第5話 変えない意志
山深くにある、木造の平屋。留美奈町から北に行った先にある山群の奥に、それはある。
山奥ということもあり、人が滅多に入り込むことがない、隔絶された場所。仮に物好きが山奥に足を踏み入れたとしても、決してこの平屋にはたどり着けない。家屋を守るように意識逸らしの結界が張られており、近づくものを家屋から遠ざけるようにしているためだ。
木造の平屋は、日の当たらないところに建てられているためか、湿気で屋根の瓦に苔が生えており、年季の程が伺える。
――さすがは、東方呪術協会を牛耳っていた家系の家、といったところか……。
古風かつ厳かな雰囲気を保ち続けている家屋を見て、クロウリーはそう思った。
アレイスター・クロウリーが結界を潜り抜け、平屋の近辺までやって来たのは、今から一時間ほどのことだ。志具とななせの気配が消えたことに気づき、不穏な気配を漂わせていた骨董品級の壺を抱えた白髪の少女を追いかけてきたのだ。遠目からは誰なのかわからなかったが、今ではわかる。
――まさか、あいつの片割れが絡んできているとはな……。
クロウリーは苦笑いを浮かべる。何が目的で、今回の件に絡んでいるのかまではしらない。……が、どうせパンドラのことだ。半分は遊び感覚なのだろう、ということは、薄々勘付いていた。
正直、志具の息の根を止めるところまで暴れられたら困るが、彼の力を底上げする障害となる程度なら、むしろ歓迎だった。
そう。志具には今以上に力をつけてもらわないと困る。後々来るであろうビッグイベントのためにも……。
――何より志具君は、彼の息子だからな……。
自分の期待を裏切るような真似はしないだろう、とクロウリー。そのためにも彼には、今回の壁も、乗り越えてもらわねばならない。これからのことも考えると、ここでパンドラと衝突したのは、むしろ好機ととらえてもいいかもしれない……。
――まあ、乗り越えなければ、すべては水泡に帰すことになるんだけど……。
さて、彼はどうなるか……。
クロウリーは目を凝らし始める。すると、彼にとって邪魔となる障害物が、クロウリーの視界から消えていく。
群生している木々や建物の壁……。あらゆる邪魔モノが消え、やがてそれは、物理的な障壁はおろか、魔術的な壁すらも透過する。
そうして……視えた。
自分が唾をつけようとしている少年とその自称許嫁。それとパンドラが……。
――◆――◆――
「……ん?」
睨み合い、硬直していた志具とななせ、そしてパンドラ。肌がピリピリと痺れるような緊迫した空気が満たされていたとき、ふとパンドラが怪訝に天井を見上げた。
その隙を狙い、先に動いたのは志具とななせだ。
ななせは『桜紅華』の切っ先に炎の弾丸を練り上げると、それをパンドラめがけて放った。
「――はあぁ――っ!」
裂帛の咆哮と同時に放たれた紅蓮の炎に、パンドラは反応する。
「おっと!」
パンドラは目を丸くさせる。……が、見た目以上に驚いている様子ではなかった。それはその後の所作を見れば、一目瞭然だった。
パンドラは落ち着いた様子で片方の手のひらを掌底するように突き出した。手のひらに当たろうとした直後、ななせの炎弾は壁に当たったかのような激突音とともに四方八方に火の粉となって飛び散ると、やがて雲散霧消した。
「障壁か!」
チッ、とななせは舌打ち。
そんな彼女の意志をかなえようとするかのごとく、志具がパンドラに斬りかかる。
「はぁ――!」
横一文字のフルスイング。鈍い風切り音をあげながら、『グラム』の肉厚の刀身が、パンドラに叩きつけられる――――かに思われた。
「よっと」
パンドラは、『グラム』の刀身にそっと触れる。
直後に響き渡る激突音。避けることもせずに、真っ向から受け止めに入ったパンドラ。志具の手にも、直撃したという確かな感覚が伝わっていた。
しかし、
「なっ……⁉」
「馬鹿な⁉」
志具だけでなく、ななせも声を上げた。
焦る気持ちを表情として出す二人に対し、パンドラはどこか得意気な表情で、笑みを浮かべてみせていた。
志具が放った『グラム』の刀身は、華奢な体躯のパンドラに片手で受け止められていた。多少、床をスライドさせたが、ダメージを負わせたという手ごたえがまるでない。
それどころか、
――『グラム』が反応しない……⁉
『グラム』は魔術師殺しの能力として、触れた対象から魔力を吸収することができる。にもかかわらず、パンドラに触れているというのに、志具は彼女から魔力を吸収しているという感覚が、まるで得られていなかった。
「アナタたちも酷いね。気を逸らした瞬間に攻めてくるんだもの」
変わらない調子でパンドラはそう言った。志具の攻撃が堪えた様子は欠片も感じられない。
「だけど、この攻撃はなかなかのものだよ。とても少し前までは一般人を気取っていたとは思えないほどだ」
だけど……、とパンドラは笑みを濃くする。それは獲物を前にし、目を光らせているハンターの眼だった。
「わたしに届くには、まだまだ。全然足りないわ」
言うとパンドラは、『グラム』を志具に押し返した。少女とは思えないほどの尋常でない怪力で、志具は後方に弾かれる。
体勢を崩し、志具はパンドラを見やる。
彼女が腕を横殴りに振ると同時、身体を浮くほどの轟風が襲ってきた。
「ぐっ……!」
それは自分だけに向けられたものではないようだ。ななせも吹き飛ばされないように踏ん張っていたが、やがて逆らいきれなくなり、志具と同様にステージ端まで吹き飛ばされた。
がっ――! と志具は呻き声。受け身を取ろうにも、轟風で無理やり抑えつけられたため、それも叶わなかった。
一時的に肺からすべて空気を吐かされたのを、風が止むとともに、咳をしながら呼吸を正す。
「万条院、大丈夫か?」
「あ、ああ……。なんとか」
言うとななせは、苦々しい視線をパンドラに向ける。それに次ぐように、志具もパンドラを見やった。
パンドラは、ふぅん……、とひとり頷きを見せると、
「『芭蕉扇』を真似てみたけど、さすがにオリジナルほどの威力はでないか……」
ぶつぶつと、独り言を呟いていた。
だが、静かな空間ということもあってか、ななせが断片的に単語を聞くことができたらしい。
「『芭蕉扇』だと……?」
「あ、さすがはななせちゃん。名前くらいは聞いたことがあるようね」
でも、とパンドラは逆接をつけると、
「悪いけど、全部を話すつもりはないわよ。聞きたかったら力ずくで口を開かせることね」
と、口元に微笑を浮かべた。
それは余裕の笑み。決して自分はアナタたちには負けないという、絶対的な自信からきているものだと、志具は直感した。
実際、志具たちはパンドラに一撃も満足に攻撃を加えられていない。彼女の力量の上限はどれほどのものか想像もつかないが、今のパンドラが手を抜いていることくらいは、志具も短い実戦経験ながら察しがついていた。
ただでさえ手を焼いているというのに、さらなる上があるのだと思うと、気分が絶望的になってしまう。
――いや……。
そこまで思考をしたとき、志具はかぶりを左右に振って、そんな負け犬思考を振り払った。こんなところで気を減退させるわけにはいかない。志具は、自分のやるべきことを思い出し、己の気分を奮い立たせる。
「あら……」
パンドラの視線が志具にとまった。彼の気合いの入れ替わりを敏感に察知したのか……。
パンドラは笑みを一層濃くさせる。まるで面白い玩具を見つけた、とばかりのものだ。
「ひとつ、質問いいかしら?」
と、パンドラ。こちらからの質問には答えるつもりはないくせに、一方的で身勝手な奴だな、と志具は彼女を睨み付ける。
先程とは違う、闘争心に満ちた志具の様に、パンドラはどこか満足したような表情だ。
しかし、彼の非難を受けいれるつもりはないらしく、パンドラは自分の言いたいことを言う。
「アナタたちは、どうしてそこまで、なずなちゃんにこだわるのかしら?」
「どういう意味だ?」
「だって、なずなちゃんはアナタたちにとって敵じゃない。ここまで来たのは、確かになずなちゃんの策略のせいだけれど、アナタたち……特に志具君はあの子のことを気にかけてるみたいだし、どうしてかな~って思ったの」
「前に言ったからな。止めてみせると」
志具は、己の意志を変えなかった。なずなに言った言葉を、パンドラにもぶつけた。
別に意固地になって……退路がないから馬鹿の一つ覚えみたく言っているわけではない。血の通った、自分自身の意志が宿った言葉だった。
パンドラは、ふふっと肩を揺らして笑みを漏らす。
「なずなちゃんからあのときのことは聞いていたけれど、アナタは変える気はないのね。自分の意志を」
ああ、と志具。その瞳は揺らぎがなかった。道を踏み外そうとしている後輩を引き止めるのは、先輩の役目だろうから……。
「けど、それだけなの? アナタがなずなちゃんにこだわるのは」
「それだけで十分だ。私はあいつを……助けたい」
志具はふと、ななせの視線に気づき、彼女に振り向く。ななせは何か、もの言いたげな様子だった。彼女の向ける視線が、どことなく鋭く冷たいもののように感じられるのは、志具の気のせいか……。
なんだ? と志具が短く問いかけると、ななせは「なんでもない」とばかりに視線を逸らした。こんな彼女の姿を、今まで見たことがなかったので、志具が内心で首を傾けていると、
「あははっ。アナタたちって、なかなか面白いわね。いいコンビだと思うわ」
快郎な笑いを、パンドラが上げた。パンドラの視線は、志具からななせへと向けられており、彼女と目が合ったななせは、キッと怒気と羞恥が混ざった視線で睨み付けた。
そんなななせの様子が、ますますパンドラは可笑しかったようだ。笑いを止めようとしない。
はっきりいって隙が多かったのだが、相手が格上だということを志具は知っている。不用意に突っ込んで手痛い反撃を喰らわないとは限らない。ゆえに志具は、ひとり軽快に笑ってみせるパンドラに、冷たい氷のような視線を向けるだけにとどまった。
ななせも、感情に任せてパンドラに突撃をしようとは思っていないようだ。ただ、感情の激の程を示しているように、『桜紅華』の刀身が、紅く燃え上がっていた。
「――ふぅ……。いやぁ、久しぶりに大笑いしたわ。わたしの上司ってほら、馬鹿にすると研究のサンプルにしちゃうような外道さんだから、なかなか笑えないのよねぇ」
ゲルディのことか……、と志具は思った。
確かに、あの頭の大事なネジが何十本と抜けていると思えるくらいに狂っているあの男ならば、その程度のことは息をするようにやってのけてみせそうだ。
「だからと言って、あたしたちを笑いの種にするのは、いただけないけどな」
ななせは、『桜紅華』を青眼に構える。再度戦う準備はできた、という意志の表れなのだろう。
「それもそうね。無駄に怨恨を振りまくのは、確かに不躾だし、下品だわ」
「そう思うのなら、私たちの前に立ちはだかるのをやめてほしいのだがな」
「それはできない相談だわ。なずなちゃんと約束しちゃったし、わたし自身、アナタたちのことをもっと確かめたくなっちゃったし」
言うとパンドラは、犬歯のように尖った歯に己の親指を当て、ピッと薄く皮を裂いた。
裂いた皮膚からは紅い血が出、それが彼女の足元にポタポタと滴る。
何をする気だ? と志具が思った直後、変化は起きた。
地に落ちたパンドラの血が、コポコポとあわ立ち始めたかと思うと、徐々に男性の大人ほどの大きさに肥大化した。初めはただ大きな不定形だったそれは、やがて手足をつくり、人の形へと変化した。
ただ、人の形をしているだけで、目鼻はない。その上、腕かと思われたその手は、刃物と化していた。人間とカマキリが合わさったようなその異形に、志具たちは身構える。
「まあ、即席で造った魔物にしてはいいかな」
自らの血液からつくったそれを見て、パンドラはそのような感想を述べた。
「お前……本当に何者だ? 魔物を召喚して育て、自らの駒とするやつはいるが、一から造り出すやつなんて聞いたことがないぞ」
「さて、何者でしょうねぇ」
取り合うつもりはないようだ。パンドラは得意気に薄く笑みを浮かべ、ついでに軽くウインクしてみせた。
知りたければ力ずくでこい、というわけなのだろう。その意を変えるつもりはないようだ。
志具は『グラム』を正中線に構え、身構える。これ以上、会話をしても無意味なやり取りになるだろう、という考えゆえだった。
その闘気を察したパンドラは、目を三日月に細める。そしてパンドラは、
「このままでも別にいいんだけれど、『アーティファクト』持ちの相手を二人同時に丸腰で相手、というのは、さすがに骨が折れそうなのよね」
そう言った直後、パンドラの両手が眩い輝きを発した。
唐突にやってきた眩しさに、志具とななせは目を思わずつぶる。
――目つぶしか⁉
一瞬、志具はそう思ったが、どうやらそういうつもりではないようだ。眩しさに逆らうように薄く目を開け、光の中を見やる志具。
すると、パンドラの両手に、何かが握られているのが確認できた。
光の中だと剣の形をしているということしかわからなかったが、やがて光が収まると、彼女の召喚したものが何なのかを認識できた。
それは双剣だった。大きさは両方とも同じであるが、一方が闇を塗り固めて造ったと思えるほどの漆黒の刀身をしており、もう一方は眩しいほどの白銀色をしていた。装飾は下品にならない程度に柄の部分に施されていた。
「――⁉ まさかそれって……」
ななせの驚愕した声。
そんな彼女のリアクションに、パンドラはご機嫌かつ得意気に頷くと、
「ええ、そうよ。アナタが思っている通り、これは『干将・莫耶』。……ただ、即席の模造品だけれどね」
「どうしてそれを持ってるんだ」
ななせの双眸は燃えていた。憤りの炎が宿っているかのように。
「アナタには刺激が強すぎたかしらね、ななせちゃん。この雌雄剣は、アナタにとって、なかなか因縁があるものでしょうし」
「……お前、どこまで知っている?」
「どこまででしょうねぇ」
掴みどころなく、パンドラは言ってのける。まるで暖簾に腕押し。雲を素手で掴み取ろうとでもしているようだった。それが傍目から見て、志具は思った。
ななせの驚きぶりから推測するに、おそらくあの夫婦剣は『アーティファクト』なのだろう。それも、彼女にとって縁深いもののようだ。
「お前……っ!」
ななせは眉間にしわを寄せ、激情に身を燃やしているようだ。今にもパンドラに飛びかかろうとしている。感情のおもむくままにそれをしないのは、パンドラの得体のしれなさのためであろう。
「万条院」
志具は彼女の名前を呼ぶ。ななせの炎のような感情を鎮めるために、戒めるように。
短い一言だったが、ななせはハッとした表情になり、目を閉じると、数度大きく呼吸を繰り返した。
深呼吸をし、再び目を開けた彼女の顔は、凛然としたそれに代わっていた。感情に突き動かされていた、先程の顔とは異なっていた。
「志具。ありがとうな」
志具を一瞥し、小さく笑みをつくるななせ。そんな彼女に、志具はこくりと首を縦に振った。
そうして二人は、パンドラと、彼女が生み出した魔物に視線を向けた。
そんな二人に厳しい視線を向けられると、パンドラは言った。
「さあ。第2ラウンド、始めましょう」




