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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第5章 リベンジャー
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第6話 エデンからの使者

 日が暮れ、空が茜色から夜闇へと近づいている黒紫色にグラデーションしていた。山奥で、太陽の光を避けるように建てられている玖珂家の隠れ家は、薄暗さで満たされていた。


 季節は間もなく夏へと到達しようとしているというのに、家屋内は肌の表面を撫でるようなうすら寒さが支配していた。その暗さと寒さが、自分の心を冷たく凍てつかせようとしているようで、なずなは癇に障った。


 しかし、自分の行おうとしていることを考えると、この闇と冷たさは、自分自身が招いているというようにも感じられた。


 なずなは和室へと続く戸を引き、室内へと入る。


 それなりに広い部屋だった。……が、いかんせん生活感がまるでない。かつて……『東方呪術協会』を統括していた頃は、同志同胞たちが正座をくみ、頭領の話を聞き、果たすべき使命を聞かされていたものだ。


 それが今では、このざまだ。


 がらんどうの部屋には、薄暗い中にあるためにカビの臭いが鼻に突き、今にも朽ちてしまいそうな幽霊屋敷のような貞操をしていた。


 その広い和室には、布団一式があった。煎餅のように薄くなっているその布団で寝ている青年に、なずなは近づく。


 黒色がかった茶色の髪は手入れが行き届いていないせいで乱れており、身体は病弱さがありありと見て取れるほどに細い。少し抱きしめれば、比喩でも何でもなく折れてしまいそうに感じられるほどに。


 白いを通り越して青く見えるほどの素肌。組織が解体される前からも、青年の素肌は白かったが、今では直視するのが辛いほどになっていた。


 他人であるならば目を背けてしまいそうになるほどの貞操をしている青年だが、なずなはそうしなかった。血の繋がりゆえか、それとも、彼女の心の支えどころが彼のところしかないためか……。


 なずなは、あのときから目を覚まさない自分の兄の身体を、タオルで丹念に拭いていく。その献身さを見る者はおらず、誰にも評価されない。


 だけど、なずなはそれでよかった。兄の汚れた身体を拭くことで、彼女は自分の心を折らさずにしていた。


 自分を真に必要としている、というその情が、小さな身体のなずなを、背骨のように支えていた。


「お兄ちゃん」


 なずなは彼に語り掛ける。兄は聞いていないだろうが、不思議と独り言という認識はなかった。


「もうすぐ……もうすぐですからね。あと少しで、ボクたちは救われるんですよ」


 なずなは語り掛けるように、そう言った。


 今回の仕事がうまく完結できれば、兄にかけられた呪いを解放してくれると、「ある人」が言ってくれた。あの人は魔術師(こちら)側の世界では疎ましく、かつ畏怖の対象とされているが、腕だけは評価できる相手だ。――そう、彼の右腕となって働いている彼女が言っていた。


 正直、なずなも「彼」のことについては耳に挟んでいた。実物をみたことはないが、頭のネジがぶっとんだいかれた男だと。そんな評判を聞いていたので、初めこそは相手の要求を断っていた。


 だが、死に片足どころか首辺りまで浸かっているような兄の病弱な姿を見ると、相手の要求に応える代償として手に入る甘い蜜が、とても魅力的に思えてきたのだ。


 それに……、となずな。


 彼女は、もう心に決めていた。兄を救うためになら、如何なる手段を用いてもいいと。現になずなは、自分の前に立ちはだかった先輩たちにもそう宣言した。


「先輩……」


 そこまで考えたとき、なずなの脳裏に、彼の姿がかすめた。


 クールを気取りながらも実はそうではない、いじりがいがある先輩。


 救いようがないほどに恋愛感情に鈍感な先輩。


 厄介事は面倒だから首を突っ込みたくない、といいながらも、最終的には助けてくれる先輩……。


 あの先輩があの人の息子だと知り、抹殺しろとパンドラを通じて命じられた仕事。


 結局、失敗に終わってしまった。


 自分が敗北したとき、彼が自分に差しのべた手。


 あのときは振り払ってしまったが、あれ以来、どうしてそのようなことをしてしまったのだろうか、ということを考えてしまっていた。それは覚悟を決め、意志を固めた彼女の心の揺れ動きを如実に表していた。そのことに、なずなも自覚していた。自覚、してしまった。


 石のように固めた決意が揺れ動くと、なずなの内心に生まれてはならない思いが生まれてしまった。


 後悔。


 そう、後悔してしまった。自分の心の弱さを、まざまざと見せつけられた気分だった。


 そしてその後悔に気づいたとき、なずなはすべてが手遅れだということを察した。


 彼……いや、彼らと一緒にいた時間。築き上げた信頼がすべて失われたと、思ってしまった。


 退路を彼が用意してくれたにもかかわらず、自分はそれに背を向けてしまったのだ。


 はは……、となずなは力なく笑った。


 すべてが遅いのだ。もう……。

 

 なずなは、そう思った。


 自分に残された道はもう、昏い昏い、底なし沼のようにどこまでも続く闇しかない。


 今回の件だってそうだ。それを無自覚にもそれに気づいていたから、「彼」の与えた仕事をまっとうしようと思ったのではないか……。


「お兄ちゃん……」


 なずなは、目を覚まさない兄を呼ぶ。


 なんのために呼んだのか、なずなにすらわからなかった。ただ、呼ばずにはいられなかった。


 ただ……心が痛く締め付けられた。同時、丹田にたまっていたものが、口に向かって上がっていくような感じを受けた。


 そうして喉もとまでやって来たが、うまく言葉として出てこなかった。それが何を意味している言葉なのか、なずなにはわからなかった。


 ――何を求めているのだろうか、ボクは……。


 自問する。それに対しなずなは、兄を助けたい、と自答する。


 そこで終わったと、なずなは思ったが……どうしてだろう、釈然としない。


 心に引っ掛かりを覚えるなずな。そんな彼女に、ふと突き付けられる次なる問いかけ。


 本当にそれだけ? と――――。


 その自問に、なずなは口を閉ざした。


 言葉が出てこない。……いや、あるはずなのだが、それを己が自覚していなかった。あるいは、認めたくなかったのかもしれない。


 弱い自分を。弱さをさらけ出す自分を……。


 静まり返った部屋で、なずなはやがて、兄の身体を拭き終わる。そうして布団をかぶせ、兄の寝顔をじっと見つめていると、


「見つけた」


 不意に、声が聞こえた。


 背中に突き刺さる猛禽類のような鋭き視線に、なずなは反射的に立ち上がり、振り向いた。


 そこにいたのは青年。ざんばら髪に刃物のような眼、その表情は今、不敵に口の端をつり上げた笑みを浮かべていた。服装は黒を基調とした軍服姿で、細身ながら身の引き締まり具合が容易に想像できた。


 いつからそこにいたのか。


 先程来たばかりなのか。


 それとも、今までずっとそこにいたことに、自分が気づいていなかっただけなのか……。


 いずれにせよ、相手はただものでないことはわかる。この屋敷の周囲には人避けの結界が張られており、侵入者が近づこうものならその者を追い返し、術者にそれを伝えるようにできているからだ。


 その結界を気づかれることなくかいくぐり、ここまでやってくるなんて……。


 なずなは帯刀している『村正』の鯉口に親指を当てる。いざとなれば、いつでも戦闘にとかかれるように。


 臨戦態勢をとるなずなに、侵入者は意に介した様子を見せない。あくまで自分のペースを保ったまま、なずなに語り掛けた。


「よぉ、はじめましてだな。玖珂なずな」


「……アナタは?」


「七夜イザヤ。まあ、あのクソ野郎の部下だと思ってくれていい」


 クソ野郎。それが誰のことを指しているのか、なずなはなんとなしに推測できた。


 仮にも自分の上司であるゲルディのことを「クソ野郎」呼ばわりするイザヤの豪胆さに、なずなは内心驚いた。同時に、ゲルディの素性のほどをうかがい知ることができた。


 ふ~ん、とイザヤはなずなと、彼女の後ろで眠っている彼女の兄に視線を移すと、


「なるほどなぁ……。鬼畜眼鏡が隠そうとしていたのはこれのことだったか……。兄貴をダシにして、『東方呪術協会』を解体。そうして玖珂家を『エデン』外での活動の己の手足とする。んで、用済みとなればゴミ箱ポイ」


「なにを……言っているんですか?」


 あまりにもあっさりと言われたため、なずなはイザヤの言ったことが聞き取れなかった。……いや、聞き取ることを脳が拒絶したのかもしれない……。


「お前さんとそこの兄貴の今後の人生プランだよ。もっとも、あの野郎はそこまでのことは言っていないけどな」


「ならどうして?」


 そこまでのことが言えるのか?


 なずなはそう尋ねた。


 イザヤはふっ、と息を吐くと、


「俺はなんだかんだであいつの手足となって働いている身分だぜ? そばにいる時間が長い分、あの野郎の思考なんて透けて見えるってもんだ」


 それは決して、独りよがりな思考ではないようだ。確信をもって、イザヤは言っているようだということを、なずなは予感する。


 背筋が凍りそうな予感を抱いているなずなに、イザヤは無情な眼光と言葉をぶつけた。


「言っておいてやろうか。――ゲルディの野郎は、お前が考えているほど優しい人間じゃないぜ。……いや、あそこまでいくと、あの野郎を同じ人間としてカテゴライズしていいものかって、本気で思っちまう。あいつは、自分の利益の為なら、ありとあらゆる手段をとるゲス野郎だからな」


 自分の利益のため……。


 それは、なずなも同じだった。玖珂家の再興のために、あらゆるものを犠牲にしてきた。


 玖珂家につき従っていた門下生、両親、兄。


 そして……絆。今まで積み上げてきたものをふいにしてまで、なずなはここまでやってきた。


「……何しにきたんですか?」


 苦い思いを腹底へと下すと、なずなはイザヤにそう尋ねた。


 イザヤは、ふっと不穏な笑みを漏らすと、


「お前さんの口封じ」


 言うとイザヤは虚空から何かをとり出した。「召喚法」と呼ばれる、異空間に保管していた物品をとりだす魔術だ。


 異空間から召喚したそれを見て、なずなは目を見開く。


「それは……」


「ああ、『壺中天』だ」


 不敵に笑うイザヤ。それを見て、彼の考えていることをなずなは理解した。


 直後、なずなはイザヤに向かって疾走する。『壺中天』の発動を食い止めなければならない、という一心からだった。


 だが、


「もうおせえよ」


 イザヤが壺に己の力を注ぎ込む。――直後、『壺中天』が眩い閃光を放ち始めた。


 しまった――!


 そう予感したときには遅かった。なずなの足は畳から離れ、『壺中天』の吸引にされるがままになる。


「悪いな。お前にも譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがあるんだ」


 それがなずなの聞いた最後の言葉だった。


 その言葉を鼓膜に響かせると同時、なずなは『壺中天』の中へと吸い込まれていった。



 ――◆――◆――



 なずなを壺の中に閉じ込めると、イザヤは、ふぅ……、と一仕事終えたとばかりの息を吐いた。


 この『壺中天』は、術者の魔力が発動の鍵となる。魔力を注ぐと、対象のモノを吸い込むまで発動を続け、一度壷の中に閉じ込めると、最初に魔力を注いだ人物が再び魔力を与えないと脱出できないようになっている。所有者の魔力が、文字通り鍵となるのだ。


 イザヤが開放する意志を示さない限り、なずなは未来永劫、『壺中天』の中に閉じ込められたままというわけだ。


 奇襲気味の一撃とはいえ、思った以上に早く用事を終えられたイザヤは、そのまま立ち去ろうとも考えた。だが、ふとなずなの兄が目に留まった。


 どう贔屓目に見ても、後先短いことがわかる。ゲルディのかけた呪いが心身を侵食し、今にも命の灯が消え入りそうになっている。


 ――このままゲルディの野郎の駒にしておくより、ここで息の根を止めてやる方が幸せか……。


 なずなは兄のためにすべてをなげうつ覚悟をしていた。……が、こうして壺の中に閉じ込めた以上、彼女も遅かれ早かれ死に逝くことになるだろう。もしくは、ゲルディの操り人形にされるか……。


 いずれにせよ、兄と出会える機会は、もう失われてしまったというわけだ。


 イザヤはなずなの兄の傍へと寄る。すると、華奢な体躯のほどがなおさらよくわかった。これならば、首の骨をへし折ることなど造作もないことだろう。


 イザヤの手が、かの首へと伸びる。数多の死線を潜り抜け、鍛え抜かれたイザヤならば、片手で済む他愛なさだ。


「…………」


 だが、やめた。


 伸びていた手を引き戻し、立ち上がると、


「やめだやめ。死体蹴りの趣味は、俺は持ち合わせてないからな」


 どうせこのまま放っておいても死ぬんだ。ならば、わざわざ己の手を不必要に汚すような真似はしないほうがいい。


 イザヤはふと、『壺中天』に視線を移す。この壺の中には、ゲルディが丹念に育て上げた土蜘蛛たちの巣窟となっている。ゲルディを通じて、なずなの指示にも従うように躾けられているが、こうして彼女を壺の中に閉じ込めるように、あの外道が命じたことから察するに、なずなを始末するつもりなのだろう。自分の暗黒面を、極力外部にもらさないようにするために、口封じをするつもりなのだろう。


 もっとも、情報というのは完全に操作できるものではない。ゲルディの悪行の数々は、すべてではないとはいえ、外部に大なり小なり流れてしまっている。


 ――まあ、俺にとっちゃ、願ったりかなったりなわけだが……。


 ただ、それが衆知されている影響か、ゲルディに真っ向から喧嘩を売るような輩は少ない。ゲルディの実験サンプルになりたくないからであろう。その気持ちはわからなくはない。厭々ながらも彼の傍らにいるイザヤには、それがよくわかった。


 と、そのとき。イザヤはあることを思い出した。


 ――そういえば、ここには今、あいつがいるんだっけなぁ……。


 あいつ。


 自分を負かした相手が、イザヤの脳裏をかすめた。


 年期でいえば、自分の方が圧倒的に実力は上。……だというのに、そのハンデを乗り越えるほどの成長を遂げつつある王様のことが。


 前回敗北を期したのは、相手が素人だからという油断のせいなのだろうか? ……否、違う。イザヤは、そう確信していた。


 自分は屈強の戦士だ。その自負がある。あるからこそ、油断していたなんていう間の抜けた言い訳を言いたくないし、認めたくなかった。


 あのときの敗北は、全力を出した。その上での結果だ。イザヤは、そう受け止めていた。


 ――あのクソ野郎の言いなり通りに動くのは癪だしな。


 ちょうどいい。自分もあのときの雪辱を晴らしたい気分なんだ。


 時間にも余裕がある。このまま暴れずに戻るというのは、自分の気が収まらない。


 イザヤの口元が歪む。それは狂喜とも、歓喜ともとれる笑み。


「楽しみだ。てめえとまた()りあえるのが……」



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