エピローグ 説教
志具はなずなの兄を担ぎ、留美奈町まで戻り、救急車を呼んで病院まで運んでもらった。ちなみに平屋から町までは、なずなが利用していた彼女のつくった『転送陣』で移動した。金髪の青年が『エデン』の行き来に使用した使い捨ての時間制限があるものではなく、常時効果が発動しているものだった。不正に使用されないように、『転送陣』は平屋のとある一室の押入れに隠されていた。なお、移動先は、なずなが町で暮らす際の住処にしていた古いアパートだった。
救急車で運ばれた先は、先刻の事件でななせが負傷された際に運び込まれた留美奈市民総合病院だ。
志具はなずなとともに、搬送について行った。ちなみに、ななせはついてこなかった。帰宅し、一度菜乃に顔を合わせてくる、ということだ。まあ、たった一日とはいえ、何の連絡もなしに行方不明となってしまった身なので、身内を一刻も早く安心させようとする気持ちはわかったので、志具は止めなかった。
悠里――なずなの兄の名前を、志具はアパートでなずなから聞いていた――の衰弱ぶりに、救急車でやって来た医師はとても不思議そうに首を傾げていた。志具たちに、あまり友好的とは言えない眼差しをチラチラと向けてくる。
そんな医師の反応を、志具には理解できた。おそらく医師はここまで衰弱しているのを、虐待か何かされているのではないかと疑っているのだろう。呪いによって衰弱したなんて本当のことを話したところで、そんなオカルトを信じてもらえるわけがない。何とも歯がゆかった。おまけに志具となずなは、ただ転んで怪我をしたというわけではないほどに傷だらけの様相だった。身体の至る所に包帯が巻かれ、黒く固まった血が白い包帯に滲んでいる。奇妙に思うのも当然というものだろう。唯一救いだったのが、医師がこちらを訊問してくるようなことをしてこず、悠里の容態のほうに気を取られていたことだった。
――この間に、どうにかして言い訳を考えておかないとな……。
警察沙汰になれば、冗談では済まされなくなる。なずなの兄がこうなってしまったことに関しては、なずなは何の罪もないのだから……。
時刻は間もなく朝が明ける時間帯だ。東の空が薄らと青くなっている。一時間もしないうちに、陽が見えることだろう。
そういう時間帯ということもあり、救急車の走りを止める車はおらず、あっという間に病院まで到着した。
タンカーに乗せられ、救急搬送の扉の中へと消えていく悠里。その彼の姿を、志具となずなはじっと見つめていた。
救急車からおりる際、乗車していた医師から「後で訊きたいことがあります」と言われた。その言葉の裏には、逃げないでくださいね、という圧力が込められているようだった。どうやら、完全に疑われているらしい。
しばらくその場に立ち止っていた志具となずなだったが、いつまでもここにいても仕方ないということで、病院の中に入ろうとした…………そのときだ。
病院の駐車場に、一台のパトカーが入ってきたのが見えた。
パトカーの姿を見て、志具の心臓が一段心音を高くさせる。
――まさか、もう通報されたのだろうか……?
別に悪いことをしていないだけに、余計に疑いをかけられると心臓に悪い。
パトカーは適当に空いた駐車スペースに停車すると、中から人がおりてきた。
警官はひとり。助手席からだ。運転手がパトカーの中で待機しているようだ。現れた警官を見て、志具は驚きを隠せず、思わず相手の名前を呼んだ。
「西元さん……!」
「おはようございます、真道さん。最近、よく会いますね」
そう朗らかに語り掛けてきたのは、菜乃の友人であり、警官である西元佳織だった。ただ、警官ではあるが、表沙汰にはされていない『警視庁対魔導資料整理室』という、魔術師側の事件を主に担当している部署に所属している。
同時に、先刻ななせに怪我を負わせ、病院送りにした張本人でもある。そのことは、本人どころか、菜乃やマリアにも内緒にしている。そう、約束を交わした。
「今日は大変な一日を過ごされたみたいですね、真道さん」
「……! 知っているのか?」
「わかりますよ。菜乃ちゃんから連絡が来ましたからね。真道さんとななせさんがいきなりいなくなった、と。菜乃ちゃんと大道寺さん、心配されてましたよ」
なるほど、と志具。そこからおおよそのことを推測したわけか。
佳織は志具の背後にいたなずなへと視線を向けると、
「貴方は……玖珂なずなちゃん、ですね。かつて『東方呪術協会』を統括していた」
どうやら佳織は、なずなのことを知っているらしい。警官という立場、そして魔術師でもある彼女のことだから、何らかの方法で調べたのだろう。
なずなはしばらくして、「……はい」と簡潔に答えた。
「そして……。ここ2~3年、魔術師を相手に暗殺を繰り返していた犯人でもありますね」
「……!」
――西元さんは……知っている!
なずながここ数年の間に犯していた罪のことを。おそらく、彼女が所属する特殊な部署の活動で、調べつくしていたのだろう。なずなのことだけでなく、彼女のこれまでしてきたことも……。
佳織のオブラートに包まない言葉に、なずなは一瞬ピクリと肩を震わせる。……が、腹をくくったように表情を引き締めると、志具の陰から出て、前へと出た。
「……はい」
なずなは言い訳もせず、ただ短くそう答えた。
佳織は「そう……」とそっと瞼を閉じる。今、彼女の頭の中では、様々な考えが巡っているのだろう。
志具はフォローとなる言葉を考えたが、口に出すのは憚られた。何を言っても、無駄だと思ったから……。志具がどれだけなずなを立てるような言葉を言っても、彼女が犯した罪はなくならないのだから……。
なずなをフォローしようとする直情を、志具は理性で押さえつけた。今はただ、佳織の次の言葉を待つ。
時間の流れが、恐ろしく長く感じた。数分くらいしか立っていないというのに、気を緩ませると、脚が震えだすような感じを受けた。それは疲れからか、それとも、別のものからか……。
やがて佳織は、伏せていた瞼を開けた。佳織の瞳には、警官としての義が宿っていた。彼女のその義を宿した瞳は、まっすぐになずなを射抜いていた。
「……魔術師の世界は、表社会と比べると、確かに殺伐としています。『アーティファクト』や新たに生み出された魔術などを巡って闘争は絶えませんし、その中で殺戮も行われています。真道さんと違って、昔から魔術師となるように育てられた貴方には、それがよくわかっているはずですよね」
「……はい」
なずなは答える。余計な言葉は、いっさい言おうとしない。なずなの瞳には、決意と恐怖が入り混じり、揺らいでいた。気を引き締め、自分を奮い立たせても、それでも拭えないものが、そこには宿っていた。
佳織の言葉は、魔術師の世界に足を踏み入れ、まだ日が浅い志具でも、理解することができた。これまでの戦いを振り返れば、彼女の言ったことが、否が応にもわかる。自分も、今でこそひとりとして魔術師を殺めてはいないが、これから先も戦い続けるとなると、ひょっとしたら…………。
ですが、と佳織の言葉は続いた。
「だからと言って、見過ごしていいという理由にはなりません。どれだけ魔術師の世界ではそれが『常識』であったとしても、それで納得してはいけないことです。それが『常識』という『当たり前』になっているからといって、それが『正しい』とは限らないんです」
「はい……」
「私たち『魔導資料整理室』があるのは、相手が魔術師であっても、殺伐とした世界に生きるのが当たり前になっている相手でも、罪を償いさせるためです。歪んだ世界を矯正することが役目なのだと、私は思っています」
佳織の警官の制服についている、『←』のような形をしたバッジが、駐車場を照らす常夜灯の光で反射した。己の存在の意味を示すかのように。
佳織となずな。二人は目を合わせたまま、口を閉じた。ただ、互いに目を逸らそうとはしない。ただじっと、相手の瞳を見つめる……。
やがて、佳織が口元をふっと緩めた。そうして佳織はなずなたちから踵を返すと、病院の中へと入っていこうと歩き始めた。
その想定外な行動に、志具となずなはポカンと口を半開きにさせた。……が、
「……ち、ちょっと待ってください!」
なずなが思わずとばかりに、佳織を呼び止めた。てっきり手錠をかけられるのかと思えば全くそうしなかった佳織の行動に、納得がいかないものがあったのだろう。それは志具も同じだった。
「どうしました、なずなちゃん?」
「どうしました、じゃなくて……その…………。逮捕、しないんですか?」
最期の言葉を言うとき、なずなの声は小さくなっていた。のしかかる自責の念からか、顔を俯かせる。
佳織は振り返る。
「なずなちゃん。貴方が行ってきたことは、先程も言ったように犯罪です。ですが貴方は同時に、犠牲者でもあります。ゲルディ・サイマギレッジに利用され、両親を殺され、兄をも死の淵に追いやろうとされた。その上、魔術組織を解体させられ、事実無根な不名誉を着せられることになった、犠牲者でも……。少なくとも、情状酌量の余地はあると、私は思っています」
ですが……、と佳織は目を鋭く光らせる。
「いくら酌量の余地があるとはいえ、まったく罪に問わない、というわけにはいきません。そういうわけで、それなりの行動制限をさせていただきます。監視人を用意しましてね」
「監視……?」
はい、と佳織は頷く。
「詳しいことは、貴方のお兄さんが目を覚ましてから話します。動けなくても、意識は間もなく回復すると、あの方がおっしゃっていましたし」
「あの方?」
志具が首を傾げる。……が、佳織はふふっ、と薄く笑みを浮かべ、
「ひ・み・つ・です。――さあ、それより急ぎましょう。なずなちゃんも、早くお兄さんに会いたいでしょう?」
そう言うと佳織は、病院の中へと入っていった。
志具となずなは、予想外の出来事に呆然としていたが、やがて顔を見合わせた後、佳織の後についていくことにした。
――◆――◆――
時刻は間もなく、十時を回ろうとしていた。
悠里の精密検査が終わり、彼は個室の病室へと移された。志具となずな、そして佳織は、その部屋に集まっていた。
悠里が眠っているベッドを囲むように、志具たちは椅子に腰かけていた。志具となずなが隣り合い、佳織は向い側にいる。
部屋の窓にはカーテンが閉められていたが、高く昇った太陽の光が、カーテンを透かして部屋の中を照らしていた。
――十時か……。
今日は平日だ。よって学校があるのだが、ななせに電話して休むことを伝えた。なずなと佳織を二人にするのは気が引けたし、なによりなずなのことが心配だったからだ。一日程度なら、後でななせたちからノートを貸してもらえば、授業の内容にも十分追いつけるはずだ。
志具が学校を休むことについて、ななせは深くは追求しなかった。ある程度、理由を察してくれたのだろう。先日、いきなり学校から姿を消した件の言い訳は、彼女がしてくれるはずだ。あいつは自分よりも口が回るからな、と志具。
部屋の中は静かだった。悠里の腕には、栄養の点滴を流す注射針が射し込まれていた。あの平屋にいる際も、なずなが裏ルートで手に入れた点滴を彼に打っていたそうで、よく見ると悠里の腕には、注射痕と思われる傷が見受けられた。
医者は、衰弱した悠里を見て志具たちを疑りの眼差しで見ていたが、それは佳織がフォローをいれてくれた。傍目から聞いていて、よくもまあそんな即席の嘘がつけるものだと感心したほどだ。もしかすると西元さんは、嘘をつくのに慣れているのかもしれない、と志具は失礼ながらそう思ってしまった。
それにしても……、と志具。本当に彼は、ちゃんと目を覚ますのだろうか?
金髪の青年によれば、肉体的な損傷は一切ないとのことだが……。
「……ぅ…………」
そのとき、悠里の指がピクリと動いた。平屋の時よりも、しっかりと……。
「お兄ちゃん!」
なずながガタンと勢い良く立ち上がり、即座に彼に呼びかけをした。
すると、自身の妹の声に導かれるように、悠里の瞼がゆっくりと開き始めた。陽の光が眩しいと感じたのか、目を細めるしぐさを見せたが、目が慣れていき、やがてぼんやりとながら目を覚ました。
「お兄……ちゃ、ん…………」
なずなの眦から、堰を切ったように涙が流れ始めた。滝のように、という表現は、こういうときに使うのだろう。
しかし、志具にはその理由もわかる。なずなは、彼を助けるために必死になっていたのだから。身も心も削り、両手を人の血で染め、泥をかぶるような生き方をしていたのだから……。
悠里は、ぼうっとした様子で泣いているなずなを見つめていた。
何が起きているのか? ここはどこなのか? どうして自分はここにいるのか? わからないことだらけだと、彼の瞳は語っているようだった。
……いや、と志具。もしかすると、彼には泣いている少女が誰なのか、わかっていないのかもしれない。彼女が誰なのか、必死に思い出そうと、悠里の瞳は揺らいでいるようだった。二年という歳月をずっと眠り続け、彼女の顔を一切見なかったのだから、成長した彼女を見てわからないのも無理はないことなのかもしれない。
そんな悠里の瞳が、わずかだが驚きに見開かれた。遠いものとなっていた記憶を呼び覚まし、目の前の少女と重ね合わせたのだろう。その瞳には、彼女が誰なのかわかったという色を宿していた。
「……な……ずな………なのかい…………?」
細く、弱々しげな声で、悠里は実の妹の名前を呼んだ。
「そうだよ……。お兄ちゃん…………」
涙を流し、ヒックヒックと息をつまらせながら、なずなは言った。
ふと志具は視線を感じ、そちらへと目をやると、佳織と目が合った。
彼女が何を言いたいのか理解した志具は、そっと音を立てずに椅子から腰を上げる。そして佳織と一緒に、なずなと悠里に気づかれないように、病室を後にした。
――◆――◆――
志具と佳織はしばらく、部屋の前で待機していたが、やがて部屋の引き戸が引かれると、
「先輩さん。西元さん。もう……大丈夫です。部屋に入ってきても」
なずなが顔を出し、そう言ったので、再び室内に入ることにした。
室内に入ると、悠里が志具と佳織へと視線を移した。身体は起こすことができないが、首だけは動かすことができるらしい。首を向けて志具たちに視線を向けると、
「皆さん、この度は僕の妹が迷惑をかけたようで、申し訳ありませんでした」
なずなから聞かされたのだろう、と志具。
わずかに頷くような動きは、おそらく頭を下げる代わりなのだろう。長く眠っていた彼にしてみれば、精いっぱいの謝罪の示しだった。
黒髪がかった茶髪に、今は弱々しさが強調されてはいるが、もともとは穏やかさのほうが勝っていたのであろう眼。全体的に中性的な印象を受ける容姿をしている悠里。そんな彼に、志具は言った。
「貴方が深く悩む必要はありませんよ。今は自分の体調を戻すことに専念してください」
正直、迷惑をかけられたことは事実だったが、病床に伏せている人間相手に、そのような辛辣な言葉はかけられなかった。
そんな志具の言葉に、悠里は首を軽く左右に振る。
「いえ……。なずなは僕の……さらに言えば玖珂家を再興するために数々の所業をしてきたんです。なら……僕にも責任の一端を背負わないといけない義務があるはずです。僕は……玖珂家の当主となる人間、だったのだから……」
だった、か……。
その言葉で志具は、悠里が何を考えているのか、なんとなしに理解できた。
悠里の紡ぐ言葉は途切れ途切れで細々とした消え入りそうなものだったが、声だけでは決して判断できないような、強靭な意志が感じられた。
これが……二年と眠っていた人間の放てる威厳なのか? 決して表にはならないそれが、志具には信じられなかった。
きっと彼は、根はとても強い人間なのだろう。かつて、玖珂家の当主となり、『東方呪術協会』を束ねていく者となる志をもっていただけに……。
志具が口を閉ざしていると、佳織が一歩前に出、悠里に話しかける。
「玖珂悠里君、でいいですか?」
はい、と悠里は掠れた声で答える。
「そこまで理解しているのでしたら、話は早いです。貴方の妹――なずなちゃんは、幾人もの魔術師を暗殺し、罪を重ねてきました。これは赦されることではありません。かといって、なずなちゃんは『フリーメイソン』に体のいいように利用されていただけというのも事実ですし、本人も反省はしていることから、情状酌量の余地はあります。よって、貴方たちの行動を制限するために、監視を置かせてもらいます」
佳織の言うことを、悠里となずなは粛々と耳を傾ける。先程言ったことは、ここに来る前にも言っていたことだった。
佳織は少し、考えるような仕草を見せると、
「そうですね……。なずなちゃんは、どこで暮らしているんですか?」
「あ……アパートです」
それは、あの『転送陣』で転送したあの部屋のことを言っているのだろう、と志具。暮らせなくはないが、如何せん、古めかしい雰囲気が漂う場所だったことを、志具は憶えている。
ふむ……、と佳織は頷きを見せた。その顔は、何か決定した、とばかりのものだった。
そうして次に紡がれた佳織の言葉に、志具たちは唖然となってしまう。
「それじゃあ……私の住んでいるところに引っ越してもらいましょうか」
「「「…………はい?」」」
三人分の声が異口同音に重なった。
何を言ったのか、しばらく理解できなかったが、その間にも佳織の話は続く。
「私も色々と仕事が忙しい身で、貴方たちの行動を見守ろうにも時間がとれません。だからといって、他の人に代わりを務めてもらうのも、少々不安ですからね。だから、私のところに来てもらいます。一緒に暮らせば、監視もはかどるでしょう?」
「もしかして……貴方の言っていた監視人というのは……」
「私です」
志具の言葉に、佳織は何食わぬ顔でそう言ってのけた。
開いた口が塞がらない。あ然としている志具となずなと悠里に、佳織は不意に真顔になると、
「ちなみに断ると、なずなちゃんには裁判の後、少年院に入ってもらいます。そうなると、もうお兄さんには会えなくなりますが…………さあ、どちらがいいですか?」
完全に退路を塞ぐような発言をした。
どちらがいいですか? と同時に朗らかな笑顔になった佳織だったが、そんな彼女には顔には出さないプレッシャーを雰囲気として放っている。つべこべ言わずついてこい、と空気で語っていた。ある意味、警官に似合うほどの頼りがいのあるものだったが……。
なずなと悠里は顔を見合わせると、
「……わ……わかり、ました…………」
なずなが悠里の意志も代弁してそう言った。
すると、佳織の威圧感も綺麗さっぱりなくなり、純粋な笑顔となると、
「よかったぁ……。断られたら下手したら死刑でしたよ♪ それじゃあ私、色々と手続きをしてきますので。――あっ、そうそう。あとで私の家を教えるから、なずなちゃんはちゃんとここに残っていてくださいね」
言うだけ言うと、佳織は席を立ち、部屋を退室した。
ポカン……、と残された一行は目を真ん丸に開けていた。あまりにも唐突だったので、思考が空回りしていた。
「…………えっと、よかったんです、かね……」
なずながフリーズした思考から紡ぎ出した言葉を、口に出す。
志具は「あ~……」と頬をポリポリ掻きながら、
「まあ……あの人がそう言っているのだから、いいのではないか?」
とても志具には、自分が口出しできるようなことではないだろうと思っていた。佳織がああ言っているのだから、それを信じることにしよう。
「真道君」
悠里が、志具のことを呼ぶ。
「君には……特に迷惑をかけてしまったようだね。本当に……ごめん。謝って、済む問題ではないことは……わかっているけど……」
悠里の言葉に、なずなは胸が締め付けられているような悲痛な顔をしていた。自分が犯した罪のせいで、兄にそんな言葉を言わせてしまうことが辛いのだろう。
「貴方が謝る必要はありませんよ。本人も反省しているようですし……。ここからの改心は、彼女の今後の行動で判断させてもらいます」
志具の言葉に、悠里は儚く微笑む。心から感謝しているような顔だった。
悠里はなずなに顔を傾けると、
「なずな。いい先輩に出会えたようだね。……でも、その優しさに甘えるばかりでは駄目だよ。今度は……君からそうしないと……」
うん、となずなは素直に頷く。
戦ったときは正直、なずなに対して恐怖を感じていたが、こうしてみると、本当に普通の女の子のように見える。
ただ……、と志具。
――甘やかすばかりでは、やはり駄目だな……。
「……なずな」
志具に呼び掛けに、なずなが振り向く。
志具は真剣な眼差しをもって、彼女に言った。
「今度こそは……道を踏み外すなよ」
一度目の対峙のときは、志具はその後の言葉をかけられなかった。なずなが姿をくらましてしまったから、というのもあるが、結局のところ、自分があまりにも甘すぎたのだ。
だからこそ、今度は釘を刺しておく。これからはもう、行方をくらませることはないだろうが、それでもだ。
なずなは志具の真剣な顔と声に威を感じ、驚いているようだった。……が、くすりと笑みを浮かべると、
「そういえば……先輩さんは、怒ると怖いんでしたね」
「ああ、そうらしいな」
平然と答える志具。本人が自覚できていないところがなおさら怖い。
だから、と志具は言葉を続ける。
「もう、私を怒らせるようなことはするな。怒られている間が吉なのだからな」
ああ……。そう考えると、やっぱり自分は甘いのかもしれないな。――そう志具は思う。
誰かを怒る、叱りつけるというのは、その人が改心してくれるだろうということを信じているからだその人を信じていたから、裏切られた行動をされたときに憤りを感じてしまう。そうして、説教をするのだ。教え説いて、その人の進もうとしていた道を是正してやるのだ。本来説教とは、そういうものだ。感情のおもむくままの言動は、説教ではなく、ただの言葉の暴力。そして、志具の先程の言葉は、それをなずなに知ってもらうための一言だった。
苦言を呈するくらいには、志具はまだ、なずなを見捨ててはいなかった。
なずなは、はい、と志具の言葉を心に刻みつけるように返事をした。
ならば、それを信じることにしよう。
間もなく正午。太陽が頂までのぼり、明るい陽を地上に照らす。
カーテンを透けさせ、隙間から射し込む陽の光は温かく、部屋を満たしていた。
神奇世界のシグムンド 第5章 ――終――
今回で第5章は完結です。
ここまで付き合ってくださった読者の方々、ありがとうございます。
第6章連載開始日は、3月21日、金曜日、18~20時の予定です。この続きからとなりますので、これからも読んでいただけると幸いです。




