エピローグ 再会は突然に……
「朝か……」
志具がそれに気づいたのは、目を覚ました際に、カーテンの隙間から射し込む陽光のおかげだった。
志具がモヤモヤする頭の中をスッキリさせようとカーテンを両開きすると、眩い陽が、部屋いっぱいに入り込んできた。
光に慣れた眼で空を見上げると、昨日までの鼠色の雲が、嘘のようになくなっていた。澄み渡る蒼穹が、どこまでも続いている。それを見ていると、不思議と志具の心が晴れ渡るようだった。
ふと志具は、腹部に自分の手を当てた。
深夜の戦いで、佳織から受けた怪我が、そこにはある。腹部の出血は、すでに止まっているのだが、傷跡までは完治していなかった。ななせと菜乃には内緒にしているので、この傷を知られたら問い詰められることうけあいだ。幸いなのが、怪我した個所が、ちょうど服に隠れる場所だというところだろうか……。傷口が痛みだすということもないので、傷跡を見られることなく、しらを切り通せば、そのうちなくなるだろう、と志具。
「――っ!」
そのとき、志具は背後から不吉な気配を感じ取った。とっさに脇へと移動すると、
「なに⁉」
と、避けられたことに対して驚愕の声を上げるななせが、視界に入り込んできた。抱き付こうとしていたその両腕は、ものの見事に空振りしていた。
「……何勝手に人の部屋に忍び込んできているんだ、君は」
「許嫁だからだ!」
……ああ、そうだ。
志具にはわかっていた。こんな回答をしてくるだろうなと、薄々勘付いていた。
だから志具は、特にツッコミを入れる気にもなれず、ななせの脇をスルーし、学園の制服を手にする。
「着替えるから、早く出て行ってくれないか」
「なんだよ~。ずいぶんとドライな反応だな、お前は。梅雨のじめじめが性格に憑依でもしたのか?」
ずいぶんと失礼なことを言ってくるやつだ、と志具は内心で呟いた。
「あっ。ごめんごめん。間違えたよ。――元からだったな」
にっこりと笑顔でそんな言葉を返してくるななせ。そろそろ自分は、彼女に拳骨のひとつをお見舞いしても、罰は当たらないのではないか、と思えてくる。
「そうそう。梅雨の湿り気が伝染したようでな。移りたくなかったら早く部屋を出て行ってくれ」
「むぅ……。志具が最近、あたしの扱いに慣れてきているような気がする……」
「聡いな。その通りだ」
あっさり言ってのける志具に、ななせは半眼にし、口をもごもごとさせる。
というか、本当に着替えのときは出て行ってもらわないと困る。普段からそうだが、今日は特にだ。
なぜなら、服を脱げば、あの傷跡を彼女に見せることになってしまう。それだけは避けなくてはならない。
志具は雰囲気で、「早く退場しろ」とななせに圧をかける。それを彼女も気づいているのか、余計に不機嫌になったようだ。
けど、それでいい。ことさら、今回にかけて言えば。
彼の放つ圧に耐え兼ね、ななせが「む~」と唸り出す。
しかし、不意にななせの口の端が緩まると、
「決めた。お前が着替えるまでの間、あたしはここに籠城してやる!」
「なっ――⁉」
自分の予想とは真逆のことをやろうとしているななせに、志具は狼狽の声を上げる。
「そ、そんなの……駄目に決まっているだろう!」
「だって~、志具の態度がそっけないし、絡みたいあたしとしては、もうちょっと気の利いたリアクションが欲しいな~、とか思うんだよ」
「私は芸人ではないぞ!」
「素人でも、キラリと光る才能があるというものさ☆」
ウインクをし、そんなことを言ってくるななせ。もちろん志具は、芸人を目指した覚えは欠片もない。
どうする……、と志具は思考を巡らし、最善の策を見つけ出そうとする。
内心、冷や汗を垂らす志具。
そんな彼が愉快だとばかりに、ななせがニシシ……、と笑いを漏らすと、
「何があったかは知らないけど、それを隠したいんだろ?」
ななせは口元を緩ませながら、ある一点に視線を注ぐ。彼女の視線が自分の腹に向かっていることに、志具は気づくと、驚きに目を見開く。
その表情を見て、ななせは「あっははははは……!」と、ますます愉快だとばかりに笑い出した。
「志具ったら、あたしが後ろにいることに気づかずに、外を見ながら腹をさすっているんだもん。気づかない方がおかしいだろ?」
そんなときから後ろで待機していたのか、こいつは、と志具は驚きを隠せない。
気まずく、志具は彼女から視線を逸らす。どういう言い訳をしようかと、志具は必死に考える。
……が、ななせは腰掛けていたベッドから降りると、
「ま、いいさ。話したくないんならそれでな」
「追及、しないのか?」
「してほしいのか?」
からかい気味の眼を向けて、ななせは言った。
彼女の言葉に、志具は閉口してしまう。
それを答えと受け取ったななせは、ふっ、と息を漏らすと、
「あたしはお前の許嫁だぜ? 話す機会なんて、これからいくらでもあるんだからな。今、空気を気まずくしてまで訊く必要はないってわけさ」
そう言ってのけるななせだが、それはある種の、彼女なりの優しさなのだろう。
それに気づき、志具は申し訳ない、という気持ちと同時、感謝の念を彼女に抱いた。
「万条院……。すまないな」
「謝るくらいなら、話をしてほしいものだけどなぁ」
おちょくるような、ななせ。こういう意地の悪さは、どんなときでも健在のようだ。
志具が口を閉ざしていると、ななせは「冗談だよ」と手を振って部屋を退散しようとする。
……が、部屋を出る際、
「あ、そうそう。もうすぐで朝食ができるみたいだから、早く着替えて降りて来いよ」
菜乃からの伝聞なのだろう。
それだけ言うと、今度こそななせは、志具の部屋を後にした。
――◆――◆――
時刻は八時を回っていた。
西元佳織は、朝早くから出勤し、住宅地の一角にある派出所にいた。
道往く人たちを目で追っていると、
「――佳織君」
とある人物が、派出所の中を覗き見、彼女の名前を呼んだ。
ハッと佳織は身が引き締め、椅子から腰を上げると、ビシッと敬礼をしてみせた。
「お、おはようございます!」
やや声を上ずらせながら。
そんな佳織に、訪問者は笑いを浮かべていた。
佳織だけしかいないことを確かめると、訪問者は所の中に入ってきた。
金髪紅眼の訪問者は、壁にもたれかかり、佳織に声をかける。
「警察官も、なかなか暇なものだね」
「今だけですよ。これから地域のパトロールをする予定もありますし、事件が起きたらてんやわんやなんですから」
それもそうだ、と金髪の青年は笑みを漏らす。
派出所を通り過ぎる人が時折、中にいる佳織たちに「おはようございます」と挨拶をしてくる。佳織も挨拶を返し、金髪の青年も軽く頭を下げる行動を見せた。
「こういうのも仕事の内かな?」
「そうですよ」
と、佳織。
地域の犯罪を減らす抑止力であるのが派出所だ。その働きをすることで、住まう人々の心の負担を、無意識的に軽減することができる。
その結果が、挨拶なのだろうと、佳織は考えていた。
「……佳織君は昨晩、あの子に呼ばれたんだよね。――どうだった?」
人の通りが少なくなったのを見計らい、金髪の青年はそのような話を切り出してきた。
やっぱりその話か……、と佳織。基本的に奔放な性格である彼のことだ。何の用もなしに自分のところに現れるはずがないのだ。
――まあ、そのほうが私も、会いに行く手間が省けるというものですけどね……。
そう思うことにしている佳織だが、どこか寂しいものを感じてしまう。
それを押し殺しながら、佳織は青年に言う。
「悪くないと思いますよ。まだ二か月半程度しか時間が経っていないというのに、あの戦闘能力は素晴らしいものがあります」
「許嫁君が色々と手ほどきをしているみたいだしね。その成果が出ているのかもしれないね」
許嫁……。
ななせのことを思い出すと、佳織の心に、針で刺すような痛みが走った。腕試しとはいえ、病院送りにしたことを、彼女は彼女なりに気にしていた。
「……クロウリーさん」
だからだろうか。
佳織は、青年――アレイスター・クロウリーが志具をどうしようとしているのか、気になっていた。
彼がどうしてそこまで、少年にこだわるのか。
「どうしてだと思う?」
逆にクロウリーが訊いてきた。
だから佳織は、薄々考え付いていた回答を提示してみる。
「あの人の息子だから……ですか?」
「ちょっとだけ正解。だけど、それだけじゃないよ」
やっぱり……、と佳織。
だけど、残りの不正解部分が、今度は気になった。
訊いてみたいが、この青年がそう簡単に白状するとは思えない。青年のこういうところは、数百年前からずっと変わっていない。
「そんなことより、佳織君。今は目先の問題について話したい。――君が殺したあの犯人は、単独であのような事件を起こしていたのかい?」
「表向きには、そうなっています」
ほう……、とクロウリーは感嘆の声。
では裏向きには? と、彼の眼が語っていた。
「亡くなった犯人が斬り落としていた頭部ですが……どうやら、他の人に横流しにされていたようです」
「誰だかわかっているのかな?」
「今はまだ……。ルートが複雑に入り組んでいて、黒幕を洗い出すのに時間がかかっています」
そうか、とクロウリー。
彼の表情は、「犯人はもうわかっているさ」とでも言いたげなものだった。
実を言うと、佳織もおおよその犯人がわかっていた。ただ、彼を犯人に仕立て上げるには、証拠が全然ない上、あったところで易々と手出しできるような場所に、犯人はいない。
「人造人間計画を行うのに、人間の脳はどうしても必要だからね。魔科学をもってしても、脳を一から創り出すのには骨が折れるものだ。実験の高速化をするために、早急にスペアをいくつか準備しておく必要があるんだろうね」
クロウリーは言うと、はるか西の方角を眺める。その先に犯人がいる、とばかりに。
「ご命令でしたら、私がエデンに忍び込みましょうか?」
「う~ん……。君じゃちょっとね……。君に尾行や隠密は似合わないよ」
気持ちは買うけどね、とクロウリー。彼がそう言うのも、登校中の志具たちを尾行していた際、ななせに勘付かれたことを指して言っているのだろう。
魔術師の少女ひとりにすら気づかれる尾行なんて、エデンでは通用しない、とクロウリーは考えているのだ。
ごもっともな意見だったので、佳織は「あう……」と言葉を閉ざした。
「ごめんね。でも、君には君にしかできない任務があるからこそ言ったまでだよ。――計画を実行に移すまで、彼らの動向を見守っているこ、というね」
フォローを入れるつもりなのだろう。クロウリーはそう言った。
それは嬉しい反面、どこか罪悪感のようなものを、佳織は抱いていた。どこか、彼らを裏切っているような気がしてならないのだ。
そんなことはない、と佳織は浮かんだ考えを払いのける。
「とはいえ、何もストーカーのようなことをする必要はないよ。彼らの動向を見守りつつ、ついでにこの町の治安を守っていてほしい。――そのルーン文字にかけて、ね」
クロウリーは、佳織の胸部分に目を向ける。
「↑」のようなマークが入ったバッジが、そこにはつけられていた。
――◆――◆――
菜乃の一件を解決でき、志具の気持ちは少しばかり軽くなっていた。友の悩みを軽減できたことは、素直に嬉しいことだ。
そう。嬉しいこと……なのだが……、
「いい天気ですね、ご主人様」
「…………」
ここは学園。志具の通う教室だ。
自席に座っていた志具に、菜乃は穏やかな笑顔で声をかけてくる。
その笑顔は見ていて安心できるものだったが、ひとつだけ引っ掛かりを覚える個所があった。
「……? どうかなさいましたか? ご主人様」
考えがいきつかない、とばかりに、菜乃は首を傾げるしぐさを見せる。
ご主人様。
その単語に違和感を感じていた志具。自意識過剰なだけなのかもしれないが、菜乃はその単語を必要以上に強調していっているような気がしていてならない。
ななせたちが初めて家にやって来たときも、菜乃は志具のことを「ご主人様」と呼んでいた。……が、むず痒い思いを抱いたので、志具が止めるように指示したのだ。その頼みを、菜乃はこれまでちゃんと守っていてくれていたのだが……、
「……花月。その……なんだ。その言葉を言うのをやめてほしいのだが……」
「何をですか? 『ご主人様』」
今度こそ、確かに菜乃はそのワードを強調した。ふふ、とほほ笑むあたり、どうやら彼女はわざとやっているのではないか、という疑念が生じてきた。
「だからその……ごしゅじ、……というやつだ」
「わかりませんねぇ。はっきりとおっしゃってくださらないと、わたしとしても直しようがありません」
わかってやっていることが確実の菜乃。
くっ……、と志具は苦虫を噛み潰したような表情になった後、
「だから……ご主人様というやつをだ。今まで普通に呼んでいてくれたではないか」
「ですが、志具様はわたしのご主人様ですし、そう呼ばないと主人としての格が……」
「格とかそんなものはどうでもいい。少なくとも、公衆の面前でそういう言葉を言うのをやめてくれ。頼むから……」
先程からクラスメイトの視線が痛いのだ。特に男子は、歴戦の勇者のごとき、鋭い殺気じみた眼光を宿している。女子はどちらかというと、面白そうなことをやっている、という好奇の視線が大半だった。
「あら。ということは、自宅ではご主人様と呼んでもよろしいのですね、『ご主人様』♡」
ドンドン、と壁際にいたクラスメイト(男子)が、壁に拳を叩きつけていた。色々と感情のボルテージが上がりつつあるようだ。
菜乃の理解者であるななせは、二人のやり取りをにんまりした表情で見物していた。手助けする気は、もちろんないのだろう。
そのとき、ドサ……、とカバンを落とす音が聞こえた。そちらへと志具が視線を向けると、
「……し、ぐ、君……? 何を、言わせてイルノ……カナ……?」
呆然自失といった様相で、マリアが通学カバンを床に落としていた。
「マ、マリア……いたのか……?」
「うん。今来たところだよ。――なにかな、志具君? わたしがいたら、何がまずいことでも、あるのかなぁ?」
笑顔になり、志具にずんずんと歩み寄ってくるマリア。
笑顔を見て、ここまで不安な気持ちにさせるマリアのそのオーラに、志具は気圧されていた。
「ご主人様? ご主人様って菜乃さんは言ってたけど、何かのプレイかな? 衆目の中で、ご主人様? ご主人様プレイかな? 志具君、ご主人様プレイの内容を、わたしに、もっと、詳細に、教えて、くれない、かなぁ?」
ゴゴゴゴ……、と地鳴りのような擬音が聞こえそうなマリアに、志具は席を立ち、脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ! 志具君!」
俊敏な志具の動きについてこれなかったマリアは、抗議の声を上げる。……が、すでに志具は教室から出ていったところだった。
――◆――◆――
息を切らして志具がやってきたのは、いつもの高等部棟の屋上だった。静かな場所が好きな志具にしてみれば、朝のこの場所は憩いの場所だった。
乱れていた呼吸も、清涼な風に吹かれ、身体を冷やすと、少しずつ落ち着いてきた。
志具は屋上に取り付けられている簡素な針時計を見やる。時刻は八時十分を指していた。十分もすれば、ここを離れ、教室に戻らないと朝のホームルームに間に合わなくなる。
つかの間の休憩を、志具はベンチに腰掛け、味わうことにする。
瞼を閉じ、静かに呼吸をすると、全身の緊張が解けていくようだった。
鼓膜を震わせるのは、登校している生徒たちの声と、朝練でグラウンドを支配している運動部の人たちの喧騒だった。
思えば、こういう時間は昔と比べて随分と少なくなったような気がする。この二か月半程度の時間の流れは、荒波も同然だった。
今まで凪のように落ち着き、変化のない毎日が、たったそれだけの月日で激変したのだ。
――まあ、自分で望んだ結果でもあるのだろうな。
魔術師の世界に踏み込むと決意したのは、他ならぬ志具本人だった。ななせの一応の制止にもかまわず、志具は激動の時間を生きることを決めたのだ。
だから、文句はないし、後悔する気もなかった。
これからも、突き進むつもりだ。どこまで行けるのかわからないが、自分の選んだ道を、後悔に色取りたくはない。
そう、思った――――、
「随分とノンキにしているんですね」
ドクン、と志具の心音が一段と跳ね上がった。
凪の中にいたと思ったら、足元から何かに突き上げられるような感覚。
あまりにも不意打ちなその声色に、志具は瞼を瞬時に開き、ベンチから飛び退いた。
「あはっ♪ まるでカエルのような動きでしたね。面白かったですよ」
明るく快郎な口調と声色。
本来ならば、喜ぶべきことなのだろう。
しかし、過去の出来事を払しょくできないでいた志具は、その声により、過剰なまでの臨戦態勢をとってしまう。
志具の視線の先。
見慣れていた、栗色のショートカットの髪型。小動物のような、人懐っこさを抱かせるくりくりとした、可愛らしいどんぐり眼。
かつて、志具を慕い、彼にとっても大切な後輩の姿が、そこにはあった。
愕然とする志具に、彼の後輩はにっこりとした笑顔を向け、こう言った。
「――お久しぶりですね、先輩さん♪」
玖珂なずな。
かつて、志具の命を狙った魔術師が、そこにいた。
神奇世界のシグムンド 第4章 ――終――
これにて第4章、完結とします。
ここまで付き合ってくださった読者の皆様、ありがとうございます。
第5章連載開始日は、2014年、1月1日、0時からの予定です。




