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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第4章 金色の焔
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第6話 黒のトンビ

 深夜の十一時。あと一時間もすれば日付が変わる時間帯。


 ななせと菜乃は、電車に乗って隣町である麻杜町へと向かっていた。最終電車が近づいているということもあってか、車内にはほとんど人がいない。せいぜい、残業をし終え、疲れ切った様子のサラリーマンが、2~3人見受けられるだけだ。


 志具が寝付いたということを確認した後、こっそりと彼に気づかれないように家を出たわけだが、ななせの胸中には、やや腑に落ちない点があった。


 それを敏感に感じ取ったらしい。菜乃はななせに声をかける。


「どうしました? ななせ様」


「いや……。志具のことなんだが……」


 志具の名前が出ると、菜乃は少々表情を沈ませた。除け者にするような形であることを、菜乃は気にしているらしい。そして、それにななせにつき合わせるような結果になっていることも……。


「申し訳ないことをしてることは承知の上です」


「いや、それもあるんだけど……」


 確かに、志具に対して後ろめたい気持ちがあるのは、ななせとて同じだ。だが、今はそれよりも、気がかりな点が、彼女にはあった。


 ななせの気がかり。――それは夕食時の志具の返事だ。


 ななせは、もう少し彼がこちらに対して疑心のようなものを向けてくると、予想していた。実のところ彼女は、如何なる返事にも対処できるように、様々な言い訳を考えていたりもしていた。


 ……が、現実はどうだ。志具は、思いのほかあっさりと引き下がった。無論、手間がかからないのはいいことだ。ななせとて、面倒な問答になるのは、御免こうむりたい一心だった。


 しかし、今回の志具の態度、返事の仕方は、やや奇妙に思える節がある。志具の返事の仕方はまるで、こちらの事情を見通したような退き方だった。


 ――さすがに気にし過ぎか。


 彼に対する罪悪感のようなものが、自分をそのような考えをするように仕向けているのかもしれないな、とななせは思うことにする。


「志具様……。もしこのことを知ってしまったら、怒るでしょうか?」


「なんだ、菜乃。怖いのか?」


「いえ、別に怖くはありません。志具様は基本的に人畜無害ですから」


 あっさりと、そのようなことを言ってのける菜乃。その発言は捉えようによっては小馬鹿にしたようなものだと、彼女は気づいているのだろうか。


「じゃあ、どうしてそんなことを気にするんだ?」


「それは……」


 菜乃は口ごもる。その目はななせに対し、どこか後ろめたさと言うか、申し訳なさを映していた。


 菜乃の言わんとしていることは、なんとなくななせには理解できた。


 秘密裏にこのような行動を取って、志具に対して、ある種の裏切り行為ではないか、と菜乃は危惧しているのだろう。信用されていないと、志具が思ってしまうのではないか、と……。


 実際のところ、あまり褒められたものではないことは、ななせとて理解しているつもりだ。


 だけど……、


「あいつなら大丈夫さ。知ったところであたしたちを責めることはないだろうさ」


「どうしてですか?」


 その自信の根拠はどこから来ているのですか? と菜乃は訊いてきた。


 だからななせは、はっきりと答えてみせる。


「あたしの許嫁だからさ」


 きっぱりと、何の濁りもない言葉を、言ってのけてみせるななせに、菜乃は目を丸くさせる。根拠と言うには、あまりにも希薄なそれに、菜乃はどうリアクションしていいものか、判断に窮している様子だった。


 ……が、やがて菜乃は「ふふっ」と、笑みを漏らした。


「そうですね。そうですよね」


 根拠というには、あまりにも漠然としたもの。しかし、それはどこか、あながち間違いではないような気を、相手に感じさせるものだった。少なくとも、菜乃に対しては、そのように伝わったようだ。



 ――◆――◆――



 麻杜駅で降り、ななせと菜乃は、事件発生現場となった公園広場まで向かった。


 凄惨な事件が起きたということもあってか、深夜近いこの時間帯に、ふらふらと出かける人はほとんどいないようだ。まるでゴーストタウンのような、不気味な静けさが、町中を包み込んでいた。


 公園の入り口には、相変わらず規制線が張られており、中に入れないようになっていた。……が、幸いなことに、見張りの警官はいなくなっていた。それゆえに、ななせたちを止める者は誰ひとりとしておらず、二人は難なく公園の敷地へと入り込んだ。


 昼間は人の賑わいで満たされているであろう公園内は、今はどこか、ピリ……と肌をちりつかせるような緊張感が満ちていた。それは、自分たちが、この現場の殺伐とした空気を、夕方に感じ取っていたからだろう、とななせは解釈する。先入観があればあるほど、物事を純然とした眼差しを向けることができないのは、人の(さが)というものだ。


 ななせは腕時計に目をやる。あと秒針が一回りもすれば、0時になろうとする時間だった。


 ななせは念のため、周囲に気を張りつめさせる。一定の範囲に不審な者がテリトリーに入れば、瞬く間に察知できるように。


 湿った空気が、ななせと菜乃の肌の表面を撫でる。空には暗澹とした鉛色の雲が、絨毯のように展開されていた。湿った空気は、これから降るであろう雨の前振りのようなものか……。


 長針と短針、そして秒針が12のところでピッタリと合わさった。――――そのときだ。


「――っ!」


 ななせはすかさず、己が武器である『桜紅華』を召喚した。そんな彼女を、驚きの表情で見つめる菜乃。しかし、そんな菜乃に、ななせはかまっていられなかった。


 『桜紅華』を呼び出すと同時、それを袈裟気味に振るいにかかった。


 その瞬間、どこからともなく飛んできた、朱色の焔が、『桜紅華』の刀身に直撃、爆発四散した。


 きゃああ! と悲鳴を上げる菜乃。突然の事態に、攻撃される覚悟を固められていなかったようだ。


 朱色の焔は、大小無数の火の粉となり、周辺に散り散りとなり、やがて空気となって消えた。


「誰だ!」


 言うと同時、ななせは炎弾が飛んできた方向を振り向く。


 すると……攻撃の張本人が、そこにいた。


 一言で言うなれば、それは闇を塗り固めてつくったかのような人物だった。


 肌を極力露出しないようにするためなのか、黒のマフラーとマントを羽織り、来ている衣服も黒基調のものばかりだ。マントについているフードを頭にすっぽりとかぶっているため、髪の色すらわからない。手にはめている手甲も、銀色の光沢がされていたであろう上から、黒の炭でコーティングしているような感じだった。


 いや、それよりも……、とななせ。相手のそんな身なりよりも気になるところが一点あった。


 それは顔の部分。素顔を知られないようにするためか、顔をトンビの仮面で隠していた。それゆえに、相手が男か女かも、判別がつかない。


 仮面の人物は、ななせたちと対面すると、じっ……、と停止していた。仮面の穴から、相手の双眸を伺い見ようとするななせだが、光量の加減で、はっきりと見ることができない。


 こちらをじっと見つめながら、一言も発しないでいる相手に向かって、ななせは言葉を投げかける。


「お前か。この手紙を書いた張本人は」


 言うとななせは、もらった手紙を掲げ、相手に確認を取る。


 仮面の人物は、少しだけ首を縦に振る。……が、相変わらず言葉を発しようとしない。


「あたしらに手紙をよこした理由は何だ? あんたが炭にしたやつと、同じ目に遭わせるためか?」


 不意打ち気味に受けたあの炎で、ななせは確信に近いものを抱いていた。この界隈で賑わせている殺人犯が、こいつであるという確信を。


 仮面の人物は、何も答えない。それは答える意思がないのか、わざと答えないのか……。


 いずれにせよ、問答無用で攻撃を仕掛けてきた相手に、遠慮をするという礼儀を、ななせは持ち合わせていなかった。


「なんとか――――言ったらどうだ!」


 裂帛の言葉とともに、ななせは魔剣を構え、一直線に仮面の人物に突撃した。


 地面を這うように、そして滑るように地表すれすれまで身体を屈ませての前進。彼我の距離は二十メートルほど離れていたが、その距離を一秒ほどで詰めていった。


 攻撃圏内まで近づくと、ななせは体勢を上げると同時、その反動を利用して相手を斬り上げようと、『桜紅華』に力を込めた。


 ……が、仮面の人物は身を一歩ほど引かせ、ななせの攻撃を紙一重で回避した。


 むっ、とななせ。すかさず今度は、振り上げた魔剣を、前進と同時、体重移動を兼ねて斬り下ろす…………が、それを半身に傾けて、仮面の人物は避けた。


 さらにそこから、逆袈裟、一文字、刺突……と、攻撃を硬軟合わせて放つななせだが、仮面の人物にはかすりすらしない。


 こいつ……、とななせは魔剣を振るいながら、奥歯を噛みしめる。


 苦虫を噛み潰したような顔になったのを見計らい、仮面の人物は右の甲を振り上げた。ギン、と甲高い金属音が鳴ったかと思うと、ななせの振り下ろしの斬撃を、片手の甲で受け止めてみせた。


「くっ……」


 身体強化術を行使しても、片手で受け止められるとは……、とななせは単純な力勝負では相手に分があると察知した。


 仮面の人物の左手に、拳がつくられる。――即座に、ななせは身の危険を感知した。


 ななせが後方に飛び退くのと、仮面の人物のストレートな打撃が放たれるのは同時だった。


 ブォン、という風切り音とともに放たれた敵の拳は、儚くも空振りした…………かに思えたが、


「なっ――⁉」


 ななせは見た。拳のリーチを逸脱し、金色のオーラが拳の先端から放たれたのを。


 ななせは『桜紅華』を自分の身の前に盾のように構えると、金色のオーラを受け止めた。


 ガギン、と鈍い音が鳴り響き、ななせは想定よりも大きく、後方に弾き飛ばされる。


 地面を足で踏みつけ、踏ん張ると、ななせの視線の先に、追撃を加えんと向かってくる仮面の人物がいた。


 右の手を開き、そこに朱色の焔を纏わせる敵。ななせは弓矢を引くように、右手を後ろに、前に左手の人差し指と中指を刀身に添えると、


「――せいっ!」


 杭を打ち付けるように、敵に向かって刺突を繰り出した。


 熱風のごとき鋭い一撃。それを仮面の人物は左の手の甲で突きの軌道を逸らせ、半身になることで回避する。


 そうして仮面の人物は、ななせの懐に飛び込むと、焔を纏った右手のひらを、ななせの鳩尾に掌底として叩き込んだ。


「――っ――――!」


 肺を満たしていた空気が、一瞬の間にゼロとなり、ななせは叫び声を上げることもできない。鳩尾に強烈な熱を感じながら、ななせは公園を囲っている塀に、背を叩きつけられた。


 ケホ……、と咳を吐くななせ。同時に、一筋の血が口から滴り落ちた。


 酸素を一時的にすべて奪われたせいだろうか、ななせの視界がぐわんぐわんと揺らめく。……が、彼女は歯を食いしばり、気合で立ち上がってみせる。


「ななせ様!」


 菜乃が心配げな声を上げた。そんな彼女に、ななせは拳を作り、親指を立てて無事であることを伝える。


 仮面の人物は、菜乃の声に反応してか、彼女に一度、一瞥をやった。……が、すぐにななせへと視線を向ける。


 ――どうやら、菜乃には手を出さないつもりのようだな……。


 あくまで、『今』のところは……、とななせ。


 ただ……。気のせいか、菜乃を見たとき、仮面の人物の雰囲気が少し変わったような気がした。……が、今はそんなことはどうでもいい。


 けど、どうする? とななせは思考を巡らせる。


 悔しいことに、今の自分では、この仮面の人物とタイマンで対等に戦うのは、かなり難しいことだと、ななせは察する。志具がいれば、まだ戦況は違っていただろうが、この場にいない相手を望むのは、いささか自分勝手というものだろう。


 ――結局、あたしひとりで対応するしかないのか……。


 ななせは鉄の味がする液体を、唾と一緒に飲む。実に苦々しく、不快な味だった。



 ――◆――◆――



 寝つきが浅かったためか、志具は真夜中に目を覚ました。


 意識が深く沈みこまなかった理由は、あのななせの態度にあるのだろうと、志具は思う。どうしても引っ掛かりを憶えてしまったのだ。


 志具は今一度、寝ようと布団を深くかぶる。…………が、


「……やけに静かだな」


 ボソリと、志具は呟く。


 時刻が時刻ゆえに、ななせと菜乃が寝静まっている。だから静かなのだろう。そう考えようとするが、それにしては奇妙なほどの静寂だった。


 まるで、この家には自分しかいないかのような、圧倒的静けさ……。


 うまくは言えない。ただ、魔術師の世界に足を踏み入れたゆえか、自分の五感が、身体強化術を使うまでもなく、鋭敏になっているのを、志具は気づいていた。それは、安全が確保されている動物園の檻の中から、常に食うか食われるかを心配せざるを得なくなった野生の動物のそれに似ていた。環境に適応するために、あらゆる器官が敏感になっていた。


 その過敏になった感覚から推測するに、ななせと菜乃は、この家の中にはいないことが、志具にはわかった。


 志具は布団の中から抜け出すと、念のために、彼女たちの部屋を順次見て回ることにする。単なる気のせいであることを、考慮したからだ。


 ななせの部屋の扉に、小さなノックをした後に部屋を覗き見ると、


「……いない……」


 ベッドはもぬけの殻だった。次いで、菜乃の部屋も確認するが、彼女も案の定、いなくなっていた。


 夕食時、ななせや菜乃に感じていた奇妙な違和感。そして、金髪の青年の話が、志具の頭の中で合わさっていく。


「まさか……」


 思い立つや否や、志具はパジャマから動きやすい私服へと着替えると、家を飛び出した。


 時刻は0時を過ぎている。今から駅に向かおうにも、もう最終列車は過ぎてしまっているだろう。


 ――自分の脚で行くしかないか……。


 そう思い、志具は麻杜町へ向かおうとすると、


「――‼」


 刺すような視線が、自分に向けられていることを、志具は勘付いた。


 それは背後から。


 志具は振り返ることもせずに、ひと跳躍で前方へと脚の筋肉を弾かせる。


 フォン、と鋭い風切り音が、背後から聞こえた。同時に、後ろ髪数本がもっていかれたことに気づいた。


 紙一重で回避に成功した志具は、十分な距離を確保してから、後ろへと振り返る。


 距離にして十メートルほど先に、犯人はいた。


 それは、全身黒尽くめの人物だった。


 黒のマフラー、黒のフード付きマント、衣服やズボンもすべて黒。夜闇にまぎれるのに適した格好をした人物。


 男か女かはわからない。なぜなら、相手の素顔は鳥を模した仮面で隠れていたからだ。鳥の種類は……トンビだろうか。猛禽類のそれを感じさせる仮面だった。


 かの手には、黒い手袋をはめられており、手には緩やかにカーブした短刀のようなものが握られていた。


 敵だと理解するのに、一秒と掛からなかった。


 志具は気を張り詰めさせ、眼前にいる仮面の人物をねめつける。


 ――まったく。急いでいるというのに……っ。


 志具の頭の中で、赤のシグナルが点滅していた。それは、自分の身の危険と同時、ななせたちの危険も同時に知らせているような信号だった。


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