第6話 些細な異変
地元から離れ、さらに夏休みが始まったばかりということもあり、志具たちは時間を気にせず、遊び呆けることにした。
夏休みの課題がそれなりの量出されたのだが、今日くらいは放っておいても別にかまわないだろう、と志具。これまでが休み暇がないくらいに忙殺されたのだから……。
とはいっても、志具が皆を先導するというわけではなく、女性陣がいってみたいところに、志具がついて行っているだけだった。しかし、遊び慣れているわけではない志具にしてみれば、それでも十分楽しめた。
テレビを代表としたメディアで出てくる、著名なファッションモデルがコーディネイトした服装を眺めたり、アンティークものの小物が売られている店を見てみたり、ゲームセンターを覗いてみたり……。あまりこういった遊びをしたことがなかった志具にしてみれば、それらすべてが新鮮だった。
そのことを女性陣に言うと、ななせが「やっぱり枯れた人生送っていたんだな、お前……」とどこか憐れみを宿した目で志具を見た。言われっ放しも癪なので、「余計なお世話だ」と言葉を返したが……。
そのようなことをやっているうちに、時刻は十三時をまわっていた。
「昼食でも食べようぜ」
そんな、ななせの言葉に、一同は賛成した。
昼食は、様々な飲食店が並ぶフードコートで摂ることにした。昼食時からやや遅れた時間とはいえ、人はそれなりにいた。その多くが、夏休みに入ったばかりの学生たちだ。
運よくひとつのテーブルが空いていたので、志具たちはそこを陣取ることにする。席をキープするために、志具がひとり残り、彼の分をななせが買うことになった。
こういったオープンな場所で食事を摂ることはこれまでの人生でほとんどなかったため、こういった体験はなかなか新鮮だった。同時に、こういったことを多くの学生がこれまで当然のようにしていたのだな、と知ると、自分の人生の灰色っぷりに、やや気分を落胆させた。
「おまたせ~、志具」
三分ほどで、ななせが両手にトレーをもって、席に戻ってきた。
志具がななせに買ってきてもらったのは、ハンバーガーとコーラ、そしてMサイズのポテトだった。それはななせも同じらしく、同じセットのものが両方のトレーに乗っていた。
「すまなかったな」
志具はトレーを受け取り、そう言った。
「いいってこと。なにせあたしは、お前の許嫁だからな。夫を持ち上げるのは、良き妻の仕事のようなものだぜ」
良き妻、ね……。
志具はじと……、と湿った眼差しを、ななせに向けた。普段、自分を玩具みたくからかって遊んでいるというのに、どの口が言っているのだか……、と志具はため息を漏らす。
「誰が許嫁だ。……ところで、マリアたちは?」
ななせの言うことを軽く流し、残りのメンバーのことを尋ねると、
「あいつらなら、まだ選んでいる最中だよ」
スルーされることに対し、特に気を悪くしたようでもないななせは、志具の質問にそう答えた。
ななせが指さした方向にはマリアとなずなと菜乃がいた。なずなと菜乃はとにかく、マリアは色々と目移りをしているようだ。むしろ、他の二人はそんなマリアのブレーキ役になっているようである。
――マリアも、こういったところはあんまり来たことがないのだな……。
店の多さにドギマギしつつも、目を好奇心で爛々と輝かせているマリアを見て、志具はそれを察した。ひょっとしたら、お嬢様であるという育ちから、こういったフードコートで食事を摂る機会が、これまでの人生でなかったのかもしれない。なんにせよ、楽しんではいるようなので、なによりだった。
「マリアが気になるのか?」
不意に、ななせのそんな言葉が向けられ、志具は向い側の席に座っているななせのほうへと振り向く。
ななせは半眼で志具を見つめていた。気のせいか、どことなくトゲのあるような眼差しをしているような気がしてならない。
「……別に、マリアだけが気になるってわけではないが……」
「じゃあ、菜乃か? ご主人様って呼ばれたい願望が、いよいよ生まれてきたのか?」
「そんな願望は今もないぞ」
「じゃあ、なずなか? 『ロリ少女可愛いのぅ、グヘヘヘ……』とか思っているんだな、この変態!」
「何勝手に決めつけているんだ、君は! 断じてないからな!」
声を荒げて否定する志具。そんな彼を見て、ななせは満足したように、
「うんうん。いつも通り、平常運転だな」
頷き、どこか清々しい気持ちになったように、ななせは言った。
まったく……、と志具。いきなり何を言い出すのかと思えば……。志具は呆れた様子だった。
その言葉を境に、二人の間に沈黙が生まれた。別に険悪になったから、というわけではなく、単に話題がなくなったからだった。
志具は、自分から話題を提示することはあまりないため、一度沈黙に入ってしまうと、それがけっこう長続きする。
しかし、ななせは違うようだ。
会話が途切れてからしばらく、ななせが口を開いた。
「……なぁ、志具。ひとつ、訊きたいことがあるんだけど……」
ふと出てきたななせの言葉。その口調は、真剣な色を宿しており、表情にもそれがにじみ出ていた。
志具はそんな彼女の態度に疑問を感じながらも、「なんだ?」と言葉を返した。
「お前って……マリアのこと、どう思っているんだ?」
「……? どういうことだ?」
質問の意図がわからず、思わず志具は訊き返してしまった。
「言葉通りの意味だよ」
「それがわからないのだが……」
「だから……その…………あ~~、なんて言えばいいんだろうなぁ……」
頭をくしゃくしゃと掻き、ななせが悩み始めた。なにを訊かんとしているのかはわからないが、ななせが言葉を選んでいるということだけはわかる。
こんな彼女を見たことがなかったので、志具がますます訝しく思っていると、
「え~っと……その、なんだ…………。要はマリアの印象だ。どう思っているんだ?」
「印象?」
それを訊かれ、志具はますます奇妙に感じた。なにを訊きたいのかは分かったが、結局のところ、意図までははっきりとわかっていなかったからだ。
「どうしてそんなことを訊くんだ?」
「うるさい。早く答えてくれ。みんなが戻ってくる前に」
つっけんどんに、そう言い返された。
気まずいのか、ななせの頬が若干赤い。志具を見る目は、まるで狙った獲物は逃がさないハンターのような鋭さをもち、真剣さの程が伺い知れた。
志具は奇妙に感じながらも、ななせの放つ有無を言わせぬプレッシャーに押され、言葉を紡いだ。
「マリアは……言ってしまうと、よくできた人間って感じだな」
「よくできた人間?」
ああ、と志具は頷きを入れると、
「良心的で真面目だし、人に好かれやすい性格だなと、私は思っているぞ」
ただ最近、頭のネジが吹っ飛んだみたいに暴走することが多くなっているが……、と志具は言いそうになったが、自制を利かせ、その言葉を溜飲した。
「ほかには?」
「え?」
「だから、他にはないのか?」
ぐいぐいと迫るななせ。
ただでさえ不思議に思っていたが、ここまで食い掛かってくると、さすがに訊かざるを得なかった。
「……どうしたんだ? 君らしくないぞ」
志具のその言葉に、ななせはハッとした顔になった。どうやら、先程まで自制心が効かなくなっていたらしい。途端に、顔を赤くさせると、
「な、なんでもない。なんとなく、訊いてみただけだ」
そう言い、ななせはそっぽを向いた。まるで、紅潮した自分の顔を見られたくない、とばかりの反応だった。
「…………なにか、あったのか? 万条院」
そんな志具の声は、静かでありながら、どこか憂いを帯びたものだった。
今まで、単なる「気のせい」で片づけてしまっていたが、それはどうやら的外れなものだったらしい。
ここ最近のななせのスキンシップが、普段以上にややレベルアップしているように感じていたが、どうにも何かしらの理由があるような気がしてならないのだ。
志具はじっ……とななせを見つめる。
真剣みを帯びた志具の眼に、ななせは口を閉ざす。それは「話す必要はない」という意志ではなく、言おうか言うまいか、考えあぐねているようなものだった。
「……なずなにも言ったけどな。私は……君の助けになれるのなら、協力してやりたいと、そう思っているぞ」
「志具……」
志具の真っ直ぐな眼差しに、ななせは一瞥していた視線を再び逸らした。それはまるで、眩しい太陽から視線を逸らすのに似ていた。あまりにも眩しくて、辛くて目を合わせられないのだ。
志具から視線を逸らし、沈黙するななせ。そんな彼女を、しばらく見つめていると、
「ごめんね、志具君ななせさん。遅くなっちゃって……って、どうかしたの?」
マリアたちが戻ってきた。二人の空気の変化に、敏感に察したようだ。マリアが小首を傾げる。
なずながニタリ、と口の端を緩めると、
「あ~。さては先輩さんたち、夫婦ゲンカでもしてたんですか~? そんな気まずそうな空気つくって」
「なっ、違う! そんなことはないからな!」
志具が慌てて否定する。
しかし、菜乃がなずなに続いた。
「あらあら。志具様の好色ぶりに、いよいよななせ様が怒ったのですか? 志具様、ご機嫌取りをなさらないと……」
「ふ、夫婦ゲンカ……っ! 結婚もしていないのに夫婦っ、げん、かっ……っ!」
酸欠になった金魚のように、口をパクパクと開閉するマリア。表情を硬直させ、わなわなと身体が小刻みに震えていた。
「マリア、落ち着け……っ。万条院、君からもなにか言ってくれ」
藁にもすがる思いで、志具はななせに助力を求める。……が、それがそもそもの間違いだった。ななせは、先程の真剣な表情をなかったことのように平常モードに切り替えると、意味ありげな笑みを浮かべる。
「な~に。あたしたちの将来設計を考えていたところだったのさ」
「し、将来設計⁉ そ、それって……っ!」
「ま、お互いに助け合ってゴールインまで行こう、て話をしてたところだ」
「ご、ゴゴゴゴゴゴ…………っ!」
まるで何かの効果音のような声を発するマリア。頭に血が上っているうえに、唐突な衝撃発言に、マリアの思考が空回りをしているようだった。小刻みに震え、SEのような声を発し続けているその姿は、シュールながら、どこかホラーチックな不気味さを他者に抱かせるには十分だった。
「あの……マリア。とりあえず落ち着け……」
「オチ? オチをつける必要があるのかな? 志具君」
「いや、そういう意味で言ったのではなくてだな……」
駄目だ。今のマリアを落ち着かせる言葉が、考え出すことができない……。
マリアは天ぷらそばが乗ったトレーを机に置くと、幽霊のようにふらふらとした足取りで志具に近づき、彼の両腕をガシッとひっつかむ。
俯かせていた表情を上げると、マリアは……、
「さ、何かいいわけがあるのなら聞くよ?」
にっこりと、何かを吹っ切ったような笑顔を志具に向けた。ただ、両肩に乗っているマリアの手は、ギリギリと志具の肩に圧力を加えていく。言葉としては出していないが、マリアは今、明らかにご機嫌ななめだ。
火事場の馬鹿力、というやつだろうか。こんなときに発揮されているマリアの底力に、志具はある種の戦慄を覚えた。
――勘弁してくれ……。
志具は、諦観の域にまで達した思考に呆れながら、この場をどう切り抜けようかを、考えることにしたのだった。




