第4話 無限空間
バコン! と、豪快な音と同時に、鉄格子が吹っ飛ばされた。
カランカラン、という金属音が無遠慮に鳴り響き、その音に導かれるように、牢屋から志具とななせが出てきた。
「な? やっぱりうまく言っただろ?」
鉄格子を軽く蹴り、ななせは言った。
なずなが部屋を後にしてから、志具とななせは脱出する手立てを考えていた。
まず、牢屋から脱出するために、鉄格子を壊そうと画策したのだが、牢屋の鉄格子は、普通の鉄格子ではなく、魔術の術式が組み込まれたものだった。そのため、力ずくではもちろんのこと、ななせの『桜紅華』でも、鉄格子を焼き切ることができなかった。
そこでななせが志具に、『「グラム」を使ってみろ』と提案したのだ。
『グラム』は、あらゆる魔術を無効化、吸収する能力を持っているため、難なく壊せると、彼女は考えたのだ。
その結果が、これだ。
無事に鉄格子は破壊され、こうして牢から出ることができた。
――……にしても。
と、志具。昔は願ってもなかなか召喚されなかった『グラム』が、時間を経ていくごとに、自由に出し入れが可能になってきていることに、志具は気づいていた。今ではすっかり、相棒のひとりとなっていることを、志具は内心で頬を緩めていた。
「……にしても、志具。ずいぶんと手慣れたものだな。『グラム』の召喚」
「万条院も、そう思うか?」
ああ、とななせは頷くと、
「『グラム』に少しずつ、認められていっているんだろうな」
『アーティファクト』にもさまざまな種類があるが、より高位のものは自らの意志をもっているということを、前に志具はななせから聞いていた。その意志は言語などの表面的なものに現れることは滅多にないそうなのだが、確かに存在すると。
言葉として『グラム』は、志具に「認めた」と表現することはない。……が、こうして必要なときに呼びかけると、しっかりと現れてくれるというのは、ななせの言ったとおり、「認められた」ということなのだろう。
――こっちの単なる思い上がった考えかもしれないけどな……。
と、志具は思わなくもなかった。しかし、今くらいはその思い上がった考えに浸るのも許されるだろう。
「これから、少しくらいはあたしの背中を任せてやってもいいかもな」
「なんだよ、それは」
「お前だって、いつまでもあたしにおんぶに抱っこされるのはいやだろ? 顔にそう書いてるぜ?」
その言葉に、志具は閉口した。実際、その通りであるため、反論ができない。
……が、
「私がひとりのときは、ひとりで何とかしてみせてるぞ」
エデンでのイザヤ戦や、佳織戦のときのことを思い出しながら、志具は言った。もっとも、後者の方はななせたちに口外していない上に、佳織から内緒にしてほしいと頼まれているがゆえに、隠す必要があるのだが……。
するとななせは、目を丸くさせ、パチクリとさせた。虚を突かれた、とばかりの表情だ。
だが、すぐに口の端を緩めると、
「そうだったな」
それはどこか、哀愁の込められた微笑みに見えた。普段の彼女らしくない表情に、志具のほうも若干驚いた。雛が自力で羽ばたき、大空に舞っていくのを見届ける親鳥の心境にでもなっているのだろうか。
そんな顔も、時間にしてみればたった三秒ほどだった。すぐにななせは、普段の調子に戻すと、
「さ、志具。早いところ、ここから抜け出そうぜ」
「あ、ああ……。そうだな」
そうだ。今はそのことに気を取られている場合ではない。時間的な猶予が少ない今、テキパキと行動をとる必要があった。
地下牢へと続く扉には、鍵がされておらず、ドアノブを捻るだけで難なく開いた。不用心極まりないな、と志具は思ったが、そのおかげで余計な苦労をせずに済んだ。
扉を開くと、薄暗い円筒上の空間が広がっていた。壁や床は石が積み重なって造られたものであり、部屋の中央には、無骨な鉄製の螺旋階段が、はるか上まで伸びていた。見上げると、うっすらと扉が見え、その隙間からわずかに光が漏れていた。
「急ぐぞ」
ななせが先陣を切り、志具はその後に続く。
カンカンと階段を踏むたびに、金属音が鳴り響く。静寂な空間のため、本来なら小さいその音も、やけに大きく響いていた。
――なずなは……気づいていないのだろうか?
自分たちが牢から出たことに、と志具。あの部屋には監視カメラと言ったセキュリティ器具はなかったので、気づかないのも無理はないかもしれない。
……が、それはあくまで一般社会の物差しで測った場合でのことだ。
志具が今いる世界は、科学が支配している一般社会ではなく、世間一般にはオカルトやファンタジーとされている部類のものが当たり前のように存在する魔術師の世界。そう考えると、こうして螺旋階段を上っている今も、監視カメラがないからと言って油断していいものではない。予想を大きく外れた方法で、妨害してくる可能性は、十分にあり得た。
「出口だ!」
ななせの声に、志具は顔を上げる。見れば、だいぶ扉には近づいていた。
それを知ると、志具たちの階段を上る速度が上がった。何事も、目標が近づいているとわかると、ラストスパートをかけたくなるものだ。
ぐんぐんと扉が近づいてくる。螺旋になっている階段を上っていくうちに、目が少し回っていたのも、今では些細なものに思えてきた。
「――着いたぞ」
やがて志具とななせは、扉の前まで到着した。乱れた呼吸を正そうと、その場で停止し、休憩する。
呼吸をある程度落ち着かせると、ななせは扉に耳を当て外の様子を確かめる。
それをじっと見つめる志具。
やがて、
「……向こうには、誰もいないみたいだな。物音ひとつしてない」
と、ななせ。
確かに、ななせのように扉に耳を当てなくとも、外の音は一切聞こえていなかった。
ななせは扉から耳を外すと、ドアノブをカチャカチャと回す。……が、鍵がかかっているらしく、開く気配はない。
「――志具」
振り返り、ななせは言った。
全部を言わずともわかる。『グラム』を使って扉を破壊しろ、と言っているのだと。
わざわざ『グラム』を使わせるのは、魔術に対して警戒をしているのだろう。
志具はコクリと頷くと、手に持っていた『グラム』をフルスイングした。
バッゴオオォォン、と木製の扉は粉砕され、吹っ飛ばされる。それに続くように、志具とななせは、一気に外へと飛び出した。敵が出てきたときに、即座に対応できるよう、気を引き締めて……。
しかし……、
「……あ、あれ?」
ななせがポカンとした声を漏らした。何が起きたのか、わからないといった風に。そして、それは志具も同様だった。
扉を破り、外に飛び出した志具たちの目の前に広がった光景。
それは、円筒状の空間だった。
石を積み上げてできた壁に床、部屋の中央には鉄製の螺旋階段がはるか上まで伸びている。
「これは……」
志具は確信した。この場所は紛れもなく、先程上ったはずの螺旋階段だということを。
だが、わけがわからない。なぜ上った先に、同じ空間が広がっているのか。
志具は後ろを振り返り、破壊した扉の向こう側を見る。
見ると、そこは間違いなく、螺旋階段の頂上だった。
念のために、と志具は階段の頂上からはるか下を見下ろした。薄暗い空間なため、はっきりとは見えない。だが、ぼんやりとした人影が確かに見える。
目を凝らし、それが何なのか視認しようとする志具。
すると、
「……!」
思わず息を呑む志具。その人影は、たった今、自分の後ろにいるななせの姿だったからだ。
どうして後ろにいるななせの姿が、見下ろした視界の先にいるんだ?
わからない。わからな過ぎて、頭がどうにかなりそうだった。常識を逸脱したありえないことが起きると、こうまで頭の中が思考停止に陥るものなのか……。
「――ふふっ。どう? びっくりしたかしら?」
不意に、そんな女性の声が聞こえた。
ななせのものではない、ということに気づいた志具は、ほとんど反射的に振り返った。
事態に呆気にとられていたななせも、女性のその声で正気に返ったらしい。声のした方へと振り向いていた。
志具とななせの視線の先。そこにいたのは、自分たちとさほど歳が変わらないであろう白髪の少女だった。
白髪の少女は、志具たちの反応を満足げな様子だ。口元を緩めていた。
ななせは即座に『桜紅華』を召喚し、臨戦態勢に移る。志具も、『グラム』をもつ手に、力を込めた。どこからともなく現れた相手に、とてもではないが気を許せるわけがなかった。
そんな二人の様子を見て、白髪の少女は可笑しいとばかりに笑った。
「ふふっ、血気盛んなのね、アナタたちって。だけど、それも過ぎるとね、ただ得体のしれない恐怖を前に、腰を抜かせているようにしか見えないわよ」
「……君は何者だ? どこから現れた?」
厳しい眼光をもって、志具はできるだけ冷静さを装った声色で問うた。
「質問はひとつずつにしてほしいわね。そうやって立て続けに問いただそうとするのは、やっぱり余裕がないからかしら?」
そのとき、ななせが『桜紅華』の先端から火炎弾を放った。しかしそれは、白髪の少女を狙ったものではない。彼女の脇から一メートルほど離れた場所を通り過ぎ、壁に直撃。爆散した。
一瞬、薄暗い空間が朱色の光で満たされる。……が、火炎弾がなくなると再び陰鬱とした薄暗さに戻った。
「答えろって言ってるんだ」
ただ一言、ななせは魔剣の切っ先を少女に向けて、そう言った。
先程の攻撃は、ちょっとした忠告……否、警告の類だったのだろう。質問に答えなければ、さっきの火炎弾が、今度は直撃するぞ、という……。
突然の攻撃に、しかし白髪の少女は怖気づいた様子を見せなかった。むしろ、より一層笑みを深めた。
「どうやら、アナタよりもそちらの男の子のほうが、よほど落ち着いているようね」
挑発じみた白髪の少女の言葉に、ななせは目の鋭さをより強くする。それに白髪の少女は、ふふっ、と短く笑みを漏らすと、
「……まあ、おちょくるのもこれくらいにしておきましょうか。これ以上からかうと、わたしも痛い目を見そうだしね」
そう前置きすると、今度こそ少女は己の名前を口にする。
「わたしはパンドラ。『フリー・メイソン』の盟主、ゲルディ・サイマギレッジの側についているわ」
ゲルディの名前を聞き、志具は気づいた。この少女こそ、なずなの言っていた付き人というやつなのだと。
「なるほど。お前がそうか」
ななせの目つきが鋭角になる。ゲルディには、色々と辛酸をなめさせられたこともあり、彼の配下にいる人物というだけで、なかなか腸が煮えくり返るような思いになるようだ。
だが、だからといって、ななせは感情の赴くままに突っ込んでいこうとはしない。感情表現が豊かな彼女だが、自分自身にリミッターをかけるくらいには、ななせは大人だった。
それを知っているから、志具もななせを露骨に制御しようとはしない。
「このループ空間をつくったのはお前か?」
「ええ、そうよ。ファミコン時代の横スクロールによくあった、ループステージをイメージしてくつったのだけれど、気に入ってくれたかしら?」
「生憎と、あたしはあの手のループステージは楽しいと思うよりも先に、鬱陶しいとしか思えないタチでな」
「あら、残念」
と、パンドラ。だが、そんな不快そうなリアクションを取られても、彼女はどこか満足そうだった。
「パンドラ……と言ったか? 無駄だとは思うが、一度だけ言うぞ。――この妙な空間から脱出させるつもりは……ないのだな?」
「本当に無駄な質問ね。アナタのそんな要求に従うつもりなら初めからこんな場所、用意しないわ」
でも……、とパンドラは志具を見て目を細める。
「なるほどねぇ……。ゲルディさんも言ってたけど、確かにあの人の面影があるわね」
それは独り言ということもあって、非常に小さな声だった。そのた、一から十まですべて聞き取れたわけではない志具とななせ。
「何のことだ? 面影って」
かろうじて、そこだけ聞き取れた志具。それを問いただそうとするが、
「教えてあげないよ~っだ。わたしの用意した特別ステージを気に入らないなんて言っちゃう子の婿なんかには」
「誰が婿だ……」
志具は頭が痛くなる。果たして、自分とななせのその関係を知っている人は、どれくらいいるのだろうか、割と本格的に心配になってきた。自分の知らないところで、変な話がひとり歩きしているのは、気分が悪い。
「でも、アナタのことはちょっと興味あるかなぁ。というか、わたしがわざわざこういう場を用意したのもそれが理由だし」
「なに?」
「腕試し」
志具の疑問に、パンドラはただ一言、そう言った。
「アナタたちも、いつまでもここにいるのは嫌なんでしょ? だったら、ちょっと遊びましょうよ。まあ、遊びと言っても――」
と、パンドラは志具たちに背を向け、距離を取るべく数歩歩む。
やがて、振り返ったパンドラは、
「――手を抜いたら死んじゃう系だけど」
邪悪な情を宿した微笑みとともに、彼女はそう言った。




