第3話 夏休みの予定
コミフェス。それは通称であり、正式名称はコミック・フェスティバルという。コミックとは言っているが、実際にはそれ以外の催しや展示もあるらしい。それが、今週の土曜日から三日間開かれるとのことだ。
「万条院は、知っていたか?」
「耳にした程度にはな。まあ、またにニュースとかにもなってるし」
志具の疑問に、ななせが答えた。
マリアの話によれば、このイベントを目当てに、日本全土から人が集まって来るらしい。
「ニュースになるくらいに大きなイベントなのか?」
「ああ。サブカル関係に造詣が深い人は、まず知っているな」
そうなのか……、と志具。マリアがアニメやゲーム、漫画と言ったサブカルチャーに、のめり込んでいることは知っていたが、そんなイベントがあることはまったく知らなかった。それというのも、これまでの付き合いで、マリアはコミフェスのことを一度も口に出さなかったからだ。
終業式ということもあり、あの後、授業は成績書と夏休みに入るにあたっての諸注意を言われ、終了となった。
それから志具一行は、正門でなずなと合流し、今、帰宅の路に着いているわけだ。ちなみに、なずなにもマリアは、志具たちにした同様の質問をした。なずなもどうやら、コミフェスに関しての知識があったらしく、それに皆が行くことを驚いている様子だったが、最終的になずなも行く意志を見せた。……というか、なずなも前々から興味があったらしく、誘われたことを嬉しがっていた。
「それにしても、水臭いぞ、マリア」
「ふぇ? な、なにが?」
志具の言葉に、マリアは動揺する。コミフェスへの参加を断られるのではないかと、内心びくびくしているらしい。
しかし、そのつもりは志具には一切ない。一度約束した以上はしっかりと守る。そういう義理堅さを、志具は持っていた。
「コミフェスのことだ。ひとりで行くのが嫌だったのなら、誘ってもらえば私はいつでも言ったぞ」
その言葉に、ななせとなずなは目を丸くさせる。「え?」とでも言いたげなリアクションだった。
そんな二人の反応に、志具が首を傾げると、ななせが訊いた。
「志具……。お前、コミフェス会場がどんなところかわかって言っているのか?」
「なんだ、万条院。君は嫌々行くつもりなのか?」
え? とマリアが少し悲しそうに眉を八の字にさせる。ななせはそんな彼女に、そうじゃないさ、と前置きすると、
「あたしももちろん、興味があったから、マリアの誘いに今回乗ったんだ」
ただ……、とななせは言葉を噤む。言っていいものかどうなのか、判断をしかねている様子だった。
どうやら、ななせが何を言わんとしているのか、マリアは理解できたらしい。どこか気まずそうに視線を逸らす。
彼女らの言葉を代弁したのは、なずなだった。
「先輩さんって、コミフェスにどれだけの人が集まるのか、わかってないんですね……」
「人が多く集まることは聞いているぞ」
あっけらかんと言ってのける志具に、なずなは「あ~……」と、志具がどうしてこんなにノンキに言っているのか、納得したような声を漏らした。
その反応に、ますます志具の中では納得がいかなくなっていた。
――なんだ? 自分の理解に間違いがあるというのか?
ななせとなずな、それにマリアにそんなリアクションをされると、志具の内心に、得体のしれない不安が生まれ始めた。
なずなは、そんな志具に言う。
「たぶん……先輩さんが思っている人の多さは、はっきりいって可愛いものだと思いますよ」
「どういう意味だ?」
「お前の想像を、あっけなく超えるだろうっていうことだ」
と、ななせ。
想像を超えるとは、どういうことだ? と志具は考える。志具はせいぜい、どれだけ人が多くても、某世界的に人気なネズミのテーマパークくらいの混雑ぶりだと予想しているのだが……、
――それを……超える?
まさかな、と志具は左右にかぶりを振った。ななせとなずなのことだ。コミフェスのことについて何も知らない自分をからかっているだけだ。不必要に不安を煽り立て、戸惑う私を見て悦に入るという算段なのだろう。その手には乗らない。
と、志具は結論付けた。ななせもなずなも、私をからかうことに慣れているからな、と志具。ただ……今回の場合、マリアもどこか二人に感情移入するようなそぶりを見せていたが、きっと何かの間違いだろう。
そういえば……、と志具。菜乃がまったく会話に入り込んでこなかったな、と思い、彼女のほうを見やると、目が合った。
菜乃は、志具と目が合うと、口元に手を当て、上品に「ふふふ……」と微笑みを漏らした。いったい、何に対しての笑顔なのだろうか……。
志具が不思議がっていると、ななせが口を開いた。
「でも……あれだな。コミフェスだけじゃなくて、もっと他の場所にも行ってみたいよなぁ」
「たとえば、どういう場所ですか?」
「そりゃあやっぱり…………海、とか?」
菜乃の問いかけに、ななせがそう答えた。
海、という単語に、なずなとマリアも食いつく。
「海ですか。いいですねぇ~。そういえば何年も行ったことがない気がします」
キラキラとした目をするなずな。彼女が何年も行けなかった理由が、志具はなんとなしにわかったので、彼女の言葉は思った以上に重たいものに感じられた。まあ、発言した本人は、そんな重たいニュアンスを意図的に含ませたわけでないことはわかるのだが……。
「いいね、海。わたしも行きたいなぁ」
マリアも憧憬を抱くように、そう言った。そういえば志具も久しく、海には行ってないな、と気づいた。プールなら、学校の授業で入ったことがあるが、プールと海では、同じ泳ぐ場所であっても心の持ちようが違う。
「海か……。たしかにいいかもしれないな」
「ほう、珍しい。志具がそんなことを言うなんて……」
「君は……私が何を言おうとしていると思ったんだ?」
「海じゃなくてプールにしようとか言い出しそうだなぁって」
まあ確かに。昔の自分ならば、そんなことを言ってもおかしくはなかっただろう、と志具。……というか、こちらの思考を先読みするようなななせの言葉に、志具は少々驚いた。出会ってから三か月くらいだというのに……。ななせは、人を見る目が、良くも悪くもあるらしい。
すると菜乃が、ふふっ、と微笑みを漏らすと、
「海、ですか……。でしたら、張り切らないといけませんね?」
「なにをだ?」
「み・ず・ぎ♪」
水着。その単語を聞いて、マリアの目が光った。それはまるで、獲物を狙う猛禽類のような、鋭い眼差し。マリアの視線の先には、志具がいた。
臨戦態勢に入ったマリアに、志具は内心、恐怖を感じていた。マリアをさらに焚きつけるように、菜乃が言葉を続ける。
「皆さん、これは志具様に自分をアピールする絶好の機会ですよ。志具様の趣味にかなうような水着をチョイスできれば、好感度が三段階ほど上がるのは確実です」
「いや。そんなに上がらないからな」
勝手なことをベラベラと話す菜乃に、志具はツッコミを入れた。
しかし、
「ほら、聞きましたか? そんなに上がらないということは、『少しくらいなら上がる』という意味を含んだ発言ですよ!」
「いや、それは……」
「あら? まったく上がらないんですか? 志具様」
女性陣一同の視線が、志具に突き刺さる。その視線に異様な圧力を感じ、志具は無言になる。
すると、鬼の首を獲ったと言わんばかりに、菜乃が嬉々と口を開く。
「見てください! これが志具様の答えです! デレますよ。これはデレますよ!」
「で……デレたりなどしない!」
「――というのは建前だということくらい、皆さんはわかっているはずですよね?」
この人は……、と志具は歯を噛みしめる。こちらの発言を、ことごとくまったく別のニュアンスに変えていく。それがわざとなものだから性質が悪い。
「ほほう。志具がデレるのか……。暗デレキャラが濃厚になって来たな」
「先輩さんがデレるとなると、やっぱり『べ、別にあんたのためを思ってやったわけじゃないんだからねっ!』的な台詞を言うようになるんでしょうか?」
「勝手なことを言うな、君たち!」
ななせとなずなの会話が盛り上がる前に、二人の間に割り込んで制止させる志具。……というか、暗デレなる単語は、二人の間で定着しつつあるらしい。
そのことに、志具は危機感を抱いていると、
「し、志具君が……デレっ、……る……⁉」
……ああ、そうだった。
志具は内心でため息をつく。あとひとり、この手の話題になると暴走し始める幼馴染みがいるのだったと、志具は思い出した。
マリアは口をわなわなと震わせ、何か衝撃を受けているようだった。このまま放っておくと、ろくな結果にならないので、志具はどうにかして宥めようと試みる。
「あ、あのな、マリア。私は別に、そういう気はまるでなくてだな……」
「え? まるで……ない……?」
志具の言葉を聞き、マリアは愕然とし、熱で浮かされたようだった表情から一転、まるで身内の不幸を聞いたとばかりのテンションの下げ具合を見せつけた。
そのとき、志具の背後から、刺すような視線が向けられた。振り返ると、そこにはななせと菜乃となずながいたのだが、三人とも示し合せたかのような非難の眼差しを、志具に向けていた。いつものように、何かしらの会話が三人の間でなされていれば、志具としてもツッコみようがあるのだが、無言で辛辣な視線を向けられると、どうすることもできなかった。
ただ……、と志具。自分がとんだ失敗をした、ということくらいはわかった。
「あ~、その……。言い方が悪かったな。私はその……デレるということが今のところないというだけで、君自身のことを嫌っているわけではないんだ。そこのところは、誤解しないでほしい」
「え? 嫌っていない……?」
ああ、と志具は首肯する。これは純粋な、志具の本心だった。
嘘偽りのない言葉だと、志具の真摯な態度から理解したのか、マリアは表情を花咲くように明るくさせると、
「……ということは、志具君はわたしのことが好きってこと⁉」
「え? あ~、その……」
まずい。何か変なスイッチが入ってしまったようだ。
確かに志具は、マリアのことが好きだ。しかし、それはいわゆる、友達としての「好き」であり、マリアが捉えているであろう意味合いの「好き」ではない。
どうにかしてそのことを、マリアを傷つけない程度のやんわりとした言葉で伝えなくてはならない、と志具が言葉を選ぼうとする。しかし、その間にもマリアはひとりで暴走を始めた。
「志具君は、わたしのことが好き……。ということは、学園卒業と同時に結婚式が開かれて、新たな門出を迎えるということ……。白い壁に赤い屋根の一戸建てに、わたしと志具君と子供が十人。子宝に恵まれるのもすべて、志具君が夜な夜なハッスルしてくれたおかげ……。それはいわば、永遠の愛を契りあったゆえに誕生した宝物……」
「ま、マリア……?」
「庭には愛犬のジョニー(オス)が、元野良犬のマルガリータ(メス)と六匹の子犬を育て、温かな家庭を築き上げている。――そう。まるでわたしと志具君のように」
「どうして子犬より人間の子供のほうが多いんだ? ……って、そういうわけではなくてだな!」
思わずノリツッコミを返してしまった志具だったが、どうにかして暴走しているマリアを落ち着かせようと、言葉を考えていると、
「あらあら、志具様。子供を十人も生ませるつもりですか? なかなかの精力ですね」
「先輩さん。やっぱりムッツリスケベなんですね。ベッドの上では狼さんになるんですね?」
「そうだぞ~、なずな。ベッドの上の志具はすごいんだからな。『今夜は寝かせないZO☆』とか言って、様々なシチュエーションに沿ったプレイをだな――――」
「適当なことを言うな、君たちも!」
なんということだ。ここには味方がひとりもいないではないか!
孤軍奮闘せざるを得ないのか、と志具は戦慄するが、かえってそのほうが、肝が据わるような感じがした。
マリアは現在、妄想の世界に自分の意識をトリップさせているらしく、その妄想が言葉として、まるで壊れた蛇口のごとくだだ漏れていた。
なんとかして、彼女の意識を現実に連れ戻さなくては……、と志具は考える。マリアをあまり傷つけず、穏便に解決できる策を……。
「……マリア」
覚悟を決め、志具はマリアに声をかける。
「あ、志具君! わたしたちの未来は、とても明るいよ!」
「いや、そうではなくてだな……」
と、志具が言うと、マリアは表情を曇らせる。余計なことを言われて、不満になったようだ。
しかし、遠慮せずに志具は言うことにする。このままでは、マリアのためにもならないだろうから……。
その……、と志具はチラチラとマリアから視線を逸らし、周辺を見ながら言った。
「……みんなが見ているぞ」
「ふえ⁉」
その言葉に、マリアは反応し、周辺を見渡し始めた。志具の言う通り、奇異な言動をしていたマリアに、道を往来する人々の視線が向けられていた。
それを知るや否や、マリアの顔が一瞬にして茹でダコのように真っ赤になった。どうやら先程まで、人々の視線にまったく気づいていなかったらしい。
マリアは「あ……うぅ……」と意味をなさない声を漏らした後、恥ずかしさで顔を俯かせる。
――よかった……。なんとか落ち着いてくれたみたいだ……。
ホッと安堵の息を吐く志具。その後、羞恥で人の顔が見れなくなっているマリアの肩を軽く叩いて、止まっていた歩みを再開させた。
「さすがだな、志具」
悶着が終わると、ななせが志具の隣まで来て、そんな言葉を口にした。
何が「さすが」なんだ? と志具はジト……と湿った視線を、ななせに向ける。それに対し、ななせは答えず、ふふ~ん♪ と微笑みをするだけだった。
「ま、なにはともあれだ。――明日から夏休みだ。せっかくの長期休暇なんだから、たくさん遊ばないと損ってもんだぞ!」
「そ、そうだよねっ。せっかくなんだから、楽しまないと」
ななせとマリアが意気込んでいる中、志具は何かしらの不安を感じ取っていた。
特にマリア。彼女は最近、やたらと暴走を始めるので、そこに気をつける必要があった。
「どうしたんですか、先輩さん? なんだか浮かない顔をしてますけど」
「いや……。まあ、なんだ。羽目を外し過ぎないように気をつけてほしいな、と思ってな」
「あははっ! もう手遅れなんじゃないんですか?」
なずなの指摘を、志具はもっともだと感じていた。前方を見ると、ななせとマリアが和気あいあいと会話を弾ませている。いがみ合う――というか、マリアが一方的にだが――ことが多い二人だが、時折、息が合うように会話をする。そのことから察するに、お互いに心の底から苦手意識を持っているわけではなさそうだ、ということがわかる。
――まあ、犬猿の仲になるよりはずっとましか……。
気まずい雰囲気をつくられるよりははるかにいい、と志具は感じた。
「志具様も楽しみなのではないですか?」
隣まで接近してきた菜乃が、やや弾んだ声で志具に問いかけた。
まあな、と志具は答える。この一学期、志具は色々と忙しい身になっていた。だからこそ、夏休みの時期くらいは、羽を伸ばしたいと思うのだ。
一か月半の長期休暇に、志具は表情として出さなくとも、女性陣と同様に、心は弾ませていた。




