幕間2 悲劇の刻
玖珂家には、代々引き継がれている『アーティファクト』がある。玖珂家の……さらにいえば『東方呪術協会』の頭の座につくためには、その『アーティファクト』に認められ、正式な所有者にならねばならない。これは言わば伝統というものだった。
なずなの兄――玖珂悠里は、中学三年生になったときに、このしきたりを受けることになった。当時、悠里は十四歳。なずなは十一歳だった。
『アーティファクト』――『村正』の正式な後継者となる儀式は、八月三十一日から九月一日の、日をまたぐ真夜中に行われた。ちょうど、悠里が十四歳から十五歳になる節目の時期だった。この日と時間を選んだのは、歳を得ると同時に「責任」という大人になるために必要不可欠なものを体感させるためでもある。
儀式は留美奈町にある山群の奥深くに建てた平屋で行われた。俗世から隔絶するように建てられた家であり、邪魔が入らないように、周囲には結界を二重三重に張っている。万が一、侵入者が現れようとも、発見し、撃退できるように……。
儀式は基本、身内の者だけで行われるのだが、『東方呪術協会』の威厳を見せるために、ごく少数であるが、外部の人間を招き入れることがある。
招き入れる人数は少なくていい。その少数からわざと情報が流させることで、組織の実力を伝播させるのだ。噂というものを操作することで、何も知らない人間にも威厳を感じさせる。それが玖珂家のやりかただ。
招き入れた客人は、あのときはひとりだったことを、なずなは憶えている。他にも人を呼んだのだが、残りのメンバーは急用によりこれなくなったとのことだ。
やってきた客人は、科学者然とした男性だった。
アッシュブロンドの髪に、左目に片眼鏡をかけた怜悧そうな涼しげな容貌。身なりは黒の紳士服で身をつつんでいた。
彼の名前は、レギウス。世界各地で発見される『アーティファクト』の能力分析を行っている、『フリーメイソン』の盟主だという。
なるほど、確かに。幼かったなずなでも、レギウスの賢さのほどが、容姿から見てわかった。
ただ……。彼の炯々と光る紅の鋭い瞳は、人を陥れて愉しもうとしている腹黒さが、見え隠れしているように思えた。それに気づいてしまうのも、幼さゆえの純粋さからだろうと、今になってなずなは思う。
間もなくして、儀式はスタートした。
儀式という大仰な言葉を使ってはいるが、やる内容としては非常にシンプルだ。神棚に祀っている『村正』を手に取り、鞘から刀身を抜けば、儀式は完了となるという、ただそれだけなのだから。
両親と志を共とする同志同朋、なずなと客人。彼らの視線を一身に受けている悠里は、なずなから見ても緊張しているようだった。『村正』を手に取ろうとするその手は、緊張のために強張っており、彼が普段纏っている雰囲気もピリついたものとなっていた。そんな悠里の雰囲気が伝播して、なずなも必要以上に緊張し、心臓の鼓動を早くさせていた。
やがて悠里が、神棚に祀られていた『村正』を手に取った。手に取り、悠里は『村正』の鞘をじっと見つめていた。
たっぷり十秒ほど見つめていた悠里は、やがて決心したようだ。鯉口をきり、『村正』の刀身を抜き払おうと――――――した。
「……え…………?」
思わず、なずなはそんな声を出してしまった。
抜けない。抜けていない。
悠里がいくら刀を鞘から抜こうとしても、まるで接触部が接着剤で固められているかのようにびくともしていなかった。
他の者も、呆気にとられているようだった。うまくいくのが当たり前、という風潮があった分、なおさらだった。
悠里の表情にも、焦りが滲んでいた。今までの苦労が、この瞬間だけのせいで、すべて水泡に帰そうとしていた。
「そんな…………」
必死に鞘から抜こうとしていた悠里は、やがて呆然とした調子で呟いた。
そのときだった。
突如、悠里の身体からどす黒い霧が吹き出し始めたのだ。
目、鼻、口、耳……。身体中の穴という穴から墨のような霧があふれ出す。
「瘴気だと⁉」
誰かがそう叫んだ。瘴気に触れた人間は肉体、精神ともに汚染され、最悪死に至らしめる悪気だ。
でも……、
――どうしてそれがお兄ちゃんに……?
なずなが疑問に感じるが、それに答える人間は誰ひとりとしていない。
悠里の断末魔のような叫びが上がっていた。無差別に放出される瘴気の餌食になりたくないと、集まっていた人たちが腰を抜かしながらも外へと逃げ出す。
「逃げるぞ! なずな!」
切羽詰った声を出すなずなの父親の手に引っ張られ、なずなは否が応にもその場から退散させられる。
手を引きずられながら、なずなは正気に返り、兄へと振り返る。
振り返ると、そこには兄のほかにもうひとり、逃げずに悠里のことを見ている者がいた。招かれていた客人だった。
腰が完全に抜けてしまって逃げ出せないのか?
……いや、そうではない。
わずかに見えた客人――レギウスの横顔。
それは、笑顔だった。口の端をつり上げ、狂気に満ちた喜びを感じているかのような笑みだった。
ククク…………。
兄の断末魔にまぎれて、喉を鳴らすような不快な笑いが混じっていた。
――あの人だ……。
なずなは直感した。
――あの人が、お兄ちゃんを……。
おそらく、なずなが生涯始めて抱いた憎しみの感情だった。それはどす黒く、タールのような粘質をもって、彼女の胸の中に、へばりついていた。
あのときから、ずっと…………。




