第7話 朱色の焔
深夜。草木も眠む丑三つ時。
静寂の帳が下りる時間であるはずなのだが、麻杜町の公園広場では、それを打ち破らんとばかりに、あらゆる音が鳴り響いている。
殺伐とした金属音が静謐を斬り捨て、胸がざわつくような鋭い敵意を上乗せする。
ななせは『桜紅華』を振るい、トンビの仮面の人物に、一太刀浴びせようとする。
……が、攻撃がまるで当たらない。仮面の人物は、その身なりも相まって、まるで影のようだった。実体がないゆえに、斬っても斬っても当たることがない。
流水のごとき柔軟な動きで、ななせの太刀筋を受け流し、回避し、隙をついては拳を叩き入れようとしてくる。
ななせは、唐突に来る拳打に気を配り、伸びてきた拳を『桜紅華』の刀身で表面をなぞるように受け流し、そのついでに刺突を仮面の人物に繰り出す。
幾重にもそういった攻防が繰り広げられ、互いに致命打を与えられていなかった。
ただ……、とななせ。トータル的なダメージ量を考えてみると、自分のほうが劣勢だということを、彼女は察していた。
鳩尾に叩き込まれた拳の一撃が、今もなお生々しいほどに鈍い痛みとして残っている。血液が脈動するごとに、傷元が痛むのだ。気にしないでおこうと努力はするが、脈打つごとに鈍痛が走り、それが時にはななせの動きを緩慢なものとさせていた。
そのとき、仮面の人物がななせから大きくバックステップで距離を取る。このまま突っ込んでいこうかとも考えたななせだが、相手の実力の底が見えていない以上、考えなしに突っ込んでいくのは危険だった。
ななせは『桜紅華』を正中線に構え直す。彼女の瞳には、今もなお燃え尽きぬ炎が宿り、戦う意志が少しも衰えていないことを物語っていた。
「見事だ」
ぼそりと、唐突に仮面の人物は初めて口を開いた。
変声器を使っているのか、敵の声はひどく金属的で機械的な色をしていた。
落ち着いた、感情の起伏が感じられないその声に、ななせは見えない威圧を確かに感じた。
しかし、ここで怖気づくわけにはいかない。巷を賑わせている犯人が……菜乃を苦しめている権化が目の前にいる以上、ななせは敵を討つ必要があった。
「手負いの身であるというのに、それを忍耐し、私と互角に戦い合うとはな」
「そう思うんだったら、大人しくお縄につくぐらいしたらどうだ? 長くやり合えば、お前だって痛手を負うことになることはわかるだろ」
ななせのその言葉に、仮面の人物は、ふっ、とため息混じりの失笑を漏らした。
どうやら、ななせが強がりを言っていることを、あっさりと看破したようだ。
自分の実力の程を……底を見透かされるような失笑に、ななせは憤りを感じたが、喉元まで上って来たそれを、唾とともに奥底にしまい込む。
しかし、『桜紅華』はそんな主の感情を機敏に感じ取ったらしい。ななせが表情として出すそれを、魔剣は燃え滾る紅蓮の炎の勢いで表して見せた。
「今さらだけど、一応確認を取らせてもらう。――最近、この界隈で殺人事件を起こしている犯人は、お前か?」
「答える義理があるとでも思っているのか?」
なるほど……、とななせ。
少なくとも、相手がこちらの質問に答える気はない、ということがわかった。
「よほど痛い目を見たいようだな、トンビ面」
「すでに辛酸をなめている人間が言う言葉か、それは」
愚か者を蔑むような笑みを漏らす、仮面の人物。
身の程をわきまえろ、と言葉の裏に隠された意味を、確かにななせは感じ取った。
次の瞬間、ななせは『桜紅華』の刀身にまとわせている業炎を剣先に一極集中させると、それを弾丸として敵に放った。
不意打ち気味の魔炎の弾丸。
それを仮面の人物は、手のひらに召喚させた朱色の焔で迎えうった。
「なっ――」
ななせは絶句した。
自分が放った炎の弾丸が、敵の手のひらにある焔に吸い込まれていったのを。同時に、かの朱色の焔の勢いが、さらに増したのを。
――あたしの炎を力に還元したのか……っ!
相手の力を無効化するのではなく、自分の力に昇華するのは、可能ではある。……が、相手の魔力を自分の魔力に還元するのは、かなり高度な技術が必要だ。言ってしまえば、強大な実力を誇っている力士のフンドシを穿き、本来の持ち主の実力を丸々トレース、自分の本来の実力に上乗せするようなものである。それを聞けば、どれだけ無謀なことをやってのけたのか、理解できるだろう。
驚愕するななせに、仮面の人物は言う。
「なるほど……。なかなかに素晴らしい力だ。さすがは万条院家の一人娘と言ったところか」
――こいつ……っ! なぜ、自分の名字を知っているんだ⁉
名乗った覚えは皆無だというのに、仮面の人物はあっさりと、ななせの家元がどこなのかを看破してみせた。
『桜紅華』の持ち主だからわかったのだろうか? 『アーティファクト』は、唯一無二の魔導具ゆえ、そこから身元や素性を調べることができる。それでわかったのだろうか……。
しかしそれも、だが……、と敵の逆接の言葉によって、思考を中断せざるを得なくなった。
「私は――――君の上を行く」
発言が終わると同時、仮面の人物はななせに朱色の焔を放った。
受け止めるか? と一瞬考えたが、嫌な予感が脳裏をかすめたために、ななせは回避行動を取る。
かくして、ななせの脇を通り過ぎた朱色の焔は、公園のレンガ塀に直撃した。
レンガ塀は爆散し、欠片と砂埃が公園の敷地外にぶっ飛んだ。街路灯や電柱、公園の向かい側にあった店のフェンスなどにぶち当たり、耳障りな衝撃音がななせの耳朶を打つ。
――なんて威力だ……。
野球ボールほどの小さな火の玉の威力とは思えない。ななせとて火力には自信があったが、敵のそれは更なる上を行っていた。
「ななせ様!」
菜乃の声で、ななせは正面に視線を戻すと、仮面の人物が懐まで飛び込んできていた。
敵の手甲、その両手の指先が、一本一本ナイフのような鋭さをもった刃物に変わっていた。猛禽類のような鉤爪に、ななせは、
「こっの……――っ!」
体勢を後ろに倒れこむように大きく逸らし、一撃目を避けた。
続けて、二撃目が来る!
後方に体勢が崩れていたななせは、両の脚をバネのように弾かせ、後ろに飛び退いた。
足の裏を、敵の鉤爪が掠める。……が、靴の裏に鋭い傷が走るだけで済んだ。ななせは両手を地面につけ、爆転・爆宙をすると、体勢を立て直した。
仮面の人物が、すかさず突っ込んできた。ななせが距離を取って対策を練ろうとするのを阻止するかのように……。
ななせは『桜紅華』を振るい、敵を薙ごうとするが、相手はその魔剣の刀身を、白刃取りで受け止めた。
「くらええええぇぇぇぇ――――‼」
瞬間、敵の身体が炎に包まれる。ななせが猛る感情を『桜紅華』に注ぎ込み、炎の威力を倍加させた。
殺すまではしないつもりだ。ただ、少し痛い目には味わってもらう。――そんな思惑を、ななせは抱いていた。
……のだが、
「……っ!」
仮面の人物は、炎に包まれても、懲りた様を見せつけない。それどころか、
――こいつ……っ! あたしの炎を吸収してる!
白刃取りをしたのはこのためだったのか、とななせは気づく。どうやら仮面の人物は、飛び道具としての炎だけでなく、『桜紅華』に直接触れている炎すらも、自分の力に還元できるようだ。
ななせはすぐに、敵を魔剣から遠ざけようと飛び退こうとする。
しかし、仮面の人物は、華奢な体躯にそぐわないほどの怪力をもって、『桜紅華』を放そうとしない。
ななせの視界が、ぐらりと揺れた。自分の魔力を炎として無尽蔵に吸い取られ、身体が……精神が悲鳴を上げていた。
まずい……っ、とななせは力を込めるが、まるでコンクリートで固められたかのようにびくともしない。『桜紅華』を手放そうかとも考えたが、そうなれば『アーティファクト』が敵の手に渡ることになってしまう。それだけは絶対に避けなくてはならなかった。
なす術もなく、ななせは魔力を吸い取られていく。やがて、足元がふらつくようになったとき、仮面の人物が魔剣の刀身から手を離した。
突然解放され、ななせは数歩後方によろめく。それが隙を見せることになってしまうことは、ななせとて重々承知していた。……が、身体も精神も悲鳴を上げているゆえに、体心移動が満足に行えなくなっていたのだ。
意識を振り絞ろうとするななせ。――だが、
「危ない!」
菜乃の悲鳴にも似た言葉が、ななせの鼓膜を震わせる。
直後、仮面の人物の鉤爪が、ななせの身体を逆袈裟に走った。
飛び散る鮮血。桜の花弁のように舞うそれを、ななせはぼんやりとする意識の中で、見つめていた。
痛みを感じたが、それを声に出すほどの気力は残っていなかった。ただただ、表情だけが驚愕と、敗北を察したものに変わっていた。
自分の身体が、地面に吸い寄せられていく。
やがて背中に鈍痛を感じ取ったのを期に、ななせの意識は現実から切り離された――――。
――◆――◆――
菜乃は、自分が仕える少女が、地面に仰向けに倒れるのを、確かに見た。
ななせの瞼は閉じられ、気力のない表情をしていた。
「ななせさ――!」
ななせ様、と彼女のもとに駆け付けようとした菜乃だが、言葉とともに、その行動はやめざるをえなかった。
トンビの仮面をした人物が、菜乃に向かって視線を投げていた為だ。かの手には、ななせの血で濡れた鉤爪が、ポタポタと滴を垂らしていた。
仮面をしているため、相手の表情が読み取れない。ただ、それだけに不気味な威圧を、感じ取ってしまう。
「……どうして…………」
菜乃はぼそりと呟く。
それは、抑え込んでいた感情が、突発的に出てくるのに似ていた。
「どうして……貴方がこんなことをするんですか……」
幼少時、自分を助けてくれた人が、今回のように自分を苦しめてくるなんて、思ってもいなかった菜乃。
あのとき、自分を助けてくれたのは、単なる気のせいだったのですか? ――そう、菜乃は問いかけずにはいられなかった。
両親を殺され、未知の世界に足を踏み入れざるをえなくなり、そんな自分を救ってくれた彼女が傷つくさまを、こうして見せつけられる…………。
地獄だ。生きているだけに、余計に辛かった。
――いっそのこと自分も、あの鉤爪で首を搔き切ってほしい……。
そう、切に願ってしまう。
その想いを察したかのように、仮面の人物は菜乃に近づく。己の鉤爪で、菜乃の願いを聞き入れてやるかのように……。
菜乃は抵抗の意志がなかった。ないというより、萎えてしまっていた。
これから起きるであろう、己が身の惨劇を、受け入れるかのようだった。
菜乃と仮面の人物。彼我の距離が三メートルほどに差し迫ったとき。
「――っ!」
仮面の人物は、とっさに背後を振り返り、鉤爪を無造作に振るった。
ギン、と金属音が鳴り響く。
鉤爪と交差したものは……『桜紅華』だった。
そして、かの魔剣を握っているのは、
「……ななせ……様…………」
満身創痍である彼女の名を、菜乃は口にした。
這う這うの体同然であるななせ。しかし彼女の眼に宿る意志は、決して折れていなかった。
仮面の人物は、驚いているようだった。表情はわからないが、雰囲気がそう物語っていた。
ななせは何も言わない。一言発するだけのエネルギーすらも、攻撃に転嫁したいという気持ちなのだろうことが、否応にもわかった。
そんな切実な、ななせの攻撃はしかし、鉤爪によって弾かれ、終わった。
再度ななせは、地にひれ伏す。しかし……ななせはまだ、立ち上がろうとしていた。
「…………どうして……」
仮面の人物が、あくまで落ち着き払った声で、ななせに問かけてみせた。
「どうして……そこまでする?」
満身創痍であるにもかかわらず、どうして立ち向かおうとするんだ?
仮面の人物のそんな問いかけに、ななせは言った。
「人助けに、理由はいらないだろ…………」
そう言うと、ななせは限界を迎えたように、地面に伏した。
仮面の人物は、じっ……と、ななせのことを見つめていた。何を思っているのか、菜乃には判別がつかない。
次に仮面の人物は、菜乃に振り向いた。ビクリ、と菜乃は身を一瞬振るわせるが、次の瞬間にはキッと睨み付けた。
菜乃のそんな精悍な表情に、仮面の人物は驚いているようだった。
そして、仮面の人物は、交互にななせと菜乃を見ると、
「良い友達をもったな」
それだけ告げると、仮面の人物はその場から立ち去った。




