第11話 なずなのもとへ……
時刻は零時。日と日を跨ぐ時間帯に、両者の戦いの決着はついた。
志具とイザヤ。彼ら二人の戦いは、人の踏み入らない山奥で繰り広げられたものだったが、それを観戦していた輩がひとりいた。
「へぇ……。今回はイザヤ君の勝ちか……」
金髪の青年――アレイスター・クロウリーは呟き、パチパチとひとり、二人の戦いに拍手を送っていた。拍手は、戦闘により逃げ惑う鳥類や動物たちの騒めきによってかき消され、そう響くことはなかった。
しかし、そんな動物たちの騒めきも、長い夜闇の帳の中へと消える。月明かりと天に広がる星々だけが、山中を照らす淡い明かりとなっていた。
――それにしても……。
クロウリーは思う。真道志具の成長速度には、まったく驚くべきところがあると。こちらの世界に足を踏み入れて、一年どころか半年にも満たないというのに……。
――さすがは『彼』の息子、というわけなのだろうか。
クロウリーは一瞬そう考えるが、すぐに考えを改める。
それだけではない。確かに、魔術師としての素質、技術やキャパシティといったものは、ある程度遺伝に頼るべきところもあるだろうが、その上で胡坐をかいているだけでは、これほどまでの短期間での成長は望めない。
この数か月の間に、密度の高い戦いの渦中に身を投じさせたのが、結果として志具をここまでの魔術師にさせたのだろう。まったく、偶然の産物ではあるが……。
でも……、とクロウリー。真の強者というものは、時の運すらも味方につけるものだ。そして不運や幸運といった価値の不随は、各々がその時その時のTPOで判断するものだ。そう考えると、当人である志具は、ここ最近、自分の身の回りで起きている出来事を、「幸運」などとは思ってはいないだろうが……。
何とも皮肉なことだな、とクロウリーは笑みを漏らした。
そしてクロウリーは考える。これからどうするべきかを。
見届けるべきものは見届けた。この後の成り行きは、はっきりいってクロウリーには興味がなかった。自分の目的はあくまで真道志具の成長過程を見届けることであり、それ以外の出来事は無関心の範疇なのだ。
いつまでも結界が幾重にも張られている危なっかしい場所にいる必要はないと判断したクロウリーは、踵を返そうとした。
「あら。どこに行くつもりなのかしら。クロウリー」
「……」
ああ、そうか……。そういえば「彼女」もいたのだな。
志具とイザヤの戦いに気を奪われていて、すっかり忘れてしまっていた。
クロウリーは声のほうへと振り向く。そこにいたのは、
「久しぶりだね、パンドラ。相変わらず美しくも可愛らしい外見をしている」
「そういうアナタもね。百年以上前からずっとその見た目をしているわ。いい加減飽きないの?」
「いやぁ、それが全然。美男でいることに、飽きが来るはずないじゃないか」
あはは、と笑うクロウリー。そんな彼に、パンドラは「自分で言っちゃうんだ……」と若干引き気味だ。しかし、残念なことに、クロウリーは見た目だけは確かに美男だった。街角を歩けば、衆目の視線が集中することだろう。
実際、それをクロウリーは自覚していた。
「でもモテないじゃない」
「グフォオヲッ!」
パンドラの一言に、クロウリーは大きく身をのけぞらせた。血反吐を吐くのではないか、と思うほどの声を上げながら。
「き、気にしていることを……」
クロウリーは、誰もが認めるであろう美男ではあるが、なぜかモテなかった。……いや、女性に人気があることは確かだ。実際、逆ナンパをされることだってあった。しかし、なぜか、喫茶店で三十分ほど会話をすると、すべての女性が席を立ち、その後二度と会えなくなってしまうのだ。
「アナタの性格の問題なんじゃないの、それ」
一通り話を聞き、パンドラがずばり指摘をした。
歯に物着せぬ一言に、クロウリーはボクサーの拳を顎に直撃を受けたかのようにふらついた。
「まったく……。どうせ『ハーレム築こうZE☆』みたいなこと言って引かれたんでしょ?」
「ぐっ……」
図星だった。
パンドラは呆れかえった様子で、首を左右に振ると、
「アナタの女癖の悪さ、変わってないのね。きっと百年の人類の進化で、アナタの女癖が臭いでわかるようになっているんだわ」
「失礼なっ! ブランドの香水を僕はつけているというのに!」
そういうことを言ってるんじゃないわよ、とパンドラが半眼で睨んできた。
挙句の果てに、パンドラは、はぁ、とため息までつく。散々小馬鹿にされ、クロウリーは、ぐぬぬ……、と歯ぎしりをしていた。
「まったく。こんな建設的じゃない話をするために、アナタに会いに来たわけじゃないっていうのに……」
「へぇ……。それじゃ、どういう話をするつもりで、僕に会いに来たんだい?」
クロウリーは、彼女のの物言いに、目を細めて尋ねる。細めた目は、パンドラのもたらすどんな微小な情報も見逃さぬように、鋭く光っていた。
パンドラも、彼のそんな雰囲気の変化を感じ取ったらしい。ふふっ、と不敵に笑みを漏らして見せる。どこか挑戦的だった。
「志具君……。――あの子に唾をつけてるんですってね、クロウリー」
「わかるかい?」
「わかるわよ。……まあ、ここに来る前に、あの人から情報をもらってたんだけど」
あの人……。ゲルディか、もしくは……。
クロウリーは思考した後、訊いた。
「彼かい? 彼女かい?」
抽象的で名前すら明らかにされていない問いかけだったが、パンドラにはそれだけで十分だったらしい。隠す必要もないと判断したのか、パンドラは言う。
「両方からよ。アナタはゲルディにもクリスにも、素性がわかっちゃってるからねぇ」
「昔の縁ってやつは、なかなか面倒なものだねぇ……」
時々、断ち切りたくなるくらいに……。
そう、クロウリーは思った。長い悠久の時を生きていると、人の縁というものが時折、どうしようもないほどに鬱陶しく感じてしまう。もちろん、感謝するようなこともあるが……。
「その縁の面倒さで、志具君はアナタに目をつけられてるんでしょ?」
「面倒とか言わないでほしいね」
クロウリーは失礼だな、とだとばかりに、肩をすくませた。
そんな彼に、パンドラはもの言いたげな表情をすると、
「そういう割にはアナタ、なかなかあの子を手助けしてあげようとしないじゃない。面倒じゃないって言い張るのなら、少しは助けてあげたら?」
「そうだねぇ……」
パンドラの言い分ももっともだ。
こちらから一方的な期待を寄せているだけでは、相手がただ疎ましく思うだけであろう。たまには、飴となるようなものも用意しないと、懐いてはこない。犬猫は、餌を与えてくれる人間には、噛みつこうとしないものなのだから……。
クロウリーの思案顔を見て、パンドラは顔を顰めさせていた。クロウリーにはわかる。その顔が、「余計なことを教えてしまった」と言っていることが……。
しかしもう遅い。少しでも有力な情報を見逃さすまいと、目を光らせ、耳を研ぎ澄ませていたクロウリーだ。彼女の助言を、クロウリーはありがたく使わせてもらうことにした。
まず真っ先に頭に浮かんだのは、玖珂家の人間である兄のことだった。彼は今、ゲルディの呪いで身を患わせているらしい。クロウリーも「透視」で彼の姿を確認したが、あの様子ではもう一か月ともたないだろう。妹ががんばっているところ、可哀想だが……。
聞けば志具たちは、なずなの先輩であり、彼女の手助けになりたいとのこと。
それらを思い出し、クロウリーは笑みを浮かべる。
「玖珂兄妹も、いつまでもゲルディに首輪をつけられているのは嫌だろうからねぇ」
クロウリーは、パンドラから平屋へと視線を移していた。彼の視界には今、「透視」により平屋の内部がはっきりと見えていた。
大きな和式の部屋に、なずなの兄である悠里とななせ、そしてなずなが閉じ込められている『壺中天』があった。
――全部を全部助けるっていうのも、さすがにサービスが過ぎるか……。
それに、とクロウリー。
最後のおいしいところだけを掻っ攫うのも、なかなかヒーロー的で面白いかもしれない。
「パンドラ。君の助言、感謝するよ」
ウインクをひとつ、挨拶代わりにパンドラに返すと、クロウリーは玖珂家の平屋へと向かって行った。
「アナタとの縁が、あの子にとって吉と出るか凶と出るか……」
クロウリーが向かったのを見届け、パンドラはぼそり、そう呟くのだった。
――◆――◆――
遠方で聞こえていた盛大な音が、聞こえなくなっていた。
――戦いが終わったのか……?
ひとり、平屋に残っていたななせは、勝敗の行方が気になっていた。
気持ちが急き、落ち着かない気分になるのを、ななせは言い聞かせて抑える。
――大丈夫だ。志具なら……あいつに勝ってみせるはずだ。
『エデン』でも志具は、イザヤを負かしていることを、ななせは本人から聞いていた。実際、こうして戻ってきている以上、彼の言っていることは事実なのだろうということがわかる。
勝敗で言えば、志具とイザヤは一勝一敗。五分五分という状況だったが、ななせは確信していた。志具が、あのときよりはるかに強くなっていることを……。
ただ……、とななせ。実のところ、不安要素がまったくないわけではない。
今の志具は、『グラム』が使えない。それだけが不安の種だった。
イザヤが『クラウ・ソラス』を使わないという保証がどこにもない以上、『アーティファクト』を用いた戦いになると、志具が不利になるのは自明の理といえるだろう。
果たして……?
そのとき、引き戸が引かれる音が、ななせの背後から聞こえた。誰かが入ってきたようだ。
「志具か?」
希望を持った、少々弾んだ声であったななせ。しかし、彼女の表情は、部屋に入ってきた人物を見て愕然とする。
「……チッ。いくら志具じゃねえからって、その反応はないだろ……」
「お前……」
ななせは休ませていた身体を一転、臨戦態勢に入らせた。
鋭くイザヤを見やり、今にも噛みつかん勢いであったななせだったが、
「安心しな。戦りあう気はねえよ。俺はあいつとの約束を果たしに来ただけだ」
「約束? ……っていうか、志具はどうしたんだ?」
志具の姿がどこにも見当たらないことを、ななせは内心心配していた。
「大丈夫だよ、殺しちゃいねぇ。……つっても、今すぐに動けるような身体でもないけどな」
だろうな、とななせ。なにせ戦闘だったのだ。イザヤがこうしてここにやって来ている以上、志具がぴんぴんしているとは、ななせも思っていなかった。
とはいえ、イザヤのその言い方だと、どうやら志具は生きているらしい。とりあえず、それだけで今は満足することにしよう。
「……それで、約束っていうのは?」
「だいたいわかってるだろ? なずなのやつを壺から出してやるんだよ。いつの日か志具の野郎が、俺にリベンジを希望する約束でな」
「リベンジ?」
「ああ。わかったら、俺に攻撃してくんなよ。その場合、壺を叩き割るかもしれねーぜ?」
なんて物騒なこと言い出すんだ、こいつは……。
『壺中天』を叩き割ると聞いて、内心ヒヤッとするななせ。『アーティファクト』である『壺中天』が、高いところから落としたくらいで割れるとは到底思えないが……。まあイザヤの場合、『クラウ・ソラス』で真っ二つに両断するのかもしれない。
イザヤはななせに攻撃の意志がないことを察すると、『壺中天』に歩み寄って掴むと、壺に自分の魔力を流し込んでいた。
「……よし、完了」
「え?」
思ったよりあっけなく終了したので、ななせが間の抜けた声を出した。
見た感じ、イザヤが魔力を注ぎ込んだ際に壺が発光したようにしか見えなかったが……。
「『壺中天』は、使用者の魔力が鍵代わりになってるんだよ。使った人間が魔力を注ぐことで、スイッチのオンオフができるんだ」
なるほど……、とななせ。正直、使い方はまったく知らなかった。だからいじることなく、こうして放置していたわけだが。
「これでなずなは出てこられるようになったはず……なんだけどなぁ…………」
イザヤは壺を畳の上に置き、じっと見やる。ななせも『壺中天』を見つめていたが、一向に壺からなずなが出てくる気配がない。
「……おい、出てこないぞ」
「わかってるよ。ひょっとしたら、出入り口から離れちまってるのかもしれねーなぁ」
「出入り口?」
ああ、とイザヤはななせに振り向くと、
「お前、一度中に入ったことがあるんだろ? なら見たことがあると思うけど、出入り口となる地点があって、そこにいねぇと出られないんだよ」
「地点って?」
「壺に吸い込まれたら、まず最初に着地するところ」
あの神殿みたいなところか……、とななせは思い出す。
なずなが今、こうして戻ってこないということは、あの場所にとどまらずに、別の場所にいるからなのだろう。
どうして移動しないといけなかったのか。ななせは、その理由がわかっていた。
「ひょっとしたら、まずいかもしれねーぜ」
「ひょっとしたらどころじゃないだろ!」
ななせは知っている。この壺の中には、ゲルディの飼育した土蜘蛛がいるということを。そしてそれは、ゲルディの采配次第で、彼の意のままに操れるのだということを。
イザヤは言っていた。トカゲの尻尾切りをしに来たと。それらのことを統括し、考えると、導き出される答えは最悪のものしかない。
「おい! 助けに行くぞ!」
「なんで俺が。俺は壺の封印解除を頼まれただけだぜ?」
あくまで手を貸さないというわけか……、とななせは憎らしげにイザヤを睨む。
だからといって、全快していない自分がひとりだけで行くのも危険だ。
ななせがイザヤに突っかかろうと、足を踏み出したときだった。
「待て、万条院!」
部屋の入り口から聞こえてきた声に、ななせは振り返った。
「志具……」
「ほう。えらく早いお帰りで」
ななせは、志具の無事を確認できて、安堵したような声を。
イザヤは、思いのほか復活の早い志具に、感心したような声を出した。
「志具、大丈夫……じゃないよな……」
ななせは志具の身体の傷を見て、そう言った。
志具の全身には、打ち身や擦り傷、切り傷といった数多の傷が刻まれており、衣類もボロ雑巾のごときありさまだった。
「ああ、おかげさまでな。どこぞの荒くれ者にボコボコにされたさ」
「へぇ。そんな物騒なやつがいるとはなぁ、『エデン』の外っていうのも平和じゃねぇんだな」
のうのうと言ってのけるイザヤに、志具は睨む気力さえない様子だった。それは呆れという感情からきているものなのだろう、とななせは推測する。
代わりにななせが、イザヤのことを睨み付けると、
「志具、なずなが……」
なずなの危機的状況であることを伝えようとしたが、志具はすべてを察しているらしい。
「ああ。聞いていた。助けに行くぞ」
「でも……大丈夫なのか?」
ななせは、彼の身体の傷を見て、心配そうな声を出した。正直、今すぐにでも倒れても不思議でないほどの傷の多さだった。
しかし志具は、問題ない、と言ってのけていた。
「そのためにここまできたんだ」
その言葉には、芯の強さが宿っていた。
ちょっとやそっとのことでは折れることのない、屈強な意志が、骨となっていた。
「土をなめるような状況になろうとも……、か」
イザヤがクク、と笑っていた。しかしその笑みは決して、侮蔑のものなかった。
やれるものならやってみろ。――そう、イザヤは言っているようだった。
「ああ。結果でそれを証明するつもりだ」
イザヤのそんな態度に、志具がそう言葉を返していた。
二人の間で何があったのかは知らないが、何か言葉にはできないようなものが、二人の間で出来上がっているようだった。
「志具……。まさか……男好きなのか?」
「……なぜそんな結論になるんだ?」
ななせがなぜそう言ったのか、志具は理解できていないようだった。
まあななせも、冗談で言ったわけだが……。それでも、どこか面白くないものを感じるのは確かだった。
――まあいいや。この埋め合わせはどこかでさせてやるさ。
ななせは勝手に、そう心の中で決定した。
「んじゃ、送り迎えくらいは、俺がしてやるよ」
「……手助けする気はないんじゃないのかよ」
と、ななせは友好的ではないジト目をイザヤに向けた。
「はっ。手助けって程じゃねえよ。なずなを壺から出すっていうのが約束だったからよ、その約束を果たすために、一肌脱いでやるだけだ」
それを手助けするというのではないか、とななせは思ったが、口には出さなかった。
ただ、これだけは確認しておく。
「あたしらを壺に閉じ込めるなよ」
「しねえよ、んなこと。約束をふいにして騙すようなきたねえ真似、俺がするわけねぇだろ。あの野郎じゃあるめぇし」
あの野郎。それが誰を指しているのか、ななせには容易に想像がついた。それ以上、追及はしないことにする。
「七夜」
「んあ?」
志具の言葉に、イザヤは振り返る。面倒くさいから、早く済ませるぞ、とでも言いたげな声だった。
そんなイザヤにかまわず、志具はこう言った。
「信じるからな」
その言葉に、イザヤは少々驚きに目を丸くさせる。……が、すぐに調子を戻したように歯を見せて笑みを浮かべると、
「おうよ」
と、返事をしてみせた。
――やっぱり、何かあったんだな。
どこか清々しい関係になっている志具とイザヤ。その変化をななせは確信した。




