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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第5章 リベンジャー
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幕間3 血塗られた道

 悠里は奇跡的に助かった。……いや、「助かった」といっていいものなのだろうか。なずなの兄は、あの悲劇の(とき)から目を覚ましていない。


 儀式の初めての失敗は、玖珂家の内部で不和を生じさせた。もともと、さらなる高みを目指そうと、組織の中でくすぶっていた連中の集い場だった。儀式の失敗をやり玉にあげ、『東方呪術協会』で今までつき従ってきていた同志が、反乱を起こしたのだ。


 事態を鎮静化すべく、なずなの親は統率をはかろうとしたが……結果は散々たるものとなった。あるいは、両親は覚悟の上だったのかもしれない。なずなの両親の命と引き換えに、組織内の暴動は治まった。


 次に彼らの手は、なずなと寝たきりの兄に向かおうとしたが、それは止まった。

なずなの両親の命に免じて、ではない。子供ゆえに、放っておいても勝手にのたれ死ぬだろうと、連中は思ったからだ。ただ、念には念を、というわけで、かつて儀式が行われた場所――留美奈町の山奥にある平屋にある牢獄の中に、なずなたちを閉じ込めた。


 薄暗く、狭い牢屋の中は、なずなの心を不安に掻き立てた。


 同時に感じたのは、怒り。どす黒く、夜闇よりも昏い色をした感情だった。


 彼らは、何もわかっていない。両親が人知れず、組織の威を誇るために、日々研鑽していたことを。彼らの知らないところで、彼らを助けるべく尽力していたことを。


 両親のそんな努力を無いものとし、ただ私腹を肥やしたいがために暴動を起こした連中を、なずなは赦せなかった。


 そしてあの客人。片眼鏡をかけた、レギウスとかいう男を、なずなは赦せなかった。刺し違えてでも、やつを叩き潰したいと、なずなは思った。


 小学生から中学生に上がろうとしている子供が抱くには、あまりにも重く昏い感情だった。……いや。あるいは、感性が敏感になっている年頃だからこそ、そのような感情を強く抱いたのかもしれない。


 しかし、そんななずなの想いも、牢屋の中だけで終わっていた。見回りに来る人間はひとりとしていなかったためだ。こうしてほったらかして餓死させるつもりであることは確実だった。


 時間の経過とともに、なずなは弱っていった。地下であるため、外でどれくらいの時間が経過しているのかわからないことが何より苦痛だった。一週間経過していると言われても、一日しか経過していないと言われても、納得できることだろう。変化のない空間に、何の刺激もないまま閉じ込められることが、どれほどの苦痛を感じることか……。


 人間、食べ物をとらなくてもしばらくは生きていけるが、水がなければ三日もすれば死に絶えてしまう。しかし、当時のなずなはまだ小学六年生ということもあり、そんなことは知らなかった。


 ただわかるのは、徐々に死に逝くような感覚。


 目がかすみ、一ミリも……指の先すらも動かしたくないほどの疲労感。


 ただ、奇妙なことに頭だけはいやにはっきりとしていた。はっきりしている、というよりは、ただひとつの感情だけが浮き立っている、と言えばいいか。水面深くに木の葉が沈む中、ただ一枚の木の葉だけが水面に浮かんでいるような……。


 ただひとつのその感情は、衰弱の中で目がかすみ、はっきりと姿を捉えることができない中でも、彼の存在を気配で感じ取ることで増幅されていた。


 お兄ちゃんを助けたい……。


 彼らに復讐をしたい……。


 それらは別々のものとしてではなく、コインの表裏のようにひとつとなって存在していた。ひとつが成就されることで、もう片方も果たされると。


 陰陽のようなその想いに、なずなが身を焦がしていた……そのときだった。


 牢屋の鉄格子の間から、何かが差し出された。そうされるまで、なずなは近くに人が来ていたことに気づけなかった。


 誰……?


 それは声にならなかった。それほどまでに弱っていたのだ。


 ただ、なずなのそんな声にならない言葉を察したのだろう、その人は言った。


 ――まずは食事を摂りなさい。そして、満足に話せるようになりなさい。


 それは女性の声だった。声色から判断するに、歳はそれほど大人ではないはずだ。その上、聞いたことのない人の声だった。


 考える力すらまともに発揮できないほどに衰弱しきっていたなずなだが、その声を聞いて、まず最初に抱いたのは警戒の念だった。食事の中に毒を忍ばせ、殺そうとしているのではないかと疑ったのだ。このままではいずれ死ぬ運命であることは確かだが、敵の罠に嵌まって死ぬのは嫌だった。それは、なずななりのプライドだった。


 ――わたしは敵じゃないわよ。だからといって、味方でもないけどね。


 どういうこと?


 ――そうねぇ。言ってしまえば、利害の一致する同志ってやつかしら。


 同志……。


 志を共にする、仲間……。


 ――さあ、そんなことはいいから、早く食べなさい。じゃないとアナタ、死ぬわよ?


 なずなは彼女から手渡された紙パックのお茶を手に取り、喉を潤した。砂漠で干からび死のうとしたときに発見したオアシスの水というのは、きっとこういう感動があるのだろう。からからに乾いた喉にお茶が流し込まれ、なずなは思った。身体とともに思考まで干乾びようとしていたところが、自分でも驚くほどに回復していくのが身に染みて感じた。ただ、満足に動けるほどには回復していない。ただ、棺桶に寝転がり、今まさに蓋が閉められようとしていたところを救い出された感覚は受けた。


 時間が経つと、霞んでぼんやりしていた視界が明瞭になっていった。


 そうしてなずなの視線が捉えたのは、自分より1~3歳ほど年上の少女だった。


 上質な絹のように細く滑らかな白髪に、ルビーのように綺麗な丸い瞳をしたその少女は、


「どう? 死の淵から生還した気持ちは?」


 くすりと笑みを浮かべながら、彼女は尋ねた。


「……アナタは?」


 かすれた声で、なずなは訊いた。相手が誰かわからない状態で話すのは、気分のいいものではない。


「わたしはパンドラ。さっきも言ったけど、アナタの敵でもなければ味方でもないわ」


「同志、というわけですか?」


 ええ、とパンドラは首肯した。


 なずなは色々、彼女に問いただしたいことがあった。


 どうして自分を助けたのか?


 自分をどうするつもりなのか?


 何が目的なのか?


 そういった諸々を訊きたかったが、


「さあ、まずは腹ごしらえよ。腹が減っては(いくさ)ができぬっていうしね」


 くぅ~、とか細くも可愛い音が鳴り響いた。それが自分の腹の虫が泣いた音だと気付くまで、なずなは時間を要した。


 ここしばらく、何も食べておらず、腹が鳴ることすらなかったのだが、お茶を流し込んだことで胃腸が動き出したらしい。


 なずなは恥ずかしさから、頬をピンクに染めた。微笑ましそうに見つめてくるパンドラから気を逸らそうと、なずなは彼女から差し出された菓子パンや弁当を食べ始めた。


 いきなり食べ物を流し込まれ、最初は胃腸がびっくりしたが、じきになりを潜め、それからは普通に食すことができた。けっこうな量があったが、ものの十分で完食した。


「どう? 少しは落ち着いたかしら?」


「ええ。おかげさまで何とか……」


 そう答えるなずなの声は、まだパンドラに対して警戒感を解いたものではなかった。


「……それで、アナタの目的は何ですか? ボクを……どうするつもりなんですか?」


「さっきも言ったとおりよ。わたしの同志になってほしいの」


「同志って……アナタはいったい?」


 相手の本心がわからない。どうしてわざわざ、こんなところできて自分をスカウトしに来たのか。危険を冒してまでここに来るくらいなら、自分をここに閉じ込めた彼らを誘ったほうが、よほど賢明な気がするのだが……。


 なずなは疑心暗鬼になっていた。


「わたしは『フリーメイソン』の使者よ」


「『フリーメイソン』……っ!」


 なずなが、相手の正体に不審を抱いているのを見透かしたのか、パンドラはあっさりと自分の所属する組織の名前を明かした。


 それを聞いて、なずなの憤りが蘇る。自分たちを陥れ、あまつさえ利用しようというのか……!


「……まあ、アナタのそんな反応も無理ないかもね。アナタにとってわたしは、陥れた側なんだから」


 パンドラも、そのことに自覚があるみたいだった。


 なおのこと腹が立つ。自覚した上で、さらに利用としようと考えていることに、恥というものを感じていないのか、この人は。


 怒りのあまり、なずなは言葉が出なかった。ただ、純粋な怒りが心の中で荒れ狂い、少しでも刺激を与えれば爆発しかねなかった。鉄格子などなければ、パンドラに掴みかかっていたことだろう。


「でも、勘違いしないでね。わたしはわたしの目的があって、彼に仕えているの。心の底まで彼――ゲルディ・サイマギレッジに仕えているわけではないわ」


「ゲルディ……?」


「あら、知らない? 儀式のときに会っているはずよ」


「あの人はレギウス……」


 と口に出したところで、なずなは勘付いた。ひょっとして、レギウスというのは偽名なんじゃ……、ということを。


「そう。あの人、外ではレギウスって名乗っているのね。まったく、どこまでも卑劣な男……」


 不快そうにそう呟くパンドラ。どうやら彼女は、レギウス……もといゲルディに良い感情を抱いていないらしい。


 しかし、今はそんなことはどうでもよかった。それよりも、訊きたいことがある。


「アナタの目的は何なんですか? ボクに何をさせるつもりですか?」


「悪いけど、秘密よ。ただ、アナタにとってもタメになるとだけ、言っておくわ。もっとも……毒にも薬にもなるけどね」


 毒にも薬にもなる。その言葉の意味に、なずなは気づいていた。


 今回、自分を陥れたのはゲルディとかいう『フリーメイソン』の人間らしい。こうして人を使えるあたり、相当階級の高い役職についているのだろう。パンドラは彼の言うとおりに動いているところから、彼女を通じての仕事は、すべてゲルディの肥やしになると考えていいだろう。


 不快だ。陥れた人間の下につき、手足とならなければいけないなんて……。吐き気がするほど不快だった。


(かたき)を取りたくないの?」


「敵……」


 敵。つまり、ゲルディを討つということ。


 このままパンドラの誘いに乗らなければ、自分はどうなる? それを想像するのは難しくなかった。何の復讐も果たせず、この牢屋の中でミイラとなる最期というのも、なずなは納得できなかった。


 進むも地獄。退くも地獄。


「彼を、助けたくはないの?」


 パンドラの視線の先には、目を覚まそうとしない兄の姿があった。


 衰弱し、今まさに命の灯が消え入りそうになっている悠里。そんな彼の姿を見たとき、なずなの中でカチリと、何かが嵌まる音がした。


 決意が、パズルのピースみたく心にはまる。


 進むのも、退くのも地獄だというのなら……、


「……アナタに協力すればいいんですね?」


「正確には、ゲルディのね。アナタにとって、彼の手足になることは屈辱的なことかもしれないけれど、大義を果たすということを考えれば、あながち悪いことではないはずよ」


 大義を果たす。


 兄を助けるという大義。


 家族の無念を果たすという大義。


 ゲルディに復讐するという、大義……。


「獅子身中の虫のようになれ、ということですか……」


「察しのいい子は好きよ。それで、どうする?」


 パンドラは訊く。自分に協力するか、否かを……。


 これが最初にして最後のチャンスなのだろう。パンドラのめが雄弁に語っていた。


「……わかりました。ボクにも、譲れないものがありますから」


 もう躊躇しなかった。


 パンドラが何をたくらんでいるのかとか、そんなことはどうでもよかった。


 ただ、己の大義のために、なずなは泥を被る覚悟で、彼女の話に乗ることにしたのだ。


 それは十一歳の子供が決断するには、あまりにも重たいものだ。しかし、そうしなければ、先がもうなかったのも事実だった。


 パンドラはにっこりとほほ笑む。それは志を共にする者に向けてのエールのつもりなのだろうか。


「よかった。――それじゃ、これは餞別」


 言うとパンドラは、召喚法を用いて、虚空から何かをとり出した。


 とり出したのは、一振りの日本刀。そしてそれは、なずなにとって見覚えのあるものだった。


「それは……『村正』⁉」


 間違いない。玖珂家に代々受け継がれてきた『アーティファクト』だった。


 しかし、それをどうして彼女がもっていたのだろうか?


 組織が崩壊した後、『東方呪術協会』が保管していた『アーティファクト』はすべて、他の結社・組織に移譲されたはずだが……。


 なずなのリアクションに、パンドラは満足したように笑みを浮かべる。


「これはちゃんとしたオリジナルよ。正真正銘、玖珂家にあったものだからね」


「どうしてアナタが……?」


「アナタが協力してくれるって言ったからよ。だから、友好の印に、これをあげる」


 パンドラはそう言うと、鉄格子の隙間から『村正』をなずなに渡した。


 今まで飾られているのを眺めるしかなかった妖刀が今、自分の両手に乗せられている。


 『村正』は、十一歳の子供がもつには、重たいと感じるほどの重量を持っていた。それは決して、物理的な問題だけでないことは明らかだった。


 玖珂家の矜持を、これから自分は取り戻さなければならないのだ。そのことになずなは、プレッシャーを感じていた。


 だが、自分には譲れないものがある。取り戻さなくてはいけないものがある。すべてを取り戻すことは不可能だが、取り戻せるものが少しでもあるのなら、返してもらうまでだ。


「アナタなら、それを使いこなせるわ」


 パンドラはそう言った。


 兄が儀式の際に抜けなかった『村正』。それをなずなは、鯉口をきり、一思いに力を入れた。


 しゃらん、と驚くほどあっさりと、『村正』の刀身は抜けた。兄がどれだけ頑張っても抜刀できなかったにもかかわらず……。


 どうして自分が、『村正』を抜刀することができたのか、なずなにはわからなかった。ただ、高位の『アーティファクト』は、自我というものをもっており、所有者になるには、『アーティファクト』に認められなければならないということを、なずなは知っていた。


 自分の想いに、『村正』が共感したのだろうか。――思わず、なずなはそう考えてしまう。


「おめでとう、なずなちゃん。――それじゃ、行きましょうか。せっかく手に入れた『アーティファクト』、試してみたいでしょ?」


 試す。その言葉がどういう意味をもっているのか、なずなはわざわざ聞かなくても理解できた。


 反感も覚えなかった。むしろ、これから行うことは、自分の大義を……意志を貫き通すために必要な儀式だと思っていた。


 そう、儀式。血塗られた道を往くための、個人の感情を突き貫いていくための儀式だ。


 パンドラが背を向け、歩き出した。その後ろをなずなは、鉄格子を『村正』で切断し、ついて行く。


 一歩進むごとに、なずなは自分の両手が他人の血で汚れる覚悟を固めていた。


 幾度となく踏まれることで、土は固くなり、やがて道となるように。、なずなは自分の道をつくり上げようとしていた。


 血塗られた、道を――――。


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