下の通りである。
聖王女レミーSR レベル58
轟天将ジンバSR レベル60
鬼氷忍ハンゾウSR レベル57
烈風騎アイヴァーンR レベル30
魔炎軍師ソーマSR レベル49
戦姫レイファSR レベル5
闘姫ランファR レベル29
双牙バルツェフR レベル30
鳳雷凰フェリーナSR レベル43
武公子カインSR レベル16
キャラクターの強さはランク分けされており、最低がN、そこからR、SRへと成長してゆく。最高位はURである。
ただし成長がRやSRで止まってしまうキャラクターがほとんどで、URまで行けるようなキャラクターは、基本的には課金ガチャやイベントで手に入れるしかない。実に上手く出来ている。
ゲーム中は、他のプレイヤーと対戦する事も多い。
今回の恵介の相手、ハンドルネーム『夜叉姫』の戦闘デッキは、以下の通りである。
烈風騎アイヴァーンUR レベル80
魔海闘士ドランUR レベル80
武公子カインUR レベル80
紅蓮妖精サーラUR レベル80
氷河女王ヒルダUR レベル80
暗黒司祭レスプUR レベル80
軍師皇帝ラーディスUR レベル80
弓聖リオンUR レベル80
迅雷剣士ハヤテUR レベル80
鳳雷凰フェリーナUR レベル80
「てめえ、いくら金かけてんだよ!」
恵介がそんな悲鳴を上げている間に、戦闘は終わっていた。
計20枚のキャラクターカードが激しくぶつかり合い、恵介の側の戦闘体力ゲージが凄まじい勢いで減ってゆく。
やがて『敗北』の2文字が大きく表示された。
負けても、何か奪われるわけではない。勝った側に『勝利ポイント』というものがプレゼントされ、これが一定数溜まると様々なアイテムやURキャラクターカードと交換出来るシステムなのである。
勝ち続ければ、強いキャラクターが無料で手に入る。だが勝ち続けるには、やはりある程度は金を使わなければならない。
「リアルに金突っ込んでる奴らに、勝てるわけねえんだよなあ……」
ぼやきながら、恵介はマイページに戻った。
戦闘デッキのキャラクターカード10枚が、整然と表示されている。10人とも、恵介がNのレベル1から育ててきた精鋭である。
主戦力はやはり聖王女レミーSRだった。
いささか際どい水着鎧を身にまとった、金髪の美少女戦士。その美麗なイラストに、恵介はつい話しかけていた。
「なあレミーちゃん、今まで世話んなってきたけどよ……そろそろ、おめえらじゃ勝てなくなってきたわ」
「いかんなぁー恵介君」
恵介の耳に、ねっとりと息が吐きかけられた。
「二次元の女の子に話しかけるようになっちゃあいかんよ。もっと俺みたいに、現実の女性に声かけられるようにならなきゃあ」
「てめえ、ノックくれえしろ!」
恵介は振り向き、怒鳴りつけた。
勝手に部屋に入ってきた1人の男が、にやにや笑っている。
少しだけ茶色く染められた髪。無精髭が生えてはいるものの、そこそこ整った顔。まあ外見的魅力のある男なのだろう、と恵介は思う。何の特徴もない男子高校生である、自分よりは。
この男の名は、矢崎義秀。正確な年齢を恵介は知らないが、恐らく30歳前後といったところであろう。
家族でも親族でもない。母・浩子が最近、この家で飼い始めた男である。
恵介は、溜め息をついた。
「あんたさ……親父が帰って来る前に出てけよな、マジで」
「わかってるって……お、これブレイブクエストじゃん」
矢崎が、馴れ馴れしくパソコン画面を覗き込んでくる。
「矢崎さん、知ってんの?」
とりあえず会話の相手をしてやりながら恵介は、『探索』ボタンをクリックした。
探索とは要するに、このゲームの舞台である『ブレイブランド』を歩き回る事である。
プレイヤーの能力としては『体力』と『気力』があり、探索は体力を消費しながら行う事となる。
探索では、様々なアイテムやNのキャラクターカードを拾って入手する事が出来る。今のように他のプレイヤーと遭遇し、戦闘になる事もある。
「知ってる知ってる。俺の友達で1人、これにハマってた奴がいてさあ」
矢崎が言った。
「そいつ金注ぎ込みまくって、仕事も友達関係も全部駄目にしちゃったんだよねー。恵介君も気をつけなよ?」
「そこまでハマってるわけじゃねえよ。月に1000円しか使ってねえし」
モンスターと遭遇した。探索を続けていると、こういう事もある。
画面が切り替わり、レベル41ファイヤーヒドラの巨大な姿が表示される。8本首の、炎を吐く大蛇である。
画面下部には戦闘デッキのキャラクターカード10枚が並び、ファイヤーヒドラへの攻撃を開始している。モンスターとの戦闘では、体力ではなく気力を消費する事となる。
烈風騎アイヴァーン・闘姫ランファ・双牙バルツェフが、ファイヤーヒドラの一撃で戦闘不能になった。やはりRまでしか成長しないキャラクターでは、対人戦だけでなくモンスターとの戦いでも、早々に限界が来てしまう。
今の矢崎の話ではないが、金を注ぎ込んでしまう者の気持ちが、恵介は理解出来なくもなかった。この手のゲームは最初は無料でも、金を払わない限り、ある所までしか行けないように出来ている。当然と言えば当然なのだが。
戦闘が終わった。
こちらの10名は4ターンで全滅、ファイヤーヒドラのHPは4分の1ほど減った。
その状態で『応援要請』のボタンをクリックする。
こうしておけば、他のプレイヤーが戦いを引き継いでくれるのだ。
モンスターを倒せば、報酬として無課金ガチャが1回出来るようになる。この報酬は戦闘に参加したプレイヤー全員が入手出来るので、応援要請があれば応じない手はない。
HP残り4分の3のファイヤーヒドラを他のプレイヤーに任せ、恵介は探索を続けた。
「恵介君もさあ、金かかるゲームばっかやってないで、現実の女の子ひっかけてみなよ。せっかくイケメンなんだからさあ」
矢崎が、へらへらとお世辞を言う。
ひたすらに探索ボタンをクリックしながら、恵介は応えた。
「現実の女相手にする方が、金かかると思うんだけど」
「最近はそうでもねーんだなァこれが。貧乏な男を飼育したいセレブなお姉様ってのが結構いるんだわ」
「うちのおふくろも、そうだってのか……言っとくがセレブってほど金ねえぞ、この家」
恵介の父・村木健三は現在、仕事で海外に単身赴任中である。外国に支社のある企業に勤めているとは言え、それほど稼いでくれているわけではない。
「金目当てみたいな言い方するなよう。浩子さんはステキな女性だぜぇ? 一緒にいると癒されるっつーか、安らかな気分になれる、みたいな?」
「はいはい……おっと」
またしてもモンスターと遭遇した。ファイヤーヒドラでも、グレートキマイラやメガサイクロプスでもない。
頭から角を生やし、背中から翼を広げた、筋骨たくましい美形の男……魔王である。レベル56魔王。
現在ブレイブクエストは、『魔王討伐』イベントの真っ最中なのである。真っ最中と言うか、確か今日1日で終わりのはずだ。
通常のモンスターに混ざって、彼らの総大将という設定である超強力モンスター『魔王』が出現するのである。これをより多く倒したプレイヤーに、URキャラクターカードなどの豪華賞品が与えられる。
とりあえず、戦闘を開始してみた。
恵介のデッキで最も防御力の高い轟天将ジンバSRを含む6名が、最初の1ターンで戦闘不能になった。2ターン目で、全滅した。
魔王のHPは、10分の1も減っていない。
苦笑するしかないまま、恵介は応援要請ボタンをクリックした。
「こりゃ駄目だ……」
「なるほど。こういうのを倒すために金使っちゃうんだな、みんな」
矢崎が、感心したように言う。
「上手い商売するよなあ」
「ああ……最初に考えついた奴、天才だと思う。マジで」
恵介はマイページに戻り、他のプレイヤーからの応援要請を確認してみた。
たくさんあった。レベル52ファイヤーヒドラ、レベル44ダークベヒモス、レベル39魔王、レベル60メガサイクロプス、レベル48魔王、レベル89魔王……様々なモンスターが、HPを減らされた状態で放置されている。
気力の許す限り、恵介は応援要請に応じた。
「なあ矢崎さん。さっき言ってた、友達って人」
HPが3分の1ほど残っているレベル47魔王に攻撃を加えながら、恵介は訊いてみた。
「このゲームに金注ぎ込みまくって、結局……最終的に、どうなったの?」
「失踪した。ちょっといけない所からも、お金借りてたみたいでさ……今頃どこで、生きてるやら死んでるやら」
「はー……そこまでハマる気には、なれねえなぁ」
こういうゲームに大金を注ぎ込むような連中は、どうせそんなふうに、現実世界ではろくな目には遭っていないに決まっている。恵介は、そう思う事にした。
「たっだいま〜」
玄関の方から、声が聞こえた。楽しげに弾んだ、決して若くはない女の声。
同じくらいに弾んだ足音が、とたとたと近付いて来る。
やがて着飾った中年の女が、恵介の部屋をひょいと覗き込んできた。
矢崎の表情が、ぱっと輝いた。
「お帰りぃ、浩子さん!」
「義秀ちゃん! ウチの恵介と、遊んでくれてたのねぇ」
パートの仕事から帰って来た母が、矢崎の胸に飛び込んで行く。
恵介は怒鳴りつけた。
「おい! 息子の部屋で間男とイチャついてんじゃねえ!」
「うっふふふ、ごめんごめん。恵介ともイチャついてあげるから……ね?」
化粧臭さが、恵介を包み込んだ。浩子が、後ろから抱きついて来ていた。
「くっつくな! バカ!」
「ねえ恵介、今夜何食べたい? 義秀ちゃんが来てからお母さん、お料理のレパートリー思いっきり増えちゃったんだから」
「浩子さん浩子さん。お料理作るんならさ、割烹着とか着てみてくんないかなぁ。すっごく似合うと思うんだぁ」
「あらあら。義秀ちゃんは、おふくろの味が恋しいんでちゅかー?」
「俺のおふくろ、浩子さんみたいに美人でも優しくもなかったもーん」
母と間男が、背後でいちゃいちゃと睦んでいる。恵介は、溜め息をつくしかなかった。
父・健三には気の毒だが、矢崎が来てから母は明るくなった。いささか化粧が濃くなったとは言え、まあ美しくもなった。
夫が家にいた頃の、年中不機嫌で押し黙っていた母とは、まるで別人のようである。
「ねえ恵介。お小遣い、足りてる?」
矢崎といちゃつきながら、母がそんな事を訊いてくる。
朗らかなその口調が一瞬、後ろめたそうな、卑屈な響きを帯びたのを、恵介は聞き逃さなかった。
「今お母さんも働いてるから、家お金あるのよね。何か欲しいものあったら、遠慮なく」
「いらねえよ」
恵介は即答した。
魔王討伐イベントは、今日いっぱいで終わる。
討伐数1位の賞品は、課金ガチャでも手に入らない、聖王女レミーUR・魔王バージョンのカードである。
恵介の順位など当然、1位や10位どころか1000位内にすら入っていない。
気力も体力も尽きた。回復アイテムも、残っていない。
こういうイベントで高順位にランクされるプレイヤーというのは、強力なキャラクターや大量の回復アイテムの購入に、それこそ万単位の金を注ぎ込んでいる。月に1000円などという消費で、太刀打ち出来るわけがないのだ。
母に金を出させれば、今からでも、もう少し順位を上げられるかも知れない。500位くらいまでは、それなりの賞品が出る。トップ10入りは無理にしても、そこまでは行けるのではないか。
恵介はそう思ったが、思うだけにしておいた。
「息子に媚びへつらってんじゃねえよ……別に、親父に言いつけたりしねえから」
「そ、そう……ありがとね」
今の母は、恵介の言う事なら恐らく何でも聞いてくれるだろう。
だからと言って金を出させ、イベントを有利に進める。それは、矢崎の失踪したという友人にも劣る行いだ。
(別に、そこまでハマってるわけじゃねえし……な)
駅前のデパートの、屋上である。
立ち入りが禁止されているはずのその場所に今、2つの人影が立っていた。共に、白色のマントとフードで、全身をすっぽりと覆い隠している。
片方は小柄で細く、マントを脱がずとも女性とわかる。
片方は巨体で、筋骨たくましい体格がマントの上からでも見て取れる。
「何と……見事な、城塞都市……」
巨体の男が、駅周辺のビル街を見回して呻く。
フードの内側からは肉食獣の鼻面が突き出し、牙を剥いて言葉を発している。
「ここを攻めるには、果たして何万の兵が必要となりましょうか……」
「こらこら。私たちは、戦をするために来たのではありませんよ」
女性の方が、苦笑した。顔の上半分はフードで隠されているものの、美しい口元は見て取れる。
その可憐な唇が、言葉を紡いだ。
「私たちが戦うべき相手は、この世界の人々ではなく……この世界を、脅かす者たちです」
「心得ております、聖王女殿下」
「聖王女、ですか……」
そう呼ばれた女性、と言うより少女が、可愛らしい唇を、むず痒そうに歪めた。
「その呼び名……何とかならないものなのでしょうか」
「耐えられませ。私とて、轟天将などという大層な呼称に、恥じらいつつ耐えております」
「聖王女に、轟天将……この2人だけで、事を終わらせなければなりませんね。鬼氷忍や魔炎軍師といった方々が、来てしまう前に」
言いつつ、聖王女は空を見上げた。
青い空。それは、ブレイブランドと何ら変わりはない。
だが視線を下ろせば、ブレイブランドとはあまりに様の異なる、鉄と石の街並が広がっている。
そこには一体、どのような人々が住んでいるのか。ブレイブランドの住人たちと、何が異なるのか。
「青の賢者様が、言っておられましたね。こちらの世界は、呪われていると……心汚らしく欲深く、己の快楽のために他者を蹴落とす事しか考えていない、卑しき人々しか住んでいない世界であると」
「ブレイブランドにも、そのような者どもはいくらでもおります」
轟天将が言った。
「青の賢者など、その筆頭と言えましょう。聖王女殿下、あの者の言葉をあまりお信じになりませぬように」
「轟天将殿は、青の賢者様がお嫌い?」
「こちらの世界の人間どもが、どれほど心卑しかろうと、あやつよりは遥かにましでございましょう」
「最初は私1人で来る予定だったけれど……貴方を伴って来て、本当に良かったと思うわ」
聖王女は、からかうように微笑んだ。
「ブレイブランドに残しておいたら貴方は間違いなく、青の賢者様を殺しに行っていたでしょうね」
「そう容易くはいかないでしょうな。魔炎軍師それに闘姫・双牙といった者どもが青の賢者に心酔し、あやつを油断なく警護しております」
マントの下で太い両腕を組みながら、轟天将はギリッ……と牙を噛み鳴らした。
「魔炎軍師ともあろう男が……あのような者に、たらし込まれるとは」
「私たちが、こちらの世界へ来る事が出来たのも、青の賢者様の御力によるものです。それを忘れてはいけませんよ」
「御力と言うより、小賢しき知恵。そんな気もいたしますが」
轟天将はそこで、青の賢者への文句を止めた。
「まあ、あやつを叩き殺すのは……こちらでやらねばならぬ戦いを、済ませてからですな」
「戦いに、なってしまうのでしょうね」
聖王女の眼差しが、フードの下からまっすぐに、鉄と石の城塞都市へと向けられる。
「そう、私たちは戦わなければ……ブレイブランドの災いを、こちらの世界へと広げないために」